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史的な夜話 其の十三

作者: 戸倉谷一活

私:あのぉ。

友:はいはい。

私:どうしたん?

友:一つ忘れとったよ。

私:なんか忘れとったん?

友:あれさ、吉保と同じ十五万石で言うたら、本多正純が居ったなぁ、言うことを忘れとったよ。

私:いきなり言われても誰かわからへんがな。

友:あれですよ。徳川家康の懐刀って言うんかな。あれこれと相談にのっとった人に本多正信って言う人が居ってんけど、この人の長男が正純なんやな。

私:ふぅ~ん。

友:そいで、父親の正信と一緒に近くに居て、あれこれ相談にのっていたんやな。二人とも徳川家康の十六将とかには入らないけど、まぁ、有名人なんですね。

私:興味が無いと全くわからへん人やね。

友:ちなみに、徳川四天王とか知ってます?

私:知らんし。

友:言うてるけど、本人達が四天王と言うたわけでも無いし、家康が名付けたわけでも無いんやな。後々の時代の人が名付けたんや。武田二十四将も江戸時代の、平和な時代になってから誰かが考えたんやな。

私:暇な人も居ったもんやなぁ。

友:暇とか言い無いや。面白いこと考えて書かなあかんのは、いつの時代の創作も一緒やで。

私:そいで、なんの話やった。

友:あれや、徳川四天王やったな。酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の四人な。覚えといて損は無いで。次の試験に出て来るやもしれへんし。

私:試験ってなんの試験やねん。もう勉強はこりごりや。

友:そない言わんと徳川四天王ぐらいは覚えとき。

私:その、徳川四天王は今の流れに深く関わるんやな。

友:今はあんまし関係無いし、忘れとってもかまへんよ。

私:なんやそら、結局、なんの話やねん。

友:本多正純の話やったな。本多正純の父親である正信は生涯で二万石かそこらで終わったんですね。領地が。

私:家康の懐刀やのに、二万石って少ないか。

友:わからんと思うけど、武士は軍人やから武勲を立てる、戦場で活躍せなあかんやん。正信と正純にはそれが無かったんやな。それで正信は二万石ちょいちょいの領地でも、本人は満足してはったんよ。家康という権力者の側近という立場を理解してはったんやろうな。

私:そういうもんかね。さっぱりわからへん。

友:少なくとも正信は自分のことをきちんと理解していたみたいで、自分が広い領地を持ったら妬まれる、恨まれるってわかってたみたいで、家康が領地を増やそう言うても断ったとか、家康が若者を叱っても、間に入って家康をなだめて、若者達をかばったとか、周りから恨みを買わんように努めてたみたいよ。私:気ぃ使てはったんやな。日々大変やん。

友:若い頃に一回、家康と喧嘩して飛び出したとか、そないな時代もあったみたいやし、苦労も多かったみたいやで。

私:そうなんや。

友:一方の正純も戦場で活躍してなくて、父親の正信と同様に家康の側近やって、父親とは別に三万石の領地を貰ってたんやな。

私:なるほど。

友:それで、元和二年、西暦で言うと一六一六年やけど、家康と正信が相次いで亡くなって、正純は正信の二万石を引き継いで、五万三千石になるんやな。領地が。

私:出世になるんか?

友:ある意味出世やけど、正信の領地を引き継いだだけやし、誰かが引き継がんやったら、二万石分の家臣が失業するところやったな。

私:それは困るよな。

友:ここまでは良かってんけど、元和五年、家康と正信が亡くなって三年後やけど、宇都宮城主として十五万五千石へと大加増になるんよ。

私:ほな、合わせて二十万石になるんやな。

友:そや無うて、足して十万石の、合わせて十五万五千石やな。

私:なんでもええけど、大出世でええんやな。

友:そこは間違てへんよ。

私:でも、その正純は大出世する言うたら、なんかええことしたんかいな。

友:実を言うと、なんも無いんやな。戦争で功績が有ったわけでも無く、なんもなく……

私:ほな、なんでまた、こないになったんよ。

友:例えば、柳沢吉保は親の五百三十石を受け継いで、天和元年に三百石を増やして貰て、八百三十石になるんですよ。

私:当然、戦場で功績とかは無くって、ですよね。

友:綱吉の気まぐれでしょうね、多分。

私:大丈夫かいな。

友:そいで、天和三年には二百石足して貰て、千三十石になるんですよ。

私:その三十石、どないにかならんの?

友:知るかいや。ちなみに天和元年は西暦で言うと一六八一年な。前年に綱吉は将軍に就任しとるんやな。

私:すまんねぇ。

友:聞かれる前に言うとかへんと、えらいことになりそうや。そして貞享三年、西暦の一六八六年には千石足して貰て二千三十石になるんやな。

私:ほんで、さらに増えていくんやろ。

友:元禄元年、西暦の一六八八年には一万石追加の一万二千石になって、大名になるんやな。

私:ようやく半端な三十石が消えた。

友:そこは気にせんでもええやん。細かいやっちゃなぁ。

私:大名ってことは当然、どっかのお城を貰うんやろ。

友:上総国の佐貫城やな。

私:上総国言うたら……

友:今の千葉県やな。

私:鼠の国があるところやな。

友:確かに千葉県には違いないけど、うんと離れとるで。どっちかって言うと、横須賀市なんかの対岸言うた方がええんかな。

私:土地の人や無いとわからへん話や。

友:日本の地理ぐらい、把握しとって。

私:話、戻してくれ。

友:元禄三年には二万石足して、三万二千石になるんやな。

私:今、柳沢吉保の話ですよね。

友:ですよ。

私:誰の話かわからんようなってきた。

友:本多正純の話から脱線してますんで。

私:まだ続くんやろ、柳沢吉保の話が。

友:もうちょいだけな。元禄五年、西暦で言うと一六九二年にはさらに三万石が加わるんやな。

私:短期間に大出世やな。

友:元禄七年には一万石が加えられて、合わせて七万二千石になって川越城の城主になるんやな。そして宝永元年、ついに十五万千二百石で甲府城の城主へ。

私:いきなり二倍の領地やん。

友:そうなんよね。本多正純は五万石から十五万石で三倍やけど、吉保もほぼ二倍で十五万石へと出世してるんやな。

私:似とるけど、結果はちゃうんやろ。

友:吉保は宝永六年一月に綱吉が亡くなるとさっさと隠退して、息子の吉里に家を譲ってるんやな。そして正徳四年の十一月に吉保も亡くなるんやけど、それから十年後の享保九年三月に吉里は大和郡山へと転じてはるんやけど、まぁ、それで済んだわけよ。大和郡山って、吉里の前は本多さんが城主やってんけど、幼くして亡くなって、跡を継ぐ人がおらんで、それで本多家は断絶になったんやな。その空いた大和郡山へ吉里が移ったわけや。

私:色々と聞きたいことが有る。

友:なんでしょう。

私:宝永六年に正徳四年に享保九年、それぞれ西暦に直してくれ。それと本多さんって正純と関係有るんか。

友:宝永六年は一七〇九年、正徳四年は一七一四年、享保九年は一七二四年やな。そいで吉里の前に大和郡山城主やった本多家は四天王のところで名前が出てきた本多忠勝の系統やな。

私:そうなんや。覚えとって良かったよ、四天王。

友:まぁ、でも、この引っ越しは急に言われたらしいて、慌ただしく引っ越したとか、そないな話も伝わっとるんやな。また、甲府から金魚の養殖業者を連れて行って今に至る金魚の産地になったんやな、大和郡山が。

私:ほな、吉里が郡山へ行かんやったら、金魚の産地にならんやったわけやな、大和郡山市は。

友:そうとも言えるよね。

私:それで、本多正純はどないなってん。

友:正純が宇都宮へ移った時って言うんは、広島城の福島正則が、広島城を取り上げられたことから始まるんやな。

私:また話がこじれるんやで、この流れは。

友:この時代、お城の修理にも幕府の許可が必要やって、正則も広島城の修理したい言うて、申請書を出したんやけど、なかなか返事が来うへんし、ほな、修理したれって許可が下りる前に修理して、それで怒られて広島城と五十万石を取り上げられて、長野県の川中島辺りで四万五千石になるんやな。

私:福島正則言うたら、加藤清正なんかと肩を並べとった、武将やったよな。

友:福島正則と加藤清正はご存じでしたか。

私:ざっくりと覚えとったね。

友:その福島正則も幕府には勝てんかったというか、全く歯向かわんと広島城と五十万石を明け渡したんやな。

私:ここで一戦交えとったら、どないなったんやろうか。

友:大坂夏の陣が一六一五年やから、それから四年後やねん。正則が広島城を取り上げられたんは。そやから、戦上手な武将がまだまだ多く残ってたやろうし、一戦交えたら多分、双方に多大な被害が出たんや無かろうか。

私:ほな、福島正則があっさり広島城を明け渡したんは正解やったんやな。

友:被害が全く無かったんやから、双方には良かったんやろうけど、言われたら、一戦交えとったらどないなってたんやろう、野心有る人が正則の側に付いたらどないなったんやろう、そないなことは考えてまうな。

私:歴史の中に「if」を持ち込んだらあかんとか、普段から言うてへんかったっけ?

友:そないなこと言うたことあったっけ?まぁ、宜しいわ。あいた広島城には紀伊和歌山から浅野さんが四十二万六千石で引っ越してきて、それであいた和歌山城には駿府城の徳川頼宣が入って来たんよ。

私:今度は和歌山城の話に変わるんかいな。

友:大事なのは、正則が城の修理を勝手にしたってところな。

私:うんうん、それで。

友:話は宇都宮へと戻りまして、宇都宮って言うのは日光東照宮への途中にもなるし、東北への街道にもなるから、幕府としては重要視しとってんけど、たまたま十一歳の奥平忠昌って言う人が藩主やって、要衝を守るには若いとか、そういう理由で古河へ移るよう命じられ、正純があいた宇都宮へと移ったんやな。

私:長い長い話やなぁ。ほんまにこれ、終わるんかいな。

友:そろそろ終わるよ。

私:それやったらええけどな。

友:俗に宇都宮釣り天井事件とも言われる話なんやけど、実際にはそないなことは無かったんやな。

私:なんの話やさっぱりわからへんし。

友:気にせんでええよ。

私:それで?

友:それで、正純は宇都宮城主となるんやけど、正純、勝手にお城の修繕とかしちゃうんですよ。

私:あれ?

友:城下町の整備とかも頑張っても居てはるんやけど、わずか三年で宇都宮城を取り上げられてまうんですよ。

私:それでどっかに左遷とか、ですか。

友:当初、五万五千石で秋田県の由利という土地への異動を命じられてん。でも、正純はこれを拒否してわずか千石になって。正純自身は息子と一緒に秋田県の横手って土地へ軟禁されることとなるんやな。

私:なぁんてこったい。

友:話はちょっとだけ前後するんやけど、山形県の山形城は最上さんが代々城主で、戦国時代には伊達政宗のお母さんが最上家の出身言うことで有名かな。なんにしても山形城と五十七万石を取り上げられてんけど、その受け取りに正純が出かけていくんやな、幕府の代表として。それで、受け取りに行った山県で、将軍秀忠から伊丹さんと高木さんという二人が使者として来て、お城を勝手に修理した件も含めて幾つか質問して、正純が答えられへん項目が幾つか有ったから、宇都宮を取り上げたって言うん流れなんやな。

私:出張先で左遷と降格を言い渡される感じ、かな。

友:そういう感じかな。将軍秀忠と正純の仲が悪かった、秀忠世代の家臣達が育って正純を煙たがった、色々と言われとるけど、昔、海音寺潮五郎さんやったかな、正純が十五万石を受け取った時点で幕府の中枢から離れるか、もしくは隠退して息子に家督を譲っとけば良かったんやないか、そないに書いてはったように記憶しとるんやが、違たらごめんな。

私:そもそも海音寺潮五郎さんがわからへんよ。

友:主に歴史小説を書いとった作家さんや。

私:あぁ、そぉ、ふぅ~ん。

友:長々と語ってきましたが、なんか得るもんは有りましたか。

私:結局、なんの話やったんかさっぱりわからへんよ。

友:あれですよ、権力を握ったら、控えめで居なさい寄って言う、歴史の中では良い事例なのかもしれません。

私:そうなのか。さっぱりわからんやったよ。

友:それはそれでええよ。とりあえず忘れとったことを語れたからホッとしたよ。ほな、お休み!

私:自分だけちゃっちゃと寝はるし。

友:(-_-)゜zzz…

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