-monster children-
家に帰ってから風呂に入りご飯の前に体重計にのるが体重体脂肪共に問題ないように思う。
なんなら前はもっと高かったであろうBMIに至っては口にこそ出来ないが以前より健康になっているとすら言えるだろう。
いったい彼らが、そう少年だけでなく山川すら気付いているらしい私の不調がますます分からない。
部屋に戻ってスマホで調べようと検索画面を開いてはみたが、どう調べればいいのかすら分からず途方に暮れていると階下から弟のご飯だよコールがかかったのでリビングに降りた。
四角い机の上には四つのトンカツ定食が並んでいて、何かの試合や勝負事の前日にだけ顔を出す母自慢の料理なのに、はて明日は何かあっただろうかと考える。
「ゆう、明日は試合だったっけ?」
「え、違うよ?お姉ちゃんじゃないの?」
「いやいや、あたしは帰宅部だから試合とかないし。じゃあお父さん?」
「お父さんのゴルフは接待だから勝っちゃダメなの知ってるだろ?まあなんだっていいじゃないか、母さんのトンカツはそこらの店よりずっと美味しいんだから。」
父の言葉にそれもそうかと思っていると母が卓に着いたのでみんなで手を合わせていただきますをする。
よその家では塾や部活で忙しいということもあり同級生はもうこういった事から卒業しているらしいが、母が土曜日の夕飯だけは絶対に家族そろってご飯を食べると断固として譲らないためだ。
一度友達と長々とファミレスで買い食いして帰ったことがあるのだが、その日夕飯の席に着かなかったせいで拗ねられたことがある。
あれは大変だった。
なにせそれから一週間誰ともまともに話さないのに、ご飯はそれまで通り作ってくれるのだから余計に恐ろしかったのだ。
それ以来私達は自ら土曜日の門限を科し過ごしてきたのだが、今手が止まっている事に戦慄する。
これはまずい。
もちろん母特性のトンカツがではない。昼にわんこ蕎麦のごとく飲んだカステラによって招かれているこの状況がだ。いくら絶品だとはいえ当然質量はあるのだから調子にのるべきではなかった。
今更どれだけ悔やんでも仕方ないので覚悟を決める。キャベツと味噌汁で流し込むように盛られた白米とトンカツを飲み込んでいく姿に、弟がブルドーザーみたいと目を輝かせているがそれに構っている余裕はない。
茶碗に米の一粒も残さず平らげ天を仰ぐように息を吐く。
私はやり遂げたのだ。
これで我が家の安寧は守られた。
そう思っていると目の前の皿にガサリと音がし何事かと目を向けると、先ほど空にしたはずの平皿に乗るまっさらなトンカツが目に入った。
「そんなにお腹すいてたんなら言ってくれればよかったのに。お代わりならまだあるから急がずによく噛んで食べなさい。」
無慈悲にも盛りなおされるキャベツに絶望を覚えるも、確かに中学生の頃お腹の減っている日は二人前食べていたのを思いだして過去の自分を恨みたくなる。
母のどこか嬉しそうな顔に決死の覚悟を決めると脳内で第二ラウンドのゴングが高らかに鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
「タイム!そろそろ出来てると思うんだよね。」
時計を見上げると話し始めから早くも一時間が過ぎており、ご飯の話をしたことで話者の腹の虫は大泣きしたので一次中断する運びとなった。
そろそろ自分の登場する頃だと思っていた羽曳野冬華は肩透かしを食らったように若干がっかりしているが、そんな事などお構いなしになにやら火箸で暖炉の底を引っ搔き回す大女は話し始める前に仕込んでいたアルミホイルの塊を探り当て取り出すことに成功した。
「じゃじゃーん。焼き芋と焼き林檎ー。」
「何をしているのかと思えば。まあいいわ、少し休憩にしましょう。珈琲と紅茶、ああそうだった、貴女はホットミルクの方がいいのかしら?」
「子供扱いするんじゃないやい。あたしはいつも通り牛乳砂糖マシマシミルクティーで。」
このやり取りも何度目だろうか自称彼女の右腕こと冬華は目を細める。
牛乳好きで甘党な相棒は冬の夜中に目が覚めると毎回こっそりホットミルクを飲んでいるくせに、人前では意地を張って決して飲もうとはしない事を思い出すと自然と笑みが零れてしまう。
キッチンでケトルに水を入れ沸騰するのを待つ間、隻腕の友人はあちちと苦戦をしながらも暖炉から出したばかりのアルミホイルを剥けたようで、まな板に出したトロトロの薩摩芋と林檎を真っ二つにすべく包丁を握っているが、右腕のない彼女にとって熱を帯び且つ不安定なそれらを火傷せぬよう固定するのは中々に難しいらしく、結局冬華に任せるのだった。
優秀な片腕のお陰で芋は真半分にされ端は掴みやすいようアルミホイルが巻かれており、リンゴはひと口大にカットされフォークを添えてリビングに運ばれる。
待ってましたと先に卓に着いて舌なめずりする大女と冬華は仲良く手を合わせる。
しっかり中心まで火が通りきった芋に齧りつき、すぐさま火傷すまいとミルクティーに口を付けることを見越して少し温めに作ったのは正解だったようだと羽曳野冬華は一人微笑む。
対面に座る主人公とは対極に刺した林檎をふうふうと慎重に冷まして口に運ぶと基本的に雑な大女にしては珍しく手間をかけたようで、アルミホイルの中でバターとシナモンに味付けられカラメル色となった果実はより凝縮され濃厚となった蜜で口内を満たしてくるのだった。
一向に弱まる気配がないどころか、時を増すごとに強くなる暴風雪に今晩や明日到着予定の他のメンバーがちゃんと着けるだろうかなんて話しながら、ここまで話した内容を元に書かれた物語を読んだ筋肉女子は簡単でもいいからと感想を求められ腕を組んで唸っている。
真っ黒な珈琲を飲みながら余裕の表情を繕っているものの、やはり自分の書いた物語を人に評価されるというこの瞬間は毎回楽しみでありながらも怖くもある文系女子は細かく揺れる水面に目を落とし、最も大切な読者の口から発せられる次の言葉を戦々恐々の思いで待っていた。
「一番最初のとこなんだけどさ、隕石が落ちてくるのを一人で坂の上から眺めてる夢観てたって言ったのが、こんなに描写されるなんて思ってなかった。文系ってすげーって感じ。」
あんなに時間をかけてじっくり読んでいた癖に思っていた以上に浅い感想に笑い出してしまいそうになり、丁度のどに差し掛かっていた珈琲にむせながらそう有難うと礼を伝える。
純粋な賞賛は確かに嬉しいが参考には全くならないので、取り合えず冬華から確認して話者の記憶と相違ないことの確認が取れ、続きを書くべく万年筆を手に取った。
「さあ、そろそろ再開しましょ。次はとうとう私が出てくるところからかしら。」
気体の籠った眼差しにこれまでより真剣に思い出さねばと腕を組み、主人公は重々しく口を開いた。
「そうだね、次の日曜日だったかな……。」
◇ ◇ ◇
日曜日の昼前。
遊ぶ約束をしていた羽曳野冬華と共に大阪の心斎橋に訪れているが、どうやら体調不良を悟られたらしく休憩がてら映画までの時間つぶしのウィンドウショッピングの予定を喫茶店で過ごすハメになっていた。
昨晩まさかの第三ラウンドまでもつれこんだ私の様子を見て、新たにカツを揚げようとする母にギブアップを申し込んだのだが摂取したトンカツ達が胃袋に凭れに凭れ、もはや寝転がっている状態なのでどうしようもないのだ。
朝も何も欲しくなかったので食べていないがそれでもなお腹が張っている。
明日から本気で運動して蓄えたエネルギーを消費しなければと思いながら、僅かに生まれている隙間を埋めるように一杯八百円もするお高いミルクティーを少しづつ流し込む。
対面する友人に体調不良の理由を教えると可笑しそうに笑っているので、まあ話のネタになったのならいいのかもしれない。
「それで一晩経ってもしんどそうなのね。」
「当事者としては全然面白くないんだけどね。」
「いいじゃない。お母さんの手料理なんていつかは食べられなくなっちゃうんだから、食べられるときにしっかり食べときなさい。」
「それ冬華に言われると反論できねえんすけど。」
冬華曰く、父から聞いた話によると彼女の母は娘が生まれて数年で不甲斐ない父に愛想を尽かし出て行ってしまったそうなのだ。
父子家庭ながら普段からその苦労などおくびにも出さず毅然と過ごし、稀にではあるがこのように冗談めかした助言まで言える強さには尊敬しかない。
生まれてこの方ずっと文系ですといった雰囲気で黒髪ロングの色白美少女と、元々中学まではバスケをしていて今も偶に運動部の手伝いをしている高身長女子がつるんでいるのを意外なコンビだと言う人もいるが、数か月前入学前の夏休みで起こったとある出来事から先、どうにも放っておけないのだ。
「そうだ、ちょっと聞きたいんだけど、あたしって最近どっか変かな?」
「別にいつも通りだと思うけれど。もし今が変だって言うなら普段から変なんじゃないかしら?」
「隙あらば茶化すとこほんと陰キャ。真面目に聞いてんの。」
「どうとでも。心許せる友人がいるのなら陰も陽も関係なく勝ち組じゃない?気になっているのなら一度しっかり診るからこっちへ来て一回転してみなさい。」
言われるがままに椅子を引いて立ち、目の前の席に座る友人の横へと移動してゆっくり一回転してみせる。
コンタクトの上から度の入っていない眼鏡を掛けて観察し口許に手を当て、ふむむと考えこんでからもう一回と言われたので、周囲の客に奇異の目を向けられているのを感じながらもう一回転。
今度は冬華も立ってまるで衣装モデルの着こなしを見るマネージャーのように、足の先から頭の先までをじっくり見ると座るよう促され小さな声で完結に告げられる。
「背が縮んでるわね。」
「いや真面目な顔して人のコンプレックスをネタにすんな。」
「いえ本当よ。なんで今まで気が付かなかったのかしら。もしかしたら夏の事に関係してるかもしれないし、明日学校へ行ったら保健室で測ってみましょうよ。」
真実か否かは置いといてどうやら本気らしい彼女の言葉が気になりすぎて、その後に観た観客わずか九人の為に上映された二時間4000円という高額なピエロ映画の内容はまるで頭に入って来なかった。
帰宅して部屋に戻ってからの記憶は定かではないが、いつの間にか眠っていたようで階下の母から遣わされた歳の離れた弟の元気な夕飯コールに起こされる。
父はゴルフからの飲み会で居ないので今日は三人で黙々と食し、リビングのソファーで寛いだ後ゆったりと湯舟に肩まで浸かって違和感を感じた。
なんだろうと思うが疲れた頭ではうまく思考できず、何かが浮かんでは靄となり纏まらないまま考えている内に、今度は母から早く出ろコールが来たので渋々風呂を上がる。
脱衣所で汗を拭き鏡の前に立ち、短い髪にドライヤーを当てていて先ほどまで湯船で感じていた気持ち悪さが氷解した。
腰を曲げなくても全身が鏡に映っていたのだ。
ここ数年髪を整える際はわざわざ腰を屈めてセットしなければならなかったのだが、今は背筋を伸ばしたままセットが出来てしまう。
「あっつ!?」
脳内を埋め尽くす困惑と僅かな喜びに身が固まっている間、ドライヤーのターボ風を同じ所に当てすぎてしまい火傷しそうになったがそんなことどうでもいい。
昼に冬華から背が縮んでいると言われた時は全く実感が無かったので正直信じていなかったし、そんな夢みたいなことあるもんかと思っていたのだが、現状を鑑みるに彼女の言葉はどうやら本当のようだ。
明日学校に行ったら保健室にある測定器で今何センチになっっているのかを真面目に測ろうと思う。
こんなに月曜日が待ち遠しい日が訪れるなんて思ってもみなかった。