じゃない方 ~ステップ・バイ
舌打ちは、ほとんど反射だった。
「・・・ちっ」
スマホを持つ手に力が入る。画面を見下ろしたまま、ハナエは親指で再生バーを戻した。
事務所の会議室。向かいではマネージャーの只野さんがノートパソコンを開き、メールを確認していた。幸い聞こえていなかったらしい。
「すごいなぁ」
感心したような声だけが飛んでくる。
同じ事務所だから。余裕があるから・・・なんの余裕かはあえて聞いていない。それだけの理由で組まれた企画だった。最近話題になった若手女優、氷室結流とのコラボ動画。
貸しスタジオの一角でただお茶を飲みながら、仕事の話と休日の話を半分ずつ。台本らしい台本もない。近況を喋って、少し笑って、適当に締める。
そんな緩い動画だ。
公開されたのは3日前。
お笑いコンビEveの公式チャンネル。
普段ならネタ動画や企画動画が中心で、再生回数もだいたい読める。
だが、この一本だけは違った。画面下の数字を見る。再生回数はすでに予想を大きく超えていた。しかも、まだ伸びている。コメント数も異様に多い。しかも最近にない盛り上がりを見せていた。
ハナエは親指で画面をスクロールした。
『結流ちゃん綺麗』
『ドラマ見てから好きになった』
『失恋するシーン泣いた』
『幸せになってほしい』
『守ってあげたくなる』
『スタイル良すぎる』
『第二弾お願いします』
結流。
結流。結流。結流・・・。
まるで彼女のチャンネルみたいだった。
ハナエは動画を再生する。画面の中の自分が喋る。その隣で結流が笑う。
ただそれだけの映像。
芸人が必死に話を転がして。空気を作って。笑いどころを探している横で、相手は笑っているだけで再生回数を持っていく。
そして今朝。
事務所上層部から正式に話が来た。第二弾をやらないか。最初に聞いた時、ああそうかと思った。数字が良い。反応も良い。切り抜きも作られている。たまたまあの日使ったガラスのコップが日本の会社のものだったらしく、そのまま自社ホームページに切り抜き動画を載せていいか、広告に使いたいという話まであったらしい。
理屈は分かる。芸能界は数字だ。結果が全てだ。話題になった企画には続きがある。
それだけの話だ。
だからこそ面白くなかった。
ハナエは動画を少し戻す。
結流が例のドラマで地方ロケの話をしている場面だった。
『旅館のご飯が美味しくて』
『何杯食べたの?』
『三杯くらいです』
『三杯!? その細さで!?』
ここまでは残っている。
問題はその後だった。
本番では続いていた、その先。
『そのうち二杯はスタッフさんの分じゃない?』
『違います!』
『絶対一口くらい奪ってるって。スタッフさん達も言うに言えんかったんやわ』
『奪ってません!』
『そんな顔してるもん』
『どんな顔ですか!?』
スタッフが笑った。
結流も声を上げて笑った。
空気が一番転がった場面だった。少なくともハナエはそう思っている。だが動画では、そのやり取りが丸ごと消えていた。
代わりに映るのは結流の笑顔。照れたように俯く顔。笑う横顔。
テロップ。『いっぱい食べる結流ちゃん可愛い』
「・・・は?」
思わず声が漏れた。もう一度見る。やはりない。
別の場面も見た。
『苦手な事は?』
『ダンスです』
『女優さんって役によっては急に踊らされるよね』
『そうなんですか?』
『明日からダンサー役なんで、ブレイクダンスですって言われたり』
『嫌です!』
『即答!?』
『嫌です!』
あの辺りも現場は笑っていた。だが動画には残っていない。結流の「嫌です!」だけが使われている。その後の掛け合いは消えていた。
代わりにまた笑顔。またリアクション。またアップ。
「なるほどね」
ハナエは鼻で笑った。編集した人間を責める気は全くない。動画を成立させるために、視聴者が見たいものを優先させるのは当然だ。数字を取るなら正解なのだろう。実際に結果も出ている
実際、コメント欄を見れば分かる。視聴者が求めているのはEveの笑いではない。氷室結流だ。失恋して泣くのを耐える女優。綺麗な女優。守ってあげたくなる女優。
その女優の素らしき顔。
ハナエはコメントを流し見る。
『結流ちゃん本当に綺麗』
『ドラマの続きが見たい。続編ないかな』
『もっと休みの日の話聞きたい♡』
『結流ちゃん、何飲んでるの? コーヒー派? カフェラテ派? 実は紅茶?』
胸の奥がじわりと熱くなった。嫉妬なのか。苛立ちなのか。
自分でも分からない。
確かに顔は綺麗だと思う。背も高いし、手足も長い。自然と視線も集まる。カメラ映えもする。
だが、それだけだろう。それでよければ、綺麗な人形でも置いておけばいい。少なくともハナエにはそう見えた。
喋りが特別上手い訳でもない。話を転がせる訳でもない。オチを作れる訳でもない。
なのに、動画は彼女を映し続ける。コメントも彼女を褒め続ける。まるで最初から主役が決まっていたみたいに。
「いやぁ、本当にすごい数字だな」
只野さんが嬉しそうに言う。
ハナエはスマホを伏せた。机に置いた音が少しだけ強く響く。
「どうした?」
「別に」
短く答える。そして心の中だけで呟いた。
Eveのチャンネルが選ばれた理由は何?
同じ事務所には他にも事務所公式のチャンネルを開設している人達はいる。芸人だから? 先輩だから? たまたま空いていたから? ・・・それが一番ありそうで聞けない。考えた所で答えは出ないし、聞いてもきちんとした答えなんて返っては来ないだろう。本当にただ空いていたからだとしても、正直に言うわけはない。
・・・私じゃなくても良かったんじゃないの。その言葉だけは、誰にも知られたくなかった。
だが、聞きなれた言葉でもあった。
直接言われた事はない。それでもこの世界にいれば、嫌でもわかる。必要とされているのが自分なのか。それとも隣にいる誰かなのか。
そんな事は数字が教えてくれる。
数年前。
Eveは全国お笑いコンテストでベスト4にまで勝ち上がった。優勝こそできなかったが、十分すぎる結果。
決勝に残ったのは男ばかりのコンビ。その中で、女2人組はEveだけだった。珍しさもあったのだと思う。番組スタッフもメディアも食いついた。
『女性コンビの新星』
『若手実力派』
『次世代ブレイク候補』
『可愛い顔して、毒舌』
そんな言葉が躍った。仕事も一気に増えた。営業。ラジオ。地方ロケ。バラエティ。雑誌取材。目が回るほど忙しかった。でも何だって受けた、本当に。寝るのは移動する車や電車の中とか、楽屋なんて事もあった。
事務所は専用のコンビチャンネルまで開設してくれた。
ネタ動画。楽屋トーク。○〇料理に挑戦してみた。予算1000円で夕食作ってみた。カバンの中身チェック。私服DEファッションショー。予算1万円でコーデ作ってみた。モーニングルーティーン。
メイク動画でスッピンも見せた。流行りの企画は一通りやった。
撮影が終わって動画が上がったら、ツキコと2人で再生回数を確認した。コメントを読んで笑って、次は何をやろうかと話して・・・。
あの頃は本気で思っていた。
自分達は2人で売れていくのだと。2人でテレビに出て、2人で名前が売れて、2人で年を取って行くのだと。
だが、少しずつ変わった。
最初は本当に、些細な事だったと思う。
番組からの出演依頼。
「今回なんですけど・・・」
打ち合わせの席で、スタッフが申し訳なさそうに頭を下げる。
「ツキコさんだけでお願いできませんか?」
「え?」
ハナエが聞き返すより先に、ツキコが困ったように笑った。
「コンビで出る予定じゃなかったですか?」
「勿論、最初はその予定だったんですが・・・企画の方向性が変わりまして・・・」
スタッフは言葉を選ぶように続けた。
「女芸人の私生活特集になりまして。ツキコさんのお話をお聞きしたいと」
「そうなんですね」
ツキコは頷いた。
ハナエも笑顔を作った。
「じゃあ、頑張って」
「ごめんね」
「別に謝る事じゃないでしょ」
そう言った。そう言うしかなかった。アタシも一緒じゃダメなんですか? アタシも出たい、と言えるような雰囲気でもなかった。
雑誌の取材も同じだった。
「今回はツキコさん単独でお願いしたいんです」
「単独?」
「はい。ファッション特集でして」
編集者が資料をめくる。
「SNSで私服が話題になっていたので」
「ああ」
ツキコが納得したように頷く。動画でやった、私服DEファッションショーがいつもより良かった。少し話題にもなった。続けて第二弾もすぐに出したし、予算1万コーデ企画もやった。
「なるほど」
「ぜひお願いします」
ハナエは横でコーヒーを飲んでいた。
誰も悪くない。そう思った。ツキコはツッコミしやすい笑いを取れる感じの服で、アタシはオシャレな感じの服で。
実際、悪意なんてなかった。
ドラマのゲスト出演もそうだった。
「ツキコさんに興味がありまして」
プロデューサーは率直だった。
「演技のお仕事は初めてですよね?」
「はい」
「でも表情がいいんですよ。カメラ映えするというか」
ツキコは苦笑した。
「そんな事、言われた事ないです」
「いや、本当に」
プロデューサーは熱心だった。
「一度テストだけでも受けてみませんか?」
その横でハナエは相槌を打っていた。
「すごいじゃん」
「いやいや」
「受ければいいじゃん」
笑いながら背中を押した。そういうものなのだと思った。だが、それは一度や二度では終わらなかった。
最初は番組内容の都合だと思った。たまたまだと思った。
だが、たまたまは何度も続いた。
気づけば、コンビで受けたはずの仕事の打ち合わせなのに、スタッフの視線はツキコへ向いていた。
2人で受けたはずの雑誌インタビューでも、質問はツキコに集中した。紙面の割合もあからさまになっていった。
収録後に話しかけられるのもツキコ。
ハナエは隣で笑っていた。いつものようにツッコんでいた。
盛り上げていた。
それなのに。
記事になるのはツキコだった。
SNSで切り抜かれるのもツキコ。コメント欄に並ぶのもツキコ。
いつからだっただろう。
ネットで見かけるようになった。『可愛い方じゃない方』
お笑い芸人の中にいればツキコもアタシも可愛い方だと思うけれど、ツキコだって特別可愛いわけじゃない。2人ともアイドルをやれる程でも綺麗系女優をやれる程でもない。それはアタシ自身が一番よくわかっている。わかっているけど、何度もそんな書き込みを見ると嫌になってくる。
そんな書き込みしてるアンタラは、そんな事言える程の美人さんなんかいって。顔見せろっ。顔面晒せって叫びたくなる。
『ツキコじゃない方』
『名前なんだっけ?』
笑って流せる日もあった。流せない日もあった。
そして何より辛かったのは、自分が気づいてしまった事だった。動画の再生回数は残酷なほど正直だった。ツキコが出ている動画は伸びる。ツキコが出ていない動画は伸びない。
それだけだった。
数字は嘘をつかない。
だから嫌いだった。
コメント欄なら言い訳ができる。見る人の好みだ。たまたま目についただけだ。そんな風に誤魔化せる。
だが再生回数は違う。
何度も見た。何度も確認した。そして確認する度に後悔した。
見なければ良かった。知らなければ良かった。
だが結局見てしまう。
芸人だからだ。
数字から逃げる訳にはいかなかった。
やがてツキコのスケジュールだけが埋まっていった。ドラマ。雑誌。イベント。広告。Eve2人の仕事は減って・・・。
コンビチャンネルの撮影日を合わせるのも難しくなった。
「ごめん。来週ドラマの撮影伸びそう」
「了解」
「再来週は?」
「イベントのリハ」
「あー」
「本当にごめん」
「別に謝らなくていいって」
そう言いながら、ハナエは一人で動画撮影のためにスタジオへ向かう。最初は別撮りだった。ツキコのパートを先に撮る。後日、自分のパートを撮る。編集で繋げる。
今の技術は凄い。二人が同じ場所で喋っているように見えた。新ネタ披露の動画も、楽屋トークも。
だが実際は違う。カメラの向こうにいるのはスタッフだけだった。
「はい、じゃあツキコさんがこう言った体でお願いします」
「了解でーす」
笑う。
ツッコむ。
ツッコむ。
間を空ける。
全部一人でやる。編集された動画では楽しそうに見えた。仲の良いコンビに見えた。だが撮影が終わる頃には、いつも疲労感だけが残った。
その頃にはもう、視聴者も気づいていたのだと思う。
コメント欄には平気で書かれていた。
『ツキコいないの?』
『今日は一人なんだ』
『次はツキコ出して』
それは、まだ優しい方だった。
もっと酷い言葉もあった。
見ないようにしても目に入る。忘れようとしても見てしまう。
だから最近は、再生回数を開く前に分かるようになった。サムネイルを見れば分かる。伸びる動画か。それ以外か。
そして今回の氷室結流との動画は久しぶりだった。数字が跳ねたのは。
ツキコ以外で。
だから事務所が喜ぶのも分かる。第二弾をやりたがるのも分かる。
胸の奥がざらついた。
結局、今度はツキコの代わりに氷室結流になっただけじゃないのか。
アタシはメインの横の添え物。ポテトやニンジンならまだマシ。食べてもらえる。人によっては食べてももらえない、パセリなんじゃないのか。
そんな考えが頭をよぎる。そして、その考えに自分自身が一番うんざりしていた。
それだけだった。
結局、数字はいつも同じ答えを返してくる。
誰が求められているのか。誰が見られているのか。誰が目当てなのか。
嫌でも分かる。
「ハナエちゃん」
不意に声を掛けられた。
視界が現実へ引き戻される。
「ハナエちゃん、この話、このまま進めていい?」
顔を上げると、只野さんがこちらを見ていた。何の話をしていたのだろう。全く聞いていなかった。
「・・・なんでした?」
只野さんが呆れたように笑う。
「もう。聞いてなかったの?」
「ごめんなさい」
「氷室結流ちゃんとの第二弾」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が僅かにざらつく。だが表情には出さない。それくらいはできるようになった。・・・なってしまった。
「ああ」
「上も乗り気なんだよ。前回の数字が予想以上だったから」
「そうですか」
「内容もほぼ決まってる」
只野さんは資料をめくった。
「前回、休日の過ごし方の話してただろ?」
「あー・・・」
覚えている。結流が休日は本屋へ行くと言っていた。カフェで本を読むとも。
それを聞いてハナエが「意識高そう」と茶化した。結流は「そんなお堅い本ばかりじゃなくて、漫画とかも読みますよ」と好感度が上がりそうな回答をしていたのを思い出す。
そんな他愛ない会話だ。
「今回は実際にやってみようって話」
「やってみる?」
「そう。二人でカフェ行って、ご飯食べて、本屋巡って」
只野さんはさらりと言った。
「街歩きしながら喋ってもらって」
ハナエは一瞬言葉を失った。
それだけ? 頭の中で反射的に思う。それだけで企画になるのか。いや、なるのだろう、氷室結流なら。
只野さんは続ける。
「最近流行ってるじゃん。芸能人の休日密着みたいなの」
「まあ・・・」
「結流ちゃん側も前向きだし」
「へぇ」
「本屋好き同士で相性いいんじゃない?」
ハナエは曖昧に笑った。漫画は好きだが、そこまで好きではない。語れるほど好きな漫画もない。
更に、全然違う事を考えていた。もしこれが自分だけだったら。もし結流ではなく無名の若手芸人だったら。
この企画は会議で三分も持たない。
絶対に言われる。弱い。オチがない。フックがない。企画として成立しない。
もっと面白い事をやれ。
もっと数字が取れるものを考えろ。
耳にタコができるほど聞いた言葉だった。
なのに、結流なら通る。カフェへ行く。普通にご飯を食べるだけ。本を買う。突拍子もない本なんて買わないだろう。散歩する。それだけで企画になる。それだけで数字になる。
ずるい。
そんな感情が胸の奥を掠めた。もちろん理屈では分かっている。結流が悪い訳ではない。彼女は何もしていない。ただ求められているだけだ。
それだけだ。
だが、だからこそ腹が立つ。
芸人は違う。
笑わせるのは最低限クリアして、更に結果を出さなければいけない。何かを生み出さなければいけない。面白くなかったら終わりだ。次はない。
けれど結流はカフェでコーヒーを飲んでいるだけで成立する。本を選んでいるだけで画になる。そういう事だ
ハナエは資料へ視線を落とした。
企画書には店舗候補まで書かれている。
人気カフェ。隠れ家的食堂。品ぞろえが豊富な大型書店。個人で経営しているこだわりの、独立系書店。下町かオシャレな通りか、どちらかの街歩き。
写真映え。SNS連動企画。意外性を掘り起こせるか、どのパターンがいいか、幾つもの案が並んでいる。
どれも聞こえは良い。だが内容だけ見れば驚くほど普通だった。
こんな企画、普段のEveチャンネルなら絶対に通らない。少なくとも自分だけなら。ツキコの名前が頭の隅を掠めたが、慌てて消し去る。
ハナエは小さく息を吐いた。
「・・・で、いつですか?」
只野さんの顔が少し明るくなる。
「受ける?」
「断る理由ないでしょ」
それも本音だった。
仕事なのだから。数字が取れるなら尚更だ。もう仕事のえり好みができる時期は過ぎたと思う。
ただ、胸の奥に残るざらつきだけは消えなかった。
撮影当日。
集合場所のカフェ前に着いた時点で、ハナエの気分はあまり良くなかった。わかっていても、ずるいという気持ちは簡単には消えない
「おはようございます」
先に来ていた氷室結流が頭を下げる。白いブラウスに薄い緑のカーディガン。首にベージュのスカーフ。ベージュのロングスカート。
派手ではないのに目を引く。この前はスタジオで座っていたから、あまり気にならなかったが、テレビで見るより随分背が高い。
「おはよ」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
礼儀正しい。
本当に礼儀正しい。だから余計に困る。感じの悪い子なら嫌いになれた。横柄なら腹も立てやすかった。だが結流は違う。スタッフにも。通りかかった警備員にも、誰に対しても同じ調子で頭を下げる。
挨拶は仕事の基本だ。好感度の高い芸人でもタレントでも、見えないところでは横柄な奴は結構いる。好かれる理由が分かってしまう。
それがまた面白くなかった。
「それでは本日の流れ説明しますね」
ディレクターが集まったスタッフへ声を掛けた。
「まずカフェで昼食シーン撮ります。その後、本屋さんへ移動。そこでお互いおすすめの本を紹介してもらって、最後は街ブラしながらフリートークで終了です」
「了解です」
結流が素直に頷く。
ハナエも頷きながら周囲を見る。そして内心で舌打ちした。
カメラが違う。
明らかに違う。いつも動画で使っている機材より一回り大きい。レンズも高そうだ。それに3台もいる。音声スタッフも1人多い。照明補助までいる。
気のせいではない。
予算が増えてたのだろう。数字が出たからだ。結流だからだ。
そして。
「結流さん、前髪だけ少し直していいですか?」
「はい」
メイクスタッフが近づく。
ハナエは思わず眉をひそめた。
メイクさんまでいる。いつもはいない。少なくともEveのチャンネル撮影では見た事がない。
芸人なんて現場入りした顔のまま撮る事も珍しくない。自分でしたメイクが精々だ。テレビの本番収録でもなければ、まず見かけない。
なのに今日はいる。結流の髪を整え、フェイスパウダーを軽く乗せ、モニターを確認している。
ハナエは笑顔を保ったまま視線を逸らした。
気にするな。そう言い聞かせる。数字が出た企画なのだから当然だ。女優さんなのだから当然だ。
分かっている。
分かっているのに。
胸の奥がざらつく。まるで最初から期待値が違うみたいで。
「ハナエさんも少しだけ」
「あ、お願いします」
反射的に答える。
だが、結流の後についでのように呼ばれた気がしてしまった自分が嫌だった。
カフェでの撮影は順調だった。
窓際の席。昼下がりの柔らかな光が差し込んでいる。テーブルの上にはワンプレートの上に厚切りのフレンチトーストやベーコンエッグ。色合い鮮やかなサラダ。ミニハンバーグ。スープもあった。
「結流ちゃん、これで足りる?」
「・・・」
一瞬だけ、結流の視線が泳ぐ。
「もしかして、足りんと思ったやろ」
「違いますっ」
即答だった。
ハナエは思わず笑った。否定が早すぎる。スタッフの押し殺した声も聞こえた。
この部分も使われるだろう。・・・どこまで使われるかはわからないが。そう思う自分が嫌になってくる。
「大丈夫やで。この後、街ブラする時、何か食べればええやん」
「ほんとですかっ」
わかりやす過ぎる。
「やっぱり足りんのやろ」
「あ・・・」
結流が気まずそうに口を閉じる。
その様子がおかしくて、ハナエはまた笑った。テレビや雑誌では美人女優として扱われている。けれど実際に話してみると、こういうところは妙に親しみやすい。
だから人気が出るのだろう。
そう思う。
思うのだが、同時に少しだけ複雑だった。こんな見た目で、こんな性格で、しかもよく食べる。嫌われる要素が見当たらない。神様はずいぶん偏った配り方をするものだと、ハナエは内心で苦笑した。
スタッフは最低限しか近寄らない。カメラはテーブルの上にセットされたのと、すぐ真横。そして少し離れた位置。
いかにも自然な休日風景。作られた自然さだった。
「そういえばさ」
料理を口に運びながら、ハナエは結流を見る。
「前の動画でダンス苦手やって言ってたやん」
「ああ」
「全然ダメなん?」
結流が苦笑した。
「ダメですねぇ」
「そんなに?」
「ドラマ撮影で歌うシーンがあったんですよ」
「あったなぁ」
確かに話題になっていた。アレのおかけで一躍有名になったまである。
「一応、ダンスしながら歌うってプランがあったんです」
「ほぉ」
「ダンスの先生に指導していただいて」
結流が少し遠い目になる。
「一応三回は頑張ったんですけど」
「うん」
「先生に呆れられて・・・」
ハナエは吹き出した。
「何があったん?」
「・・・ダンスになってないって」
一瞬沈黙。
「・・・あかんやん」
思わず言った。
結流も笑う。
「私もそう思いました」
「いやいやいや」
ハナエは首を振った。
「三回で先生呆れさせるって逆に才能やで」
「そんな才能いらないです」
「先生何て言うてたん?」
「リズムを感じてくださいって」
「感じられへんかった?」
「感じる前に手足が迷子になりまして」
「あははは!」
思わず声が出た。
結流もつられて笑う。
自然な空気だった。嘘ではなく面白い。あのドラマの裏話だ。きっと編集にも使われるだろう。
そんな事を考えながら、ハナエは別の事も考えていた。
ドラマ。
歌唱シーン。
ダンス指導。
専門の先生。
何日ものレッスン。
何度もの挑戦。
失敗談として笑っているが、それは与えられた人間しか持てない失敗だ。ハナエには分かる。そのチャンスを掴む事がどれだけ難しいか。
ドラマに出演する事。歌うシーンを任される事。ダンスレッスンを受ける事。先生に呆れられる事。
呆れられたのに、3回もチャンスが与えられた事。
その全部が、自分には与えられなかったものだった。
カフェを出て、二人は並んで歩く。
前と横、後ろにもカメラ。
休日の散歩。そんな体裁だ。
「他に何かレッスンとかしたん?」
ハナエが聞く。
「ボイストレーニングとか」
「ああ、それは歌う役やからやな」
「そうですね」
結流が頷く。少し考えてから続けた。
「あと歩く練習もしました」
「歩く?」
「はい」
ハナエは首を傾げた。意味がわからない。
「歩くって何やねん」
「私、背が高いじゃないですか」
「あー」
確かに高い。横を歩いていると余計によく分かる。
「初めて見た時はエライでっかいと思ったわ」
結流が苦笑する。
「よく言われます」
「どんだけあるん、自分?」
「178センチです」
「えらい伸びたなぁ」
「それもよく言われます」
「いや女優さんで百七十八はデカいって」
結流は困ったように笑った。
「高校入る頃にはもう今くらいでした」
「成長期仕事しすぎやろ」
「そんな事ないですよ」
笑い合う。ここも使われる。笑いながら、頭の隅で思う。
だが、ハナエの意識は別のところに引っ掛かっていた。
歩く練習。
聞き流しそうになったが、それは妙だった。
「歩く練習って何したん?」
「猫背を直したりですね」
結流は肩を軽く引く。
「姿勢が悪いからって言われて。やっぱり大きいので、自然と小さく見せようって姿勢になっていたみたいで・・・」
「あー」
「あと歩幅とか」
「ほぉ」
「重心とか」
「へぇ」
結流は本当に何気なく話している。言われた事をそのまま説明しているだけだ。
だがハナエは気づいた。
それ。
普通の姿勢指導じゃない。
ウォーキングレッスンだ。モデルやタレント向けにやる類のやつだ。少なくとも、ただドラマで歩くためだけの指導ではない。
結流自身は気づいていないのかもしれない。あるいは気づいていて言わないだけか。どちらにせよ、事務所は何か考えている。そう思った。
背は高い。顔もまあ良い。手足も長い。確かに向いている。
モデル。
ハナエは隣を歩く結流を横目で見る。本人は相変わらず穏やかだった。未来を語る訳でもない。夢を語る訳でもない。ただ聞かれたから答えているだけ。
それなのに、周囲が勝手に道を作っていく。勝手にお膳立てしてくれる。
そんな人間がいる。
そして、その現実が少しだけ面白くなかった。




