-monster children-
坂の上にレンタサイクルと鞄を忘れてしまったので、この一週間は本当に大変だった。
自転車に関しては一万円で一先ずは許してもらえ、教科書類は全て学校に置いているので授業に関しては困らなかったのだが、学校の指定鞄以外で通学したことで生徒指導に怒られ、親にまで連絡をされそうになってしまった。
忘れた所に思い辺りがあるので来週には絶対に戻しますからと説得できたのは、相手がバレー部の顧問だったからだろう。
まさかこんなところで助っ人としての頑張りが実を結ぶとは思いもしなかった。
月曜日、塵塚邸に行けるのではないかと駅のエレベーターに乗って試してみたが、当たり前だが駅の一階と二階を往復するだけであの坂の上の家に移動することはなく、到着してもエレベーターから降りずに瞬きを繰り返す姿に、杖をついたおばあちゃんから珍妙な物を見る目を送られてしまった。
よく考えるまでまでもなく駅に限らず昇降機という物は押したボタンの階層に連れて行ってくれる機械なのだから、【家】のボタンが存在しない以上当然あの家に着くわけがない。
映画や漫画の様に階層ボタンを特定の順番で押すことで秘密の階層に繋がっているかもと色々と試そうとも思ったのだが、一階と二階を繋いでいるだけの駅のエレベーターにはその余地すらない事は明らかだった。
淡い期待ではあったが私がここに来たようにあの赤毛の少年が下りてくる可能性もなくはないはずだとしばらく張ってみたりもしたのだが、現実はそう上手くはいかないものである。
あれから三日が経過した火曜日。
昼過ぎの狂気的な眠気を起こさせる現代文の授業を聞き流していると、あの日帰り際に住所付きの葉書を貰ったことを奇跡的に思い出した。
授業が終わって直ぐにスマホ地図で書かれている住所を検索をしたところ、坂の上ではなく駅裏にある見た感じ空き家のような建物がヒットしたので間違いかと思ったが、もしかするとこれは情報が古いだけで本当はこの住所の横に書いてある【八玉図書館】とやらが有るのかもしれない。
電話やメールをハイカラというのだからあの少年はきっとスマホはおろかネットすらも使えないのだろうし、ホームページなんて期待するほうがおかしいだろう。
スマホの写真検索機能から読みを翻訳してもらい店名を調べてみたが案の定それらしい情報は何一つヒットしなかったので、とにかく一度実際に訪れてみることにしよう。
いつも利用する南口から駅を挟んだ反対側。
駅北商店街は高校に入学して暫くしてから初めて探検した場所だ。
駅南商店街が個人商店からドラッグストアやお洒落なカフェのフランチャイズなどに移行して存続しているのに対し、北側は対照的に寂れてしまったらしくシャッター以外の記憶がない。
端末に表示させた地図によると目標の住所は北側のメイン通りから少し外れた奥まった場所にあるようで、数ヶ月前の探索が甘く見逃したのかもしれないと思っていたのだが、残念ながらネットの情報が正しかったようで、そこには何年放置されているのかわからない襤褸い木造の空き家が佇んでいるだけだった。
入り口の曇ったガラスを一日分の水気を吸ったハンカチで拭いて中を覗き込んでもみたが、外観通り長い間誰かが立ち入った様子はなく、土間に置かれた空の棚は埃を飾るばかりだ。
いつ崩壊してもおかしくないとすら思える店内に立ち入ることは避けることにして、ポケットから取り出した葉書に言われた通り日時を記載し駅前郵便局の前にポツンと佇む、古式ゆかしい赤丸ポストへ投函して帰路についた。
土曜日の授業終わりから予測した時刻と、簡単なお礼の言葉を添えた葉書をポストに投函して数日。
スクールバックの代打として活躍してくれているリュックの底に、近所で買った鹿最中があるのを今一度確認してから背負う。もう少し子供の好みそうな物を選んだ方が良かっただろうかとも思うが、お礼の品として何を渡すのがいいのか悩んだ末、地元の銘菓に落ち着くのはあるあるだと思う。
言い訳という訳ではないが外箱には正倉院文様が使われ上品さがあり、肝心の最中も甘すぎない上に可愛さと奈良らしさを両立している鹿印の焼き印がチャーミングで私は気に入っている。
さて行くかと自転車のスタンドを蹴り飛ばし、道順を思い浮かべながらペダルに足をかける。
確か葉書を受け取った際に迎えに行くと言っていたような気がするが何処に迎えに来るのか聞いていないことに気が付いた。
取り合えず坂の方に向かおうと思い校門へ向かうと、周囲の学生が何か色めきたっている。普段であれば皆この後の予定や噂話などに話題に花を咲かせながらも、迷うことなく同一方向へ進むので渋滞していた事など無いのだが、今日に限っては話題は皆一緒なようで校門を出た所にイケメンが立っているという噂が出回っているらしく明らかに普段より歩みが遅い。
漏れ聞こえる声から内容を纏めると、背丈は155㎝位で長く癖のある赤髪をした和服の少年が誰かを待っているそうだ。嫌な予感がし姦しい声をかき分けるように間を縫って進むと、案の定あの子が堂々と立っていた。
大半は遠巻きに眺めながら牛歩でチラ見しつつ通り過ぎていくが、彼の方は周囲の目線など気にならないのかキッと真っ直ぐ校門を見据えたまま悠然と腹の前で腕を組んでいる。
校門脇で立ち止まっていた三人組グループが何か相談しているが、どうやら声を掛ける事に決定したようで動き始めた瞬間のことだった。
間の悪い事に彼は私を見つけたようでその手を挙げたのだ。
今まで謎の小さな整った顔に集中していた好奇の視線が、注目の的である対象の目線の先にいる私へと引越してきたのを肌で感じ血の気が引く。
質量すら感じる謎の圧に押し潰されそうになり逃げたくなるが、今回は此方が呼んだようなものであり無視するわけにもいかないので、速やかに彼を荷台に乗せその場を全速力で離脱する。
来週までに色々と根も葉もない噂が広がっていなければ良いのだが。
先週振りに坂の起点に立ち、肩で息をしながら生きる荷を下ろして歩道に入る。
傾斜と長さが見た目よりずっと厳しいのは先週身をもって体感したので、今日は荷物もとい少年と歩いて登るのだ。
「随分と急いでいたようだが何か火急の用でもあるのか?であればまた日を改めても構わぬが。」
「ううん、何もないよ。ただちょっと目立つのが苦手なんだ。」
歩きはじめの開口一番がこれである。
荒れた息を更に荒げて君のせいだよと頭を掴んで揺らしてやりたくもなるが、仮にも世話になった身なので口の端を引きつらせるだけに留めグッと堪えた。
自身が行った経験が無いのであくまで想像でしかないが、倒れてぐったりしている人間を家の中に運び込むのは大変だったのではないかと思う。もしかすると一人ではなく誰かに手伝ってもらったのかもしれないが、少なくとも私であれば自分よりも明らかに大きな人一人を担いで布団に寝かせるのには相当の労力を必要するだろう。
それを思うとあまり彼に強く当たることは出来ないと怒りの鉾を収めざるを得ないのだ。
ようやっと息が落ち着いてきたので改めて自転車越しに車道側を歩く、自分よりも頭一つ分以上小さな少年を観察する。
今日の装いは若草色の着物に紺の帯、羽織はお気に入りなのか同じ緋色の物だ。パっと見だがお世辞にも筋肉の付きが良いとは言えない、むしろ華奢な部類に入るであろう彼の腕で、先月行われたの身体測定で身長180ふふん㎝という自己ベストを更新し、運動部の手伝いでほんのりではあるが筋肉の付いている私をよく運んだものである。
ふと気が付いたが歩を進める度にザリザリと音がするので足元に目をやると、少年は何時代の人間なのか足袋に草鞋を履いていた。
たしかに服装には合っているが歩きづらくはないのだろうか。
言葉少なに半身先行されながら坂の上に到着すると、やはり先週と同じく質量を感じる程の濃霧が目の前に広がっている。
無我夢中で走って来たので失念していたが、またこの霧の中から不可視の力で押さえつけられて何かされやしないかと思うと足が竦んでしまうが、少年はそんな事にはまるで気が付いていない様子で歩を進めた。
この辺りはいつもこんな感じなのだろうかと恐る恐る付いていくと、隣でそういえばといった様子で何かを思い出したように袖の中を弄り始め、これを着けろと差し出された手には真っ黒な何の変哲もない布が握られている。
「視界が悪いのは怖かろう。これで目を覆うといい。」
受け取って改めて観察するがやはり漆黒のハチマキにしか見えない。
太陽に透かすと光が通り、間にある木の枝の輪郭もぼんやりと見える程薄手ではあるから、もしかすると布越しでも歩ける程度には透けて見えるかもしれないが、これで目隠しをしても視界が今よりも悪くなるのは必至なのにこの子は何を言っているのだろう。
そんなこちらの疑問など知った事ではないように、何をしている早くしろと言わんばかりに仏頂面のまま袖の中で腕を組んで待っているので、仕方なしに両目を覆って耳の上を通し頭の後ろでちょうちょ結びをする。
先導する彼が向きを変えたらずらすなり外すなりすればいいと画策していると、布で目を覆った辺りがぽうっと暖かくなるのを感じた。
当然予想通り世界は黒に染められたのだが、不思議なことに何度か瞬きをするうちに段々と目の前が明るく鮮明になってきたのだ。
暗順応にも似た感覚で目隠しをする前よりも遥かに鮮明となった視界に霧はなく、シャッターは閉まっているが八百屋や魚屋と思われる店達が軒並みを揃えている。
ふと先週ここで起こった事を思い出し鼓動を早くしながら周囲を見渡すが、心配していた喜色満面童子は影も形も無く胸をなでおろした。
結果はどうあれ同じ思いは二度としたくない。
今回は一人ではなく地元民も一緒という事もあり早々に落ち着くことが出来たので、次にこの布は高価な物なのではないかと推察し若干早口になりながらも先行する赤い背に声をかけた。
「この布ってもしかして遺物じゃない?高価な物なんじゃ。」
「人世ではそう呼ばれる類の物かもしれんが、私からすればただの布切れだ。腐るほど持っているし、使い道も他に思いつかぬゆえ遠慮は不要だ。」
言いながら尚も歩を進め続けるので遅れぬよう着いていく。
彼はまるでどうでもいい物のような言いぐさだったが遺物は世界でも稀にしか見つかることのない珍品で、オーパーツとも呼ばれるこれらは現代科学では未だ解明できない物が大半なのだ。一つ見つければ一生遊んで暮らせる金になるとも聞いた事もある。
一昔前は遺物を巡って世界中でトレジャーハントの会社が起業され、各企業に所属するハンター達は毎日ニュースになる程の物を見つけ出して世間を賑わしていたのだが、様々なデマ情報に踊らされた挙句見つかった物の凡そは実は最近作られた物であったりしたので、ほんの数年のうちにブームは過ぎ去ってしまったのだ。
とはいえそんな中でも活躍し続けているハンターがいるのは、やはり本物の遺物は噂に違わぬ程の高値で取引されているからに他ならない。実際にこうして使用してみて分かったが、この不思議な感覚を味わうために世界の名だたる富豪達が金に物を言わせて収集するのも頷ける。
こんな貴重な物を複数どころか腐るほど持っているとは流石に信じ難いが嘘を吐いているようには見えないし、彼は一体何者なのだろうと考えていると目の前を行く草鞋の音が止んだのでこちらもつられて歩を止めた。
「着いたぞ。」
いくつかの店を通り過ぎ辿りついた家屋の前でそう言うと、鍵を開ける素振りもなく開いた戸の内に先週の私がここまで乗ってきた自転車が鎮座しているのが見えた。外ではなく広いとはいえわざわざ玄関の中に入れて保管してくれていたらしい。
坂下の会話からして相手の気持ちに鈍感な癖にこういった細かい所には気が利くのは何故なのだろう。感謝の前に何とも言えない気持ちになりつつも促されるが儘屋根下へ入り、不可思議なエレベーターの前を通ってこの間寝かされていた部屋へと到着した。
適当に座布団を出すと今度は茶の用意をしてくると部屋を出て行ってしまったので、手持無沙汰になった私は改めて殺風景な部屋の中を観察し直す。
相変わらず行燈とちゃぶ台以外大きな物が置かれていない部屋からは鹿威し付きの立派な池が見え、確か前回はあそこから河童が釣れた事を思い出し覗いてみたくなった。
縁側に座って沓脱石に乗っている草履を借り近づいてみると、池は想像していた物とは遠くかけ離れており底は光も届かない程深くなっているようで、水面と先の見えない暗黒の狭間には、見たこともない魚が数匹ほど空を揺蕩うよう気持ちよさそうに泳いでいる。
不思議な事に輝いて見える光を吸い込むような漆黒の鱗に惹かれ、引き込まれるように身を乗り出して覗き込み目を固定されてしまう。
まるで魚に呼ばれているように感じ吸い寄せられるように顔を近が自然と近付いて行くが、鼻先が冷たい水面に触れた瞬間いつの間にか自分が四つん這いになっていることに気が付いた。
瞬間眠っている所に冷や水を掛けられたかのように頭が冴え始め、未だ底の見えない池に落ちた時のことを考えると途端に怖くなり半ば跳ねる様にして身を起こす。
真っ暗な池から距離を取り何か恐ろしい者に魅入られていたのではないかと震えながら勝手に庭に降りた事を胸の内で反省し、家主にばれぬようしれっと何事も無かった風を装ってちゃぶ台の中心へ向いて座り直した。
「どないしたんやお嬢はん。もしかして水苦手なんか?」
何処からか声がしたので音の元を探ろうと頭を回すも何も見当たらない。
「何をきょろきょろしとんねん。上や上。」
「……河童さん、なんでそんな所にいるんですか?」
「誰が好き好んで天井に居らなあかんねん。もう少しで逃げきれそうやったのに紙一重で捕まってもうて貼り付けられとんねや。あと河童は種族名でワテには山川備後守太郎左衛門いう立派な名前あるんでそこんとこよろしゅうお願いします。お嬢はんかて人間さん人間さん言われたら何となく嫌やろ?」
最初は黄色い嘴しか見えなかったが天井の暗さに慣れてきたので改めて目を凝らすと、河童は天井に甲羅を向け床を見下ろすような状態で両腕と両足に大きな杭が打たれており、大昔の宗教画よろしく大の字で固定されているように見えた。
おそらく前回挙げられていた諸々の罪で捕まって磔の刑に処さているのだろうが惨すぎるように思う。確かに盗みは良くないが何も手足に穴をあけて天井に固定することはあるまい。
当の本人が軽口を叩けるほど元気なのでこのままでも問題ないのかもしれないが、このまま上から見つめられ続けるのは気が散って仕方ないので、お茶とお菓子の載った盆を胸の前に掲げた少年が帰って来ると同時に、天井の河童を下ろしてあげて欲しい旨を告げた。
「いやー流石お嬢はん。人間は狂暴やて触れ込みよう耳にするけど、これからは認識改めなあきまへんな。ワテを磔にしよ言うた奴らやほんまにやりよった塵塚はんのほうがよっぽどおっかないわ。」
「台座に感謝するといい。次何かすれば誰も立ち寄らぬ外れ厠の便槽に重り付きで落とすことになっているゆえ、今後はそのつもりで清廉潔白に生きるがいい。」
「い、いややわあ塵塚はん。そない気ぃ悪うせんといてくださいよ。狂暴やなんて思とりませんて、冗談ですやん。」
「しばらく黙っていろ。」
「はい。」
真ん丸なちゃぶ台には私を六時の位置とするならば塵塚少年は十二時、河童もとい山川は何故か私の隣の五時の位置に座っている。
塵塚少年の指パッチン一つで落ちて来て数秒の間はしおらしかったのだが、いざ地に足が付いている事を自覚した途端元気を取り戻し態度もこの有様だ。
取り合えず今は静かなのでここに来た本題を進めるべく足を正座に組み替え背筋を正し、リュックの底から取り出した箱を差し出しながら先日の礼を紡ぐ。
「えっと、今更なんですけど。改めて先週は助けていただいて本当にありがとうございました。こちらつまらないものですがどうぞ。」
「構わぬのにマメな事だ。物を大切にする者は此方もまた大切にすべきと考えているゆえ気にする必要は無い。とはいえ礼をされて嫌な気はせぬし有難くいただくとしよう。」
相変わらず仏頂面は崩れないが、さっそく机に置かれた鹿最中をちゃぶ台に開けこれは旨そうだと口に運ぶ姿に、初めて歳相応の面を見たようで自然と笑みがこぼれた。
「ワテもひとついただ旨い!お嬢はんやりまんなあ。こんな旨い菓子作れるなんて職人はんでっか?」
この河童は口より先に体が動く癖があるらしく、喋り始めた頃には既に個包装を開け口に運び感想までシームレスに付けてくる。
もひとつもらいまっせと伸ばした山川の手を、いつの間にか丸めて持っていた新聞紙ではたき落とした少年は、箱から自分の前に一つ、私の前に二つ置いてくれた。はたかれた手をさすりながら緩く尖がった嘴は何か言いたそうな雰囲気だが、十二時からの威圧に負け喉奥にひっこめたようだ。
「して、用向きはこれだけではなかろう?」
「え、いや。これだけなんだけど。強いて言うなら忘れてた鞄を持って帰るくらいかな?」
「……ふむ、であればまあいい。何もない家だがしばらく休んでいくといい。」
「ほなもう喋ってもええでっか?」
何か含みのある言葉に聞き返そうとするも、五時から挙がった声に遮られ頬の内でもごもごしてしまう。
適当な所で改めて問い直そうと思っていたのだが、河童の口の回ること回ること。留まることをしらぬマシンガントークは切り上げようにもタイミングがつかめず、しかも生意気にもなかなか面白いのでいつの間にか時間を忘れてとっぷり聞き入ってしまっていた。どこかで聞いた外郎売の文句のように舌が回り出すと矢も楯もたまらぬじゃ、隣の女子にも迷惑じゃといったところだろうか。
基本的に雑談だったので殆ど覚えていないのだが、頭に残った情報としては少年はこの家に一人で住んでいるらしく、家族などもいないということぐらいだ。
「ごめんください。塵塚様はおられませんか?陽も沈みきらぬうちに急に押しかけて申し訳ないのですが、少し本をお借りしたいのですが。」
ふと目に入った壁掛け時計が14時を示しており、そろそろ切り上げて帰ろうかと思い始めた辺りで戸越しのくぐもった声が客間まで響いてきた。
日も上らぬ内にというのは聞いた事があるが、沈み切らぬ内にという中々聞かない文言を使う何者かなど興味をそそられるではないか。