3. 平穏な日々
そこの狭い部屋には、二十代に満たない私服の若者たちがすし詰めになっていた。
若者たちはそれぞれ部屋に設置された机の前に座り、正面に立つ講師の言葉に耳を傾けながらノートを取っている。
仮に部屋の若者たちが制服を着ていたならば、この光景を学校の授業風景だと思われるだろう。
否、これはある意味で授業だった。
此処は俗に予備校と呼ばれている、大学受験に失敗した若者たちが集う場所である。
そしてこの中に見るからに平凡な少年、一昔前には欠番戦闘員として暴れまわっていた少年の姿が見えた。
丹羽 大和、現在一浪中の受験生である。
学生として学校に通う平凡な生活を送りながら、裏では欠番戦闘員として非日常の世界にどっぷりと浸かっていた大和。
とりあえず高校はどうにか卒業まで漕ぎ着けた物の、流石に受験勉強にまで手が回らなかったらしい。
特に将来の夢とかも無い大和は無難に進学を希望し、見事に受験に失敗して志望校を落ちてしまったのだ。
元々地頭が余りよろしくない大和が満足に勉強出来なかったのだ、これは当然と言えば当然の結果だろう。
そして息子に甘い母の霞が浪人を許した事により、大和は浪人生として予備校に通う日々を過ごしていた。
「あー、受験勉強面倒くせー。 本当なら可愛い女子大生たちと一緒に、楽しいキャンパスライフを送っている筈なのに…」
「仕方無いだろう、俺もお前も志望校に落ちたんだから…」
午前の授業が終わり昼の休憩時間となったため、部屋の中にいた予備校生たちの多くは昼食を取りに行ったのかまばらになっていた。
その中で大和は母お手製の弁当を片手に、高校時代からの腐れ縁となった元クラスメイトたちと顔を突き合わせている。
大和は聞き慣れた深谷の愚痴を流したら、料理研究家でも有る母の手の込んだ弁当に舌鼓を打つ。
「くそぉぉっ、なんで俺はあの時に勉強しなかったんだぁぁ!!」
「お前たちが二輪免許なんか取ったからだろう…」
同じ予備校に通う深谷たちもまた、大和と同様に受験に失敗した敗残兵である。
しかし裏の事情があった自分と違って深谷たちが大学に落ちた原因は自業自得な物であるため、受験失敗に嘆く彼らに対する大和の態度は冷淡な物だった。
実はこの連中はよりにもよって高校三年生の大事な時期に、女に持てたいと言う若者らしい一心で二輪免許の取得に精を出したのである。
どうやら以前に大和が黒羽をバイクの後ろに乗せた事が余程羨ましかったらしく、それが深谷たちに人生を棒に振るう決断をさせてしまったらしい。
そして見事に高校在学中に二輪免許を取得した彼らは、その代償として一浪をするはめになったのである。
「俺たち、なんであんな馬鹿な真似をしたんだろうな…。 後ろに乗せてあげる彼女も居ないのに、免許だけ先に取っても意味無いだろうに…」
「あぁぁ、彼女欲しぃぃぃっ!!」
「先輩、一生のお願いだ! 今度愛香ちゃんを連れてきてくれよ!!」
「無茶言うな。 大学生の黒羽さんが浪人生の俺たち程暇じゃ無いんだよ…」
女の子を後ろに乗せるために二輪免許を取ってしまった馬鹿者たちは、肝心の女の子にはまだ御縁が無いようだ。
一般的に女性の浪人生は少ないと言う話は本当なのか、大和たちが通う予備校には女性の影が全く見えない。
男しか居ない予備校に通いながら受験勉強に精を出す灰色の日々に、深谷たちは相当ストレスが溜まっているらしい。
彼らの中で半ばアイドルと化している黒羽との対面を求める深谷たち、しかし大和はその願いを素気無く断ってしまう。
阿呆な大和たちと違い、一発で志望校に合格して女子大学生活を満喫している黒羽を煩わせる訳にはいかない。
実は今でもジムに定期的に通っている大和が、頻繁に黒羽と会っている事は深谷たちには勿論秘密にしてある。
「あーあ、今思えば高校時代は楽しかったなー」
「周囲の半分は女子だったしな、出会いの機会は今とダンチだぜ…」
「高校か、博士はどうしているかな…」
深谷たちはついこの前まで通っていた学校生活を思い出し、過ぎ去ったモラトリアムを惜しんでいるようだ。
それにあてられた大和は、現在進行系で高校生活を送っている恩人の少女の事を考えていた。
恩人の少女、セブンがバトルスーツの研究を止めた事により、大和には戦う理由が消失した。
そのため正義の味方を気取るつもりも無い大和は、白仮面との決戦以降に彼が怪人専用バトルスーツを纏っていない。
折角黒羽から譲り受けた彼女のコアを使用した新生バトルスーツも、その真価を発揮することは一度も無かった。
新世代の台頭によって混迷する正義と悪の戦いは、今の大和に取っては対岸の火事でしか無いようだ。
現時点では…。
最強の怪人を作り出すと言う夢を捨てたセブンは、大和と同じように平凡な日常生活に埋没していた。
協力者であった三代に無理矢理通わされた女子校に今も在籍しており、無事に進級した少女は今では高校二年生である。
この一年で身長が五センチも伸び、胸の膨らみも僅かに増してより女性らしい姿へと成長していた。
長くなった髪を後ろで纏め、可愛らしい女子高生服に身に纏ったセブンの姿は周囲の女子高生たちに溶け込んでいた。
「三代さん、一緒にお昼食べよう」
「了解した」
セブンの学校での一番の大きな変化は、周囲との交友関係だろう。
一年前はクラスで孤立していたセブンに、昼食を共にするクラスメイトが出来ていたのだ。
人のいい笑みを浮かべながら声を掛けてきた少女と共に、セブンは学内の食堂へと足を運ぶ。
未だに鉄仮面の如き表情の硬さは治らない物の、今のセブンは"三代 八重"と言う名のただの女子高生でしか無かった。
「それでさ、この前買ったアクセサリーが可愛くって…」
「……」
学内の食堂で昼食を取るセブンたちは、女子高生らしく他愛のない雑談に励んでいた。
否、端から見ればセブンの対面に座る少女が一方的に語りかけているようにしか見えないだろう。
研究に関する事以外は口下手であるセブンに女子高生らしい会話は難易度が高く、このような状況で彼女が聞き手になるのが常である。
どうやらセブンに話しかける少女はその事を重々承知しているらしく、セブンの反応を気にする事無く一方的に延々と話を続けていた。
仮にセブンがこちらの話を聞き流していならば、少女も気分を害して二度と昼食を共にする事は無いだろう。
しかしセブンはしっかりと少女の話に耳を傾けている事は、セブンの目線や首肯による相槌によって理解できた。
少女はセブンが無愛想な見た目と反して、決して冷たい人間では無い事を何となく察しているらしい。
「あ、そういえば次の授業は体育よね。 三代さん、また先生に絞られるんじゃ無い?」
「…それは困る」
怪人の設計を行える程の優秀な頭脳を持つセブンに取って、高校生レベルの授業に付いて行く事など造作も無い事である。
事実、セブンは学年トップの成績を軽く叩き出しているが、そんな彼女にも唯一苦手にしている授業があった。
体育、病的なまでに運動が苦手なセブンにとって運動を強いられるそれは鬼門だった。
平均的な女子高生が無難にこなせる程度の運動も、セブンに取っては命がけで挑まなければならない程の難易度になってしまう。
加えてセブンの致命的な運動神経の無さを改善しようと情熱を燃やす体育教師の存在もあるため、適当な理由を付けて体育をサボることも難しい。
この後に控える体育の授業と言うなの試練を前にして、セブンは僅かに眉を顰めながら憂鬱な心境を表していた。
少女はそのセブンの体育を嫌がる態度に気付いたらしく、その反応に思わず笑ってしまうのだった。
セブンもまた大和と同じく、ガーディアンとリベリオンの戦いから離れて平穏は日々を送っているようだ。
大学、そして大学院に進学して博士号と取る。
あの元戦闘員の少年が付けた自分の呼称を現実の物とすることが、最強の怪人作りを止めたセブンの今の目標だった。
このまま一女子高生として生活を続け、周囲と同じように進学をしていけばセブンの目標は容易に叶う事だろう。
このまま行けば、だが…。




