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泥水令嬢

作者: 恵京玖


 パッと目を覚めると、また十歳の誕生日に戻っていた。今回で三回目。起き上がって、私は思う。


 さあ、今度はどんな事であの子をいじめようかしら。ドロドロドロシー。


 そうほくそ笑んでいると扉をノックする音が聞こえて、中年くらいのふくよかなメイドが入ってきた。


「あら、チェルシーお嬢様。おはようございます。もう起きられていたんですね」

「おはよう、メリー。そう、だって今日は私の誕生日なんだもの」


 とびっきりの笑顔でメリーに言うと彼女は微笑んでくれた。

 メリーは私の家、ハルート公爵に長年仕えたベテランのメイドだ。すぐに私の髪をとかして、服を着せてくれる。いつだって私の事を気にかけてくれて、優しいのだ。

 私は髪を綺麗に整えてくれるメリーに「そう言えば、あの子は私の誕生日会に来るのかしら」と不安げに聞く。するとメリーは顔をしかめて「ああ、ドロシーですか?」と言った。


「昨日もチェルシーお嬢様のドレスを切り刻んでいましたね。いくら旦那様の兄の娘だとしても、あんな酷い事をするなんて。しかもやっていないと否定をして……」

「そう言えば、あの子はどこに行ったの? 部屋には戻っていないみたいだけど」

「さすがに旦那様が怒って屋敷の裏にある物置の中に閉じ込めて、反省させておりますよ」


 そしてメリーは「ああ、そうだわ。一日中、物置に閉じ込めてあげましょう」と言い、私は「駄目よ、メリー」と言った。


「いくら何でも、それは可哀そうよ。あの子は両親と双子の兄が亡くなった可哀そうな子で、荒れる事で自分の怒りを発散させているだけ。だから、あの子の心が穏やかになるまでもう少し待ってあげて」

「なんてお優しいのでしょう、チェルシーお嬢様。ああ、さすがはハルート家の者」


 そう言ってメリーはつけているエプロンで涙を拭いた。私の事を優しいって思っているなんて、とってもおかしい。心の中で大笑いしてしまう。

 本当に可哀そう。ドロ水のドロシー。


 お母様が話していたドロシーの身の上話を思い出す。

 ドロシーはお父様の兄の子供だ。伯父は文官として国に仕えていたけど、平民と恋をしてしまい、周囲の反対をよそに結婚してしまった。本当だったらどこかの貴族の婿になるはずだったんだけど、それで出世は無くなってしまったと言われている。

 そうして伯父と平民の女と出来たのがドロシーだ。去年まで両親と一緒に暮らしていたけど、二人とも亡くなって孤児になってしまって、我が家に養子に出された。

 ドロシーは一歳年下の女の子で大人しい性格なんだけど、この家ではいじめっ子として見られている。

 もちろん、私が訴えているイジメはワザとやっている。昨日は気に入らないドレスを切り刻んでドロシーのせいにした。他にも私は自作自演していじめたと訴えて、すっかりドロシーはいじめっ子だ。だって誰一人ドロシーの言葉を信じないからね。こげ茶色の髪をしていて、まるで泥水のよう。だから私は隠れて彼女が着ている物や食べている物に泥水をかけたり、突き飛ばしたりしている。

 一回目、二回目の人生もそうやってドロシーを陥れて、あの子の人生を壊した。


 メリーの支度を終えて、私はお父様とお母様に挨拶をする。お父様もお母様も、とても優しくて私の事をとっても愛してくれる人だ。

 私は心配そうな顔で「ねえ、お父様、お母様」と話し出した。


「ドロシーはもう出してあげた?」

「いいや、まだだよ」

「今日一日、あの子はずっと裏の物置に閉じ込めようって決めたわ。だって今日はチェルシーのお誕生日だもの」


 お父様とお母様は安心させるように言うが、私は「ねえ、出してあげよう」ときりだした。


「ドロシーは家族が死んじゃったから、寂しくてあんなことをしたんだと思うの。お気に入りのドレスを切り刻んだのは悲しいけど、許してあげたいの」

「とても優しいわ、チェルシー」


 そう言ってお母様は私を抱きしめてくれた。私の本心なんて知らないんだろうと心の中で笑ってみせる。誰も私を咎めることは出来ないのだ。

 そして私は「私がドロシーを出してあげるわ」と言うと、お父様は私に裏の物置のカギを貸してくれた。

 私は「では、ドロシーを迎えに行きます」と言って、外に飛び出した。


 ああ、神様ってなんて残酷なのかしら。両親がいない女の子を苛める私に幸せな人生を何回も送らせてくれるなんて。

 一回目も二回目の人生はドロシーをいじめっ子にして子供時代を過ごした。そして貴族向けの高等学校へ進学した時に、この国のパトリック第三王子と求婚される事になる。

 その時もドロシーにいじめられていると、パトリック王子に訴えて同情を誘った。本当は私の自作自演だし、何なら私がいじめているんだけど。

 一回目はドロシーが私を殺そうとしたとパトリック王子に訴えて、王子は卒業パーティーで、あの子を糾弾した。必死になってドロシーは否定したけど、誰も信じてくれなくて陥れた私まで可哀そうって思ったくらい。だけど認めないからドロシーは処刑された。さすがにやり過ぎたわって思った。

 けれど二回目の人生が送る事になって、本当に驚いた。そして嬉しかった。だって、またあの子をいじめることが出来るんだから。

 だけど今度はドロシーに殺されそうになったという事は言わないで、あの子のやる事に嫌がらせをした。元々ドロシーは頭が良くて、かなり勉強していたと思う。そしてなぜか医者になりたいと言っていた。だから彼女にはメイドにしてもらうように、家族にそれとなく言ったりした。

 そして彼女には高等学校に行かせないで、家でメイドをやらせた。毎日、家で彼女をいじめるのは楽しかった。彼女を陥れて悪者扱いしたけど、孤児だからと言って出て行かせることはさせなかった。

 この時もかっこいいパトリック王子と結婚して優雅に暮らした。もちろんドロシーは辞めさせないで、私の監視下に置いた。

 泥水を被せたり、意地悪な事を言ったり、二回目の人生はとっても楽しかったわ。


 さあ、三回目の人生が始まった! またドロシーをいじめよう。


 そう意気込み、裏の物置へと向かい、彼女が反省している部屋のカギを開けた。だが彼女は居なかった。代わりに開けたままになった窓と下にある木箱があった。


 ……あれ? これは初めての展開だ。いつもだったら部屋の隅っこで座っていただけなのに。


 そう思いながら私は窓を見る。するとドロシーは屋敷の裏にあった池を見ていた。この池は何回も人生を送っていた私も知らないものだった。そして彼女は石を投げていた。

 何やっているんだろう? と言う疑問は起こったが、それよりも彼女を陥れる案を思いついた。


 そうだ! ドロシーをあの池に落としてしまおう!


 心の中でほくそ笑んで、私は屋敷を出てドロシーがいる池へと向かう。あの子が私に気が付いたら、池に突き落とせない。だから私は静かに近づく。

 相変わらず、ドロシーは池に石を投げている。結構大きな石を投げている事に気が付いた。だが不思議な事に水しぶきはそこまであがらなかった。

 気が付かないドロシーを心の中で笑って、私は駆け出して思いっきり体を押そうとした時だった。


 ドロシーはスルッと避けてしまい、勢いあまって私が池に落ちてしまった。


 早く助けてよ! しかも足がつかないことに気が付いた。え? ここの池、深いの?

 ちょっと! 早く、助けてよ!


 顔に水が被って、目が痛いし、鼻にも水が入って痛いし、水も飲んでしまった。もちろん、おいしくない! 


 ようやく私は自力で池から出た。思っていたより池は深く、汚くて最悪だった。

 私は立ち上がって泣きながら言う。


「うわあああん、ドロシーが私を池に突き落とした!」


 大泣きしながら私は本館である自分の屋敷に向かった。玄関に行くとメリーが大慌てで私を抱きしめてくれた。私の話を聞いて他のメイド達は、ドロシーを叱るため、すぐに裏の物置に行った。

 びしょ濡れの私はすぐにお風呂に入った。でも何だか悪寒がした。もしかして風邪を引いちゃったのかしら。

 そう思っているとメリーも私の顔色が悪い事に気が付いて、すぐに体温計を持ってきてくれた。計ると熱が出ていた。


「まあ、可哀そうに。熱が出ているわ」


 そう言ってすぐにメリーは、寝間着とベッドの用意をして私を休ませた。

 ドロシーを陥れたのは良かったけど、池に落ちて熱が出たのは最悪だ。今日は誕生日パーティーだっていうのに。

 窓からお母様のヒステリックな声が聞こえてきた。


「ドロシー! どこに行ったの!」


 本当にどこに行ったの? ドロシー! 見つけたら、タダじゃおかないから! そう思いながら目をつぶった。




 次に目が覚めた時、私の体はだるくて、手足が痛かった。体を動かすのも痛くて、視界もぼやけていた。だけど誰かの話し声が聞こえてきて、声がする方に痛みをこらえて首を動かす。

 そこには白衣を着たお医者さんと泣いているお母様とメリー、そして憔悴しているお父様の姿が見えた。


「先生、どうですか? チェルシーは」

「……正直に言って原因不明です。ただの風邪でも無いですし……。とにかく解熱剤を与えましょう」

「そんな、可哀そうですよ。しかも……」

「ああ、奥様」


 メリーは嘆いて膝をついて泣いているお母様を支える。そしてお父様は厳しい顔をして俯いていた。お医者さんは私に注射の用意を始めた。

 痛いだろうな……と身構えていたが、お医者さんが私の手を取って注射をした時、愕然とした。


 自分の手が泥のような色なのだ……。

 しかも指先から泥水が滴り落ちている……。


 これは悪い夢だ! そう思って、私は目をつぶる。体のだるさもあいまって再び、眠ってしまった。




 日の光が瞼に当たって、私は目が覚めた。窓に朝日がキラキラと当たって、眩しいくらいだ。ああ、私は生きているんだ……。少しホッとした後、体を起き上がろうとした時、違和感を覚えた。


 あれ? 指先が冷たい?


 ノックの音とガチャっと音がして、扉の方に目を向ける。


「あ、メリー?」

「チェルシーお嬢様!」


 メリーはびっくりした目で私を見て、すぐさまお父様とお母様を呼びに行った。


「ああ、良かった。一時はもう目覚めないと思っていたのよ」

「生きていてくれて、嬉しいよ。チェルシー」


 お父様とお母様は抱きしめようと手を伸ばし、暖かな言葉をかけてくれて、私も嬉しくなった。


「きゃあ、汚い!」


 お母様は後ずさりをしてお父様も愕然としながら私を見ていた。いや、正確には私の指先だ。ポタポタと私の指からこげ茶色の泥水が滴り落ちていたのだ。


 お父様とお母様はサッと顔が青くなった。お父様は「医者はまだか?」と聞き、お母様は膝をついて泣いていた。そしてメイドがお母様を連れて私の部屋から出て行った。

 しばらくしてお医者さんがやってきて、私を診察してくれた。


「チェルシー様の症状は私も初めて見たもので……。指から茶色の水が出るなんて……」


 お医者様は私の部屋の廊下でお父様とお母様に話した。小さな声で話していたのだが、私にも聞こえてきた。

 もしかして治らないの? 愕然とした気持ちで見ているとお父様は悲しそうに目をそらした。お母様は目頭を押さえて目の前から去って行った。


 お医者さんが帰って、メリーが丁寧に私の体を拭いてくれた。でも相変わらず指先は泥を付けたように汚く、泥水が滴り落ちて、タオルを汚す。

 何でこんな風になってしまったのだろう。と言うか、裏庭の池っていったい何だろう? あれ? そう言えばドロシーはどこに行ったんだろう?

 丁寧に私の体を拭きながら「ああ、ハルート家にこんな悲劇なんて……」と呟いているメリーに話しかけた。


「ねえ、メリー」

「どうしました? お嬢様」

「ドロシーはどこに行ったの?」


 私の質問にメリーは悲しい顔をして「分かりません」と言った。


「恐らく、どこかに逃げてしまったのでしょう」


 逃げたんだ、ドロシー。

 私は原因不明の病気にかかったから、この屋敷の人間からどんな仕打ちを受けるか分からない。逃げ出すのも無理はない。


 でも、いや、だからこそ、腹が立つ。


 ドロシーが避けなければ、私じゃなくてあの子が池に落ちていたのに! 私がこんな状況なのに、あの子は自由に逃げていった。

 どうしてこんな目に私があわなきゃいけないの! 本来だったら、あの子がこうなるはずだったのに!


 ムカムカした気持ちが溢れるが、すぐに落ち着かせてメリーに言う。


「お願い。ドロシーを見つけて」

「チェルシーお嬢様……」

「確かに私を池に落としたのは悲しいわ。だけど独りぼっちで逃げて寂しい思いをしているはずよ。だから早く見つけてあげて」

「ああ、なんてお優しいのですか。チェルシーお嬢様……」


 メリーはエプロンの端で涙を拭いた。

 本当にドロシーを早く見つけて! そしてみんなから非難を浴びて、私の召使になって、泥水をぶっかけて、意地悪な無理難題をお願いしてやるんだから! 断る事も出来ない! だって、あの子は私をこんな目に合わせたんだから!



 私が池に落ちて八年が経った。

 相変わらず、指先は泥を付けたように汚く、泥水が滴り落ちている。部屋を汚すから手袋を付けているのだが、それでも染み込んで滴り落ちるので一日に何枚も換えて過ごしている。

 そして私は貴族の子の学校へ入学をした。一回目も二回目も私は学校では中心人物だった。公爵家でしかも美人だったから、みんなが自然と集まってきたのだ。私は優雅に微笑んでいるだけで良かったのだ。

 だけど今回の人生では指先が汚いのと原因不明の泥水が滴り落ちているため、周囲から疎外される存在だった。それどころかお茶会もパーティーにも行けないのだ。だって泥水で汚してしまうから……。無理にでも行こうとしたが、お父様とお母様にやめろと止められた。これ以上、我が家に【泥】を塗るなって……。

 

 こんな人生になって私はドロシーを死ぬほど恨んだ。どうして、こんな目に、合わなきゃいけないの!


 見つけたら死ぬほどこき使ってやると思っていたけど、未だに彼女は見つかっていない。もしかしたら、死んでいるのかもしれないとお父様は言っていた。


 冗談じゃない! あの子が避けなければ、私は池に落ちなくて良かったのに! どう死んだのか分からないけど、もっともっと苦しんでほしかった! そして生きているのであれば、私の前に来て懺悔しながら、酷使したい! 泥水をかけてあざ笑いたい!


 あれ以来、あの子がいないとストレス発散が出来ないし、何にも出来ない。本当に最悪だ!


 そうして私は高校に行かなくなり、卒業を迎えた。もう結婚なんて出来ないだろうとお父様もお母様も、そして私もそう思っていた。


 だが突然、王室から同い年のパトリック王子と私を結婚させてハルート公爵家の婿に入る話が出たのだ。


 公爵家の跡取りは私しかおらず、領地を国に返そうと話もあった。だがそれを憐れんで王室が婿としてパトリック様を婿に紹介したんだと言われている。


 こんな体になってしまったけど、またパトリック様と結婚できるなんて……と、私は心が躍った。でもこの人生ではパトリック様は、すでに違う婚約者がいたはず……。どうして私と結婚する事になったのだろう? お父様とお母様に聞いても曖昧に笑うだけだった。


 そうして初対面の時、私はお洒落をした。美しく髪を整えて、綺麗なドレスに着替えた。

 着替えを手伝ったメリーに「どう? 素敵?」と聞いた。


「ええ、素敵でございます」


 なぜだろう。メリーがとても悲しそうな顔をしているのに気が付いた。それを少し不思議に思ったが、私はパトリック様と結婚することを喜んだ。

 付き合いだしたパトリック様はとても素敵だった。学校では一切、関りが無く過ごしていたけど話していて楽しかった。しかも泥を隠す手袋もいつも持ち歩いてくれて、「そろそろ、換えようか」と言ってくれた。

 そして結婚式当日。


「花嫁のチェルシーが不自由なく幸せに過ごせるように、私は死ぬまで努力します」


 パトリック様がみんなにそうスピーチして、私は感動した。

 これでまた私は幸せになれる。誰よりも幸せになれる。そう思っていた。


 だけどパトリック様と結婚した後、数年でお父様もお母様も立て続けに亡くなった。そして長年勤めていたメイドや料理人たちを、パトリック様は解雇した。

 もちろんずっと仕えていたメリーもいなくなってしまった。


「はーあ、ようやくうるせえのが居なくなった」


 そう言って私が寝ている部屋で伸びをするパトリック様。前の人生ではこんな乱暴な言葉を使わなかったのに。それにメイド達を全員辞めさせるなんて……。


「ねえ、何でこんな事をするんですか? 私の事を愛して……」

「愛しているわけねえじゃん! こんな泥水が出る女! 俺の浮気がばれて婚約者と婚約解消されていなければ、お前と結婚しねえよ!」

「そんな……」


 悲しくなっていると、部屋に誰かが入ってきた。すごく品のないドレスを着た若い女の人だ。私を見て「うわー、本当に手から泥水が出ているー」と失礼な事を言って笑った。


「この子は殺さないの?」

「両親が立て続けに死んで、すぐに殺せないよ」


 とんでもない事を言い、私は「どういう事なの? というか、この下品な女は誰?」と聞くと、若い女の人がバケツの中の水を被せた。しかも水じゃない、泥水だ!


「ごめんなさーい、手が滑っちゃった。でも変な事を言ったら、こんな風になっちゃうから」

「ヒルルアのいう事、ちゃんと聞けよ。泥水夫人」


 嫌な笑みを浮かべてパトリック様とヒルルアは私の部屋を出て行った。

 そして私の生活は一変する。私は屋敷に監禁されてしまったのだ。ずっと私が屋敷から出られないのに、パトリック様とヒルルアはどこかに遊びに行って帰ってこない。時々、私の所が来るが、私の悪口を言ったり目の前でイチャイチャしたりして最悪だった。

 メイド達も適当な奴を雇っているので、屋敷は荒れるばかり……。文句を言っても「あなたが泥水で汚しているんでしょ」と笑うだけ。


 前の人生ではこんなこと無かった! パトリック様はもっと紳士的で優しかったのに!


 こんな人生、嫌!


 逃げ出そうとしてパトリック様の息のかかったメイドに見つかってしまって、地下に閉じ込められてしまった。どんなに叫んでも脅しても泣いても誰も見向きもしない。

 そしてご飯ももらえず私は衰弱していき、亡くなった。




***


 私はパッと目が覚めた。いつもと違う体の感覚に、もしかしてと思った。そしてゆっくりと体を起き上がらせる。

 また十歳の誕生日に戻ったんだ! 視点の低い目線で手を見ると、とてもきれいな指だった。

 良かった。もう、もう二度とあんな人生を歩みたくない。心が軽くなるくらい安心して私は決意する。


 ドロシーに、復讐してやる!


 あの子が避けなければ、前の人生では私はあんな目に合わなかったのに。あんな人生最悪だったわ! 一人寂しく死ぬ人生なんて!

 確かあの子は私のドレスを切り裂いたと言って物置に閉じ込めていたのだ。そして物置の裏の池があったはず。今度こそ、あの池に落としてやる!


 そう思っていると「おはようございまーす」と言って、突然ドアが開けられた。間延びした挨拶と知らない声に私は驚く。

 振り向くと知らない若い女性だった。


「あ、起きていたんですね。チェルシーお嬢様」

「ちょっと、ノックくらいしなさいよ! と言うか、メリーは?」

「すいません。ん? メリーって誰ですか?」


 不思議そうな顔で女性。着ている服はうちのメイド服なのに、前の人生でもこんな女性知らないんだけど……。

 女性は「朝の支度を始めますね」と言い出して、私は慌てた。


「嫌よ! メリーじゃない人にやらせたくない!」

「わがままを言わないでください。お嬢様」


 そう言いながら面倒くさそうに私の支度を始めた。メリーの足元にも及ばないくらいの出来栄えに私は腹が立った。


「あなた、名前、なんていうの?」

「え? マーサーですけど」

「こんな適当な支度で、よく私の専属のお世話係が出来るわね」

「……私はお嬢様をお世話するだけのメイドじゃないんです」


 何で私専属のお世話係がいないのだろう? 前までの人生ではちゃんといたのに。それからドロシーはどこに行ったの?


「ところでドロシーはどこ? 私のドレスを切って、物置で反省して……」

「はあ? ドロシー? 誰ですか?」


 明らかに馬鹿にしたようにマーサーは「人形の名前ですか?」と聞き、カチンときた。何なの? この人? と言うか、ドロシーはどこに行ったのよ!

 支度が終わった後、私はマーサーに「お父様とお母様に言いつけて、あなたを辞めさせてやる!」と脅す。ところがマーサーは「はいはい」とどこ吹く風でそう言った。

 私はすぐにお父様とお母様の元へと向かう。挨拶もしないで、お母様に抱き着いて嘘泣きして言う。


「お母様、何でメリーがいないの?」

「え? メリーって誰なの?」

「メイドで私のお世話係の!」

「……え? 何でチェルシーがメリーを知っているの?」


 不思議そうに私の言葉を聞くお母様の隣で、お父様も目を丸くして「メリーは僕らが子供の頃のメイドだよ」と驚きながら話した。


「僕と兄の乳母でメイドだった人だ。でも僕が成人した後すぐにお后様のご懐妊があって、王宮で乳母の募集をしていたから母が推薦状を出したんだ。それでそのまま王宮の乳母をやっているはず。だからチェルシーはメリーとは会っていないはずだよ。第三王女のパトリシア様のお世話係をしているよ」

「え? 第三王女? パトリシア?」


 前の人生と全然違う。だって王の三番目の子供は私と結婚したパトリックだったはず。なのにパトリシアという王女? って。しかもそのお世話係って……。

 それともう一つ聞く。


「ねえ、ドロシーはどこに行ったの?」

「ドロシーって?」

「私のドレスを切り刻んで、物置で反省しているんでしょう?」


 私の言葉をキョトンとした顔でお父様とお母様は聞いていたが、すぐに微笑んでこういった。


「ああ、チェルシー。恐ろしい夢を見ていたんだね」

「もう大丈夫よ。今日は誕生日だったわね」


 甘く優しいお父様とお母様の言葉に追及することが出来ず、私は黙って二人に抱きしめてもらった。

 お父様とお母様は前の人生と同じでものすごく優しいけど、館内はちょっとずつ荒れていった。毎日、綺麗に整えられていた庭は雑草が出ていたり、食事やおやつの質が悪くなっていた。


「ねえ! どうして紅茶のおやつがマドレーヌ一つなのよ! ケーキを出して!」

「わがままを言わないでください。ケーキなんて出せませんよ」

「どうして? 前は出していたじゃない!」

「昔は昔、今は今ですよ。チェルシーお嬢様」


 マーサーに窘められて私はイライラした。どんなにお母様やお父様に訴えてもマーサーが辞めさせられることは無かった。どうやらマーサーは私が生まれる前から仕事をしていた古参だったようで、二人の信頼も厚いようだ。でも私から見たらマーサーの動きは公爵家のメイドとしてなっていないと思う。

 そもそもメリー以外にも前からいたメイド達がいなくなっていた。一体、どうしてなのかしら……。

 完璧じゃない暮らしに私はちょっとずつイライラしてきた。ドロシーがいたらストレス発散が出来たのに!


 そんな日々が続いていた頃だった。


「やあ、チェルシー。紹介するよ。今日から家族になるトマスだ」

「初めまして。トマスです」


 お父様が紹介した少年はこげ茶色の髪をしたドロシーに似ていた。思わず「え? ドロシー?」と言ってしまった。

 トマスは驚いた顔で「ドロシー?」と言った。


「え? 確かに僕の妹にドロシーっていたけど、君とは会っていないはずだよ。だって僕らは双子だったんだけど、ドロシーは赤ちゃんの時に亡くなったのだから」

「この子は私の兄の子だ。一歳年下で、いろんな事情があって養子になったんだけど……。今まで彼の話なんてしたこと無かったのに、何でドロシーを知っているのかな?」


 不思議そうな顔でトマスは言い、お父様も困惑した顔になった。そう言えばドロシーには双子の兄がいたけど、事故で亡くなったって話をしていたな。だけどドロシーは生まれてすぐに亡くなったなんて……。

 お母様はにっこり笑って口を開いた。


「とにかく今日からトマス君は私たちの家族になるからね。チェルシー、仲良くしてあげなさい」


 お母様に促されて私は「変な事を言って申し訳ございません」と落ち着いた女の子のように言い、トマスに挨拶する。


「チェルシーと申します。今日から我が家だと思って過ごしてね」


 そう言って完璧なカーテンシーをして微笑み、心の奥でほくそ笑んだ。

 恐らくドロシーの代わりって事だろう。だったら前の人生と同じくトマスを奴隷のようにこき使って、いじめようって。


 そう意気込んでいたのだが、ドロシーとトマスの事情が違っていた。

 まずトマスの両親が生きている事。ドロシーの時は亡くなっていたのだが、トマスは生きていて時々両親に手紙を書いたり、会ったりしている。またトマスの父親もうちの館に来ることもあった。

 そして腹立たしい事にトマスは私達貴族の生活をしていた。ドロシーはそんな事無くて、メイド達に嫌味を言われたりいじめられていたのに。

 またトマスは毎日、勉強していて大変そうだった。私がいじめようと思って呼び出そうとしてもマーサーに「今、家庭教師が来て勉強しています」とつっけんどんに言われる。何で、あんな奴に家庭教師を付けたり、私よりいい学校に通っているのよ! ドロシーは勉強なんてしないで仕事させていたのに!

 最後に腹立つのは、私が「トマスに苛められている!」と訴えても、誰も本気で怒りはしないのだ。

 私はお気に入りのドレスを切って、お父様とお母様に訴えた。マーサーに訴えても「はあ」と言う反応しか無いから直談判した。


「見て、トマスが私のドレスを切り刻んだのよ!」

「ああ、可哀そうにチェルシー」


 そう言ってお母様は私を抱きしめてくれ、嬉しかった。そしてお父様は顔をしかめて「トマスに聞いてくる」と言った。

 しかしお父様はなぜか別のドレスを買ってきてくれて、「チェルシー、寂しかったんだね」と全く筋違いな事を言ってきた。


「トマスばっかり私達が構っているから……」

「いいえ、違います。本当にトマスがやったんです」

「そんなはずは無いよ。トマスはチェルシーの部屋に近づいてもいないってマーサーが言っていたよ」

「はい。いかなる時でもチェルシーお嬢様に呼ばれてすぐに駆けつけられるように、近くで私は常に待機していましたのでー」


 それを聞いた瞬間、腹が立った。何で、こいつは私の邪魔ばっかりするの! 新しいドレスを買ってもらったのは良かったのだが、トマスを陥れることが出来ず腹が立った。あいつがやったことにして、鞭で打たれて泣いている所を見たかったのに!


 そんな思い通りに行かない日々を過ごしながら、私はある事を思いついた。そうだ、トマスとお茶会をしよう。

 毎日勉強で忙しいトマスのためにお茶会をしましょうとマーサーに言いつけて、お庭のテラスに準備をしてもらった。

 私はお父様に買ってもらったドレスを着て、私はトマスを待った。


「はあ……。トマス様は領地経営などの勉強で忙しいというのに」


 マーサーは愚痴っぽくそう言っていたので、気分が悪くなったがこの後の展開を考えるようにした。私のドレスの中にナイフを仕込んでいて、ドレスを破ってトマスがやったように見せるのだ。

 これで彼の信用も地に落ちるわ。毎日勉強で忙しいようだけど、これからはこの屋敷の仕事で忙しくなるわね。

 そうほくそ笑んでいるとトマスが「お待たせしました」とやってきた。

 私はカーテンシーをして「ようこそ、トマス」と微笑んで彼を見た。トマスは少々緊張した面持ちで私を見ていたが、すぐにギョッとした顔になった。


「え? チェルシー様、手が……」


 トマスの言葉で私は自分の手を見ると、泥に浸かったように両手が汚れていた。他にも私のドレスやテーブルクロスなども泥が付いていた。

 私は思いっきり悲鳴を上げて、尻もちをついた。するとカランっと金属音が響いた。私がドレスに仕込んでいたナイフだった。

 それを見てトマスは「え? ナイフ?」と驚き、マーサーも小さな悲鳴を上げた。


「何で君はナイフなんて持っているんだ?」


 トマスの言葉を被せるように私は悲鳴を上げた。この声で周りのメイドや庭師が注目した。


「トマスが私を殺そうとした!」

「はあ?」

「チェルシー様、何を言って……」


 トマスが唖然としマーサーが怪訝そうな顔で諫めようとするが、私はワッと嘘泣きをする。だけど掌の泥水はたくさん溢れていたので、顔を隠すだけにした。

 トマスは「……そうか」と呟いた。


「今まで知らない苛めの事を僕に擦り付けたけど、……そこまで僕の事が嫌いなのか」


 声を震わせてトマスは言っているが、気にしないで私は泣き続ける。


「もういい、帰る!」

「え? トマス様」

「自分の家に帰る!」


 そう言ってトマスはスタスタと私達を背にして、屋敷の門から帰って行った。それ以来、トマスはこの屋敷に来ることは無かった。

 そして私の指先から、また泥水が滴り落ちてきた。前回の人生と同じだったから、またみんなから疎外されると思って高校にも行かずに引きこもっている。

 更に悪い事に前回の人生と全く違う事が起こり始めた。


 元々トマスは公爵家の跡取りとして養子になったらしい。私が結婚して婿を取ればいいのではと思っていたのだが、そうも言っていられない事情になってきてしまったようだ。


「公爵家の領地の会計報告などの書類を見せてくれ。どうせ、お前の事だから適当にやっているだろう」


 トマスは居なくなったが、彼の父親がよく来るようになった。彼もまたこげ茶色の髪をしていて、トマスやドロシーに似て真面目そうな顔をしていた。だけどいつも来る彼はお父様に険しい顔をして向かい合って話している。


「何とかならないのか? そうだ、トマスとチェルシーは従妹同士だ。だから結婚させて婿に……」

「無理だろう。と言うか、娘を殺そうとした子と結婚させるなんて親としてどうなんだ? もっともトマスは殺人未遂なんてしないと僕は思う。それに調べてみたらマーサーと言うメイドは、チェルシーのドレスからナイフが出てきたって言っているから」

「チェルシーの自作自演と思っているのか?」

「僕はそう思っている。だが、この事件は公にはしないって取り決めだろ? まあ、貴族達には知られているけど。あの子に泥水が出ている事もね」


 そう言いながら、トマスの父親は我が家の会計報告を読み始めた。

 この会話を部屋の外で隠れて聞いていたが許せなかった。確かに自作自演だったけど、でも全く信じないのは腹が立つ。何でトマスの肩を持つのだろう。そしてお父様はトマスの父親に対して弱腰なのもイライラする。

 そんな時、お母さまがにこやかな笑みを浮かべてメイドが持ってくるはずの紅茶を持ってきた。


「いらっしゃい、紅茶をどうぞ」


 お母様は今の王様の末娘でお姫様だったのだ。社交界では誰もが振り向く美しさを持っていたと言われていた。今もとても綺麗なお母様なのに、トマスの父親はものすごく嫌そうな顔をしていた。それを気にしないでお母様はトマスの父親の隣に座った。なんかお母様、慣れ慣れしいな。

 お母様に気にしないでトマスの父親は書類を読んでいき、ため息をついた。


「この報告書、計算は間違っているし、虚偽記載ばっかりだぞ」

「え? そんなはずは……」

「僕は他の領地を見たり、トマスに話を聞いたが、君たち家族は随分と贅沢をしているようだね。しかも領地の事なんて考えていないだろう」

「ちゃんとやっている。いちいち口を出さないでくれ! 兄さん!」

「僕だって口に出したくないよ。だけど今の王政に不満を持っている貴族や民は多い。お前は楽観的に考えているけど、今の王宮は前々から贅沢を理由に批判が殺到しているんだ。今の王の弟、大公が王に成り代わる可能性があるんだ」

「……そんな、お父様がそんな事になっているなんて。どうにかならないの?」


 お母様が泣いて縋り付いているのに、トマスの父親は冷めた目で見ながらため息を吐き立ち上がった。

 お母様が「待って!」と言った。


「まだ、あの時の事を怒っているの? 私があなたの婚約者だったのにベージュットと思いを遂げてしまった事、それをあなたの両親は許してやれって言った……」

「僕はこの件に関しては何の感情もわかないよ。ただ目の前の仕事と今いる家族を大切にしていくだけだ。それに君は僕の事をつまらない男って罵っていただろうに」

「そんな、酷い事を言わないで!」

「そもそも君は僕の弟と浮気をしていたけど、他にも男がいたんじゃないのか?」


 衝撃的な事をトマスの父親は言い、チラッと隠れて見ている私を見て「ほら、私の弟に似ていないだろ?」と最悪な言葉を吐いた。

 え? トマスの父親が婚約者? 他の男性って? お母様、浮気していたの……。私は混乱して立ち尽くしていた。


「恐らくまだ子爵のあの男と繋がっているだろ。それも調べがついている」


 この言葉にお父様は顔を真っ青にして何も言えずにいた。そしてお母様は「そんなこと無いです」と泣いていた。

 残酷なトマスの父親は「この家を建て直すんだったら、……」と話し出した。でもお父様もお母様も聞いていなかった。

 しばらくしてお母様は「ねえ、ブラウン」とトマスの父親に話しかけた。


「私達が不幸になるのは構わない。だけどチェルシーだけは、どうにかならないの? 例えば結婚相手とか紹介できない?」

「……いないな」


 チラッとトマスの父親は隠れていた私を見て、悲しそうに答えた。

 トマスの父親が去った後、私の家は大いに荒れた。


「あの男の所に行くのか?」

「違います! 教会のボランティア活動へ……」

「そこが逢引き場所か。まあ、貴族だから愛人の一人や二人いてもいいとお前は思っているんだろうけど、もう家にはお金が無いんだぞ」

「そんなことは無いわ。家に、王宮に頼んで……」

「本当に頼めるのか? お前の父親である王は病気で退いたじゃないか」


 今までお母様の実家である王室とは関わりが深く、様々な優遇があった。だけど今の王が病気療養でいなくなって、お母さまの叔父の大公が王になり、今までもらっていたお金が無くなってしまい立ち行かない状態になってしまった。

 お母様はこんな生活が嫌になり、私を連れて屋敷を出て行って王宮に戻った。

 でも王宮にも私たちの居場所はなかった。すでに現王の勢力が強くて、すぐに辺鄙な田舎の屋敷を紹介されて、そこに連れていかれた。


 第三王女パトリシアの乳母だったメイドである、メリーと一緒に……。




「さあチェルシーお嬢様。お茶の準備が出来ましたよ。ああ、その前に手袋を換えましょう」


 そう言って私の手袋を換えてくれるメリー。他のメイドすら私の泥水を嫌がって「自分で換えて」と言われていたのに、メリーは丁寧に付け替えてくれる。


 ああ、そうだよ、メリーはずっと私の味方だ。そうだよね、メリー。


 相変わらずメリーは手際が良く、一人しかいないのに小さな屋敷の掃除をして、食事も作ってくれる。お金も遊びもないし結構不便とお母様は言うけれど、メリーがいるだけで私は嬉しかった。


 メリーはすべての家事を終えたので、私はお話ししましょうと言って誘った。


「とても手際が良いですね」

「はい。元々ハルート公爵家に仕えていまして、ブラウン様とベージュット様が赤ちゃんの時に乳母としても仕事をしていました。ベージュット様が成人された後、王宮で乳母として務めました。色々と王宮も変わりましたが、定年までメイド長として勤めました」


 穏やかに話すメリーに私は、思わず昔のように抱き着いてしまった。それをメリーは昔のように優しく私を抱きしめてくれた。ようやく私の味方が帰ってきてくれた気持ちでいっぱいだった。


「私は小さい頃、ハルート公爵家のリース様に救われました」


 リース様はお父様の母、つまり私の祖母だ。だけど私が生まれる前に亡くなってしまった。

 遠い目をしながらメリーは穏やかに話す。


「私は生まれながらの孤児でした。あまりにもお腹が空いて、パンを万引きしたところお店の人に見つかり折檻を受けていた時、リース様が見ていました。ものすごく恥ずかしい気持ちになりましたがリース様はパンを買ってくださって、そのまま私はハルート公爵家のメイド見習いになりました」

「メリー?」

「折檻を受けていた時、私は殺されるかもしれないと恐ろしかった。だけどこうしてリース様が助けてくださり、私は生き延びだ。だからハルート公爵家のために生きようと思いました」


 抱きしめてくれるけど、メリーは遠い目をして私を見ていなかった。遠い昔を見つめているように見えた。

 そして私の意識がぼんやりしてきた。


「ブラウン様とベージュット様が生まれて、すくすく育ちました。そしてブラウン様は王女と婚約をして、ハルート公爵家の地位は確固たるものになると思いました。ですが、ベージュット様が王女と寝てしまい、それが王宮や公爵家に分かった時、リース様は悩まれました。このままベージュット様を許すか、私に聞かれたのです」


 メリーは涙を流しながら、言葉を紡ぐ。


「私は平民、しかも盗人の孤児でした。そしてそんな私をメイド長までしてくれたのは、ハルート公爵家、リース様のおかげでした。そんな方に私ごときが意見なんて出来ません。だから、リース様が一番と思う選択をしてくださいと答えた。そしてベージュット様を許す選択をしました。だけどブラウン様はそれが嫌で、家を出て行ってしまった……」

「ねえ、どういう事? メリー」

「あなたが一番に分かっているんじゃないですか? チェルシーお嬢様」


 穏やかなメリーの笑みに、私はゾッとする。まさかメリーも何度もループさせていたの?

 メリーはまた遠い目をしながら「リース様が亡くなり、ブラウン様と奥様が事故死された後」と話し出した。


「ドロシーがハルート公爵家の養子に来ました。ですが平民となったブラウン様の子です。だから私は貴族のあなたを立てるように立ち回りました。例えドロシーがやっていない悪事も私は、あなたの方について非難しました。少々やりすぎな気もしましたが、それでも目をつぶっていました。だけど一回目も二回目の人生も、あなたは殺されてしまいました」

「え? ちょっと待って! 私、殺されたの?」

「恐らく私と同じ四回くらい同じ人生を歩んでいると思います。最初と二回目の人生では、あなたは眠るように殺されました。パトリックの毒殺によるものです。その後、彼はハルート公爵家を乗っ取ってしまいました」


 衝撃的な発言に私は絶句した。パトリック様、私を毒殺したの? でも三回目の人生の時、パトリック様は両親がいなくなると愛人を連れて来たり、私に酷い事をしていた。だとしたら、私や両親が邪魔で殺したって言うのも分かる。

 それに私は最初と二回目の人生の最後はいつも就寝で終わっていた。きっと自然な形で殺されたんだ……。


「そして三回目の人生では、更に恐ろしい事態が起こりました。あの奇妙な池にあなた様は落ちてしまいました。本当にどうしてあの池があったのか分かりません。長年仕えた私ですら見たことのない池でしたから……。そしてまたパトリック様はあなたに対して横暴な態度を取り、またハルート公爵家を乗っ取りました」


 メリーは強い意志を持って「だから私はパトリック様を止めようと思いました」と言った。


「ですが前の人生とは全く違った出来事が起こりました。四回目、今回の人生では私は王宮が募集する乳母になってパトリック様を止めようと思いました。実はパトリック様は双子だったのですが、前までは生まれる直前にもう一人の子は亡くなってしまっていました。でも今回、パトリック様の方が亡くなり、生き残ったのがパトリシア様。彼女は非常に思慮深く優しい女の子でした。そうすると前回の人生でパトリック様がわがままを言って馬車を飛ばし路上の多重事故を起こして、ブラウン様や奥様、トマス様が亡くなっていましたが、今回の事件では無くなりました」

「……」

「他にもブラウン様の子供が双子でしたがドロシーは赤ちゃんの時に亡くなり、トマス様だけしかいないというのも今回の人生で変わった点でした。男の子と言う事で養子になってハルート公爵次期当主にする話をベージュット様も考えていたようですが、ブラウン様もトマス様も拒否しています。恐らく今回の人生では汚職や横領などが発覚したのでハルート公爵家は無くなってしまうでしょう」


 メリーは目を潤ませながら「リース様、私は決めました」と言った。


「何度も人生を送って時間や命を無駄にしてきて、本当に申し訳ございません。特にドロシーには何度も悲惨な形で死なせてしまい、本当に可哀そうな事をしてしまった。しかも今回の人生では、彼女は死んだ事になってしまい本当に申し訳なかった。でも私は決めました。次の人生では、私はリース様にご意見いたします。そしてハルート公爵家を途絶えさせないようにします」

「え? ちょっと待って!」


 メリーはまた時間を巻き戻すつもりだ。確かにこんな惨めな人生をやり直したいけど……、やり直すたびに私は酷い目になっている。

 だから私は聞かないといけない。


「ねえ、次の人生はどうするの? メリー! 私は幸せになりたいよ!」

「チェルシーお嬢様。私はハルート公爵家の幸せだけを考えております。ああ、そうだった。あのことをお話しないといけません。三回目の人生であなたが池に落ちた時の話ですが……」

「ドロシーに突き落とされたのよ、メリー」


 私がそう言うとメリーは「いいえ、そんなはずはありません」と言った。


「あなたが嘘を言っているとしてもドロシーはあの日、この世にはいませんでした」

「え?」

「私は夜にこっそりと様子を見に行きましたが、ドロシーは物置の隅で亡くなっていました。激しい折檻で打ちどころが悪かったのでしょう。私は彼女の遺体を隠した後、教会にお金を払って丁重に弔ってもらいました」


 私は「嘘でしょ」と呟く。

 突き落としたのは嘘だとしても、池の近くにドロシーがいたことは確かだ。あの池に石を投げていたし……。でもあの子を突き落とす時、避けていた? 本当はすり抜けていたんじゃないか……。

 ぞわっと鳥肌が立った。

 そして視界がぼやけてきた。え? これから死ぬの? 私。


「チェルシーお嬢様、また次の人生で……」


 メリーがそう言うと私の視界は真っ暗になった。




***


 パッと目が覚めて私は起きた。


「え? 戻っていない?」


 目が覚めた場所は前の人生で、ハルート公爵の屋敷を出てお母様とメリーと一緒に住んでいた田舎の屋敷だった。

 もしかして時間が戻っていない? と思ったが低い視点や小さな体は確かに時間が戻っている。だけどなんで私は田舎の屋敷で寝ていたんだろう……。

 そして朝の支度をしてくれるメリーがいない。


「メリー! ねえ、どこ? メリー」

「メリー? 誰です、それ?」


 顔を出したのは知らない老婆だった。お母様ではない。メイドかと思ったけどハルート公爵のメイド服では無かった。普通の平民の私服に見えた。

 私の姿を見た老婆は「あー、朝の支度ですね」と言って、のんびりと支度を始めた。年老いているのは分かるけど、ものすごく遅くてイライラした。しかもメリーどころかマーサーよりも手際が悪い。でも屋敷の中を見ると多分、このメイドしかいない気がしたので文句は言わない。

 支度をしているとドアが開いて「チェルシー」とお母様が入ってきた。


「今日は王宮へ行くわよ」

「え? じゃあ、ドレスに……」

「チェルシー、ドレスは持ってきて無いでしょ」


 そう言ってバタバタとお母様はメイドに馬車の用意をさせた。ここから王都まで一日以上かかるのだから、どこかで宿で休むのかな? と思っていたら恐ろしい事を聞いた。


「今日中までに王都に行ける馬を用意して!」

「奥様、そんな馬などおりませんよ」

「早急に王宮に行きたいの! とにかく!」


 お母様は老婆のメイドに色々と注文していて、なんか見苦しかった。前の人生でもここに来た時、お母様はずっと我が儘を言っていたな。……それよりも、お父様はハルート公爵の屋敷にいるのだろうか?

 前回と違う今回の人生に戸惑っていると、お母様は途中で馬車の乗り換えをするという事になって、私達は馬車に乗り込んだ。


 馬車はとても乗り心地が悪く、お尻が痛くなった。何せクッションもない木の椅子なのだ。こんな場所に座ったこと無いのに……。でも私よりお母様はブツブツと文句を言っている。どうして私がこんな扱いに……、私はこんな場所にいるべきじゃない……とか。お母様は元々お姫様だったのだから、こんな馬車に乗ること自体あり得ないんだろう。

 馬車を乗り換えて丸一日かけて王都に着くと、すっかり夜になってしまった。それでもお母様は宿に行かないで王宮へと向かう。

 よく見ると美しいドレスやタキシードを着た貴族の若者たちが王宮へと入って行った。そして遠くで美しいバイオリンの旋律も聞こえてきて舞踏会をやっているんだと思った。

 そう思った瞬間、懐かしさと切なさが胸にこみ上げた。一回目と二回目の人生は誰よりも美しいドレスを着て舞踏会に行って、多くの男性にダンスを誘われていた。あの人生は楽しかった、本当に……。

 

 お母様は舞踏会に行く人たちと一緒に王宮へ入ろうとしたが、門番に止められてしまった。


「どうして! ここは私の家なのよ!」

「落ち着いてください。今回は限られた貴族の者達のみの舞踏会です」


 今までの人生だと、お母様はこんなに必死になる事なんて無かった。貴族や王族は優雅に生きるものよって前の人生では言っていたのに……。

 そんな時、お母様はまだ馬車に乗っている私を引っ張り出そうとして来た。


「ほら、チェルシーも王宮に入れてくださいって言いなさい」


 引っ張り出されるように馬車から降ろされるなんて本当に最悪である。しかもすぐに反応できずに、私は転んでしまった。


「ああ、チェルシー。可哀そうに」


 お母様が転ばせたのに、なぜか猫なで声で言って門番に「ほら、王族の子がケガをしているわよ! さっさと入れなさい」と引き合いに出して来た。

 もう恥ずかしかった。こんな風に同情を引いて王宮に入れてもらうなんて……。舞踏会へと向かう貴族の人たちも眉をひそめて「え? 物乞い?」とか「落ちぶれたな、あのお姫様」とか言っている。

 だけど門番は上の人と掛け合って、私達を王宮に入れてくれた。


「とにかく私の兄とお話しさせて」

「今夜は舞踏会がありますので、また明日にお話しを聞きたいとのことです。今日の所は王宮でお休みくださいませ」


 門番の言葉にお母様は「まあ、そうよね」と当然のように言う。一方、私は誰もケガを診てくれなくて一人立ち尽くしていた。

 こんな扱いされたことも無いのに……、そういえば、今日は私の誕生日だったのに誰からもお祝いされないし、プレゼントももらっていない……。今までの人生の中で最低な誕生日だ。

 そう考えながら王宮の客間のベッドで泣いた。


 翌日、相変わらずお母様は色々とメイドに文句を言っていた。


「ちょっと私に対する敬意って無いの? 何で誰も私の支度をしてくれないのよ!」

「ねえ、朝食が貧相すぎない? 私を誰だと思っているの? 王の娘なのよ!」


 お母様がそう言ってもメイド達は何も言わないで黙々と仕事をしている。前までの人生では泥水が出ていてもメイドや平民は私に敬意を持って接していたと思う。でもなんで今回の人生は、こんな扱いなんだろう。

 そう思って私は隙を見て泊まっていた客間を出て、王宮の中を見て回った。昔、お母様やお父様に連れられて、王宮に来たことがあるので何となく分かる。だけどメイドも連れず一人で行くのは初めてだ。


 中庭へと向かうと美しいバラが見えた。ああ、ここでパトリック様とお茶会をしたな……。あいつの本性を全然見抜けなかったけど、ロマンチックだったな。

 そんな時、中庭の場所で野外用のテーブルと椅子を用意しているメイド達の声が聞こえた。私はそっとバラの生垣に隠れて彼女たちの会話を聞く。


「どうだった? 末のお姫様のお世話」

「もう大変よ。うるさいし面倒くさいったら、私の支度はまだなの? ていうのよ」


 私は衝撃的な事を聞いて息をのむ。


「ハルート公爵の次期当主と結婚する前にいろんな男に手を出したんだよね。噂の子爵の美形三男とも付き合っていたんでしょ」

「王宮は秘密にしようとしたんだけど、まさか公爵の次男と付き合っていることも発覚しちゃったんでしょう。それでハルート公爵の次期当主が正式に婚約破棄して前々からある王族の不祥事を公表したんだよね。病気療養と言う事で前王は退位して、王太子が王になったけどぶっちゃけ、ハルート公爵のブラウン様と前王の叔父の大公に決定権を握られているみたいよ」

「その後、お姫様はどうなっちゃったんだっけ」

「仕方が無いから王宮も別の婚約者を探して、ある伯爵の元に嫁がせたんだけど、一度も伯爵の屋敷に行っていないのよ。だから田舎の屋敷で子供と一緒にメイドと一緒に暮らしている」

「あれ? 子供もいたんだっけ?」

「女の子で誰の子か分からないそうよ。あのお姫様と付き合っていた男は全員、否定しているから」


 え? 私、ハルート公爵の子じゃ無かったの? でも、そういえばドロシーとトマスの父親も、お父様の子じゃ無いかもって言っていたし……。もしかしたら傷つける為の嘘だと思っていたのに。

 そうしてメイド達は「これで準備は終わったわね」と言ってどこかに行ってしまった。

 前の人生では考えられないくらいの最悪な真実だった。いや、嘘であってほしい。私は、私はハルート公爵家の一人娘で誰よりも美しくて、みんなから愛される子なのに!

 呆然としているとメイド達が準備していたテーブルに誰かが来ていた。


「ではパトリシア様、トマス様をお呼びしますね」

「はい。いつもありがとう」


 そう言って私と同じ十歳くらいの女の子が1人、椅子に座っていた。見た感じ黒髪で地味な女の子だった。パトリック様の代わりに生まれてきた子なんだけど全然似ていなかった。

 そしてメイドに連れられてトマスもやってきた。前回の人生では公爵家に慣れていないから緊張して仏頂面で過ごしていた彼だったが、ここでは柔和な笑みを浮かべてパトリシア様に挨拶していた。

 それにしても、なんて地味な二人なんだろうか……。

 パトリシアは黒髪でドレスもレースがあまり無いし、トマスはこげ茶色で平凡な顔をしている。本当に王族と公爵の子供同士なのか? ってくらい華やかさが無い。しかも話の内容が本の感想を言い合っているだけだし。

 この二人がここでお茶会していて、バラも可哀そうである。


 私みたいな可愛らしい子の方が相応しいでしょ!


 そう思っていると、あいつらを貶めてやろうと思った。そうだ、トマスと私が付き合っているという事にして、パトリシアを傷つけてやろう。

 穏やかに本なんてつまらない物の感想を言い合っている二人の前に行こうとしたら、メイドに止められた。


「ねえ、あなた、誰なの?」

「ちょっと気安く触らないで! 私は王族の者なのよ!」


 そう言うとメイドがハッとなった所で、私は素早くトマスとパトリシアのいるテーブルに向かった。二人とも私を見て驚いている。多分、私が美しいからだろう。

 キョトンとしたトマスは「え? 君、誰?」が言い、私は猫なで声で「酷いわ、トマス様。私と付き合っていたんでしょう」と言おうとした時だった。


「ねえ、あなたの指、泥だらけよ。大丈夫?」


 パトリシアの言葉にどういう事? と思って自分の指を見る。すると彼女の言う通り、泥水がボトボトと滴り落ちていた。


 え? 何で? この人生でも泥水が出ているの?


 泥水で汚くなった私のドレスを見て「嫌!」としりもちをついた。すると指の泥が跳ねて、綺麗な石畳やバラに泥が付いてしまい、メイド達が小さな悲鳴を上げる。

 すると聞きなれた声で「どうなさいました?」と聞こえていた。


 あ、メリーだ!


 柔らかい安心感が広がってきた。前の人生でもメリーは泥水が出ていても、私を助けてくれた。だから今回もきっと味方だ。

 だけど私を見るなりメリーは汚いものを見るような目で見て、すぐにパトリシアとトマスの方に向かった。


「申し訳ございません、パトリシア様。驚かせてしまいましたね。別の部屋でお茶を用意しましょう。さあ、トマス様も」

 

 そう言って他のメイドと一緒に二人をその場から離れさせた後、素早く他のメイドにこういった。


「さっさとあの子を摘まみだしなさい」

「ですが、この子は王族の子だって自分で言っていて……」

「恐らくあのお姫様の子でしょう。さっさと追い出しなさい」


 そう言ってメイド達は私の腕を持って、無理やり立たせて追い出そうとした。メリーは私なんて見ようとしないで、パトリシアの行った方へと向かおうとしていたので、大声を出して呼ぶ。


「待って、メリー! ねえ、私よ! チェルシーよ!」


 だがメリーは私の方に来ることもなく、去ってしまった。


 何で? 何で、メリーは私を見ないの? ずっと前の人生から味方だったじゃない!


 暴れると私の指から出る泥が跳ねて、メイド達は悲鳴を上げて「汚い!」と酷い事を言う。そしてパッと腕を離した瞬間、私は駆け出した。

 悲しくて涙が出てくる。何で、こんな目にあうの? そう思ってお母様のいる所へと向かった。だけど客間にはお母様はいなかった。

 どこかに行ったのかしら? と思ってメイドに聞こうとすると、その前に悲鳴を上げられた。


「なんてこと! 泥だらけじゃない!」


 そして泥だらけにした私を睨んで、「もう! 何てことしたの!」と怒り出した。私、メイドどころかメリーにすら怒られたこと無いのに……。

 怒り返そうと思ったら、「チェルシー!」とお母様の声が聞こえてきた。


「何なの? その手!」

「あ、あのね」

「今日から王宮で暮らすんだから、綺麗にしておきなさい!」


 語気を荒げてお母様に言われてしまい、涙が出てきた。急いでドレスで手を拭いても、指先から泥が滴り落ちていた。




 こうして私とお母様は王宮で暮らす事になったけど、生活は田舎の屋敷の方がまだマシなくらい不自由だった。大きな宮殿から離れた塔で部屋は狭く、メイドはおらず、ご飯も質素だし、外に出られなかった。

 しかも私は指先から泥が出るので、部屋を汚しているとお母様に怒られる毎日だった。掃除してほしいのにメイドは来ない。食事を持ってくるのは騎士の人で掃除してほしいと言ったら、掃除用具を渡された。自分でやれって事らしい。

 やったことが無いし、何で私がやらないといけないの! もう公爵家の人間じゃ無いけど、王族の人間なのに! それに前の人生だってやったこと無いのに!

 そう思っても、やらないとどんどん汚れてお母様に怒られる。ものすごく嫌だった。

 だけどお母様は一年後、病に倒れてしまった。医師に見せても治せないの一点張りだった。そうしてお母様は恨み言を言いながら死んでいった。


 お母様が亡くなった後、私は一人、塔の部屋で過ごしていた。泥をまき散らしながら。

 部屋に入る人間は眉をひそめて「汚い」と言い、食事も無造作に置かれるようになった。しかも食事は食器が無く、パンを手で食べないといけない。そうなると必然的に指から出る泥で汚れてしまう。泥がついても食べないとお腹が空く。悲しかった。


「何で私がこんな目に……」


 そう呟いていると「まだ分からないんだ」と声が聞こえてきた。泥だらけの部屋の隅で女の子が立っていた。


 ドロシーだった。


 思わず「何でいるの?」と言うとドロシーは笑って、「私がこの泥だからだよ」と話し出した。


「チェルシー様はいつも言っていたでしょ。泥水とかドロドロドロシーとか。だから私、泥水になったの」


 そう言って嬉しそうに笑う。それがやけに腹が立ったが怒鳴ったらひどい目にあうと思い、私は懇願した。


「ねえ、お願いよ。ドロシー。もう泥を出さないで、もうイジメないから」


 ドロシーは人が良くて優しい子だ。それをいつだって逆手にとって私はいじめていたし、メイド達は仕事をドンドン押し付けていった。

 だけどドロシーは何にも言わずに笑みを浮かべるだけだった。それに腹が立って、前回の人生のように怒鳴りつけた。


「何よ! ドロシーのくせに」

「あなたも、ただのチェルシーよ」


 まさか歯向かうとは思わなかったので、私は驚いてしまった。そしてドロシーは私に臆せず話しだす。


「今までの人生は【ハルート公爵家】の人間だったから、あなたはちやほやされていただけ。例え汚い泥水が滴り落ちても、あなたは生まれが良かったから周りが集まってきたのよ」

「……」

「だけど今の人生は違う。どこの誰かの子かも分からない男と自分が一番であることしか考えていないお姫様の子供。しかもあなたの存在は王宮の恥のような存在。王族の血があったとしても疎まれて当然ね。あなたが味方だと思っていたメリーだって、ハルート公爵家のために動いて何度も人生をやり直していただけ。あなたが公爵の人間じゃ無かったら、助けるわけが無いわ」

「何よ! ドロシーのくせに!」

「泥水が滴り落ちてるチェルシーに言われたくないわ」


 そう言い返してドロシーは笑って、私は何にも返せずに呆然としていた。そして自然と目から涙を流しながら「何なのよ、この人生」と呟く。


「何度も何度も繰り返しているけど、どんどんと悪くなるばかりじゃない」

「あなたが何もしないからね」

「当たり前でしょ! 私は貴族よ! 敬われて当然なの! 人から奉仕されて当たり前なの!」

「それが私を何度もいじめる理由なの?」


 そう言ってドロシーは恐ろしい笑みを浮かべて私の手を握った。


「あなたは一回目の人生も二回目の人生も私を苛めてきた。そして三回目も懲りずに私をいじめようとして来た」

「あなた、時間が巻き戻っていることを知っているの?」

「生きていた時は分からなかった。だけど三回目の人生の時、あなたのドレスを破いたと言われ、裏の物置に閉じ込められた時に願ったの。私の人生はどうでもいいから、どうかチェルシーを不幸にしてほしいって願ったの。そしたら私は池に変わり、あなたは落ちて指から泥が出るようになった」

「あんたのせいで泥が出てくるようになったの?」


 ドロシーは頷き、私は引っ叩こうとしたが我慢した。ここで彼女を説得させて、泥を出さないようにお願いしようと考えた。


「ねえ、ドロシー。私、十分反省した」

「……」

「あなたの事を苛めてごめんなさい。ずっと辛い思いをさせてしまったね。これからはちゃんとあなたを一人の人間として扱ってイジメないわ。だから……」

「無理だよ」


 ドロシーの言葉にどういう事? と思っていると彼女は馬鹿にしたように笑った。


「言ったよね、私の人生はどうでもいいからって。だから前の人生でも今の人生でも私は赤ちゃんの時に死んで、トマスお兄様が生きているの。例え、あなたが私をいじめないって誓っても私が生き返ることは無いの。今、目の前にいる私は三回目の人生の時に折檻を受けて物置小屋で死んだ時の私なの」

「……え?」

「もう私は自分を幸せにすることは出来なくなってしまったわ。だから人生を何度も繰り返しても私をいじめようとするあなたを不幸にしてあげる」


 私は「やめてって言っているでしょう!」と叫んで、ドロシーの頬を引っ叩く。しかし手には叩いた感触が無かった。見るとドロシーは泥になっていき、床に落ちていく。

 そして泥だらけの部屋が泥水で溢れる沼に変わっていった。

 突然、床が抜けてしまい私は悲鳴を上げてしりもちをつき、沼に落ちたように徐々に沈んでいった。


「いや! ドロシー! やめて!」


 私が叫んでもドロシーの笑い声が聞こえるだけだった。




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ドロドロドロシーさん。「ドロシー」としての人生は終わったけれど、「泥水」としての人生…、存在生?は有るのだから、そう諦観する必要は無いはずです。 私は、復讐を遂げた後の貴女に、幸せが有ることを願います…
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