心に降る雪と、さくら
俺の親父は最低な奴で、俺には一つ違いの弟がいるんだが、
ソイツは、俺とは母親が違う──俺の前の母さんは、親父に
愛想つかして出ていっちまった。
だから、俺のいまの母さんは──継母ってことになる。
童話やなんかでは、継母っていうと、最低な奴っぽいが……俺の母さんは、むしろとてもいいひとだ。
浮気性な親父のせいでよく泣いている。
俺は、親父みたいにはなりたくない。
弟は優斗という。名前のとおり、優しくて……俺とは、見
た目も中身も全然違う。
アイツは、天使のようだとよくいわれている。
あまりに俺と似ていない。
だから、一緒にといても、兄弟だと思われることはまずない。
「ちょっと、千秋!」
甲高い声で野菊が喚く。
人に指を突きつけて、目を思い切り吊り上げている。
「あんた、また遅刻! なんで何時もそうなの?
ほんっと、優斗くんとは大違いっっ!」
二言目には、優斗、優光。
仕方ない。コイツは優斗が好きなんだから。
「うるさいな。俺は昨日、全然寝てないの」
「まぁ~た、夜中までビデオでも見てたんでしょ?
ほんっと、バカ!」
「うるせぇな、映画が好きなんだよ」
ヘッドホンつけて、テレビの前に座って。
一人で映画を見る。
ほとんど、日課だ。
「ねぇ、ねえ、今度の休み、野菊、優斗くんの家に行って
もいい?
このごろお菓子づくりに凝ってて、クッキーが作れるよう
になったの!」
「あっそ」
俺の机に両手つけて身を乗り出す野菊に、うるさげに手を振
る。
……優斗くんの家ね。俺の家でもあるんだけどね。
「おい、柳原」
野菊を無視して、柳原と話しだす。
今は、二時間目が始まる前の休み時間だ。
学校は嫌いじゃないけど、野菊と話してるのはときどき痛
い。
ダメ出しばかりだ。
野菊と知り合ったのは、一年くらい前。クラスが一緒になったせいだ。
最初は今とは別人みたいに、いつもニコニコしていた。
そんな野菊は……まぁ、かわいかったんだけどね。
でも、アイツは、俺の弟にベタ惚れだ。年下だってのに、なんでだかアイツの教室にまで行ったりして、親しげに話している。どうやって目えつけて、どうやってナンパしたんだかしらんが、アイツは弟の天使というあだ名をえらく気に入っている。
そして、何かにつけて、俺とアイツをくらべるようなった。
「優斗くんはあんたと違ってマジメ」
「優斗くんは優しいし、かわいいし、すてき」
「千秋なんかでかいし目つき悪いし、ほんとに兄弟?」
「千秋はいいかげんすぎ」
……勝手にいってろよ。
学校での俺は、家で一人でいるときとは違って、大抵おちゃらけている。女子とも話すし、適当な話をでっちあげて、相手をからかったりもする。
悪い癖なんだが、なかなか治らない。
レンタルショップで、棚に並んだビデオやDVDを眺めて回る。
なんか、気分が壮快になる奴はないか。
それとも、思い切り泣ける奴。
「ただいま」
玄関を開けて、家に入る。
「おかえりなさい」
台所からいい匂いがする。
母さんが笑顔で俺を迎えてくれる。
優斗はいない。アイツは塾だ。俺とはできが違って、中学は私立に行く予定だ。
ランドセルを背負い直して、階段を上がる。自分の部屋に入ると、自然と溜め息が出た。
物心ついたときから、俺が知ってるのは、いまの母さんだ。いなくなった人のことはよく知らない。
だから、俺にとって母さんといえば、ちょっとドジで、泣き虫で、なんでかあんな親父が好きだという深雪母さんだ。
別に母さんに不満はないし、優斗だってかわいいし、親父はまぁ……ほっとくとしても、別に普通の家だし、俺は
別に……これでいいんだ。
「こんにちは」
すげ~かわいい服を着た野菊が、玄関先に立っている。
一瞬見とれた。
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないでしょ!きょうは野菊、クッキー持ってきたんだからぁ」
そういえばそんなこといってた。
「優斗くんは?いるんでしょ?」
「さぁ」
たぶん、部屋で勉強してる。
「お邪魔します」
野菊が勝手に家に上がる。
「ったく」
俺は居間に戻る。
母さんは、買い物にでも行ってるのかここにはいない。
親父は寝てるよ。
俺はテーブルについてちびちびとホットミルクをすする。適当に漫画でも読む。しばらくすると、
野菊が優斗を連れて降りてきた。
「優斗くんって、ほんっと、頭いい! 天才! 将来はきっと東大生ね」
「それはいくらなんでもないよ」
落ち着いた、でも高い声で、優斗がそういって微笑む。
野菊たちは、俺の向かい側に座る。
「千秋も勉強しなさいよね」
「ほっとけ」
野菊が、バックからやたらかわいく包装したクッキーを取り出す。
イチゴジャムやら、オレンジジャム、ブルーベリージャムをサンドしたクッキー。
見た目がちょっと微妙だ。
「野菊、優斗くんのために一生懸命作ったの!」
「ありがとう」
「ちょっと、千秋!」
俺の手を、野菊がはたく。
「何、食べようとしてんの? あんたのんぶんはないわよ!」
「はぁ?」
「野菊は、ゆーくんのために作ったの!
優斗が困ったように笑む。
「野菊ちゃん、あのさ……」
「さあ、優斗くん!全部食べて、食べて!」
俺は席を立って、自分の部屋に向かう。
野菊のはしゃいだ声と、優斗の困った声が背中に響く。
筆に青い絵の具を吸わせて、それを画用紙に塗る。
きょうの図工は、描画だ。
柳原とふざけていて、全然進まない。
野菊がいつもどおり、不機嫌に俺を睨んでなんかいいだ
した。
「うるせぇな、おまえはよ」
「うるさいのは、そっち! ねえ、さくらちゃん」
野菊は同じ班の、泉さくらに話を振る。
「はぁ」
ぼんやりと、泉は呟く。こいつはいつもポケポケしてい
る。大人しくて、からみづらい。ちょっと、苦手だ。
「うわ、さくらちゃん、絵、上手!」
「……そうかなぁ?」
ゆっくりと、首を傾げる。
「ほら、」
野菊が泉の描きかけの絵を取り上げて、俺に見せる。
花のデッサンなのだが……確かにこれは、上手だ。
「うまいな」
「そ、そんな……」
ほっぺたを染めて、泉がうつむく。なんだかとっても困
つた顔だ。
俺は野菊から絵を取り返して、泉に返してやる。
「あ、ありがとう……」
消えそうな声で泉はそういった。
「もうすぐ、お父さんの誕生日ね」
夕食を取っていると、母さんが嬉しそうにいった。
きょうは、優斗もいる。
「お母さん、なにあげようかしら?」
語尾が眺ね上がっている。ほんとに嬉しそうだ。
「お母さんが選んだ物なら、お父さんはきっと、なんでも喜ぶよ」
優斗が微笑む。
俺はオムライスを頬張りながら、優斗と母さんの話をぼんやり聞く。
父さんの誕生日なんて、俺にはどうでもいいことだ。
恋愛映画なんか、見てみることにした。
純愛物だ。
たくさんの傷害を乗り切り、最後には、二人は結ばれる。
誰もいない寝静まった居間で、俺は泣く。愛なんて、よくわからないが、映画の中でなら、出会えた。
そのときだった。
音がした。
……父さんが帰ってきた。
「千秋、まだ起きてたのか」
「……」
「まだ、小学生なんだから、もう寝てる時間だろう」
「……」
香水臭い。
どうせまた、どっかの女とでもいたんだろう。
「母さんが、泣く」
「あん?」
「……泣くから」
テレビから目を逸らさず、俺は言う。
「泣くから、やめろよ」
「……」
父さんはそのまま、寝室へいっちまった。
画面では恋人たちがキスをする。
翌日は、俺は機嫌が悪かった。
夜中に母さんは泣いて泣いて──家を出ていくといって、大変だった。
優斗はちゃんと、時間どおりに学校に行ったが……俺は少々遅刻した。
ダルかった。
「あんたまた、遅刻」
一時間目が終わると、野菊が寄ってきたく
「どうせまた、」
「あービデオ見てたよ、感動して泣いたよ。
だから?」
「……」
野菊が竦む。
でも、俺はアイツを睨むのをやめなかった。
最悪なことに、その日は雪だった。
すげえ寒い。
ますます機嫌が悪くなる。
もう、帰りたい。
でも、帰りたくもない。
……野菊なんかに。
俺はつい思ってしまう。
……野菊なんかに、俺の気持ちなんかわからない。
黒板を見て、ちゃんとノートを取っている野菊。
野菊の家は、俺よりもっと普通だ。
お母さんは、野菊を産んで育てた一人だけだし。夫婦円満みたいだし。
不満なんかこれっぽっちもなくて。
みんなに好かれてて。
傘を広げる。
雪の舞うのを少し見つめる。
柳原と別れて、家路を歩く。一
小さな児童公園のとこまで来て、俺は歩を止めた。
積もった雪を集めて、玉にする。ちいさな雪だるまモドキを作る。
どうせ、すぐに増えちまう産物。
「か、かわいいね……」
小さな声に振り返る。
泉が立っている。
「これが?」
手のひらの、雪だるまを泉に向ける。
「う、うん……」
泉から声をかけてくるのは珍しい。しかも、こんなとこで。
俺は少々戸惑っていた。
「平聞くん……」
泉が遠慮がちに微笑む。
「ね、雪合戦しない?」
「はぁ?」
驚いたことに、泉は本気だった。
俺たちは、雪合戦なんぞしてしまったのである。
最初は遠慮してた俺らだが、最後のほうにはギャーギャ騒ぎながら、雪玉を投げ合った。
泉は言った。
「雪が溶ければ、命が芽吹く、春が来るよ」
よく意味はわからなかったが、その笑顔を見てると、なんだかとっても安心した。
「このごろ、さくらちゃんと仲いいんだって?」
放課後、廊下を歩いていると、野菊が寄ってきた。
「あん?」
確かにこのところ、泉とは話すようになった。
最初は挨拶程度だったが、話してみると、泉は結構大人で関心する
し、冗談をいうと笑ってくれるし、かわいいし、一緒にいると落ち着く。
なにより、あの温かな笑顔がいい。
下駄箱から靴を取り出したとき、野菊が言った。
「……好きなの?」
「は?」
「さくらちゃんのことが、好きなの?」
「……なんで?」
野菊の動きが止まる
「──知らないっ!」
叫んで、急いで靴を履いて、昇降口から駆け出す野菊。
なんだあれ?
野菊が変なこというから、泉のことが気になりだした。
いや、ほんとはその前からかもしれない。あの雪合戦のとき
から? もしかしたら、もっと前?
……わからないけど。
「……あのさ、泉」
うだうだ悩むのは苦手だ。俺は、あの児童公園に泉を呼
び出した。
「俺と、つきあってくんね?」
頬を赤らめて、泉は顔をほころばせた。
「……うん」
「千秋くんの、明るいところが好きよ。みんなや自分を明るくしようとしてるの。だけど、千秋くんがときどきなんだかとっても悲しそうなのもわかってる。
千秋くんは、とっても優しい人よ。
私は千秋くんが好き」
泉といると安心する。泉になら、俺でも甘えられる。
「本当は、俺は優斗がうらやましい。母さんが違うことも、気にしてる。俺なんか、ちっぽけなんだ」
「そんなことないよ。私には、とっても、大切なひとよ」
俺は泉の手を握る。泉も握り返してくれる。何回目だろ、こうして泉と二人で街を歩くの。
ドキドキする。
どこか夢見こごちに帰宅した。
泉の笑顔を思い浮かべながら、玄関を開けようとした。
「たって、仕方ないじゃない!」
ヒステリックな野菊の声がする。
なんだ?
「好きなんだから! 大好きなんだからっっ!」
静かにドアを開けて、忍び足で居間に近づく。
「でも、野菊ちゃん。お兄ちゃんには、彼女ができたんだよ。
彼女がいる人を好きだって……」
「だってっ、だってっっ!」
「……もう、あきらめなよ?」
「……お兄ちゃん?」
つったっていた俺に、優斗が気づいた。
「!」
野菊の顔が崩れる、何か喚いて、家から出ていってしまう。
「……どういうこと?」
「……野菊ちゃん、お兄ちゃんのことが好きなんだ」
「だって、あいつはおまえが……」
「もう、ずっと前から」
野菊と気ますくなった。
どちらともなく、相手を避けてしまう。
会話もなんだかぎこちない。
……あいつが、俺を好きなんて。
あいつはいつも目ぇ吊り上げて、人のことあれこれいって……
野菊は悪い奴じゃない。
でも……
「千秋くん?」
さくらが心配そうに俺を見ている。
「なんでもないよ」
俺は微笑む。
野菊の気持ちは嬉しい。
俺は寝返りを打つ。
夜。今日は映画を見る気もしたい。
いや、さくらとつきあいだしてから、前ほどには映画を見
なくなった。
さくらと電話したりメールしたりしてるほうが楽しい。
……もしかしたら、野菊は今頃泣いているかもしれない。いつも怒ったり笑ったりしてるけど……
あいつだって、一人の時は、泣くかもしれない……。
……気持ちは嬉しいけど……
なんで、人はくっついたり別れたりするんだろう。
人を信じじたり、裏切ったりするんだろう。
気持ちはどうして、うまくかさならないんだろう。
俺たちは、一人だからだから……
「ちょっと、い〜〜い?」
挑むように、野菊が言った。
「話があるの」
桜並木を、野菊が先に歩く。
舞い続ける花びら。
「あたし、結構、男子に人気あるの。明るくて元気で、かわいいから」
「……知ってるよ」
俺はちょっと笑う。
確かに野菊は元気で、物怖じしなくて、周囲を明るい雰囲気にする。
俺には口うるさいけど、男子にも、女子にだって、人気がある。
結構世話好きだし。
「だけど……」
野菊のてのひらが、桜の花びらを受けとめる。
「だけど……」
振り返って、俺を見る。
「綺麗な桜色……」
目尻に、涙が浮かぶ。
「さくらちゃんみたいに、あたしはなれない」
口元を押さえて、野菊は少し俯く。
だけど、瞳を上げて言う。
「あたし、あたし……」
「あたし、あんたが幸せなら、それでいいわ」
早口に低くいって、野菊は去っていった。
俺たちは、生まれたときから一人だ。
そして、いつか、一人で死ぬ。
心の闇から逃れる方法はない。
悲しくて悲しくて、逃れたくて、何かに手を伸ばす。
だけど、受けとめてくれる手は、どこにあるんだ?
現実と虚構。繰り返す、さびしさ。
チープな愛は、溢れている。
映画、小説、まんが、音楽……
金で買える、誰かの考えた、鳴りの愛。
そんなものと笑い飛ばすことも、
だけど、それに感動することもある。
現実も虚構も夢も……
すべて、幻想かもしれない。
わかるのは、この心だけ。
自分の想いだけ。
他人は、結局は他人。
俺じゃない。俺のことなんか、わかりはしない。
誰かと楽しく話せても、気づけば一人で。
いくら考えたって、相手の心がわかるわけじゃない、
だけど、感じる。
自分を他人を世界を。
そうしてまた考えたり、感じたり、誰かと一緒に話した
り、一人で泣いたりもする。
笑ったり、怒ったりもする。
「千秋くん?」
さくらが手を差し出す。
誰かになれるわけでもない
誰かになる必要はない。
俺はそれを握り返す。
……この手の温もりを、信じたりもする。




