3. 日常
「であるからして…」
チョークの磨り減る音と共に、スーツを着た四十台の中年が一本調子の声が聞こえる。
○○高校三年五組の教室では現在、四時間目の日本史の授業が行われていた。
高校三年の五月中旬という受験を目前に控えた殆どの生徒たちは、ピリピリとした雰囲気で無駄話一つせず授業を受けていた。
しかし全ての生徒が真面目に勉学に励んでいる訳では無い、教室の中には日本史講師の呪文のような語りが促す睡魔に負けて机に突っ伏している輩も一部見受けられた。
その中に授業を聞き流しながら窓の外にずっと視線を向けるこれまた不届きな生徒、黒ずくめの戦闘員服から黒ずくめの学生服に衣替えをした元戦闘員9711号の姿がそこにあった。
「よーし、飯だ、飯だ!! …て、今日も冷凍のコロッケかよ、これ飽きたんだけどなー」
「でさー、今度駅前の服屋で…」
「おい、何で昨日、ラインを返してくれなかったんだよ」
四時間目の授業を終えて、昼休みに入った三年五組の教室の中はさきほどとは打って変わって騒然とした雰囲気となっていた。
学生服の男性性たちやセーラー服の女子生徒が仲のいい友人たちと集まり、雑談に耽りながら昼食を取っている。
しかしかつて9711号と呼ばれた少年、丹羽 大和は教室内に出来た複数の輪のどれにも混じらず、自分の席で母の手作り弁当を黙々と口に入れていた。
1年近く失踪していた息子のために腕をよりに掛けて作ったのだろう、贔屓目無しに見ても他の生徒の昼食より豪華な弁当は誰の目にも留まらずに大和の胃の中に入っていく。
丹羽 大和と言う少年は現在、復学した学校でぼっちと呼ばれる存在になっていた。
現在の大和少年が陥っている状況は別に彼のコミュニケーション能力が低いことが原因で起きている訳では無く、この状況を引き起こした原因は別にあった
母の計らいで四月から高校に復学することになった大和少年だったが、ご存知の通り彼には記憶喪失と言う大きな障害を抱えていた。
実家に戻った大和は記憶を取り戻すために様々なことを試したのだがその成果は全く現れず、現在も献身的に自分の面倒を診てくれる母の記憶さえ戻っていない状況だ。
不幸中の幸いなのか、大和が失った記憶は自信に直接的に関わった人間や場所の記憶だけで、自身とは直接関わりの無い常識的な知識や学力は丸々と残っていた。
そのため復学して授業に着いて来れないのでは無いかと言う心配は無くなり、不安は残るもの大和は学校に戻って来ることができた。
「…おい、あのダブり野郎。 また一人で飯を食ってるぜ」
「確か病気で一年くらい休学していたんだよな、あいつ。
やっぱり自分より一つ下の年代に溶け込むのはキツイんだろうなー」
「いや、あのダブりが孤立しているのは自業自得だぜ。
あいつが編入して来てすぐに、親切に声を掛けてやった奴も居るんだけどさ…」
世間的には病気で長期入院ということになっていた大和は、高校を休学している状態になっていた。
そのため復学の手続きは意外にスムーズに進み、大和は4月から高校三年のクラスに編入することが決まった。
しかし問題はやはり記憶喪失だった、学校の教師たちも記憶喪失の生徒などを受け持ったことは無く、最初は記憶喪失のことさえ疑ってかかったものだ。
セブンが作成した医師の診断書(偽造)とかつての担任との面談によって記憶喪失であると認められた大和は、復学の条件としてある約束をさせられることになる。
他の生徒に自分が記憶喪失であることは、出来るだけ秘密にするようにと…。
学校側としても大和の記憶喪失のことを大っぴらにして、学内で騒ぎを起こしたく無かったのかもしれない。
既に大和の同年代だって生徒たちは卒業しており、部活動も行っていなかった彼を直接知る人間は教師陣を除けば殆ど居ない。
教師たちは大和が記憶喪失であることを隠して生活をしても問題無いと考えていた、しかしその考えは酷く甘いものだったのだ。
「そしたらあいつ、いきなり自分のことを知っているのかって聞いてくるんだぜ。
誰もお前のことなんて知らないっつーの、それで何か気持ち悪いから声を掛ける奴が誰も居なくなったんだよ」
「…自意識過剰なのか、あいつ。」
今のクラスに居る生徒たちは本来は彼とは一学年下の世代のため、記憶喪失前に関わりがあった人間が居る確立は極めて低い。
そう、完全に初対面である可能性はゼロでは無く、過去の大和を知っている者が居る可能性を完全には否定できないのだ。
過去の自分を知る人間が声を掛けてくる可能性が頭に過ぎった大和は復学直後、自身の過去の姿について尋ねるという欲求を抑えることが出来なかった。
想像してみて欲しい、一年休学をしていた本来なら一つ上の世代にあたる初対面の同級生に声を掛けたら、いきなり自分のことを知っているか聞いてくるのだ。
生徒たちが大和の記憶喪失のことを知っているのなら話が別だろうが、それを秘密にしている現状では彼の行動は異常なものに映ってしまうだろう。
こうしてクラス内で軽い変人扱いされてしまった大和は、一つ上の世代というハンデもあってクラスから孤立してしまっていた。
無言で食事を終えた大和はカバンから新品同然のスマートフォンを取り出す、かつて使っていた物は失踪時に紛失していたので母が新しく購入してくれたのだ。
買ったばかりのスマホには過去の交友関係のアドレスは全く入っておらず、アドレス帳には母とセブンの番号しか入っていない寂しい状態である。
そのため大和は着信のチェックなどは考えておらず、アプリで時間を潰そうと考えてスマホを取り出したのだ。
大和は昼休みが終わるまで、一人寂しくスマホを触っているのだった。
それは6畳ほどの広さの部屋だった、室内には学習机、本棚、テレビ、衣装ケース、シングルベッドなどが置かれていた。
学習机には高校の教科書が雑に詰まれており、真ん中のスペースにはやり掛けの数学のプリントが放置されている。
本棚の中は漫画が多数を占めており、部屋の主の趣味は少年向けのバトル漫画が好みのようだ。
テレビには据え置きのゲーム機が繋げられており、ゲーム機の周りにゲームソフトが置かれている。
衣装ケースの中には高校の制服と男物の私服が何着か有り、それに加えて何故かライダースーツが掛けられていた。
そしてシングルベッドの上にはこの部屋の主が、仰向けの姿勢でスマートフォンを触っていた。
「やっぱり思い出せないな…」
この部屋の主、リベリオンで戦闘員9711号と呼ばれていた少年は今の現状に困惑していた。
あの日、セブンと共に実家へと帰還した9711号は、当然の流れとしてそのまま丹羽家で生活を過ごすようになっていた。
丹羽 大和として高校にも復学をして、客観的に見ても大和は完全に一般人としての生活を取り戻している。
懸念していたリベリオンの活動も先の日本支部襲撃で受けたダメージがまだ癒えていないのか、今は鳴りを潜めており大和の周囲では平和な日々が続いていた。
しかし未だに過去の記憶を取り戻せないことが、丹羽 大和としての生活に順応することへの大きな抵抗となっていた。
リベリオンの居る時は良かった、周りの人間や怪人たちは自分の過去などは気にせず自分を戦闘員9711号として扱ってくれた。
それに対して今の環境は、過去の丹羽 大和という少年を知っている人間、知っている可能性のある人間が彼の周りに沢山居るのだ。
大和はリベリオン時代には余り意識していなかった過去を否応無く意識してしまい、そのせいで学校で大きな失敗もしてしまった。
「大和、ご飯よー」
「…今行く」
自分の下に戻ってきた愛する息子のために母は、仕事帰りで疲れているにも関わらず毎日手作りの夕食を作ってくれる。
この家に帰ってきた日に仏壇の前へ連れて行かれた時に知ったのだが、大和の父は既に死亡しているらしくこの家には母一人子一人しか居なかった。
それだけに一人息子を失った衝撃は強く、それが戻ってきた時の感動は人一倍大きかったのだろう。
献身的に尽くしてくれる母に対して、大和は彼女の思い出をただの一つも思い出すことが出来ないことに罪悪感を覚えていた。
確かに母は大和によくしてくれている、しかしそれは今の大和で無く過去の大和を思っての行動なのだろう。
大和は腰を上げて、重い足取りで母が待つ食卓まで行くのだった。
 




