-monster children-
「はて、今日は来客の予約はなかったと思うが。」
玄関に向かう背を座ったまま見送ったが好奇心には勝てず、開けっぱなしの襖から顔を半分ほど覗かせて訪問者を待ち受ける。
当然の様に鍵をしていない戸を開くと、そこには時代劇でしか見たことのないような笠をかぶった黒い影が立っていた。
家主の肩越しではよく見えず懸命に目を凝らして集中していると、暇を持て余した山川が私の真似をするように後ろから盗み見仲間に加わる。
「誰が決ましてん?」
「さあ、よくわかんないです。」
「どれ、ほなワテが見定めましょ。あのぼっろい笠に顔全面の黒い毛。ありゃムジナやな。」
「目がいいんですね。人性のムジナってことは化け狸かアナグマですかね。それにしても人性生物って空気や水の綺麗な山の高い所に住んでるイメージあったんですけど、山川ビンゴノ…、山川さんみたいな河童だけじゃなくて、ムジナまでこんな町に近い所にいるなんて思ってもみませんでした。」
「そんな人をオオサンショウウオみたいに言わんでくれる?ワテらかて人狼みたいにデパートや遊園地行ったりで結構普通に人間の作った町ん中出歩いてるねんで?あと人性生物やのうて怪異な。」
最期のめんどくさい訂正はスルーするがまた面白い話が出てきた。
ずっと昔に人性生物から人に分類が変更された人狼や人猫なら学校にも居るので何処で観かけても違和感はないが、河童が町に遊びにくるなんて話は聞いた事がない。
遊具にはしゃぐ河童の子供を想像し実際に見てみたくなったので、何処の遊園地に行くのかと口を開こうとすると玄関の戸が閉められる。
足音が庭側に移動し始めたので今度は速やかに二人でちゃぶ台に戻り縁側を注視していると、見慣れた赤髪の後ろを歩く前者より少し大きい背丈の化け狸と目が合った。
彼は不躾にも文字通りの狸顔を凝視されたにも不快を表さず、それどころか丁寧な仕草で提げていた笠を胸元に移動させ挨拶をしてくれた。
「おやこれは失礼致しました。先客がいらしたとは露知らずとんだ御無礼を。私は佐渡狸の金子と申します。」
「構わぬ気にするな。片方の用事はもう済んでいるし、もう片方はそもそもどうでもいい。」
「お嬢はんどうでもええとか言われてまっせ。」
それは山川さんの担当だと思いますという言葉を喉の奥に押し込み、私も自己紹介を返すと隣の河童も真似をする。
「ワテは山川備後守太郎左衛門いうんや。この辺では知らんもんはおらんけど自分は初めてみる顔やな。まあなんかあったら助けてもらうさかいあんじょうよろしゅうな。」
「おお、貴方があの有名な流れ河童の山川さんですか。未だに電気も自由に使えないうちの田舎まで話は伝わって来ていますよ。」
「せやろ?へっへっ、聞いたかお嬢はん。ワテこれでも結構有名河童なんやで?」
「有名といっても悪名の方だろうよ。金子よ、急用で来たのではなかったか?」
「そうでした。ではお二方私はこれにて。塵塚様よろしくお願いします。」
私達のいる客間と池の間を横切り、そのまま奥へと二人は消えていった。
「あっちには何があるんですか?」
「そりゃあ塵塚はんは図書館の管理人さんやし、この客間に通さへんかったんならそっち行ったんちゃいまっか?」
そういえば葉書の宛名にも八玉図書館という名前があったのを思い出し、此処はあまり町では見かけない人性生物達の為の図書館なのかと思うとまたしても興味がふつふつと湧き出てくる。
先程の池の事もそうだが、どうもこの家は普段の生活とは少し違う刺激に溢れていて好奇心が止まらない。
そんな気持ちを表情から察したのか黄色い嘴から発せられた誘い文句に、大人しくしていた方が無難という弱々しい正論程度が打ち勝てる訳がなかった。
急いで靴を履いて縁側に回り、ペタペタと前を行く深緑の甲羅を追って行くと板塀で隠れていた向こうが露となり、先程まで眺めていた鹿威し付きの庭池がこの家の庭全体に対して氷山の一角であったことを思い知る。
今まで居た家屋だけでも十分に立派なのだが、恐らくあれは元々離れのようなものだったのではなかろうか。
少し進んであれが図書館やでと水かき付きの手で指し示されたのは、山奥にある老舗の旅館か旧家の屋敷のような佇まいの館だった。
おそらく一見して中身が図書館だと気づけるものはそういないだろう。
少なくとも私の通っていた小学校より大きいことは確かな木造建築がどれほどの歴史を重ねてきたか知れないが、良く手入れされているからか、古さから威厳こそ感じれど襤褸さは皆無である。
和風建築は美しいながらも木材が基調ということもあって傷みやすく月日を重ねることで自然に倒壊したり、耐久面を考慮した上の建て替えで数は減るばかりと聞いた事がある。
そんなご時世に今も悠然と佇んでいる目の前の建築物がいかに貴重な物であるかなど考えるまでもないだろう。
感嘆の息を漏らしながら無意識にスマホで写真を撮り、少し角度を変えてもう一枚撮ってから少し進むと、今度はだんじりや櫓などでしか見たことのない見事な木彫り彫刻に極彩色の着色を施された大戸口が表われた。
息吹すら感じる鎧武者や空想の生物達、爛々と光る龍と鷲の瞳は潜る者を見定めるかのように玄関を睨んでおり、弾かれては堪らないと背筋を伸ばして入場する体制を整える。
「何もたもたしてんねん。はよおいでえな。」
此方の緊張などまるで理解していない山川は先に屋根の下に入っていて、式台に座り脇に置かれている布巾で足の裏を拭ってからドラッグストアでよく見かけるアルコールティッシュで膜の裏表の皺まで丁寧に消毒していた。
緊張で顔を強張らせたまま木製門番達の間を抜け玄関土間に入り隣に習って座る。
普段は適当に靴の内側と踵をこすり合わせて脱いでいるが、どうにも丁寧な所作を作らずにはおられず、慣れぬ手つきで恐縮だが靴の踵を握って可能な限り上品に脱いでから顔を上げると、両脇に靴棚が目に入ったので今脱いだばかりのローファーを収め、木箱の中のスリッパへと履き替えた。
「ほな行こか。ほんでお嬢はんは何が好きなんや?」
「何がとは?」
「図書館に来たがったんやし、なんか読みたいもんでもあるんかって。」
正直内観をじっくり見て回りたい気持ちの方が強かったが、そういった目的の建物ではなくあくまで図書館なので本来の使い方をすべきだろうと頭を切り替える。
しかし幼い頃は近所の図書館に通っていた記憶があるのだが、スマホを持ってからというもの読むものと言えば無料で読める漫画ばかりだったので、急に好きな本を問われて困ってしまう。
ここは入り口なので何処か目の付く所に案内板などないかと目を迷わせるがそんな物は置いていないようだ。
山川の質問になかなか答えを返せずにいると呆れたような声音が飛んでくる。
「さてはお嬢はん普段あんまし本とか読まへんな?せやったら取り合えず人気の本が並んどるとこ行こか。」
再びまるで勝手知ったる我が家の様に闊歩する河童の後ろに付いて進む。
玄関を入って左手に伸びる畳製の通路を進むとそこは池を望むくれ縁となっていて、その終着点には黒い木目で遠目にも重厚そうな扉が見えた。
くれ縁から望む大きなお庭に目を向けると灌木の緑の向こうに顔を覗かせる紅葉はまるで宙に浮いているかに見え、計算されつくして配置された池泉には言葉に形容しがたい感情が滲み出すように生まれる。
もしかするとこれが侘び寂びというものなのではと思いながら進み続けると、その庭の厳かな雰囲気に合わせたような落ち着いた色合いの黒壇扉に付けられた金ノブが回され、キィと小さな音に観覧の終了を告げられた。
「着いたで。こっから先は司書はんがおるさかい、静かにしいや。」
「塵塚君以外にも働いている人がいるんですね。」
「せやで。塵塚はんは反対側の色んな専門書置いとる旧館がメインで、こっちは小説と司書はんのセンスで集めた本が置かれとるんや。」
木彫り彫刻の施された真っ黒な扉に光る金ノブを水かきの付いた三本指が器用に握り開くと、その向こうにはこれまでの和風とは対照的な洋風内装が目に入ってくる。
外観とのギャップに戸惑いながら名残惜しさを振り切るように足を踏み入れた途端、不思議な感覚に襲われ唐突に吐き気がせり上がりたまらず膝をついた。
「ああそうそう。この部屋なんやけど、けったいな仕掛けつことるらしいから入る時はちいと気い張りや。別に危ないもんやないらしいけど、なんちゅうかこうグラッっと、って遅かったな堪忍やで。」
遅すぎる忠告を聞きながら屈んだまま深呼吸を二度三度すると、乗り物酔いに似た気持ち悪い感覚が徐々に消えていき数秒で落ち着いた。
なんとか入り口の内壁に手をつきながら立てる程度に回復したので改めて首を回すと、壁一面が本棚で埋め尽くされており、なんなら今自分の支えにしている物も壁でなく棚であった事に気が付く。
異様な事だが外観よりも明らかに高い位置に存在する六角形のガラス天井までぎっしりと並べられた本棚には、隙間なく書物が敷き詰められており何万冊もの本が収められているであろうことが容易に見て取れた。
ぽけっと口を開いたまま見上げすぎて首が痛くなったので前方に目を戻すと、建物中央に半円状のカウンターがありその中に動く人影を見つける。
カウンターまでの距離は目測だが陸上部の手伝いで一緒に走らされている直線の三倍くらいの距離なので凡そ三百メートル位だろうか。
影がなにかごそごそと動いているのを眺めていると、唐突に支えにしていた壁もとい本棚から電話のコール音が鳴り始め、何事かと格納されているものが見えるよう正面に回る。
見ると他のものと違いこの棚には本ではなく携帯端末が飾られており、その中の一つが画面を明滅させながら呼び出し音を発していた。
山川が慣れた仕草でその光る端末を手に取り正面に構えながら二言三言交わすと、役目を終えたであろうそれを棚には戻さず私に手渡して来る。
「これ戻さなくていいんですか?」
「この図書館広いやろ?人来るたんびに動いとったら司書はん仕事になれへんから、こん中なら全部目の届くあっこから電話で色々なやりとりすんねん。あ、でも帰り際に持って帰らへんよう気いつけや?見た目より高いらしいで~それ。ワテが持って帰った時なんやけど、たまたま金に困っとったから質屋に売ったんがなんでか知らんけど早々にばれてもうてな。あとで司書はんから大目玉くろうたから間違っても何個かちょろまかして売ろうなんて思うもんやないで。」
施設の貸し出し品を借りパクどころか金に換えようなど今までの人性で一匙も考えた事すらなかったので、もしかするとこの河童は言葉は通じるが自分とは異次元の常識で生きているのではないかと疑いつつブレザーのポケットへ端末を滑り込ませた。
カウンターまでの通路を示すように床全体に蜘蛛の巣上に敷かれたカーペットが敷かれており、柔らかさだけでなく暖かさまで感じられるのは、スリッパはおろか靴下もはけない山川のような足でも冷たくないようにという配慮なのだろうか。
なんにせよ高給なカーペットである事は確かだろう。
ここまで縁側を歩くときはひたひたと音を鳴らしていた水かき付きの足もここでは静謐さを崩すことが許されないようだ。
床の中心を走る通路の脇には、蜘蛛の巣の隙間に当たる位置に点々と高級そうな一人掛けソファと、それに連結するように設えたスタンドの付きのサイドテーブルがあり、この図書館が勉強用ではなく読書に没頭したい人の為の施設である事を暗に伝えて来る。
しかしこんなに立派な図書館にも関わらず、他に利用者が見当たらないのはそもそも存在を知られていないからだろうか。
珍しく黙っている山川の後ろを歩みながら周囲を見回してみるが、文字通り人っ子一人見当たらない。
周囲を眺めながら進んでいるといつの間にか中央カウンター近くまでやって来ていたのだが、やたら薄い本を読んでいる司書はまだこちらに気が付いていないようだ。
黒髪を基調とし所々白メッシュの入ったミディアムマッシュウルフの大人っぽい雰囲気の女性は、私達が目の前に立った頃にようやく此方に気が付いたようで、本をカウンターの引き出しに隠すようにいそいそとしまうと珈琲を一口飲み、落ち着くようにわざとらしい咳払いをしてから取ってつけたような態度で山川と目を合わせ定型句であろう言葉を発した。
「ようこそ八玉図書館へ。何用かな?」