第7話 忘れられる男
町一つを支配するほどの力を持つマフィア組織CROWNには、特殊な暗殺者集団が存在する。
その存在は謎に包まれているが、中でもひときわ話題に上がるのが『J』という男だ。
彼は人の命を奪うことに一切の躊躇も慈悲もなく、与えられた任務をただ遂行するのみであるというのだ。加えて受ける依頼の数が多いため、裏社会では暴れまわっているように見えるのだとか。そのためCROWNのメンバーたちは、よく彼を異常者と噂している。
「ジェイって、『J』だったの!?」
口に出すとおかしなものだが、十蘭にはそれを気にする余裕はなかった。
一見普通の家庭のリビングで、水の入ったコップを揺らしながら澄ました顔で座っているこの男こそが『J』だと言うのだ。
確かにCROWNの『集会』で、並々ならぬ気迫を出していたり数十人のチンピラの相手をして無傷だったりと、只者ではないことは分かっていたかもしれない。しかしそれが本当に「異常者」と噂される男だったとは誰が想像できるだろうか。驚くのも無理はないだろう。ないのだ。
「……ジェイロッド。まさか、チャイナ娘に言ってなかったの? それでよくここに連れて来れたわね」
「うん。そういえば言ってなかった」
「そういえば、じゃないのよ! 『お兄ちゃん』のくせに、どうしてこうも馬鹿なのかしら!」
ローザはクッションを掴んで思いきりジェイに投げつけた。直線に飛んでいくクッションをジェイは華麗に掴み、ローザに向かって放り投げた。
顔面でそれをキャッチしたローザは、大きなクッションを抱えて椅子に座り込む。
「むー…………チャイナ娘、もう体調は治ったでしょ! さっさと出ていきなさーい!」
ジタバタと我がままを言う子供のように──実際子供なのだが──十欄を追い出そうとするローザ。ついでにジェイの背中もぐいぐいと押して、リビングの外へ押しやる。
「え、俺も?」
「そうよ! 私は今日お母様と一緒に過ごすの!」
ジェイたちの母親が帰ってきたというから今は夕方や夜中かと思っていたが、どうやら明け方だったらしい。空は薄暗いが、日が沈む前ではなく日の出後であった。
となると十欄はバーで酔いつぶれてジェイの家まで運んでもらったことに加え、一晩中彼のベッドを独占していたということになる。
そう考えると申し訳ない気分で、同時に顔が熱くなっていくのを感じる。
バタン、と扉が閉められる。ローザの姿は家の中に消え、十欄とジェイはぽつんと玄関先に残された。
十蘭はこの三分にも満たない時間の中で何が起こったか理解しきれずに、ぽかんとしたまま突っ立ってしまう。
「…………俺も休日なのに。なんで俺だけ追い出されなきゃいけないんだ?」
ジェイのその疑問はもっともであるが、あの妹を怒らせたら怖いということは学んだ。
「わ、私、お腹すいちゃったかも! 良いカフェを知ってるから、そこでご飯食べない? 私の奢り!」
しょぼくれるジェイを見ていられず、咄嗟に何かしてあげなければと思いそう提案した。
するとジェイは顔をぱっと輝かせて、子供のように笑った。
「やった。俺、成長期だからいっぱい食べるよ」
「ふふ〜ん、負けないよ?」
互いに睨み合って謎の牽制が始まる。十欄だって食べ盛り、育ち盛りのいち女の子……という自負はある。はず。ここは大人の意地を見せる場だ。
ジェイが『J』であるなんて信じ難いことは、今は忘れよう。もしかしたらイタズラ心だったのかもしれないし。
それよりも十欄は腹を満たすことに意識を集中させた。
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「し、しぃらん…………ちょっと、ギブ………………」
口を押さえながら、顔色の悪いジェイは何とか言葉を発した。その口のなかにはモゴモゴとまだ何か詰まっているようだ。
十蘭の目の前には皿の山が積み重なっている。
「なによジェイ、こんなものなの? 成長期だとか言ってたのはどこの誰かしら!」
ヤケになって次から次へと皿の上の食べ物を口の中に放り込む十蘭。
十蘭は超がつくほどの大食いなのであった。
「それでジェイ、どういうことなの? あなたは、本当にジェスターの『J』?」
ジェイは目を逸らすこともなく口ごもることもなく、淡々と答えた。
「うん。そうだよ」
とても嘘をついているようには見えない。
集会で数十人を相手に一人で無双していたところを思えば、その実力は偽物ではないのだろう。
「……『J』が、こんな子供〜……?」
子供とは言っても、見た目は完全に20歳をゆうに超えているように見えるが、その実態は母親と妹と暮らす未成年の少年である。
「なんでそんなに俺のこと見つめるの、しぃらん。何か付いてる?」
「ち・が・う!」
ジェイのマイペースぶりに踊らされる十蘭だが、ひとまずこの男をJと認めるしかないのだろうか。
「あ、このあと仕事があるんだった。先に失礼するよ」
ジェイはふと腕時計を見て、立ち上がった。
ジェスターの『J』の仕事と言えば、ひとつしかない。
美味しいご飯を食べた後に、よく血生臭い場所に足を運べるものだ。いや、血生臭くしているのは彼自身なのだが。
「待ってよ、ジェイ。あなた、集会で本名も明かしてたし、自分が幹部だって言ってたわよね。そんなことして大丈夫なの? 『J』ってバレたらどうするのよ」
「別に問題ないよ。俺、ほとんどの人から忘れられやすい体質だから」
そう言ってジェイは立ち去ろうとする。
忘れられやすい体質なんて、聞いたことないが。十蘭は頭を捻る。
もしそれが本当なら、彼が自分の正体を知られずに今まで活動できていたことにも説明がつくかもしれない。よくある、暗殺者と目を合わせたら生きて帰った者がいないから、誰もそいつの顔を知らない……という感じなのだろうか。
「ペドロ。行くよ」
ジェイがどこかに向かって言うと、物陰からぬるりと人の影が現れた。
「ハ、ハイ…………ペドロ、ここに…………」
恐る恐る出てきたのは、黒い礼服を身に付け、不気味な仮面を被った男。集会にもいた、ジェイがペドロと呼んだ人物だ。あのときはジェイに倒れたヤクザたちの片付けを命じられていた。
「うわ! この人、ずっとここにいたの?」
十蘭とジェイが仲良く食事をしてある間にも、彼はここに潜んでいたのだろうか。
「うん。俺が呼んだらどこでも出てくる」
そんな悪魔みたいな。
いや、ペドロの側頭部に生えた悪魔のような角は、それを連想させるためにあるのかもしれない。
その角は恐ろしいことに変わりないが、変わり者だらけのジェスターでは普通のことなのだろうか。
「ジェイロッドさん。なぜ急に、諜報員の女性と食事なんて……?」
「仲良くなりたそうだったから。あと、俺のことを覚えててくれそうだったから」
ジェイの横顔は、それまで見たどんな表情よりも寂しそうだった。
ジェイのことを初めて見た時は、年が近そうだったからという理由で親しみを持って接していたのは事実だった。
そして彼と関わって、どうやら本当に仲良くなれるかも、と思ったのも。
そして彼の正体が暗殺者である『J』だと知って、距離を置いた方が良いかも、と思った。
しかし、ジェイの寂しそうな横顔を見て、十蘭はうっすらと察することができた。
ジェイはその忘れられやすい体質のせいで、まともに人と関わってきたことが無かったのではないか、と。
マフィア組織の、しかも暗殺者集団に属している(どうしてそうなったかはさておき)からと言って、ジェイロッドという人間はまだ年端もいかない少年だ。
そのとき十蘭は、絶対にこの少年を見捨ててはいけないと思った。
「ジェイ。私、あなたのこと絶対忘れないからね! なんなら週1で食事しよ!」
十蘭は親しみを込めて、行ってらっしゃいとジェイの背中を押した。
「え、うん。全部しぃらんが奢ってくれるんだよね?」
うわー……とペドロが小さく声を漏らし、虫を見るような目でジェイを見たのはさておき。
守銭奴もほどほどにして欲しいとは言え、奢ると言ったのは十蘭だ。今回だけ、とも言わなかった十蘭が悪い。
「もー! 仕方ないわね!」
それでも、十蘭はなんだか弟が新しくできたような気持ちになり、満更でもないのであった。




