165時間 (5)
『何故こんな事になった』偶然にも、パウルとアルギュロスの心の中には同じ思いが巡っていた。
ウワンドゥロの魔装騎兵たちは旅立つ際には、緊急用に一つの小型の巻物を携帯する。それは先程の軽魔装騎兵の若者が使用した爆裂魔法』と同等の物だ。使用目的は主に二つ。『敵の集団陣形に壊滅的な被害を与える』と『敵に拘束される、あるいは絶体絶命の危機に瀕した際の自決、もしくは敵を道連れにした爆死』だ。
爆死という形で部下を失った経験が無い訳ではない。むしろ大きな戦闘ともなれば、死因が解っているだけでもマシなほうだ。気が付いたら隣で仲間が死んでいたなどと言う事も珍しくは無い。しかし、自分の戦況に悲観した新米兵士が跳び出して、敵を道連れの爆死を決行しようとしたが、それすら叶わずに一人散って行った。
目の前にいるトイフェリアは強い。同等の装備を与えれば師団長クラスに匹敵する可能性も否めない。恐らくやつがこの中で一番の使い手のはず。しかし、他のトイフェリアたちの中にも、かなりの戦闘力を有する者が混じる可能性は極めて高いとパウルは考える。そこに来て若い部下の先走り。もはやこの任務は続行が難しい。このような辺境の地に住む少数部族の長の身柄を拘引する事など、経験の浅い軽魔装騎兵たちの実地訓練程度にしか考えていなかった。これは自分の認識の甘さが招いた失態だ。
もはやこれ以上の任務続行が困難と判断したパウルは、懐から黒色の小型の巻物を取り出す。それを見たアルギュロスと仲間のトイフェリアたちに緊張が走る。パウルがその巻物を高く掲げると、黒色の輝きが空高く舞い上がり、上空で数度の点滅を繰り返した後に北の空へと消え去った。
その合図と共に軽魔装騎兵たちが迅速に撤退準備を整える。パウルは失った多脚軍馬(ギルプ二ル)の代わりに部下の軍馬に跨り、去り際に馬上からアルギュロスを見下ろす。左右の色が異なるアルギュロスの瞳の奥に、戸惑いと絶望の色が垣間見える。視線が交差するその短い時間に、二人の脳裏にはおびただしい思いが入り混じる。しかし、そのほとんどは今となってはどうにもならない事だ。
撤退する軽魔装騎兵たちの顔にも、追撃もせずにただそれを見送るトイフェリアの顔にも悲壮感が漂う。
厄災は駆け足でその場を去った。しかし、それはこの後に起こる大規模なトイフェリア狩りへのほんの序章でしかなかった。パウルが放った黒色の巻物は『非常事態』を示す信号となり、既に騎兵団本隊の連絡係へと伝わっている。この後、本体と合流したパウルたちの報告を受けた本隊長の内心には、その耳を疑うという思いが先行する。しかし、すぐに魔装騎兵の手にも余るという、自らのプライドをズタズタにしてまで報告するパウルの悲痛な姿に、自体の深刻さを理解した。
本隊長は百騎からなる本隊のうち、魔装騎士を含む三十騎の出撃を指示する。しかし、その命令に重々しい表情で『恐れながら──』とパウルが全騎での出撃を進言する。その進言は本意ではない。
その脳裏には、辺境の地に住む少数民族であれば捨て置くのが得策と過るが、既に部下が亡くなっている。そんな事が許される訳が無い。即座に全騎での出撃を進言した。作戦失敗の後の常識から逸脱する進言。それは、普通に考えれば自殺行為と思われても仕方のない行為だ。しかし、トイフェリアたちの強さは、出撃前に聞いていた情報とはかけ離れている。情報不足により、みすみす部下や同僚を死地へ向かわせる事など、散って行った軽魔装騎兵の若者のためにもあってはならない事だ。パウルはウワンドゥロの一騎士として、自らの命を賭して進言した。
後に本隊長は、このパウルの命がけの進言に救われる事となる。実力者でもあるパウルの再三の進言に、眉をひそめながらも全騎で出撃した本隊は、壊滅的被害を受けながらも、数の力を祭壇現に発揮し、辛うじて辺境の地に潜む魔神の末裔の殲滅を成し遂げる。この時の屍を盾に血で血を洗う死闘を、本隊長は帰国後に『地獄の入口を見た』と親しい者たちに漏らした。
これを機にウワンドゥロでのトイフェリア狩りが始まる。その動きは次第に周辺国家にまで広がり、もともと少数民族であったトイフェリアたちは劇的にその数を減らして行った。
途中で短い休憩を二度挟み、修行を始めて4時間が経過していた。時間の経過はブッハがこの部屋へ入ってすぐに設置した半透明の瓶で確認できた。その中には大きめのマリモのような緑色の球体が五つ入っており、時間の経過と共に少しずつ小さくなっていく。一つが完全に消えて無くなれば現実世界で1時間が経過したのと同じ事だとブッハが教えてくれた。
「休憩にしましょう」
既にずいぶん前から限界を迎えていた義隆には、ブッハのその言葉が『死刑を延期する』と言ったように聞こえた。しかし、休憩となるとブッハからはさっきまでの鬼気迫る圧力は一切感じない。身長が義隆より少し大きく、一流アスリートを彷彿とさせる均整のとれた体格は、傍にいるだけで義隆を圧倒しそうな存在感を放つが、義隆に水の入ったグラスとタイルを差し出す仕草はメイドのそれだ。
『糧食・多量』
ブッハが荷物の中から古びた炊飯器くらいの大きさの葛籠を取り出し、呪文のような言葉を発した。葛籠はその言葉に反応するように鈍い光を放つ。ブッハが葛籠の蓋を開けると中からパン、果物、野菜、干し肉などが大量に出て来た。ブッハの話ではそれは食料調達用の魔法の葛籠で、合言葉に反応して液体以外の既定量の食料を、無作為に出す事ができるらしい。味の方は絶品からは程遠いが、これだけ便利な物があればキャンプでの食事準備も楽勝だな。そんな事を考えながら義隆はパンをかじる。
「義隆様──」
ゲホッゲホッ。義隆は突然に話しかけられ、咽ながらブッハを見る。
「修行は順調に進んでおります。そろそろ第二段階に入りたいと思いますが、いかがでしょうか?」
手で口元を押さえ、涙目でブッハを見る義隆の瞳には疑問符が浮かぶ。本当にこれで順調なのか。第二段階とはいったい何だ。しかし、義隆は何も聞かない。正確には聞けない。『このままでは良く無いのでハードモードでいきます』とでも言われたらどうする。『第一段階の準備運動が終わったので、第二段階のハードモードに入ります』とでも言われたらどうする。自慢ではないがアラフォーで、運動不足のフリーのシステムエンジニアの自分に、そんな体力が有るはずが無い。そんな事を続ければ、確実に百合香を助け出す前に自分がこの部屋で朽ち果ててしまう。
そんな事を考えながら、引きつった作り笑いを浮かべて誤魔化す義隆を、顔色一つ変えずにブッハの金色の瞳が正視する。生きてここから戻れないかもしれない。ブッハの整った黒色の顔が涙で少し歪んで見えた。




