1. 目覚め
頭の中に電流が走ったような衝撃とともに、男の意識は覚醒した。
薄暗い部屋の中で男の目に最初に入ったものは、2メートルほど前方に佇む黒ずくめの衣装を着た人影だった。
黒いスーツを身に纏い、額の箇所に番号が書かれた覆面で顔を覆った黒ずくめたちが男の前にずらりと並んでいる。
視界に入る範囲だけでも数十人の人間が全て同じ黒系の装束に身を包み、微動だにせずに背筋をピンと伸ばして座っている光景は異様と言ってよかった。。
覆面で顔は解らないが身長や体型がまちまちなため、これが全て人形と言うことは無いだろう。
不安を覚えた男は視線を左右に向けると、そこにも黒ずくめのお仲間が見渡す限りにずらっと並んでいるでは無いか。
周囲の様子をも見て嫌な予感を覚えた男は恐る恐る視線を自分の体に向けると、予想通り周りと同じ黒装束の格好をしている自分の姿が目に入った。
どうして自分はこのような格好をしているのか、そもそも黒ずくめの集団が勢ぞろいしている此処は何処なのか。
男は記憶を遡ることで現状を把握しようと試み、ふとあることに気付いた。
一体…、自分は誰なのかという疑問に。
自分の存在意義を見付けるとか言う哲学的な問題ではなく、男は根本的に自分のことを何も思い出せないのだ。
己の名前や生年月日、出身地、両親の顔等々、普通に人間なら忘れようも無い事項を男は何一つ思い出せなかった。
全くの無知になった訳ではない、例えば自分が記憶喪失になってしまったのだと判断出来る程度の知識は頭に残っている。
今の男の状況を一言で説明するなら、自身に関わる過去の記憶が全て抜け落ちたと言った感じなのだろう。
混乱した男はとにかく此処を離れようと体を動かし、そこで両手首と下半身の一部が壁に据え付けられた器具に拘束されていることに気付いた。
部屋の明かりが暗くてよく解らなかったが、俺の周りに居る黒ずくめたちも同じように壁に拘束されている。
手足に力を入れて男を縛っている戒めを外そうとするが、どれだけもがいても拘束はびくともしない。
自力で拘束を外すことを諦めた男は、先ほどからピクリとも動かない右隣の覆面に声をかけようとして…。
「…ィィィッ」
男は確かに隣人に対して、意味のある言葉を発しようとした。
しかし男の意に反してその口からは、奇声のような掠れた声しか出なかった。
「…ィ!? ィィィィイッ!!」
再び言葉を発しようと試みるが、幾ら頑張っても男の口からは掠れた奇声しか出ない。
拘束され、まともに喋ることも出来ない己の状態を認識した男は一層の焦りを覚えて、再び戒めを解こうと奇声を喚きながら暴れまわった。
数分ほどの男の努力は無駄に終わり、彼の拘束は外れることなく、正常な発音もその口から出ることは無かった。
精神的にも肉体的にも疲れた男は抵抗を諦め、体力回復のために後ろの壁に寄りかかる。
周りの連中は男の様子を一顧だにせず、最初の見た時の姿勢のままぴくりとも動かない。
男は自由になっている右手の五指を忙しなく動かしながら、この苦境を乗り切る手段について頭を巡らし続けた。
時計が無いため正確な時間は不明だが、男が目覚めてから少なくない時が流れた。
苦境を脱する方法が思いつかず、未だに拘束から逃れられない男は相変わらず同じ場所に佇んでいる。
どうやら男を含んだこの黒ずくめの集団が居る部屋は、男たちを少なくない時間拘束するための施設らしく、室内にはそれなりの設備が備えられていた。
例えば男の下半身を覆っている装置は排泄物を集めるものらしく、拘束中に催したものは床に撒き散らされること無く吸収されるようだ。
何故、男がこの機能を知っているかと言えば、拘束されている間に身をもってこの装置のお世話になったのである。
男が装置の機能を覚えていれば、お漏らしを忌避して限界まで尿意と格闘するという無駄な行為をしなくてよかっただろう。
「イィィ…」
そして現在、機械音とともに天井から繋がった管のようなものが男の目の前に現れた。
男は管の様子を眺めて憂鬱な心境を示す溜息を吐こうとするが、相変わらずまともな発音が出来ないせいか満足に溜息すら出来ない。
管は男のところだけでなく周りに居る黒ずくめの連中の所にも降り、彼らは一斉に口を開けて管の先を咥える。
やがて管から固体と液体の丁度中間くらいの物体が流れ始め、男を除いた黒ずくめたちが一斉にそれを吸い始める。
恐らくこれが彼らの食事なのだろう、黒ずくめたちは黙々と管から出る流動食を口に入れている。
しかし男はその食事を拒否して管から顔を背けていた、男の前にある管から流動食が床に垂れ流されていっている。
何故男は食事を取らないのか、その理由は簡単である、この食事が凄まじくまずいのだ。
まず匂いからして駄目だ、それは排泄物を凝縮させたかのような悪臭を漂わせている。
そして悪臭を我慢して口に入れてみれば、口の中にはこの世の物とは思えない味が広がった。
周りの連中が平然とこんな汚物を食べていることが信じられないと、男は嫌悪感を露にしながら目の前から漂う悪臭を我慢していた。
この場所では男は体を自由に動かす権利さえ認めれず、まずい食事が機械的に提供されてただ生かされ続ける。
此処はまるで監獄で自分は囚人だと連想した男だったが、すぐに此処に比べたら監獄の方がまだまともだと自嘲気味に笑った。
何も出来ることは無い男は精神的に疲れ果てたのか、やがて眠りに就いた。
男が拘束されている部屋の入り口が開き、10代後半くらいの白衣を着た少女が足を踏み入れた。
室内には壁にずらりと並ぶ黒ずくめたちが居たが、少女は特に動じた様子も無く無表情のまま歩みを進めた。
部屋の中心辺りまで来た少女は他の黒ずくめたちが顔を表に上げて微動だにしていない中、一人だけ頭を下げて眠っている男の前で足を止めた。
「戦闘員が眠っている? まだ待機状態になる時間では無い筈…」
この部屋に保管されている兵器は現在、準待機状態になっている筈である。
緊急の任務にも即座に稼動するため、周囲の黒ずくめのようにアイドリング状態で部屋に待機していなければならない。
しかし目の前の戦闘員は一人だけ待機状態となり、女の接近にも気付かず眠り続けていた。
「体内時計の調整にミスがあった? すぐに修理を…」
「……ィ?」
独り言が耳に入ったことで眠っていた戦闘員が目を覚まし、己の正面に立つ女性の姿を目撃する。
その女性は白髪を肩口までで切り揃えたショートカット、他人を寄せ付けない印象を持たせる冷たい瞳を持つ美しい少女であった。
「イィッ!? イィ、イィィィッ!!」
男…、少女が言う所の戦闘員は来訪者の存在に一瞬唖然とした表情をしたが、すぐに己の窮地をアピールするように拘束された手足をばたつかせながら騒ぎ始めた。
女性は戦闘員の突然の行動に内心で驚いたようだが、その動揺は瞼を僅かにゆがめる程度にしか表に出なかった。
「嘘。 戦闘員にこんな動きはプログラムされている筈が…、もしかして貴方、意識があるの?」
「ィッ!!」
男の視線から意思の光、本来なら戦闘員から消去されているそれを感じ取った少女は男に意思の有無を問う。
戦闘員は女性の問いに頷くことで肯定を示し、その行動によって己の自我を証明するのだった。
「戦闘員、それは我が組織が製造した最下級の戦闘兵器である」
白衣の女性、セブンとの邂逅を果たした男は現在、セブンの仕事場らしい部屋に通されていた。
他の戦闘員と同じように男の覆面にもナンバリングがされているらしく、セブンは男を番号で呼称する。
セブンによって拘束を外されて自由を手に入れたものの、これか何をすればいいか全く解らない戦闘員9711号はまるで親鳥に従う小鳥のように彼女の話を黙って聞いていた。
「戦闘員は我が組織が集めた素体の中で、怪人となりうる性能を持たなかった者たちを利用して作成される。
戦闘員は簡易的な改造手術によって有る程度の戦闘能力を持たせ、忠実な駒として動かせるよう記憶の消去を行った上で、戦闘用のプログラムをインストールして完成となる」
セブンはどうということでは無いという調子で、衝撃の事実を男に伝えた。
どうやら9711号が自分のことを思い出せない原因は、セブンが所属する組織によって記憶を消されたことが原因らしい。
男の立場ならば、本来なら怒り狂ってセブンに喰ってかかかるのが筋だろう。
しかし記憶を失うことである意味過去と決別している9711号にとっては、セブンの話は他人事のようにしか感じられなかった。
「戦闘員が製造され始めた直後にはまだ工程に不具合があり、稀に改造前の記憶や意識が戻る戦闘員も居たらしい。
しかし大抵は過去と現在のギャップに耐え切れず気が狂ってしまったらしく、あなたのように全うな自我を取り戻したケースは恐らく初めてだろう」
複数のモニターやキーボードらしき入力端末が置かれた机の前に座っているセブンは、たんたんと話を続けていた。
ちなみに9711号はセブンから椅子に座るように進められなかったため、彼女の部屋に入ってからずっと立ったままの状態でいた。
セブンは直立した状態で己の話に耳を傾ける9711号に対して何も思っていないようだ、見た目の印象通り彼女は人付きあいが不得手な人間らしい。
しかし家主の許可も無しに勝手に椅子に座ってはまずいと思考する社会マナーが、何故か記憶を失っているはずの男に残っているのかは謎である。
「現在の戦闘員製造方法は過去の蓄積によって進歩しており、製造に不備が発生する確率はほぼ0と言っていい。
そのこのからも、あなたの存在は実に興味深い」
セブンは言葉の通り、己の知的探究心を満たすように遠慮なく9711号の挙動を観察していた。
この部屋に着くまでの道すがらで自分は組織の研究者であると簡潔な自己紹介をしていたセブンは、自我に目覚めた9711号の存在に興味津々らしい。
「戦闘員9711号、あなたには選択肢が二つある。
一つはあなたが元居た戦闘員格納庫に戻り、組織の一戦闘員として今後も運用されること」
「イィッ!?」
セブンが出した一つ目の申し出に対して、9711号は即座に首を振る挙動で拒絶した。
よほど戦闘員格納庫に戻るのが嫌な様子らしく、体一杯の表現で戻りたくないとアピールしていた。
「ならば二つ目の選択肢、あなたは私の研究対象兼部下として働いてもらう。 丁度、雑用係りが欲しかった所だった」
以上の経緯から戦闘員9711号は世界征服を企む悪の組織、リベリオン日本支部の怪人開発科主任、セブンの下で働くことになるのだった。