結婚話
今日は朝からキャスリーン王女の機嫌がすこぶる悪い。
先日からルディガーはエルトハイムへ旅に出ている。あの夜会の後、ルディガーがグレンに頼んで眠り薬を届けてくれたおかげで、その夜はぐっすりと眠ることができた。その後は何事もなかったように普段通りの生活を送っていたら、今日、デクスターから夕食の誘いがきたのだ。
そしてその誘いが来てから、侍女達の動きが慌ただしくなった。夕食には客人も来るとのことで、普段の格好ではなく来客用に着替えろとのことである。
それからは大騒ぎだ。お風呂に入って花の香りのオイルでマッサージを受けたり、爪をひたすら磨かれたりと、朝からずっと振り回されていたキャスリーンはすっかり機嫌を悪くしていた。おまけにこれを着るようにと差し出されたドレスは、キャスリーンの趣味に全く合わない派手なドレスである。
キャスリーンは少しの時間も無駄にしない。朝からやることは山ほどあるのだ。夕食会の準備で今日は殆ど何もできなかった。それに客人が誰なのか教えてもらえないことも、キャスリーンの機嫌を一層悪くさせていた。
「いい加減、誰が来るのか教えてもらえますか? 客人が誰なのか分からなければ、こちらももてなす用意ができません。私の知っている方ですか?」
キャスリーンは広いダイニングテーブルに一人ポツンと座り、後ろに立つ侍女マージェリーに話しかけた。彼女は侍女としての経験も長く、キャスリーンの信頼も厚い。
「申し訳ありません、キャスリーン様。私達も客人が誰なのか、知らされていないのです」
「そうですか。ジャスミン、あなたも客人が誰なのか聞いていないのですか?」
キャスリーンは別の侍女ジャスミンに話しかける。ジャスミンはまだ若く、経験も浅い。
「私も、どなたがいらっしゃるかは……」
ジャスミンはオドオドと視線を泳がせていた。
「なるほど。私も知らず、侍女も知らない謎の客人を、今から私はもてなすのですね」
キャスリーンが落ち着かない様子のジャスミンを見ながらため息をつくと、ようやくダイニングルームの扉が開いた。
笑顔で入ってきたのはデクスター王だ。キャスリーンは慌てて椅子から立ち上がった。続いて部屋に入って来る男を見て、キャスリーンの表情が驚きで固まった。
その獲物を定めるような目。ゴルトウェーブ家の次男、クラウスが何故かデクスターと一緒に入って来たのだ。
「待たせて悪いな、キャスリーン。さっきまでクラウスと狩りの話で盛り上がっておったのだ」
デクスターは上機嫌で椅子に腰かける。
「……いえ」
キャスリーンはこわばった表情で軽く首を振る。
「さあ、二人とも座りなさい。キャスリーン、クラウスとは先日夜会で会ったばかりだから覚えておるな?」
クラウスは満面の笑みでキャスリーンを見つめた。
「今夜のキャスリーン殿下もお美しい。あなたは今まで私が見てきた女性の中で、間違いなく一番美しい方ですよ」
「……ありがとうございます」
キャスリーンは堅い表情のまま、クラウスに礼を言った。
クラウスとキャスリーンは向かい合い、デクスター王は中央に座る。デクスターは二人のことを嬉しそうに見つめていた。
「驚いただろう、キャスリーン。秘密にしていて悪かったな、クラウスがお前を驚かせたいと言うので隠しておったのだ」
「ええ、驚きました。クラウス様のいたずらは成功のようですね」
キャスリーンは表情を崩さず、給仕係が注いだワインに手を伸ばした。
「キャスリーン、そう緊張するな。お前の目の前にいるこの男は、未来の夫になるかもしれないのだぞ? もっと顔を良く見なさい。なかなかのいい男だと思わないか?」
「……なんですって?」
キャスリーンは思わずデクスターに聞き返した。
「そうだ。今までお前には結婚の申し込みが数えきれないほどあったが、全てお前は気に入らないと反故にしてきたな。だがお前ももう二十二だ。いい加減夫を決めなければならない。そう思うだろう?」
「お待ちください、その話は以前からお話ししている通り、私は慎重に夫を選びたいと考えているのです。お父様も私の考えに賛同してくださったではありませんか」
キャスリーンは焦った様子でデクスターに食い下がる。
「キャスリーン。確かにお前の気持ちも分かるが、そう言っている間にお前はすっかり年を取ってしまうのだぞ。お前はいつまでも若くはないのだ」
デクスターは眉間に皺を寄せ、首を振った。
「それは分かっています。ですが……」
「キャスリーン、お前はいつもそうやって結婚から逃げてばかりだな。ひょっとして誰か想い人でもいるのではないだろうな?」
デクスターは探るような目でキャスリーンを見る。
「まさか。そんな人、いるはずがありません」
キャスリーンは慌てて首を振った。向かいに座るクラウスは。そんなキャスリーンをじっと見ている。
「ならば問題はあるまい。クラウスはお前の夫として相応しい人物だと、私の占い師がそう申したのだ」
「……ああ、光栄です。先日の夜会での再会、あれは運命だったとしか思えません」
クラウスが大げさに胸に手を当て、うっとりとした顔をしている。
「……占い師ですって? お父様。どうして急に占い師の話を聞くようになったんです」
キャスリーンはデクスターを思わず睨んだ。
「やつは只の占い師ではない、あの男は本物だよ。私の心の中を全て読んでしまうのだ。バルタに従うことが、アズールマーレの繁栄に繋がるのだよ」
デクスターの様子はどこかおかしい。
以前のデクスターは常に他人を疑うようなところがあった。だが、今のデクスターはやけに上機嫌で、どこか浮ついていた。今もキャスリーンの目の前で、クラウスと何が楽しいのか大笑いしている。
クラウスが三回結婚を失敗していること、ブルーゲートで昼夜遊んでばかりいること、女性に暴力を振るっていること、これらをデクスターが知らないとは思えない。これまでのキャスリーンの結婚相手候補は、必ずデクスターがどんな男か調べた上で彼女に勧めてきた。
「お父様、占いも結構ですが、少し冷静になってください」
キャスリーンは身を乗り出しながらデクスターに詰め寄った。
「私はいつでも冷静だよ、キャスリーン。客人の前で言い争いは見せたくない。せっかくの食事を楽しもうじゃないか。なあ? クラウス」
「はい、陛下」
「そうだ、クラウス。今度私と一緒に狩りに行こうではないか」
「ぜひお供させていただきます。私は『獲物は絶対に逃さない男』ですからね」
「言うじゃないか。クラウスは狩りに相当の自信があるようだな!」
デクスターとクラウスは、下品な高笑いをしながら杯を掲げている。キャスリーンはそんな二人を気味悪そうに見つめていた。




