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-monster children-


 とても大きく暖かい掌に抱かれ、揺られる夢をみていた気がする。


 眼を開くといつの間に眠っていたのか白く大きな布団に横になっており、仰向けに寝がえりを打つと和風建築特有の木目のある天井が瞳に映りこんだ。

 祖父の家を彷彿とさせる木の匂いと緑の香りは、この部屋が眠る前の恐ろしい何かとは無縁であると感じさせ精神を落ち着かせる。

 部屋から廊下越しに見える鹿威し付きの池や風鈴の音は、多少季節外れではあるが本来あって変なものではないはずなのに異世界感を醸し出していた。


 身を起こして周りを見渡してみると広めの和室にぽつんと寝かされていることがわかる。

 部屋の隅には社会の資料集でしか見たことのない四角い行燈があり、中央にはこれもまた同じく現物は初めて見るちゃぶ台が置かれているが他にこれと言ってなにもなく、覚醒しきらない頭でぼんやりしていると廊下からとすとすと軽い足音が響いて来る。

 何か布を引きずるような音を伴うそれは、布団と庭池の間で足を止めた。


 ぱっと見だが年のころは中学生くらいだろうか、150㎝強の少年は黄土色の着物に緋色の大きすぎる羽織を引きずっていた。

 おそらく学校では怒られるだろう羽織の外に垂らした紅葉色の長髪は肩甲骨の少し下まであり、ぼさぼさで巻き気味な髪質から神社にいる狛犬の尻尾を想起する者も多い事だろう。

 彼はこちらに気づいた様子もなく縁側に腰を下ろし、履物に足をすべりこませ庭に降りた。

 彼の背には何故か懐かしいものを感じるのだが、記憶に靄がかかったような感触がありどうにも思い出すことが出来ない。


 少年の向きが変わり先程髪の隙間からのぞいた整った横顔の反対側を、今度はしっかり見るがやはりピンとこずやきもきしていると、池の前に立ったままおもむろに羽織の奥へと手を引っ込める。

 袖下から取り出した手に握られる袋の中身を水面に投げ始める姿に、きっと鯉に餌をやっているのだろうと思いながら暫くぼうっと眺めていると、砂利の小気味よい音を鳴らしながら見える範囲から消え、次に現れた時には竹竿を担いでいた。

 竿の先には焼肉屋でよく見る、ホルモンのような薄桃色の肉が引っ掛けられている。


 そういえばと髪の上から右耳があるはずの位置を触ると、そこには何事も無かったかのようにお気に入りのピアスの付いたいつもの耳が付いていて安心した。

 念のため左も確認するがこちらも無事。もしかするとあの喜色満面童子に耳を千切られたのは夢で、何かの拍子に行き倒れていたところをこの家の人に助けられたのではないだろうか。

 いずれにしてもここは私の知るあの世ではない。

 あの世でないのなら当然現実である。


 何処からが夢だったのかは分からないが恩人かもしれない相手へ礼を伝えるべく、垂らした釣り糸に早速かかった獲物と格闘している彼に声を掛けようと口を開けたのだが、勢いよく吊り上げられた獲物に驚きすぎて喉から発せらたのは全く別のものになってしまった。


「いだだだだだだだだだ!?何しますねん塵塚はん!?」


「河童!?」


 貧弱な糸の先には竹竿で吊り上げるには大きすぎるであろう、小学生の弟より大きな河童がかかっていてつい大声を出してしまう。

 驚いた表情で此方を見る河童と、その横から感情の読めない無表情に無言で見つめられ、何とも言えぬ空気が流れる気まずさを解すように鹿威しが場面転換の合図を打ったのだった。




「起きたなら起きたと言え。急な大声は心にくる。」


「せやでお嬢はん。おかげで塵塚はん力んでしもて鯉釣って遊ぶつもりが河童釣ってしもうたやないか。」


「いや、最初から貴様を釣るつもりでいたからそれはいい。」


「いややわあ。そんな最初からワテ一筋やったなんて面と向かって言われたら照れてしまうわ~。」


 布団の側に正座しピンと背を伸ばす少年と隣で胡坐をかく河童の漫才(というか河童が一方的にふざけているだけだが)を見ていると、やはりまだ夢を見続けているのではないかと思い試しに腕を抓ってみるとしっかり痛い。

 もしやこれは、【現実は小説より奇なり】という事象を体験しているのだろうか。


「あ、えっと、君が助けてくれたの?」


「拾っただけだ。気にするな。」


「うっわ酷いわ~おにいはん。さっきワテ一筋言うたばへぶぅ!」


「喧しくてすまんな。今更ながら自己紹介をしておこう。私は塵塚、この煩い河童は山川という。」


 少年の不思議な風格につい丁寧口調になってしまう私とは真逆に、ふざけ倒す河童は凄まじい音と共に拳骨を食らって舌を嚙んだようだ。

 暫く黙っていろと言われた人性生物は殴られた勢いで畳に嘴が突き刺さったままハイと返事をし静かになる。

 河童といえば何となく頭の皿が急所のイメージがあるので少し心配になり目をやると案外丈夫らしく、肌の緑色より少し明るい黄緑の頭頂部には割れやヒビの入った様子がないのを確認し、此方からも自己紹介を済ませて聞かなければならないことを聞こうと少年に視線を戻した。


「それで、拾ったってどういう事ですか?」


「どうも何もそのままだ。用を済ませて帰ってみれば家の前で見知った耳飾りを見つけてな。そのまま風雨に曝す訳にもいかぬゆえ、台座ごと運んだまでだ。」


「あたしは台座っすか……。」


「うむ。昨今ではそれほどの飾りなど滅多にないゆえ、耳よりも飾りの方が重要であろう?それ以上に古い物も当然あるが、誰にも付けて貰えず資料館で保管だの博物館に飾られるだので、ただ延命されるがままに有り続けて生き甲斐を失った物ばかりだ。苦労も多かったようだが幾世も付けてくれる家に出会えた幸運に喜んでいるぞ。」


 華の女子高生の捕まえて台座呼ばわりをするのはどうかと思うが、どうやら歳の割に目利きは出来るようだし助けてもらった恩もあるので文句は最小限に留めておいた。

 十四の時に受け継いだこのピアスは母の実家に代々伝わる物で、母は祖母から祖母は曾祖母からといった具合に脈々と受け継がれてきた物らしく、確かに歴史ある一品であることに違いはないだろう。

 元々は両耳用だったのものの一つは長い歴史の中で紛失してしまったらしく今は片耳しか付けられないが、それでもこれ以上に気に入っているピアスに私は出会えていない。

 しかし資料館に飾られる物と比べても引けを取らないような口ぶりは流石にオーバーが過ぎる。確かに古い物ではあるけれどせいぜい百年とかそんな所だろう。


 そんなことより先程家の前と聞こえたが、ずっと自転車を押しながら歩いていた歩道脇には何も無かったように思う。

 道路を背に縁石に座っていたのだからいくら霧が深かったとはいえ、目の前に家屋があったならば流石に気が付かないはずがない。


「さて、では何があったのか覚えている範囲で話すがいい。そして慣れぬ敬語は不要だ。」


「あ、はい。えっと、たぶん夢だったんだと思うんだけど。」


 投げられた疑問に対し坂を登りきってからの話をすると、表情こそ変わっていないが何か思う所があるらしく右手で左肘を支え、支えられた左手を顎にやり何か考えこみ始めた。

 静かになった部屋の床にへばり付くように突っ伏した体制のまま隣の顔色を窺っていた河童は、元の姿勢にそろりと戻りると小声で話しかけてくる。


「お嬢ちゃん難儀やったなあ。アレは今どき珍しい人害怪異って噂ですねん。」


「人害怪異?」


「ほうです。ほれ人害怪異って何百年か前に大体排除されましたやろ?表向きは人間喰ったり傷つけたりする奴をって話になっとるみたいやけど、実際は害なんてなくても見た目が怖いゆうだけで大勢消されましてん。んであんとき自分は無実やと言うてこの商店街に逃げ込んできた中に悪いのが結構おったみたいでな。何人かは見っけ出して始末付けたみたいなんやけど、あの子らはその生き残りやないかって言われとるんすわ。」


「はぁ、怪異ですか。」


 怪異といえば何千年も前は沢山いたらしいが現代では絶滅しており極稀に資料で見かける程度の存在である。

 彼らはまだ人間社会が未発達だった頃に生まれ栄えた種だが、言葉が通じるという点で犬や猫よりも近い存在だったというのは小学校で皆が習う常識だ。

 友や労働力、時には敬われる存在という様々な形で人の生活に溶け込んでいた彼らだが、人間の科学が発展する中で多くはその変わり様に適応できなかったらしく、いつの間にか何の痕跡も残さず消え去っていたので彼らの最期について詳しい事はわかっていない。

 ただ一つ確かな事は、現代には曖昧な口伝と大昔の書物や絵に影を残すのみだと言う事だけだ。


「怪異なんて信じられません。だってとっくに絶滅してるじゃないですか。」


「はあ?何いうてますねん。怪異が絶滅しとる言うんならワテは何ですねん。」


「何って、そりゃ河童に見えますけど。」


「ほれ見んさい。ほんなら怪異は絶滅しとらんやないかい。」


「いや、河童は人性生物であって怪異ではないでしょ。」


「……どないしょう。何言うとるのかさっぱり分からん。」


 目を丸くして困惑する河童に何も言えなくなる。

 何を言っているのか分からないのはこっちの方だ。

 妙な空気の流れる私達の仲裁の為か、少年は腕をお腹の前に組み直しながら面倒くさそうに口を開いた。


「山川、人の世の常識は移り変わりが激しい。我々の持つ常識はとうの昔に廃れている。」


「ええ!?ほんなら言わせてもらいますけどね塵塚はん!お嬢はんの言葉が正しい言うんならワテは怪異ではないって事になってまいますけど、それでもええんでっか!?」


 先程までの戸惑い顔から興奮に赤く染まった顔を隣に向ける緑顔に、袖の中で腕を組んだまま塵塚はんと呼ばれた少年は少し目を閉じ、熟考末の答えを返した。


「何か問題があるか?」


「酷い!あんまりや!そんなお人やと思いませんでしたわ!これまでこの商店街の為に一緒に頑張って来たのにお前は仲間やないなんて!」


「そうは言っとらんだろう。あと商店街の為にと宣うのであれば、催促されている彼方此方のツケをさっさと払え。」


「なんや皆して仲間にみみっちい事言いよってからに!魚の一尾や二尾に目くじら立てへんでもええやないか!」


「魚屋からは極上の魚を数十匹、他にも八百屋と酒屋からも数年分のツケが溜まっているから捕まえてくれと依頼が来ているが?」


「急用思い出したんで帰りますわ。ほなさいなら。」


 急用の辺りですっくと立ち上がったと思うと凄まじい勢いで縁側から飛び出し、別れの言葉が耳に入るころには池の向こうに立てられた板塀に背の甲羅が消えるところだった。


「ふむ、逃げたか。」


「……追わなくていいの?」


「構わん。正直後でどうとでも出来るのでな。」


 どうやら二人の間には圧倒的な力関係が存在するらしい。

 そんな事よりと少年は続ける。


「台座こそ家に帰った方が良いのではないか?もうじき日が暮れるが。」


「やっばもうそんな時間!?とにかく助けてくれてありがとう!また今度お礼に来るから連絡先教えてくれない?」


 ポケットからスマホを取り出して確認するとホーム画面のデジタル時計の十六時を示していた。

 礼など不要と遠慮する少年にそれでは心が治まらぬとお願いしたところ暫し待てと部屋を出ていったので、小さな背を見送りながらこの時間ならまだ門限に間に合うと思いつつ布団を這い出る。

 少し焦りはじめた頃合に戻って来て渡された物は、達筆な文字で住所と郵便番号の書かれた、まるで和紙のようにざらつく手触りの葉書だった。


「えっと、電話番号とかメアドは?」


「どうにもあの手のハイカラな物は苦手でな。次に来る日が決まればこの葉書に書いて送れば迎えに行く。」


 わざわざ迎えに来てもらってはお礼にならない気がするが、どうやらこの葉書が唯一の連絡手段のようなので大切にポケットにしまっておいた。


 では帰り道へ案内しようと踵を返したので急いで私も立ち上がり首元ぐらいまでの高さしかない少年の後ろを付いていく。

 池とは反対の襖を開き現れた廊下を右に進むと玄関が見えるのだが、何故か玄関ではなく廊下の途中にある引き戸を引いてここだと言う。

 引き戸前の床は小さな土間で周りより一段低くなっており、そこには丁寧に揃えられた私の靴が並んでた。


「玄関ってあっちじゃないの?」


「あそこは商店街に繋がっている。おそらく見たくない物を観る羽目になると思うがそれでもいいのであれば」


「こ、こっちから帰る。」


 見たくないものと言われた瞬間、血まみれの喜色満面童子の顔がフラッシュバックし最後まで聞く前に言葉を返した。

 結局体には何も異常はなかったが身の凍るような感覚をもう一度味わいたいと思う者など居るわけがない。

 あの鼓動は私の求めているワクワクとは違うものだ。ただの夢幻であったとしても今の私の心境的に選択の余地はない。

 玄関から目を背ける様に小さな手で開かれた戸の向こうを覗くと、今のご時世そうそう見かけないであろう木造のエレベーターがそこにあった。


「私が戸を閉じたらば駅のボタンを押せ。早ければ数秒、遅くとも十分あれば着く。音がしたら一度瞬きをすれば箱が切り替わる。」


 意味の分からない説明を受け質問する前に戸を閉められ、入り口横を見ると【店・家・駅】と三つのボタンが縦に並んでいたので、言われた通り駅のボタンを押し少し待つ。

 音はしなかったが特有の浮遊感を感じ動き始め直ぐに止み、エレベーターらしいティンという音が小さな箱に響いたのだが、何時まで経っても戸が開く様子はない。

 閉じ込められたのではと少し焦ったがそういえばと思い瞬きをすると、一瞬のうちに木製の壁や床が金属製の見慣れた内装に変わっており何事も無かったかのように自動扉が開く。

 混乱しつつも降りてみるとそこはいつも通学に使っている駅の北口で、狐につままれたような気持とはこういうものなのか呆然と立ち尽くしてしまった。

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