3. 元悪の博士の日常
必要最低限の物しか置かれていない簡素な部屋の、これまた飾り気の無いパイプベッドの上で一人の少女が眠っていた。
少女には似つかわしくない黒一色の無骨な目覚まし時計を見ると、現在の時刻は朝の6時少し前であった。
通学に要する時間の関係で一概に言えないが、高校生くらいに見える少女がまだ眠っていてもいい時間帯だろう。
しかし目覚まし時計は無常にも6時になると同時に、少女を目覚めさせるための機械音を鳴らし始めたのだ。
目覚まし音によって強制的に覚醒させられた少女は、ベッドに対する執着を全く見せずに起き上がり目覚ましを止めた。
ベッドから降りた少女は机の上に置いてある眼鏡、度が入っていない変装用のそれを習慣として身に着ける。
黒く染めた髪をショートに切り揃え、可愛げの無い黒縁眼鏡を掛けた少女は起き抜けに机の上に置かれたノートPCを開いた。
かつてリベリオンの開発主任を努めていた少女、セブンの一日が始まった。
「やはり大和の戦闘データだけでは限界があるか…。
しかし他にテスターのあては無いし…」
繰り返すようでは有るが、セブンの最終目的は最強の怪人を自分の手に作り出すことにある。
その熱意は凄まじく、目的のためにセブンは所属していた組織を脱走したほどだった。
朝の時間一つ取ってもセブンに取っては、研究のための思考を働かせるための貴重な猶予である。
一刻も早く最強の怪人を作り出したいセブンには、朝の惰眠を貪っている余裕などは無いのだ。
脳に栄養を送るために市販の固形栄養食を口に入れながら、セブンの優秀な頭脳は朝からフル回転していた。
「…もうこんな時間か」
何時の間にか時刻は7時30分を過ぎ、そろそろセブンが学校に登校する時間となった。
研究のために睡眠時間さえも切り詰めているセブンに取って、高校に通うと言う行為は無駄なものでしかなかった。
しかしガーディアンの研究施設を利用するための条件として、指定された高校を卒業するように言われては仕方ない。
セブンは内心の不満を抑えながら、手早く寝巻きから夏用の制服に着替えて住居であるワンルームのアパートから出るのだった。
「…であるからして」
セブンの通う高校は地元では有名な女子高であり、当たり前である教室の中には教師以外は全て女子高生であった。
初老に達しているであろう男性教師は、チョークで板書をしながら一本調子の話し方で授業を進めている。
大和の通う高校より二段階ほどレベルが高いと言われているお嬢様学校の生徒たちは、概ね真剣な表情で授業を受けているようだ。
教室には教師の声と板書の音と、板書の内容をノートに写す音しか聞こえてこなかった。
しかしその中で一人、授業を聞く振りをしながら全く別のことを考えている少女の姿がそこにあった。
「あの怪人は明らかにバトルスーツを使用する前提で作られていた。
あれだけの怪人を作り上げた存在とは…」
セブンの優秀な頭脳にとって、高校レベルの授業などを受けてもプラスにもなることは何も無い。
授業などより研究の方が重要であるセブンは、教師の話を無視しながら先日の白仮面の考察をしていた。
白仮面、バトルスーツを使う怪人の存在に一番衝撃を受けた者はセブンだったかもしれない。
バトルスーツに特化した怪人がバトルスーツを使って戦うと言う、セブンが思い描いていた最強の怪人像を既に実現させた存在が居たとは…。
ただしセブンの見立てでは、あの白仮面は未だに不完全な存在であったと言える。
白仮面が使用するバトルスーツの性能は、専門家である三代がガーディアンの使うそれに比べて明らかに劣っていると太鼓判を押している。
白仮面の怪人としての性能にしても、専門家であるセブンが見る限りまだ改良の余地があった。
恐ろしいことにあの白仮面は不完全な状態であったにも関わらず、大和たちを圧倒していたのだ。
その事実はセブンの理想とする最強の怪人が、夢物語の存在では無い事を証明していた。
そして以上のことから極自然に、あの白仮面がセブンと三代を狙った理由も想像できるのだった。
「やはり私たちを狙った理由は、自身の強化のためか…。
しかし何故、私は今も無事に居る?」
白仮面は自分の性能を完全な物にするために、それぞれの分野の専門家であるセブンと三代を狙った可能性が高い。
しかしそれならば一つ解らないことがある、何故白仮面は先のガーディアン基地の襲撃以降にセブンたちの前に現れないのか。
白仮面の実力なら障害を全て力ずくで排除して、簡単にセブンや三代の身柄を確保できる筈なのだ。
「…三代、三代!!」
「…はい」
「三代、この問題を解いて見ろ」
しかしセブンの白仮面に対する思考は、教師からの呼びかけによって中断されてしまう。
どうやらあの教師はセブンが授業を聞いていない事に気付いたらしく、わざわざセブンを指名したらしい。
世間的には三代 八重と言う名で通っているセブンは、教師が板書した問題に取り掛かった。
「…これで証明完了」
「…せ、正解だ。 せ、席に戻っていいぞ、三代」
恐らくセブンを困らせようと考えていた教師の思惑は外れ、セブンは黒板に完璧な解答を板書して見せた。
偶然にも大和とほぼ同じ状況に陥ったセブンであるが、両者のスペック差から結果は大きく違う物になったようだ。
これが余り勉強が得意で無い大和、高校レベルの問題などは問題にならない優秀な頭脳を秘めているセブンとの差であろう。
普段から授業を全く聞いていない癖に、前回の中間テストは全教科ほぼ満点で学年首位。
しかしセブンはクラスに全く馴染もうとせず、教室では何時も孤立していた。
良くも悪く目立つ存在であるセブンは、ともすればクラスで虐めに合ってもおかしく無い立ち位置である。
そんなセブンであったが、意外にクラス内での彼女の評判は悪くない物だった。
セブンには致命的な欠点が一つ存在していた。
かつてある意味でセブンの子供とも言えるファントムから能力を首から上に全振りしていると酷評された通り、彼女には運動神経が全く無かったのだ。
体力一つにおいても常人より大きく劣るセブンに取って、高校の体育の授業はまさに鬼門と言ってよかった。
「…ゼェ、ゼェ。 …もう、限界」
「諦めるな、三代 八重! 気合だ、最後の力を振り絞るんだぁぁぁっ!!」
体育の授業を開始してから開始10分、体操着に着替えたセブンは軽いランニングの途中で既に体力を全て燃やし尽くした。
息も絶え絶えになったセブンに、白髪が目立つ年配の体育教師が暑苦しく励ましの声を掛けた。
「安心しろ、三代 八重! 俺はお前を三代のように一人前に育て上げてやるぞ!!」
「ハァハァ…、そのような気遣いは不要…」
「ほら、無駄口を叩かずに足を動かせ! 頑張るんだ、やれば出来るぞぉぉぉっ、三代!!」
セブンが通う高校は、セブンの名目上の保護者である三代がかつて通っていた高校でもあった。
どうやらこの体育教師はかつて三代を受け持った経験があったらしく、三代の血縁と言う設定になっているセブンに目を掛けているようなのだ。
実際に血の繋がりが無い癖にセブンと著しく似ている三代は、昔はセブンと同じように運動が駄目な高校生であった。
駄目な生徒ほど記憶に残る物らしく、この教師に取って三代を指導した3年間は強く記憶に刻まれていたらしい。
そしてかつての三代と同じように、運動が全く駄目な血縁を受け持つ事になったこの体育教師が燃えない筈が無い。
そのためセブンは迷惑千万なことに体育の時間で毎回、体育教師の熱血個人指導を受ける羽目になってしまった。
もしかしたら三代はかつての自分と同じように、セブンに体育の授業で苦しんで貰うためにこの学校に入れたのかもしれない。
セブンは三代に対する恨みを募らせながら、必死に足を動かし続けた。
「三代さん、頑張って!」
「後1周よっ!」
「ゼェ、ゼェ…」
普段の教室での人間味の無い無表情なセブンから考えられない、軽い運動で死にそうになる姿に対してクラスメイトたちが口々に励ましの声を掛ける。
通常時のセブンと体育時のセブンのギャップ差は、クラスメイトたちにセブンに対する奇妙な愛着を持たせたらしい。
未だにクラス内で親しい友達こそ居ない物の、セブンは思わぬ所からクラスメイトに受け入れられたようであった。




