4. 元ガーディアンの戦士の日常
その部屋は余りゴテゴテした装飾は無い物の、各所に置かれたぬいぐるみなどの可愛らしい小物から恐らく女性の私室である事が推測できた。
室内ではアラーム機能を設定していた携帯が、けたましく電子音を奏でている。
携帯が置かれた机の横に置かれたベッドの中から、一人の少女がもぞもぞと動き始めた。
少女は未練がましく布団から離れようとしなかったが、やがて携帯の頑張りに根負けしたらしい。
ベッドから腕を伸ばした少女は携帯電を掴み、忌々しげにアラーム機能を停止させる。
静かになった部屋で少女は二度寝の誘惑にかられるが、此処で再び眠ってしまったら完全に学校に遅刻してしまう。
渋々といった様子でベッドから上半身を起こした少女は、美しい顔を不機嫌そうに曇らせている。
少女の長い黒髪の一部が前の方にかかっており、端から見たら少女は恐ろしい幽鬼のようにも見えた。
どうやら少女は寝起きが余りよろしく無く、未だに眠そうな顔をしながらベッドから立ち上がろうとする。
「あっ…」
しかし少女の右脚が言うことを効かず、危うく少女は倒れそうになってしまう。
一瞬で完全に目を覚ました少女は慌ててベッドの上に手を置いてバランスを取り、どうにか転倒を回避する。
ベッドに座り込んだ少女は、自嘲気味な笑みを浮かべながら感覚の無い右脚を擦った。
そして少女は枕元に置いてあった杖を手に取り、杖に体重をかけながら改めてベッドから立ち上がる。
リミッター解除の後遺症によって右脚に障害を抱えてしまったガーディアンの元戦士、黒羽 愛香の一日が始まった。
「今日は遅くなる、夕飯は先に済ましておきなさい」
「了解」
トーストと目玉焼きに生野菜を少々、簡単な朝食が置かれた食卓に父と子が向かい合って座っている。
この家には母親と言う存在は無く、黒羽は幼い頃から父一人子一人の父子家庭で育っていた。
スーツを身に纏った黒羽の父はむっつりとした顔のまま、黒羽が用意した朝食を黙々と食べている。
昔から寡黙な人間である黒羽の父は食事中には無駄口一つ零さず、何時も必要最低限な言葉し発することは無かった。
高校の夏服を着ている娘の方もそこまで口数が多いほうでは無く、この一家の食卓は何時も静かなものである。
「それで愛香、ガーディアンの仕事については…」
「安心してくれ、父さん。 暫くはガーディアンに顔を出すつもりは無いよ。
怪我人が居ても邪魔になるだけだからね…」
「そうか、それならいいんだが…」
しかし普段から余り表に出す事は無いが、黒羽の父が内に秘めた娘への愛情は本物である。
黒羽の父は、黒羽がガーディアンと言う危険と隣合わせの組織で活動することに最後まで反対をした。
まして黒羽が障害を負った時などは、見た事もない怒りの表情でガーディアンに詰め寄ったものだ。
黒羽の父は未だに娘を止め切れなかった事を後悔しており、娘を傷物にしたガーディアンの印象は最悪と言っていい。
父の気持ちが痛いほど伝わってきている黒羽は、父に心配を掛けないために最近になってガーディアンとの距離を置き始めるようになっていた。
再び咀嚼音のみが響く静かな食事風景に戻った黒羽たちは、時間を置かずに朝食を終えることになる。
そして黒羽たち親子は、仲良く一緒に家から出るのだった。
7月初旬のこの時期、高校3年生になる黒羽のクラスは徐々に受験ムードとなっているようだ。
朝の何気ない会話一つ取っても、模試の結果がどうだの、志望校のレベルを下げようかなどの話が聞こえてくる。
しかしその中で一人、黒羽だけはクラスの雰囲気に慣れずに困惑を覚えていた。
「はぁ、受験か…」
かつて黒羽は学校での生活を二の次にして、ガーディアンの戦士として最前線に立ち続けていた。
学校も休みがちになり、ガーディアンとしての特例が無ければ出席日数が足りずに黒羽は3年生になる事さえ不可能だったろう。
ガーディアンの戦士として働いていた頃の黒羽ならば、受験のことなどは気にも掛けなかった筈だ。
ただ目の前の怪人を倒すことに集中していれば、全てが上手く進んでいった。
しかし今の黒羽はガーディアンの戦士では無く、ただの高校3年生になってしまった。
そして高校3年生はこの時期になると、進路と言う大きな岐路に立たされることになるのだ。
「これから私はどうすればいいんだ…」
結果的に一生物の障害を負うことなったが、黒羽はガーディアンの戦士となった事は後悔していなかった。
誰かがリベリオンと戦わなければ世界は滅茶苦茶になってしまい、黒羽はコアへの適正からその誰かに選ばれただけの話である。
しかし幾ら前向きになろうとも黒羽の右脚は戻ってこず、この右脚のお陰で黒羽のこれから進む道には制限が掛けられてしまう。
右脚の障害によって体を動かすことが困難になった黒羽の体は、戦士として活動していた全盛期に比べて明らかに衰え始めている。
黒羽の体は右脚を筆頭に徐々に各所の筋肉が落ちていき、代わりに日頃か杖を突くことになった影響で右腕だけは太くなる一方であった。
そもそも右脚が動かない時点で、黒羽に体を動かす関係の仕事に付くことはほぼ不可能になったと言えるだろう。
目の前のことに夢中に成り過ぎて、先のことを全く考えて来なかった黒羽のツケが今になって返ってきたらしい。
黒羽はガーディアンの戦士では無くなった自身の未来に付いて、延々と悩み続けるのだった。
朝の始業までの短い時間を終えて、黒羽のクラスでは授業が開始されていた。
どうやら黒羽は大和たちと違い、それなりに真面目に教師の話を聞いているようである。
黒羽は大和やセブンのように教師に目を付けられることなく、瞬く間に4時間目の授業まで時が進んだ。
ガーディアンの活動にかまけていたとは言え、地頭が悪くないのか黒羽の学校での成績は平均の水準を維持していた。
恐らく今の成績ならば、高望みしなければ大学に進学することも可能だろう。
しかし黒羽は、大学進学と言う安直な選択肢を取ることを躊躇っていた。
「やっぱり進学するのが一番の筈なのだが…」
これまでガーディアンの戦士として働いてきた黒羽にとって、かの組織には人並みならぬ思い入れが有る。
そしてガーディアンで働く人間は全て戦闘専門の戦士では無く、組織を維持するための裏方も沢山存在した。
黒羽の本音としては戦士としてで無く、それ以外の方法でこれからもガーディアンのために働きたいと思っていた。
しかしその道には障害がある、恐らく娘がガーディアンと言う組織に関わることを望まない黒羽の父が全力で反対する未来が簡単に想像出来るのだ。
加えて黒羽は朝に父親に語ったように、暫くガーディアンと言う組織に関わらない事を決めていた。
理由は自身の足の障害だけでは無い、本当の理由は弟分として可愛がってきたかつての相棒を思っての選択だった。
どうやら白木は黒羽が障害を負ったことを今でも酷く気にしており、黒羽が傍に居続けたらあの生真面目な少年は何時までに彼女のことを気にし続けるだろう。
黒羽はかつての相棒に対して、何時までも自分に囚われて欲しく無いと考えたのだ。
「しかしこのタイミングでガーディアンを離れるのは…」
黒羽はガーディアン基地が襲撃を受けたこの機会に、ガーディアンと言う組織から一時的に離れる事は黒羽の中では既に決定事項である。
しかし自分の中で論理立てて結論付けた癖に、黒羽はガーディアンを離れるその結論に躊躇いを感じていた。
今此処で黒羽がガーディアンを離れたら、基地の復旧や組織の信頼度を回復するために動いている仲間たちを結果的に見捨てる事になってしまうのだ。
一時的にとは言えガーディアンを捨てる踏ん切りが付かない黒羽は、現実逃避気味にふと窓から見えるグラウンドの方に目線を向けた。
「うんっ、あれは…!?」
そして黒羽はそこで偶然にも、今にも倒れそうな様相を見せているセブンの姿を目撃することになった。
直接の面識こそは無い物の、黒羽はガーディアンの基地内で何度かセブンの姿を見かけた事があったのだ。
二階にある3年生の教室からはグラウンドの様子は良く見え、視力も悪くない黒羽が見る限りあのグラウンド居る少女がセブンに間違い無かった。
セブンの発見が切欠となり、黒羽の脳内では以前に三代が黒羽が通う高校はかつて自分の母校であると言っていた記憶が蘇っていた。
親戚の子を自分と同じ学校に入れる行為は一般的には有り得る話であり、黒羽は三代の発言からあのグラウンドの少女がセブンであると確信した。
黒羽とセブンが通う高校には、大きな学生食堂が存在していた。
女子高に設置された食堂らしく、メニューは女性向けの物が多い。
食堂では昼食を持参してこなかった生徒たちで賑わっており、女子特有の姦しい声がそこら中から聞こえてくる。
そんな中で黒羽は食事を取ることは無く、どういう訳か首を左右に振りながら食堂の中を見回していた。
やがて黒羽の視点は有る一点、食堂の隅で一人で食事を取っている黒縁眼鏡を掛けた女子生徒の姿を捉えた。
「初めまして、三代 八重さん。 隣に座って大丈夫かな?」
「…別に構わない」
そして黒羽は先ほど見つけた少女の傍まで近寄り、少女の隣の空き席への着席の許可を求めた。
黒羽に声を掛けられた少女、セブンは食事の手を止めて黒羽と顔を合わせた。
これが偶然にも同じ学校に通う先輩後輩関係となった、セブンと黒羽の初対面の瞬間であった。
 




