-monster children-
窓向こうで横殴りの豪雪が吹きすさぶ中、所々揺らめく屋内は対照的に半袖で過ごせるほどに熱せられ、もはや暖かいを通り越して暑いとすらいえる温度まで上昇していた。
雪の降らない土地で過ごした宿泊者が、今は旅行に出ている貸主が用意してくれていた薪を適当にぽいぽいと投げ込んでいった結果(主に火加減など知らぬ脳筋女のせい)である。
高校を卒業し三々五々各々が選んだ道へと進んだ四人だが望外に忙しく、久しぶりに集まろうと声を掛けた所バラバラの到着になるようなので予約していた別荘へ先入り出来る発起人二名が年越しパーティーの準備をしているのだが、思っていたより料理の作り置きにかかる時間が少なく暇を持て余させてしまったことが敗因だろう。
後頭部で長髪を結わえた細身の女性は壁の温度計を一瞥しそろそろ止めなさいと制しているものの、長身に加え運動部を思わせる筋肉を蓄えた若干いかつい女はまだ足らぬと尚も薪を投入する気でいるようだ。
「ここはサウナじゃなくて別荘なの。初日から馬鹿みたいに薪を消費して、最終日の夜に凍死したらどうするつもり?」
「大袈裟だなー。ちょっと寒いぐらいで死にゃしないっしょ。」
日本の北限都市、稚内の冬を舐めているとしか思えない言動に呆れる様に額に手をやりながら、羽曳野冬華は隻腕の相棒が握る薪を取り上げた。
「どこまで部屋が暑くなるか試したかったのに。」
取り上げられた太木を恨めしそうに見上げながら暖炉初心者らしい筋肉女の好奇心が口の端から漏れているが、対照的な文系女は机の上に原稿用紙を出して席に着く。
一番上の紙を定位置のように目の前へ設置すると、やはり慣れた手つきで胸ポケットから引き抜いた万年筆を構え暖炉の前で何かごそごそと作業をしている大きな背へと声を掛けた。
「ほら、もう十分だから始めましょう?こっちはもう準備できたわよ。」
熱せられた事で内部空気が膨張し爆ぜる薪の音が屋内に響く中いつの間にか横に置いていたアルミホイルの塊を火箸で掴み、真っ赤に燃える炭の内側へと埋めこれでよしと立ち上がった恵体は人間の女性にしては珍しく190㎝に手が届かんとし、その左腕のぞんざいな手つきで引き寄せられた椅子は、その逞しい尻を置かれた瞬間ギシリと悲鳴を上げるのだった。
「いいけど、あたし本に出来る程の情緒というか、表現豊かに話すことなんてできないけど大丈夫?それに結構前だからだいぶ忘れちゃって朧気なとこあるし。」
「その辺りは私の視点も含めて保管するし、いい感じに表現足すから心配御無用よ。ちなみに今のこの会話も冒頭で使うからそのつもりでね。」
既にインタビューが始まっていたことに気が付いた大女は今更居住まいを正し、机を挟んだ彼女へと向き直るように椅子を設置し直した。
「じゃあ聞かせて貰えるかしら。私達の此処までに至る出来事の始まりだから、そう高校一年の秋ぐらいから。」
柄にもなく緊張した面持ちで慣れないインタビューを受ける女は、燃える薪の柔らかく揺れる灯りに顔を照らされながら記憶を手繰り寄せるように目を閉じ、大切な記憶のページを一枚一枚を丁寧に捲るようゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「たしかあれは……。」
◇ ◇ ◇
この世界はあとほんの少しで終わる。
それが数分か数時間かは分からないが何十億年もの歴史を持つこの星にとってはまさしく誤差の様なものだろう。
実測出来ず観測成分から憶測で測ることしか出来ない程の圧倒的で莫大な質量を伴った石の塊が、轟音を超え衝撃破と共に宙から厚い大気層を押しのけ降って来る。
つい先日まで一部の者しか信じていなかったそんな与太話の実現を呆然と見守っていると、地球の引力に引き寄せられたであろうそれは現代科学者達の予想とは裏腹に自壊することなく地平へ刻一刻と飲まれていく。
道中無人となった家屋の割れた窓からは昨今若者に見限られ宛てにされなくなって久しいニュース番組が点けっぱなしにされており、ずいぶん前に録画された番組なのだろう可能な限り高台への避難をいいや逆に深海へ逃げた方が安全だのと喧嘩しているがなるほど愛想をつかされるわけである。
このあまりにも現実離れした光景を目にすれば彼らの言葉よりもスピリチュアル信者の熱弁する地球の終焉や古代文明の神秘、でっち上げで炎上したエセ宗教家の言葉に目を輝かせる愚者による洗脳済み意見の方が当たっていて笑えてくる。まあそれも昨日までの話で今や絶望しかないこの局面においては、見ていて面白かった分ないよりはマシだったのかもしれないが。
今日が人類史最期の一日だと滅ぼしに来た使者を世界中の人々は何を思って観ているのだろう。
番組を鵜吞みにして未だ諦めず我先に高台へと上っているのか、或いは最後まで信心を貫き神や怪異の前で膝を折って縋りついたり、はたまたドラマの様に愛する者と肩を抱き合っていたりもするのだろうか。
どれでもない私が選んだのは何度も足を運んだ思い入れのある坂の頂上という辺鄙な特等席で、地平の向こうから押し寄せる水とそれ以外の何かが多量に混ざっている真っ黒い大浪が此処に到達すし飲み込まれるまで眺めているつもりだが、どうしようもない無力感と絶望に首まで浸かりながら無意味な思考を垂れ流すしか出来ない孤独な未来を掴んでしまった事をこんなにも惨めだとは思う日が来るとは思わなかった。
「ホームルーム終わったわよ。掃除の邪魔だから早く起きなさい。」
ここ数年何度も見ている壮大な夢に謎の名残惜しさを感じながら眠い目をこすりつつ身を起こすと、いつの間にか現国の授業どころかホームルームすら終わっていた。
起こしてくれた後ろの席の友人にお礼を言って席を立つ。先生方には申し訳ないが私にとって土曜日はこれからが本番なのだ。
すっかり週末恒例となった今日だけお願いとかそこを何とかとせがんでくる運動部の助っ人依頼を躱し終え帰路に着く。
中学では部活動は強制加入であったため仕方なく運動部に入っていたが、高校でやっとその呪縛から解放されて自由に放課後を謳歌できると考えていたのだがその考えは甘かったようだ。
元女子高というのもあり周囲より少しばかり背が高いというだけで、連日バレーやバスケの数合わせに呼ばれることが日常となって早半年。
いつの間にか曜日ごとにどこの手伝いに行くのかが決められており、もはや運動部の共有財産と思われていたとしても何ら驚きはしない学校生活となっている。
そんな現実を嘆きながら昇降口から元気に飛び出し何とか勝ち取った土曜の放課後を満喫する。
高校から北西に位置する駅までの帰り道、通学路をそれて帰るのが今のマイブームだ。
校門を出て少し離れた所で、小さな数粒のガラス玉と幾本もの極細チェーンから構成されるピアスを耳に付け、気分を学校モードから遊びモードに切り替える。
どうせほとんど耳を上から覆う髪で隠れてしまうがこういうのは気持ちの問題である。
平日は自ら望んでいるわけではないが必要とされることに決して悪い気はせず、何より楽しくないわけでもない助っ人でくたびれているし、日曜日や貴重な連休は予め下調べをし目標をもって外出するため、目的外の発見をしても立ち寄ることがない。
つまり平日より授業の早く終わる土曜日の放課後は自宅から離れたこの街を散策するのに打って付けなのだ。
前籠に鞄を突っ込んで颯爽と出発し先月見つけた何を祀っているのかも知らない祠に手を合わせる。
とりあえず柏手を打ってはいるが実はこれと言って神様に頼みたいことなどないので、適当なお願い事をしてから棒立ちで本日の探索地を端末を眺めながらざっくり決める。
このあいだ駅の西側を探索したので除外するとして、今日は反対に当たる駅の東側を探検してみよう。
今まで辿ったことのない道を進み続けると、おそらく数キロにも及ぶであろう真っ直ぐ北に延びる長く緩い坂に辿り着いた。
ずっと先にある紅葉に赤く染まった山を、登り坂の起点から見据えるだけで駅前で借りている安物のレンタサイクルで登るのは骨が折れるだろう事は察するに容易いが、まだ日は高く門限まで時間はあるので軋むペダルをギコギコと踏み込んで登り始める。
元は放置自転車であった物を市が回収し再利用しているだけあり、友人の乗っている電動の物よりも遥かに体力を持っていかれているのだろうが、運動部の応援で鍛えられた筋肉達にとってこれしきの坂はなんてことないはずと信じ、休みない酷使に腿が悲鳴を上げよろけそうになる度、体に鞭を入れ更に強くペダルを踏み込ませる。
「唸れーー!!あたしの大腿四頭筋ーーー!!!」
思った以上の傾斜なので無理せず降りて自転車を押しながら登坂しても良いのだが、恐らくそうすれば何処か負けた気持ちになるのは明白なので誰もいない坂で雄々しい立ち漕ぎを披露する。
別に筋肉に詳しい訳ではないので正しい名称かは分からないがこういうのも気分である。
何事も気持ちよくなければならないし、意味不明であったり効率的でなくとも気持ちがスッとし無理やりでも納得できるのならそれでいいのだ。
登る毎に傾斜が増しているように感じる中、こなくそと更に強く踏み込む為にハンドルからぎゅっと悲鳴が漏れるほど握り込む。
背中や腕の筋肉も借りているが、この子達の名前はパッと思いつかなかったので彼らにはエールを送れないので黙々とただ働いてもらうこととしよう。
漕ぎ続けてどれほどの時間が経っただろう。
苦しい時間というのは長く感じるものなので意外と数分かもしれないが、体感的に30分は登り続けた。
息を切らせようやっと頂上に着き登って来たばかりの道を振り返ると、眼下に広がる街並みは思っていた以上に小さく、想像していた以上に見晴らしの良い大絶景にため息が漏れる。
少し休んだら帰ろうとシャツの襟で汗を拭い、荒くなった息を整えながら自転車を道路の端に停めて先を見ると数百メートル先で不自然にぷつりと道路が切れていた。
一瞬思考がとまったが、直ぐにあの先は下り坂になっていて道が無いように錯覚しているだけなのだと思い至る。
束の間の幻想ではあったが知らない世界に足を踏み入れたかのような、胃の底が冷え心の震えるこの瞬間が私は好きだ。
今は地元から数十キロ離れたこの街でだが、大人になってお金に余裕が出来たらば世界を回りながら同じような気持ちを探す旅に出てやろうと画策している。
そんな未来の野望は置いておき、どれ折角ここまで登って来たのだから、あの先も覗いてみようとサドルに跨りペダルを踏み込んだ。
もしかすると誰にも知られていない紅葉スポットに出会えるかもとワクワクしながら進んでいるが、進むにつれ徐々にこの道は妙だと頭の奥から違和感が訴え始める。
いつまで経っても先が見えてこないことに重ねて、まるでこの先は立ち入り禁止だとばかりに濃い霧まで出てきたのである。
もう少しで道が途切れている地点に着くというのに相も変わらず先が見えないという事は、この先はジェットコースターのような急斜面か或いは道のない断崖絶壁にでもなっている、もしくは漫画や小説の中でしかお目にかかれない異常な空間が広がっているとしか考えられない。
最後の有り得ない厨二心だらけの妄想を望み口角が上がるのを感じながら道の先端に立つと、つま先数センチから向こうはまるで本当に異世界かのように真っ白な霧に閉ざされ、数分前まで見えていた紅に染まる遠くの山までもがまるで最初から幻であったかのように消え失せており、やはりこちらも白い闇だけが存在していた。
山の天気は変わりやすいと言うが此処は町にほど近い。ほんの少し標高が高くなるだけでこうも極端な物だろうかと先に目を凝らし試すように手を出すが、突っ込んだ腕すら見えなくなる程の極濃の霧に逡巡するがここは進むしかないだろう。
流石に前方の路面が見えない状況で景気良く走り出す程の胆力はなく、自転車を右手に押しながら進んでいるが濃すぎる霧は一向に晴れる気配がない。
帰るという選択肢もなくはなかったがどうにも先の景色が気になって仕方がないので、ゆっくり慎重に進み続ける。
肌を覆う霧はひんやりと冷たく、ものの数分で制服もしっとり濡れて重たくなってきたが、ここまで来て今更引き返せたりするものか。
ふと背後から子供の笑い声がしたように思い立ち止まり振り返ったが当然誰も居ない。
ずっと変わらない景色のせいで少し疲れているのかもしれないと自転車のスタンドを立て、歩道の縁石に腰を落としスマホを取り出した。
休憩がてら毎週土曜に更新されるお気に入りの漫画でも読もうと画面をタップするが、読み込み状態のまま固まってしまう。
画面右上を確認するといつもはアンテナで電波の強さを表してくれている位置が✕印になっており、通信不可状態であることを知らせてくれた。
「圏外とか初めて見た。」
「わー!こんな所に人間さんなんて珍しいね!なにしてるのかな!」「そうね、こんな所に人間さんなんて初めて見たわね。どんな味がするのかしら。」「食べちゃうの?お店で売ってないものは口に入れちゃダメって決まりなかったっけ?」「そうね、でも大丈夫よ。だってここは下界じゃないんだもの。」「そっか!じゃあ食べていいんだ!でも食べ方なんて知ってるの?」「そうね、最近はグルメ本にも人間の食べ方なんて載っていないからわからないわね。」
唐突に背後から表れた親子連れか歳の離れた姉妹のような会話は、声音の幼さとそれに答える柔らかな響きとは裏腹に恐ろしい言葉をつらつらと並び立てていく。今まで火照っていた体から急激に熱が失せ、背中にツゥと冷たい線が引かれるのがわかった。
無邪気なやり取りに対し本能的に逃げなければと心が訴えるが、どんなに懸命に動かそうと試みても体は石のように重く、まるで金縛りにあったかのように動かない。
支柱を失い倒れた自転車の空転する車輪音の向こうから、なおも楽しそう話す無邪気な子供の声と、優しさの中に何処か焦りを感じる低い声が段々近づいてきており、今にも肩に手がかけられそうで気持ちの悪い汗が止まらない。
「うーんどうしよう、大きすぎてこれじゃあ食べられないんじゃない?」「そうね、困ったわね。そうだ小分けにすればいいわ。時間がかかっても残さず全部食べれば人間さんも食べられた甲斐があるって喜んでくれるんじゃないかしら。」「そっか!そうだよね!じゃあ感謝しながら残さず食べなきゃね!」「そうね、しっかり感謝しながらいただかなきゃね。」「いっただきま~す!」
言葉が消えるより早く両腕を左右から不可視の強い力で抑えられ、ああこれは逃げられないなと察した。
ホラー映画なんかでは犠牲者たちは叫び声を上げながら最後まで足掻くものだが、実際にその状況に陥ると諦めに似た虚無に心が支配されるらしい。
きっと脳が少しでも苦痛を減らすために様々な感覚をシャットダウンしてくれているんだろう。
もはや指の一本も動かす気力がなく、背後から押されるが儘に歩道に倒れ込んだ。
地面に顔の左側頭部を押し付けられると同時に音もなく腹部から脳まで響く衝撃だけが伝わってきて、立て続けに頭が胸方向に引っ張られる感覚と共に右耳が聞いた事のない音を拾った。
不可視の力で傾いた視界に映ったのは、頬を鮮血に真っ赤に染めるパっと見小学校低学年ぐらい子供だった。
その子は小さな手に私お気に入りのピアスの付いた耳を大事そうに持ち、可愛らしく蕾の様な小さなお口を開いて喜色満面に口許へと運びほおばらんとしており、黒く大きな影がそれを完全に覆うのを待たずして私は意識を手放したのだった。