魔力開眼 (1)
その光はまるでオーロラのように揺らめきながら、魔法陣の外枠に沿うように白色から黄色へと、そして次第に緑色へと変化を繰り返す。円を描くように、しかしながら、一時も留まることなく変化し続けながら、見たこともない神秘的な輝きを放っていた。
たしかに食事は一通り終えた後ではあったが、まさかその場ですぐに『魔力開眼』の儀式が行われることになろうとは、自らお願いした義隆でさえ思ってもみなかった。
メイド長のブッハの合図で、他のメイドたちが一斉に『物質浮遊魔法』の詠唱を始める。テーブルや椅子を宙に浮かして、見る見るうちに部屋の隅へ片付け、儀式に使うスペースを確保した。義隆はただただ呆気に取られてその光景を眺めている。マギヴェルトは周辺国家の中で最も多く魔法使いが住む国だとは聞いていたものの、まさかメイドたちまでが魔法を使うとは思ってもいなかったからだ。茜と恵はよくわからないがワクワクが止まらないといった様子で、部屋の端ではしゃいで無駄に体力を消耗させながら準備が整うのを待った。
しばらくすると、二人のメイドが水の入った大きな桶を運んで来た。茜と恵の期待を裏切るかのように中身は普通の水だ。桶を持ったメイドはそのままブランの斜め後ろに待機する。
「では、始めましょう」
まるで散歩にでも出掛けましょうかと言わんばかりの軽い口調で言うと、ブランは立ち上がってメイドから灰青色のアウローティの木で作られた愛用の杖を受け取る。そして、それと同時に部屋の照明が少し落とされると、茜と恵が驚いたようにビクリッと体を強張らせた。
ブランは杖の先を桶の水に浸したまま小声で何かを呟く。しばらくすると桶の中の水がまるで蛍光塗料のように蒼白く輝き始めた。ブランは杖を桶から引き上げて、メイドたちへ合図を送ると、真っ白なローブを僅かに揺らしながら静かに中央へ進む。その後を追うかのように、二人のメイドが流れるような動作で桶をブランのすぐ横へと運んだ。ブランはローブの袖を少し捲り、杖先をそっと桶の水に着けると、まるで別人が憑依したかのような勢いで床に輝く魔法陣を描き始めた。その動きは卓越した書家が、大筆を振るうかのかのように迷いの無いものだった。ブランは一気に魔法陣を描き終わると、ひとつ大きく息を吐いた。
「これで準備が整いました。最初は誰にしますか?」
ブランが薄らと額に汗を浮かべながら優しい笑みを浮かべた
「お父さんからで良いね?」
茜と恵が勢いよく手を上げたが、義隆のいつにない真剣な表情に押し切られ、二人は黙って言う事を聞くことにした。義隆はブランの前へ進み出ると、心を決めたようによろしくお願いしますと言って直立する。茜と恵はジャンケンで次の順番を決めるのに忙しそうだ。
「それでは、義隆さん、魔法陣の中心へ進すすみ、こちらを向いて跪いていただけますか?」
義隆はブランの目を見据えて『はい』と頷き、ゆっくりと光り輝く魔法陣の中央へと進む。
「義隆さん、緊張しなくても大丈夫。この儀式に苦痛は伴わないよ」
硬い表情の義隆に後ろから藤子が声を掛ける。
「お父さん頑張って!」
それに続くように茜と恵が、ジャンケンを続けながらも声援を送る。義隆はゆっくりと魔法陣の中央まで進むと、ブランに向き直り跪いて両手を胸の前に組んだ。その姿は懺悔するようでもあり、何かを懇願しているかのようにも見えた。義隆は魔法使いになどなりたくはなかった。ただ、どうせなるなら茜と恵の前に自分が体験し、危険が無いかを身をもって確認する必要があると考えたからだ。
「義隆さん。これから私の胆力を流し込み、貴方の中の胆力に干渉することで、深淵に眠る魔力を呼び覚まします」
「はい」
決して意味が解っているのではないが、義隆はきちんと話しを聞いているという意思表示で返事をする。
「どれだけ私の胆力を強く感じ取れるかが、開眼のポイントになります。ただし、開眼に成功するか。どんな魔法を開眼するかは、半分以上は運次第と言えます。よろしいですか?」
義隆は目を閉じてはいと返事をする。しかし、胆力を感じ取ると言われても義隆にはサッパリだ。ただ、藤子が言うように魔法庁長官という肩書を持つブランが、直々にこの儀式を執り行ってくれることは、かなりの優遇なのだろう。もしかするとマギヴェルトに住む者たちであれば、羨む事なのかもしれないなと義隆は思った。
ブランは杖をメイドに預け、ゆっくりと右手を義隆の額の辺りにかざす。その顔にはいつもの優しい笑みは無く、憂いを帯びた微笑を浮かべながらおもむろに口を開いた。
「汝、蒼野義隆の深淵に眠りし魔の力よ。我、ブラン=ディアモントの名において命ずる」
ブランは近くで待機するメイドが持つ桶に手を伸ばすと、手で青白く輝く水をひと掬いし義隆の額へと垂らした。義隆は驚いたように一瞬ビクッと背筋を硬直させるが、目は固く閉じられたままだ。
『魔力開眼』
その言葉とともにブランの体がぼんやりと輝き始めたかと思うと、周囲の空間が僅かに歪んで見える。やがてその光と歪みは右手に集束され、ブランの右手は鮮黄色から白金色へと絶えず変化しながら輝く。そして、その光は次第に義隆の額に吸い込まれていく。
光が全て消え去る頃には、ブランの顔にもいつもの優しい笑みが浮かび上がっていた。
「さて、次はどちらですか?」
ブランが振り返って茜と恵に優しくほほ笑みかけた。その言葉を聞いて魔法陣の中央で膝まずいたままの義隆が、驚いたように目を開けた。
「も、もう儀式は終わりですか?」
「はい。開眼の啓示が現れるまでの時間には個人差がありますが、明朝くらいまでには何らかの変化があるはずです」
「何も変化を感じないのですが。こんなものなんでしょうか……」
「義隆さんが感じている以上に体は疲れているはずです。今夜はゆっくりと休まれてください。部屋を準備させますので」
儀式自体はものの十分程度のものだった。藤子の言ったように苦痛もなく、あっという間に終わったというのが正直な感想だ。ただ、儀式の途中で何か温かいものが自分の中に流れ込むような感覚と、目を閉じていても瞼越しに光のようなものを微かに感じた。それ以外の感覚がほとんど無かった。