0. 幼馴染
かつて丹羽大和と言う少年がまだ生身の人間であった頃、彼の傍には何時も幼馴染の少女の姿があった。
少女の名は妃 春奈、大和の家の近所に住む同い年の女の子である。
家が近所同士であった大和と妃の付き合いは古く、彼らの出会いは幼稚園時代にまで遡ることが出来た。
この妃と言う名の少女は何処まで言っても平凡である大和と違い、言うなれば天に愛された神童とも言うべき少女だった。
才能に満ち溢れている彼女は、ほんの少しの努力で運動も勉強も常にトップクラスという一種の完璧超人である。
しかし残念ながらこの妃と言う少女は、天才に有り勝ちな奇行が目立つ変わり者の女の子でもあった。
彼女が今まで引き起こしたトラブルは数知れず、彼女の幼馴染である大和は哀れにも毎回その騒動の被害にあっていたのだ。
気心の知れた幼馴染を妃は遠慮なく巻き込み、よく言えばお人好しである大和は幼馴染の誘いを断りきれずに行動を共にしてしまう。
日々暴走する妃とそれに追従する大和、彼らの日常は波乱に満ちた物と言えた。
「よしっ、準備はいい、大和!!」
「へいへい…」
大和の自宅のはす向かいに位置する家の庭で、一人の美しい少女が気炎を上げていた。
少女は長い髪を後ろ縛ってにまとめており、その瞳は彼女のやる気を示すかのように爛々と輝いている。
2月の終わりと言うまだまだ寒さが厳しい季節に合わせて、少女は見るからに暖かそうな格好をしていた。
厚いジャケットで身を包み、手袋にネックウォーマーを付けて寒さ対策は完璧といった風である。
しかし冬物の厚い上着でも彼女の豊かな膨らみは隠しきれず、少女のスタイルの良さを暗にアピールしているようだった。
満面の笑みを浮かべる少女は、まるで太陽のように眩しく輝いて見える。
少女…、妃 春奈は今日も絶好調のようで、彼女のやる気に気圧された大和は既に疲れたような表情を見せた。
「ちょっと、しっかりしないさいよ、大和! やる気あるの、あんた?」
「いや、有るか無いかって言われたら無いけど…」
「何でよ!? …もしかして今日は燈ちゃんが居ないから、やる気が出ないって言うんじゃ無いでしょうね!!」
「はぁぁ、そんなんじゃ無いって…」
妃と同じよう防寒対策をした服装の少年、大和のやる気の無さに目敏く気付いた妃は鋭く一喝する。
大和にして見れば何時ものように妃に無理やり連れ出され、折角の休日が潰れることが決定している状況なのだ。
こちらの意向を無視して自分を連れ回す幼馴染に対して、文句の一つや二つを言いたくなるは当然である。
しかし地頭の出来が違う幼馴染相手に口では勝てない事を理解している大和は、無駄な抵抗をする事は無かった。
とりあえず幼馴染の機嫌を直すため、大和は先ほどまで見せていたやる気を感じさせない仏頂面を取り繕う。
妃は暫く不機嫌そうな顔で大和の顔を睨み付けたが、暫くして納得したのか元の満面の笑みに戻っていった。
「じゃーん、凄いでしょう!!」
「うわっ、本当に用意したのかよ、お前…」
妃は先ほどから立っていた場所から体をずらし、彼女の後ろに置いてあった何やら意味ありげシートで覆われた物を大和に公開した。
シートが妃の手によって外されたことで下に隠れていた二輪バイクの姿を見た大和は、驚きと言うより呆れた声を見せる。
確かこの幼馴染が今度の休みにバイクでとある場所に出かけると言い出したのは、僅か二日前の事であった。
彼女の性格上、事前に用意していた等と言う計画的な事をしている筈も無く、妃はこの短期間で目の前のバイクを用意立てたのだろう。
大和は妃と言う少女の行動力と実行力の凄さに、改めて脱帽する思いであった。
「折角、二輪免許が有るんだからバイクに乗らなきゃ損よねー! さぁ、早速出発しましょう」
「一応言っておくけど、俺まだ免許とってから一年経ってないから二人乗りは…」
「バレなきゃ平気よ! ほら、早く乗った乗った」
日本国が定めた道路交通法によれば、二輪車両の二人乗りは免許を取得してから一年以上経った者にしか許されていない。
そのため普通二輪免許を取ってから数ヶ月しか経ってない大和が後ろの妃を乗せて走るのは、明らかな違反である。
しかし大和の幼馴染はそんなルールは知ったことでは無いと、自分をバイクに乗せると急かしてくる。
大和は何度目か解らない溜息を付きながら、のろのろとバイクに乗り始めるのだった。
バイクの後ろに乗るという行為は案外怖いものである。
大抵の初心者は慣れぬ状況に体が竦んでしまい、暫くは慣れることに精一杯になる筈である。
しかし常人とはかけ離れた位置に居る妃は、驚くほど早くタンデム走行のこつを掴んでしまった。
乗り手である大和に負担を全く掛けない体重移動を即座にマスターした妃は、バイクの乗り心地にご満悦のようである。
「きゃはははっ、楽しいぃぃぃっ! ほら、もっと早く走りなさい!!」
「これ以上は制限速度に引っかかる! 捕まったら終わりなんだぞ、俺は!!」
妃と言う少女は自分とは違う人種の人間である、大和は幼い頃からそのように達観していた。
平凡を絵に描いたような大和に取って、勉強でも運動でも妃に敵う物は無いだろう。
恐らく大和が妃の近所に住んでいなければ、決して彼らの接点は交わる事は無かったに違いない。
しかし幸か不幸か大和と妃は幼馴染と言う関係になり、今も大和はこうして妃に振り回されている。
大和が二輪免許を取らされた経緯にしても、妃の暴走による結果であった。
殆どの高校では二輪免許の取得を校則で禁じており、大和たちが通う高校もその例に漏れていない。
高校生である大和は本来なら二輪免許などを取っていい筈が無いのだ、では何故大和は免許を持っているのか。
学校に内緒で免許を取った訳では無い、実は大和は学校側から特例として免許を取る許可を得ていたのだ。
勿論、学校側からその許可をもぎ取ったのは、現在大和の後ろではしゃいでいる彼の幼馴染である。
一体どのような手を使って、頭の固い学校サイドに二輪免許取得の許可を取ったかは大和には見当も付かない。
少なくともこの一例だけ見ても、妃と言う少女の破天荒さが理解出来る筈である。
この特異なキャラクター故に妃は学内では、"女王様"と言う名誉か不名誉か判断しかねる渾名が付けられている程だった。
「ていうかこの寒空の下でバイクはキツイだろう!? お前、寒く無いのかよ!!」
「えー、この位は全然平気よ!
やっぱり気持ちいいわねー! 大和に免許を取らせて正解だったわー!!」
「お前、やっぱり二人乗りがしたくて、あんな無茶をしたのかよ…。
こっちは色々大変だったんだぞ、母さんから長々と説教を受けたし…」
それなり長い付き合いであるが、大和は未だにこの幼馴染の思考回路を理解出来ていなかった。
妃と言う少女は見た目や能力だけなら、文句なしの特級品である。
しかし彼女が日常的に行う奇行によって、これらの長所は全て台無しになっていると断言していいだろう。
実際、妃の事を嫌っている者も少なく無く、大和の母である霞でさえもこの幼馴染の事を余り好ましく思っていないようである。
霞としては愛する息子を日々振り回す妃の存在が許せないだろう、最近では霞と妃が顔を合わせるだけで険悪な空気が流れる程であった。
「細かいことはいいの! 今は黙って運転しなさい!!」
「はいはい…」
大和は妃と言う名の幼馴染に対して、一言では言い表せないような複雑な思いを持っていた。
凡人である大和が、能力だけなら完璧超人である妃の事を羨んだことは幾度と無くある。
しかし大和がどれだけ頑張っても、妃のような人間になる事は出来ないだろう。
幼い頃から妃と言う巨星を間近で見続けた大和は、既に自分の可能性について見切りを付けさせられているのだ。
正直言って大和は、妃が未だに自分に構う理由が解らなかった。
端から見たら凡人である大和と能力と見た目だけは完璧である妃は、どう見ても釣り合いが取れていないだろう。
大和は心の無い人間から、妃に付き纏うのは止めろと言う有りがたい忠告を何度も受けたこともあった。
恐らく妃にも同じよう善意の忠告をした人間は居ただろう、しかしどういう訳か彼女は大和との付き合いを止めることは無かった。
こうして大和と妃の奇妙な幼馴染関係は、互いに高校生となった現在でも未だに継続中であった。
「行けー、大和!!」
「あんまり話しかけるな、手元が狂って事故ったらどうするんだよ!?
俺だって二人乗りは始めてなんだぞ!」
大和はこの普通とは言い難い日常が何時までも続くと考えていた、しかし現実は非常である。
この瞬間が大和の人間としての最後の記憶になるとは、この時の大和は想像だにしなかった…。
 




