涙の抱擁
アズールマーレ王国は悲しみに包まれている。
デクスター王が暗殺された知らせは、衝撃を持って王宮に届けられた。キャスリーンは倒れた王妃に代わり、気丈に振舞わなければならなかった。
悲しみの中、王の葬儀が行われた。葬儀が終わった後、キャスリーンは一人、王宮の離れに建つ礼拝堂の中にいた。黒いドレスを着たままで、何をするでもなく、ただぼんやりと立っていた。
その時、扉が開く音を聞いたキャスリーンが顔を上げると、そこにはルディガーが立っていた。
「……キャスリーン様」
「ルディガー」
キャスリーンはルディガーの顔を見ると気丈に微笑んだ。ルディガーは正装で、紺色のジャケットには国王から賜った勲章が寂しく輝く。
「こちらにいらしたんですね」
「……ええ。少し、一人の時間が欲しかったの」
「キャスリーン様。少しお休みになられた方が。殆ど寝ていないんじゃないですか?」
キャスリーンの顔は青白く、明らかにやつれていた。
「平気です。色々と葬儀の準備があって、少し疲れただけ。グレンに眠り薬をもらっていますから」
「飲みすぎは身体に悪いですよ」
ルディガーはキャスリーンに近づき、顔を覗き込んだ。
キャスリーンはふっと目を逸らした。
「……暗殺者のことをずっと考えていました。女を潜り込ませたのは、クラウスに間違いない。あの男はお父様に婚約を反故にされたことを恨んでいたのです」
「俺もそう考えてます。しかし、巷ではチェスター殿下が仕組んだと噂になっているようですよ」
「チェスター叔父様が関わっているとは思えません。叔父様は兄弟の中で最もお父様と仲が良かった人。叔父様にお父様を殺す動機はないですし、そもそも女を狩りに同行させたのはお父様自身なのです。ですが……確かに外から見れば、兄弟のいざこざが起こした事件だと思うでしょうね」
「犯人のことをもう少し探ってみます。クラウスが本当に関わっているのかどうか、チェスター殿下の濡れ衣を晴らす必要もありますしね」
「お願いします。ですが本当にクラウスだったとして、まさかお父様に手をかけるなんて……私はあの男を侮っていました。あの男はもはや狂っている」
「陛下がいなくなれば、キャスリーン様との婚約を継続できるとでも考えたのか……愚かな男です」
キャスリーンは力なく呟いた。
「でも、お父様は現実にいなくなってしまいました……私があの時、一緒に狩りに行っていたら。私が一緒なら、お父様は娼婦を連れて行くことはなかったはず。私があの時、断らなければ……」
キャスリーンは両手で顔を覆った。細く華奢な肩を震わせ、涙をこらえていた。
ルディガーはキャスリーンに近づき、そっと彼女を包み込んだ。キャスリーンは肩を震わせたまま、ルディガーの胸に頭を預ける。
「……お父様は完璧な人ではなかった。でも、私は、お父様を愛していたの……」
キャスリーンは声を震わせ、消え入りそうな声で呟いた。ルディガーはそんなキャスリーンを労わるように、彼女の背中を撫でた。
「知らせを聞いたあの夜から、私は何度も悪夢を見ているの。眠り薬も効かないわ。いつも、お父様を暗殺者から守ろうとして……失敗して、目が覚める」
キャスリーンの話を、ルディガーは悲痛な顔で聞いていた。ゆっくりと背中を撫で、まるで親が子をあやすように、優しく彼女を気遣っていた。
「……ねえ、ルディガー」
「はい、キャスリーン様」
「あなたがお母様を亡くした時、どうやって、この悲しみから立ち直ったの……?」
「……立ち直るのは、大変でした。母は俺の大好きな人でしたから」
ルディガーはキャスリーンの頭を優しく撫でながら話した。ルディガーの実の母親は、彼が幼い頃に亡くなっている。
「俺は幼い頃、よく屋根の上で空を見ていたと前に話しましたね。あの時、空の上の母とよく話をしていました。何故だか、屋根の上だと母の声が良く聞こえる気がして……でも、その声は段々聞こえなくなりました。そしてやがて、完全に聞こえなくなりました」
ルディガーの低く穏やかな声は、聞いているだけでキャスリーンのささくれ立った心を落ち着かせていく。キャスリーンはルディガーの胸の中で、彼の話を聞いていた。
「時間でしか、解決できないことはあります……。俺はキャスリーン様が悪夢を見なくなる日まで、ずっとこうして、あなたのそばにいますから」
キャスリーンはその言葉を聞き、とうとう溢れる涙を我慢できなくなった。ポロポロと涙をこぼしながら、キャスリーンはルディガーの背中に手を回し、強く抱きしめた。
「ありがとう、ルディガー」
ルディガーは一瞬戸惑うように目を瞬かせ、そしてキャスリーンの背中に回した腕で、彼女の身体を強く抱きしめた。
静かな礼拝堂で、二人はしばらくの間、そうしていた。キャスリーンのすすり泣く音だけが、そこにあった。




