一方通行の二乗
吐く息が白かった。
一歩ごとに足元でざくざくと雪が鳴り、防寒着が風にバタバタと音をたてる。ぼくはタンチョウヅルが逃げやしないかと首をすくめて、目の前でゆれるコーヒーの湯気をそっと吹きとばした。
白い世界に、黒い防寒着をきたぼくらだけがぽつんと取り残されている。
「コーヒーできましたよ」
「ありがとう」
双眼鏡から目をはなさないチカさんのとなりに、魔法ビンのふたをもってすわった。切れ目なくつづいていた湯気がだんだん消えていく。自分の分をすばやく飲み干して、チカさんの分を両手で包んだ。
「あ、ごめん」
チカさんは横目で湯気の減ったコーヒーを見た。それからすぐに雪原に目をやって、双眼鏡をのぞいたまま器用にコップを受け取り、熱いものをすするようにちびちびと飲んだ。
「天気も悪くなってきたし、そろそろ帰りましょうよ。風邪ひきますって」
「ん、もうちょっと」
このコーヒー飲んでから、もうちょっとだけ、あのつがいが飛んでいくまで……さっきからずっと同じことをくりかえしている。
タンチョウヅルの求愛ダンスを見たいと言いだしたのはチカさんだった。ぼくはそれにつきあう格好で、北海道までついてきた。子供のころに見たテレビドラマを思いだして、チカさんと一緒に見られたらいいなぁとか、求愛ダンスを見るのはむずかしいらしいから冬休み中一緒にいられるかもしれないとか、鳥とはあまり関係ないことを考えていた。
「あったまらないと、凍傷になっちゃいますよ」
チカさんは空になったコップを雪の上に置くとポケットをさぐり、カイロを赤くなったほっぺたにこすりつけた。
「だって。目をはなしてる間に踊りだすかもしれないじゃない」
もしよそ見をしている間にタンチョウヅルが踊りをすませてしまうなら、さっきから雪原をろくに見ていないぼくなんて、まちがいなく求愛ダンスを見られないだろう。雪の中でがまんしているのに肝心のダンスが見られないのは寂しい。ぼくは身を乗りだして双眼鏡を目にあてた。すぐにあきた。テレビドラマの主人公がタンチョウヅルについて暑苦しいくらいに語っているのを見て、「またはじまった」なんてあきれながら笑ったものだけれど、今になってあの語りのありがたさに気付くほど、チカさんはよけいなことをしゃべらなかった。
雪の重さに枝がしなって大きくたわんで戻っても、枝は白いままだった。樹氷におおわれているらしい。めずらしくて、あらためてあたりを見まわした。
白い世界から、ぼくらは見事に浮いていた。急に寒さがつきぬけて、全身がぶるっとふるえる。チカさんの足元の黒々としたコーヒーは仲間のように思えて心強かった。ぼくはもう一杯、コーヒーをいれることにした。
「よくあきないなぁって思ってるんでしょう? 見てるだけでもいいの。好きだから」
ぼくは苦笑いしながらうなずいて、コーヒーのおかわりを手渡した。