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4話


 悪くはない。


 というのが、高階が最初に抱いた感想だった。

 テーマとしてはなかなか面白い。問題の立て方は不十分だが、仮説には興味が持てたし、展開の仕方もさほど無理がないように思う。

 それに何より、純粋に「これがやりたい」という気持ちが伝わってきた。


「こういうことに興味があるんだ?」

「あ、はい。お祭りとか、伝統行事とか……好きなので」

 高階は「ふうん」と言って、レジュメを眺める。彼は中山間地域を研究しており、こういった地域の文化を取り上げることもあった。

「出身はどこだっけ?」

「島根です」

「……ああ、神楽が盛んなところだね」

 高階が頷くと、乃依は「そうです、そうです!」と力強く肯定した。

「高階さんも、神楽お好きなんですか!?」

「いや、実はまだ見たことがなくて……」

 言いにくそうに、高階は言った。乃依の口調から、彼女がかなりの神楽ファンであることが窺い知れたからだ。

 案の定、乃依は残念そうに「そうですか」と呟いた。仲間が得られなかったことに対する失望感だろう。

これはマズい、と高階は慌てて付け加える。

「一度見てみたいとは思ってるんだけどね」

 嘘ではない。これまで鑑賞する機会がなかっただけで、彼もまた、地域の伝統行事には興味があるのだ。機会さえあれば、見てみたいという気持ちはあった。

 そんな彼の言葉に、乃依の目が光る。

「うち、ビデオありますよ」

「え、ビデオ?」

「はい。こっちに来てから見る機会がないので、購入したんです」

 そこまでとは。高階は、後輩の神楽に対する並々ならぬ情熱を垣間見て、密かに驚いた。またしても「こんな子だったのか」、である。今日は色々と発見の多い日だ。

「じゃあ、今度借りてもいいかな」

 彼女の意図を読み取ってそうお願いすると、乃依の表情はぱっと明るくなる。

「はい、どうぞ。ちなみにお勧めは『頼政』です!」

 よりまさ、と頭の中で繰り返して、高階は「ああ」と思った。演目のことだろう。


 話していて、何となくいい雰囲気になったことを、高階は感じた。但しここで言う「いい雰囲気」とは、通常会話に支障をきたさない、という意味だが。

 ともかく、当初に彼が感じた「大丈夫なのか」という懸念は払拭されていた。この調子ならば時間の経過も早いだろう。



 しかし実際に指導を始めてみると、高階の予想はいい意味で裏切られた。

「何でこの論文挙げたの?」

「あ、それは……同じようなことやってる人だったので、一応挙げてみようかと思って……すみません。挙げてみただけです」

 しゅん、となる後輩に、高階は「いや」と言う。最近こういう反応を示す学生を見ていなかったので、新鮮な気持ちだ。

「挙げることそのものは問題ないよ。先行研究は広く見てた方がいい。ただ――」

 高階は一旦言葉を区切り、乃依の方へ視線を上げて言った。

「この論文挙げてみて、どう思った?」

「あ、はい。なんか……どう使っていいのか、分からないなって。やってることは同じなんですけど、読めば読むほど、自分のやりたいこととは、あんまり関係ないんじゃないかって思い始めて……」

 不安げな乃依の回答に、高階は「うん」と頷く。表現はアレだが、言っていることは的を射ている。つまり、乃依が挙げている論文と、彼女の興味関心とはアプローチの仕方が全く違うのだ。

「だから、この場合は本論に絡ませるんじゃなくて、脚注に回すべき。本旨に直接関係しないようなものは、いちいち詳細に取り上げなくていいから」

「あ、はい」

 乃依は赤ペンで矢印を引く。

「脚注の書き方も……そうだな。これ見て」

 近くにあった論文を開いて見せる。

「最初に著者名・論文名を持ってきてるのはいいんだけど、論文の場合は一重括弧」

「はい」

 こちらにも、赤ペンで修正。

 こういう指摘をするのも随分と久しぶりだと、高階は思った。最近は学部生の指導はマスターに任せきりだったからだ。


 普通、学部生の面倒はマスターが、マスターの面倒はドクターがみる。勿論、最終的に指導を行うのは教員だが、普段の勉強をみてやるのは上級生の務めである。

 だから高階は、基本的にマスターの方しか気にかけてこなかった。今年の四年生がどういったテーマで卒論を書こうとしているのかということを、おぼろげにしか把握していなかったのもその為だ。

(これからは、学部生の方もみておこうか)

 今年の戸田研は、M2とM1、それぞれ一人ずつしかいない。M1の女子学生の方は大能が親身になっているので、高階が指導をしているのは実質一人である。負担としては、大きいものではない。


「こっちの先行研究なんだけど……よく分からないな。この論文、今持ってる?」

「あ、はい。これです」

 乃依がコピーした論文を取り出した。受け取った高階は、「はじめに」と「おわりに」を斜め読みしていく。

 その様子を落ち着かない気分で眺めていた乃依は、ぱっと顔を上げた高階に身体をびくつかせた。

「これ、まとめ方が良くない」

「え」

 開口一番、告げられた言葉に固まる乃依。

「この論文のオリジナリティーが、須崎さんのレジュメを見ただけじゃ分からない。この人が何を新たに明らかにしたのか、それが明確に示されていないから、ただの紹介文みたいになってる」

「う……そう、ですね」

「それと、これが一番問題なんだけど……これらの先行研究に対して、須崎さんが何を考えたか――それが書かれていない」

 一際はっきりとした口調で言うと、真剣にレジュメを見ていた乃依が顔を上げた。その表情を見て、高階は「あ、」となった。

「すみません……」

「あ、ごめん。言い方が悪かったね。さっきのは――」

「いえっ、そんなことないです! ありがとうございます!」

 高階の言葉を遮ってまで否定する後輩を見て、不味かったな、と高階は考えた。どうも熱が入り過ぎたようだ。

 

 こと研究に関しては、はっきりとした物言いになってしまうことを、彼は自覚していた。しかも、たまに口調がぶっきらぼうだと言われることがあるので、そうなのだろう。学部生の前では直接的な言い方は避けてきたのだが、いつもの癖とは恐ろしい。


 それに、と高階は考える。意外だったのは乃依だ。先刻までの緊張しきった様子が嘘のように、意欲的な態度を見せているのだから。

 受け答えも割としっかりしている上、高階のペースにも付いてきている。四年生の中で目立つ方ではなかったから気付かなかったが、彼女はなかなかポテンシャルが高いのではないかと思う。つい、いつもの調子になってしまったのは、きっと無意識に彼女のレベルに合わせてしまったためだろうと、彼は分析した。


 そんな高階の思考を余所に、乃依は黙々とレジュメに赤を入れていた。先輩の助言を、全て書き込んでいるのだ。

 一通り書き終えたところで、再び顔を上げる。

「あの、今のところまでで一旦修正したいんですけど、いいですか?」

「あ、ああ……うん、いいよ」

 乃依の言葉に、高階は思考を中断させた。

 まだ「はじめに」の部分しか指摘していなかったが、確かに一旦修正した方がいいかもしれない。一度にあれもこれも修正を要求すれば、彼女も大変だろう。そう考えて、彼は休憩を挟んだ。



 空の色が変わり始めた頃、高階はキーボードを打つ手を止め、窓の外を見た。

 朝型生活を始めてから、日の出時刻にはやたらと詳しくなった。時計を見なくても、現在のおおよその時刻は分かる。

(もうこんな時間か)

 あれから乃依の修正を確認し、さらに一通り助言をした。そのため、当初予定していたより彼個人の作業は進まなかったのだが、久々に充実した時間を過ごせたと、彼は思う。

(今日はここまでにしとくか)

 身体をほぐしながら、立ち上がる。

 全体的な疲労感はないものの、目が少々痛い。コンタクトを入れっ放しでパソコンの画面を凝視していたからだ。

(結局外さなかったしなぁ)

 本当は、コンビニから帰ってきてから眼鏡に切り替えようと思っていた。しかし、思いがけず乃依を連れて院生室に戻ることになってしまい、すっかり忘れていたのだ。

(そういえば須崎さんは――?)

 はたと、室内がやけに静かなことに気付く。耳を澄ませてみたところで、紙を捲る音も、キーボードを打つ音も聞こえない。少し前までは、何らかの音がしていたはずだが。

(これは、もしかして……)

 高階はその方向へ足を向ける。ひょいと顔を覗かせたその先には――。


 うつ伏せになった須崎乃依の姿があった。


(やっぱり寝てる……)

 予想通りというか、何というか。

 一応はパソコンを脇に避けているので、「ちょっと寝ようか」くらいの意識は働いていたことが見受けられたが、それにしても――仮眠を取っているというには中途半端な恰好。ブランケットは肩からずり落ちており、七分袖のカーディガンから伸びた腕が寒そうだ。

 横に回って近付いてみても、彼女は起き上がろうとしない。肩を上下させ、規則正しい呼吸を繰り返している。

(まあ……疲れたんだろうな)

 彼女が何時から研究室で勉強していたのかは知らないが、朝から大学に来ていたのだとしたら、丸一日近く滞在していることになる。さすがに疲れが出るだろう。


 一歩、高階は乃依と距離を詰めた。

「須崎さん」

 それは、起こすためではなく、確認するためのもの――。


 乃依が目を覚まさないことを確かめた高階は、そっと彼女に手を伸ばす。

 身体に触れないように気を付けながら、ずり落ちたブランケットを肩にかけ直してやった。



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