165時間 (3)
目を血走らせた軽魔装騎兵たちが更なる攻撃をと思った矢先だ。
「待て!」
パウルはゆっくりと多脚軍馬(ギルプ二ル)の歩を進める。自分たちでも大丈夫だとその目で訴えかける軽魔装騎兵を、パウルはひと睨みで蹴散らす。このトイフェリアの動きは本物だ。通常、一対一での歩兵と騎兵の強さを比較した場合、同等程度の装備と実力の者同士が戦えば、騎兵の方が有利とされる。それを非武装の者と軽魔装騎兵で比較したとすれば、例え三十人を同時に相手したとしても、軽魔装騎兵が大量虐殺を行うだけの結果になる事は疑いの余地が無い。それにも関らずこのトイフェリアの動きには余裕すら感じる。
「下がれ、俺が出る」
パウルは穂先が青白く脈動するかのように、怪しく輝く槍を手にする。その輝きは何らかの魔法効果が付与された武器である事を示すものだ。『お待ちください』とすがる様に止めに入るグロイアスを、パウルは冷たく一瞥し、構わずそのまま歩を進める。新米の軽魔装騎兵には荷が重過ぎる。
「武器を取れ。待ってやる」
パウルが馬上からアルギュロスに冷たく言い放つ。その言葉には何の含みも無い。パウルという男は冷酷な野心家ではあるが、それ以上に個の戦闘における勝敗に高いプライドを持つ。強者こそが正義。それ故、自分が真の強者と認める者への賛美は惜しまない。
アルギュロスは瞬時に目の前の男が、先程までの軽魔装騎兵たちと別格だと言う事を察した。そして、横目でグロイアスを見る。眉間に皺を寄せ小さく首を振る。踏みとどまれ。ここは我慢だと言わんとするのが伝わる。確かにここで魔装騎兵たちに刃向かえば、ただでは済まない。しかし、このままグロイアスを引き渡して、本当に大丈夫なのだろうか。アルギュロスは思慮を巡らし、仲間に視線を送る。
「お前の好きなようにやれ。村長のことは任せろ!」
仲間の一人が大声で叫ぶと、アルギュロスに鞘に納められた小ぶりな剣を放り投げた。他の仲間たちもアルギュロスに声援を送る。パウルが青白く輝く槍をゆっくりと構え手綱を握り直すと、多脚軍馬(ギルプ二ル)が焦れるように前脚を掻く。仲間のトイフェリアたちがじりじりとグロイアスに近付く。そして、あと数歩でグロイアスに手が届く所まで近付いた間際に、残光を纏ったパウルの槍の柄が、グロイアスの体をトイフェリアたちの元まで吹き飛ばした。
「邪魔だ。連れて行け」
パウルが冷たく言い放つ。仲間に抱きかかえられるグロイアスが、苦悶の表情を浮かべながらアルギュロスを止めようとするが言葉にならない。パウルを睨むアルギュロスの心に、少しずつ闇が降りるのを感じる。殺らなければトイフェリアが殺られる。アルギュロスは少し腰を落として構え、手に取った鞘から漆黒に鈍く輝く片刃を抜く。そして、パウルに向かって見上げる様に切っ先を向けた。
馬上の敵を相手に、短剣よりやや長い程度の武器を正面から構えるとは、やはり戦闘に関してはまったくの素人か。パウルは自分の見立てが外れていた事で、膨れ上がった期待に陰りが見えるのを感じ、不満気に右手に持った槍を構えた。
空気が一気に張り詰める。軽魔装騎兵たちの顔にはこれから始まる、制裁と言う名の惨殺劇への期待を込めた薄い笑みが。トイフェリアたちの顔には祈りと狼狽が入り混じって感情が浮かび上がる。多脚軍馬(ギルプ二ル)が気合を漲らせ顎を引いて首をしっかりと立て、大きく目を見開き白い息を吐く。
二人の距離は多脚軍馬(ギルプ二ル)の脚なら一瞬で縮める事ができる。その事はアルギュロスも薄々は感じている。足先だけを動かしアルギュロスじりじりとパウルの左側へと移動する。それをしばらく視線だけで追いかけていたパウルが、手綱を軽く引くと多脚軍馬(ギルプ二ル)はそれに敏感に反応し、即座にアルギュロスに向き直った。
多脚軍馬(ギルプ二ル)はアルギュロスをちょうど正面に捉えたと思った。しかし、瞬く間に見失う。パウルにはアルギュロスがその姿を消し去ったように見えた。視界の悪い兜を脱ぎ棄て辺りを見回すパウルの顔には、目の前で起こった有り得ない光景への焦りの色が浮かぶ。その脳裏には、噂に聞く姿を消すという高度な魔法の存在が過る。その矢先に、多脚軍馬(ギルプ二ル)が四本の後脚で何かに脅えるように立ち上がった。前脚が空を掻き、首を大きく左右に振るいながら天を仰ぐ。上空を仰ぐ体勢になったパウルの視界に、風を切る音と共に漆黒の刃が襲いかかる。
その切っ先が首に届く寸前の所でパウルは槍の柄で防ぎ、力任せに押し返して薙ぎ払った。戦いを見守る軽魔装騎兵たちから歓声が上がる。パウルの持つ槍は西洋式槍の作りに似た物で、切るための武器ではなく、突いたりなぎ倒したりする事に特化した武器だ。更にパウルの槍には強力な魔法が付与されている。軽魔装騎兵たちはアルギュロスが、その魔力で吹き飛ばされたと思ったのだ。しかし、実際は違う。飛ばされたのでは無い。魔力の発動の寸前にアルギュロスは自ら跳んだのだ。
パウルの顔に明らかな驚きと焦燥感が漂う。アルギュロスは中空で身を翻し、パウルの斜め前方の離れた場所にひらりと舞い降りる。その姿はまるで漆黒の天使が地に降り立ったかのようだ。流石にその姿を見た軽魔装騎兵たちの顔に疑念が浮かぶ。
まさかここまでの身体能力を有する者が、この様な辺境の地に身を潜めていようとは。パウルはアルギュロスの言葉を思い出す。魔神とは神である。つまりそれは、自らが神の末裔であると言うのと同議。面白い。ほんのお遊びのつもりだったが、神の末裔ならば本気で相手をするべきだろう。パウルの顔に歪んだ笑みが戻る。
「魔力解放」
パウルの言葉に反応するように鎧と馬具全体が白銀の輝きを放つ。魔力解放とは、自らの胆力を消費することで、装備に秘められた真の力を解放する、魔装騎士だけに与えられた特別な力だ。それは魔装騎士が数十騎の魔装騎兵を相手にしても引けを取らないと言われる理由の一つでもある。
アルギュロスの本能が最大限の警笛を鳴らす。パウルが槍を持つ手に力を込め、多脚軍馬(ギルプ二ル)の脇腹に踵で合図を送る。その一跳びは大人の脚で十歩の距離だった。一瞬にして間合いを詰めた多脚軍馬(ギルプ二ル)が強靭な前脚でアルギュロスを踏みつける。辛うじて転げながらかわした所へパウルの槍が襲いかかる。アルギュロスが更に身を捩ってかわすと、触れてもいないのに服が切り刻まれた。何らかの魔法効果によるものだろう。あの槍は直接触れなくても危険だ。アルギュロスは即座に立ち上がって身構える。しかし、パウルは休む間を与えてはくれない。槍による怒涛の猛攻は、辛うじてかわし続けるアルギュロスの体に、僅かに傷を付け始める。




