クラウスの怒り
この日は珍しく、デクスターがキャスリーンに一緒に朝食を食べようと誘ってきた。恐らく何か話したいことがあるのだろうと思いながら、キャスリーンは支度をしてダイニングルームへと向かった。
中に入ると、既にデクスターは席に着いていた。彼は一人、広いテーブルに座っていて、母エレノアはそこにはいない。
「お待たせしました、お父様……お母様はいらっしゃらないのですか?」
不思議そうな顔で室内を見回しながら、キャスリーンは席に着く。
「ああ。今日はお前と二人で話したいと思っていた」
「そうですか。何のお話でしょう?」
言いにくそうに、デクスターが口を開いた。
「……すまない、キャスリーン。私はとんでもない失敗をする所だった。あのクラウスとお前を結婚させようなんて、私はどうかしていた」
キャスリーンの瞳が、驚きでみるみる広がる。
「……それは! お父様。正気に戻られたのですね!?」
「正気かどうかは、分からん。だがクラウスをお前の夫になどという馬鹿げた考えは間違っているということは、分かる」
キャスリーンの心に喜びが広がった。
「ええ、そうです。彼を私の夫になどという考えは、間違いだったのです……でも、何故急に?」
デクスターは力なく首を振る。
「分からん。昨夜酒を飲んでいたら、突然心の中の不安がみるみる大きくなったのだ。クラウスという男を、私は何故かキャスリーンの夫にしなければならないと思い込んでいた。私にもさっぱり分からない。何故あんな男を、素晴らしいと思ってしまっていたのだ?」
「お父様。それは占い師バルタの仕業です。お父様はバルタに操られていたのです」
「バルタ? ……そうだ、あの占い師! 私はあの男に会ってからおかしくなったのだ。あの男の言うことは絶対だと思わされていた。何てことだ! あんな男に入り込まれるとは……フェルクスを今すぐ呼べ!」
怒りの表情でデクスターは自分の侍従に怒鳴りつける。
「お父様、フェルクスを責めないで。彼はバルタをずっと疑っていたのです」
「しかしだ、あれがもっと目を光らせていたら」
「お父様」
キャスリーンの怒りを含んだ声に、デクスターはしゅんとなった。
「……とにかく、お父様の目が覚めて何よりです。ということは、婚約は白紙ということですね?」
「勿論だ。すぐにでも手紙を出そう。しかし……婚約が成立する前で良かったよ。取り返しのつかないことになるところだった。キャスリーン、私を許して欲しい」
テーブルに手をつき、キャスリーンに向かって頭を下げるデクスターに、キャスリーンは慌てた。
「私はもういいのです、お父様。頭を上げてください」
渋々頭を上げるデクスターを、にっこりと微笑むキャスリーンが見つめていた。
(ルディガーがやってくれたんだわ!)
食事が終わり、廊下を歩くキャスリーンの足取りは軽かった。
♢♢♢
次の日になり、ようやくルディガーが王宮に戻って来た。彼の報告を聞く為に、早速キャスリーンは「北の塔」にルディガーを呼び出した。場所は勿論、魔法使いグレンの部屋である。
三人の目の前には、テーブルに置かれた魔法具と、魔法具から外れた二つの赤い石があった。ブルーゲートでルディガーが破壊した、女の顔が彫られた例の物だ。
グレンは魔法具を見て冷静さを失っていた。
「どうしてこれを破壊してしまったんだ、ルディガー!」
「だってこれのせいで、陛下はおかしくなったんだろ? 早く壊さないと」
「いや、壊さなければならないのは確かなんだが、これはアズールマーレ建国前に作られた貴重なものなんだぞ? 初代国王はこの魔法具の使用を禁止したから、当時作られたものしか残ってないんだ。これは魔法学的にも貴重な資料で……」
「壊さなければ陛下はこのままなんだぞ?」
「……分かってるが、でもせめて、原型のままのものを一目見たかった……!」
言い合いしている二人をじっと見ていたキャスリーンは、ようやく口を挟んだ。
「グレン、この魔法具は一刻も早く破壊する必要があったのですよ」
グレンはハッとして、キャスリーンに向き直る。
「失礼しました。珍しい遺物を見たので、つい……」
「気持ちは分かりますが、これはとても危険なものです。ですから初代国王もこれを禁止したのでしょう」
「そうですね……しかしバルタという男、一体どこでこんなものを手に入れたのか」
「あちこち放浪してたみたいだから、それで手に入れたんだろうな。グレン、これはちゃんとそっちで処分しておいてくれよ?」
「もちろんだ」
グレンは目の部分に埋め込まれていた小さな赤い石を手に取り、じっと見ている。
「……調べたい気持ちは分かるけど、ちゃーんと、処分するんだぞ?」
「分かってる。すぐに処分するさ」
睨むように見ているルディガーに、グレンは慌てて首を振った。
「……とにかく、この魔法具は壊れて陛下の目が覚めたことは良かったんですが……キャスリーン様。バルタを生きて連れ帰ることが叶わず、申し訳ありません」
ルディガーがキャスリーンに謝罪をすると、キャスリーンは笑顔で首を振った。
「構いません。あなたのおかげで魔法具を見つけ、お父様が正気に戻ったのですから」
「俺はあの男の、生きることへの執着心を甘く見ていたのかもしれませんね……」
珍しくルディガーは落ち込んでいるようだった。ルディガーを励まそうと、キャスリーンは笑顔で口を開く。
「ルディガーとグレン。二人には本当に助けてもらいました。あなた達のおかげで私は救われたのです。本当にありがとう」
「お礼なんて。キャスリーン様をお守りするのは当然のことですよ」
ルディガーは慌てて胸に手を当て、敬礼のポーズをした。
「私も当然のことをしたまでです。ですが……クラウスはこのまま諦めるでしょうか?」
グレンは少し不安そうな表情を浮かべていた。
「そのことは正直言って、俺も心配してます。クラウスは、欲しい物を手に入れなければ気が済まない男だ」
ルディガーもこのまま終わると終わっていないのか、眉をひそめる。
「あの男が何を企もうが、お父様が許可しない限り、結婚はあり得ません。今後は警戒を強めるでしょうから、もう占い師に騙されることもないはず。心配はいりません」
「そうですね、心配し過ぎました」
ルディガーは表情を和らげ、グレンと頷き合った。
「後でお父様が二人に勲章を与えると言っていましたよ。もちろんユーリアールにもです」
「本当ですか! いやあ、光栄です!」
ルディガーもグレンも嬉しそうだった。国王からの勲章はとても名誉あるもので、平民出身の彼らにとっては大きな誇りとなるだろう。キャスリーンも彼らが評価されることを心から喜んでいた。
「それと私からも褒美を。後でここと騎士団の館に、最上級のワインを届けさせます」
ルディガーとグレンは満面の笑みで「ありがとうございます、キャスリーン様!」と声を合わせた。
その後、騎士団の館と北の塔に、ワインの樽が次々と運び込まれた。彼らは大喜びで酒を飲み、樽はあっという間に空になった。
♢♢♢
後日、ゴルトウェーブ家に王の使いが手紙を持って訪れた。
執事エーゲルは、たまたまその時、長男ブレンドンの妻が住む屋敷を訪ねていて不在だった。王の使いに対応したのは、次男のクラウスだった。
手紙はクラウス宛のものだ。クラウスは使いから手紙を受け取り、すぐに開封した。
「……何だ、これは。どういうことだ!?」
クラウスはわなわなと怒りに震えていた。その手紙の内容は、キャスリーン王女との婚約の話は白紙に戻してくれ、というものだった。
「おい! こんな手紙は偽物だ! キャスリーン王女との婚約の準備は滞りなく進んでいると、陛下に伝えろ!」
王の使い達は、困ったように顔を見合わせた。
「その手紙はデクスター国王陛下が間違いなく書いたものである。キャスリーン王女殿下との婚約は破棄されたのだ」
「俺は認めねえぞ!」
クラウスは怒り狂い、デクスターの手紙を王の使いに投げつけた。
「おい! 無礼だぞ!」
使いの一人が眉を吊り上げ、思わず剣の鍔に手をかける。
「どっちが無礼だ! いきなりこんな手紙一枚で婚約はなかったことに、だと? ふざけるのもいい加減にしろ! こいつらを屋敷から追い出せ!」
クラウスの命令を聞き、衛兵達が素早くクラウスの前に立ち、一斉に剣を抜いて王の使い達に向けた。
「……王の使いに剣を向ける、だと?」
使いの男は呆然としていた。
「……仕方ない、ここは引こう」
鍔に手をかけていた手を緩め、王の使い達は逃げるように屋敷を後にした。
その後のクラウスの荒れようは酷かった。クラウスは手当たり次第に物に当たり、廊下の美しい胸像は破壊され、絵画は無残な姿で床に落ち、花が生けられた花瓶は粉々になった。彼の部屋の中はもっと酷い状態で、机の上の物は全て床に落ち、椅子は脚が折れて転がっている。
「……キャスリーンを、妻にできない?」
頭をぐしゃぐしゃにかき乱し、クラウスは呟く。
キャスリーン王女を妻にすることが、クラウスにとって最後の、兄を出し抜き父の寵愛を得る手段だった。
兄のブレンドンはクラウスと母親が違う。ブレンドンは聡明な母に似て、幼い頃から優秀な子供だった。二番目の妻であるクラウスの母親は最初の妻と正反対で、見た目は美しいが派手好きで見栄っ張り、おまけに癇癪持ちの女だった。クラウスの妻と別れた父マシューは三人目の妻を迎えた。それが現在のクラウスの母であるが、彼女は暴力的なクラウスを恐れ、屋敷から離れた場所で暮らしている。
マシューは兄ブレンドンを重用し、事業の手伝いをさせている。いずれは彼が跡を継ぐことが決まっていて、ブレンドンにはしっかり者の妻と三人の息子がいる。ゴルトウェーブ家が立ち上げた「メルクリウス商会」の未来は明るいと、人々は噂する。
クラウスがキャスリーン王女を妻に迎えれば、クラウスは王家の親戚となり、これまでの「何の取り柄もない次男」という評判をひっくり返せる。可愛げがなく魅力のない兄の妻よりも、美しいキャスリーン王女を手に入れれば、兄への溜飲が下がるというものだ。
クラウスには、この計画を絶対に成功させなければならない理由があったのだ。キャスリーンを妻にする、その目的の為には、どんなことでもやり遂げなければならなかった。彼はすっかり冷静さを欠いていた。
「……計画の練り直しだ」
クラウスは乱れた前髪の間から覗く、蛇のように鋭い目で窓の外を見つめた。




