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猫を呼ぶ声

 王都の城下町にある一軒の酒場に、帽子を深く被った男が現れた。

 男はキョロキョロと店内を見回し、店員の女を捕まえて何やら小声で尋ねる。女に案内され、二階にある個室に案内された男は、中で待つ人物を見てため息をつきながら帽子を外した。


 男はクラウス・ゴルトウェーブだった。部屋の中にいたのは魔法使いバルタである。

「こんな薄汚い酒場に呼び出して、何の用だ? 俺達が王都の城下町で、こうして会うのはまずいと分かってるだろ」

 クラウスはバルタを睨みながら、椅子にどっかりと腰かける。


「まあまあ、クラウス坊ちゃん。しばらく王都に滞在していると聞いたんでね。落ち着いてワインでも一杯どうだい? それともリンゴ酒に? エールもあるがやめておいた方がいい。ここのエールは飲めたもんじゃないよ」


 テーブルの上には何種類かの酒が並び、バルタは既に相当の酒を飲んでいるようだった。

「いや、酒はいい。それよりも用件をさっさと話せ」

 クラウスは苛立っていた。


「せっかちな人だ。私は坊ちゃんの言う通り陛下に近づき、信頼を勝ち取った。おめでとう、あんたはキャスリーン王女の夫候補だそうで」

 バルタはニヤリと笑いながらワインをあおった。


「それは感謝してるよ。正直言って俺も、あそこまで上手くいくとは思ってなかった。俺はどうやらあんたを見くびっていたようだ」

「ならば報酬の話といこう。すぐに約束の金貨を払ってもらおうか」

 バルタは皺だらけの手を差し出した。

「待てよ。まだ婚約は成立してない。金を払うのはその後だ」

 クラウスが首を振ると、バルタの表情が醜く歪んだ。


「坊ちゃん。私をあまり怒らせない方がいいと思うがね。なんたって今の私は国王専属の占い師だ。今から陛下に、クラウスとキャスリーン様が結婚するのは間違いだと進言してやってもいいんだが」


「……クソ、足元見やがって。分かったよ、金は必ず払う」

 クラウスはため息をつき、バルタを睨んだ。

「そうこなくては。それと、陛下に近づく為……色々と準備に金が必要だったもんでね。だから報酬の金額を引き上げさせてもらいたい。まずはあんたの提示した額の倍はいただかないと」


「倍だって!? おい、バルタ。調子に乗るなよ」

 クラウスは眉を吊り上げ、バルタに凄んで見せた。


「調子になんか乗っていないよ。払えないってんなら、そうだねえ……あんたの家に頼んでみよう。父親と兄は船の上にいるようだが、二人がいなくても報酬の金くらい、簡単に出せるだろう? ゴルトウェーブ家ならね」

「クソ爺が。俺を脅すとはいい度胸だな」

 クラウスはバルタを睨みつける。


「何とでも言うがいい。あんたは私には逆らえないよ……ああそれと、金貨と共に家もくれると言っていたな? 出来るだけ高い、町を一望できるような所がいいね。それと女も用意してもらおう、若ければ若いほどいい……」

 バルタは勝ち誇ったような顔でクラウスを見ていた。その手は皺だらけだが、全く震えがなかった。自信をつけた彼は、まるで若返ったように生気溢れていた。



♢♢♢



 港町ブルーゲートに到着した下級騎士ルディガーは、街の近くの宿屋に馬を預け、ユーリアールと歩いていた。


 早速セシリアから聞いた「クラウスの行きつけの酒場」を探す。以前刺客に襲われた裏路地は昼間でも薄暗く、道はゴミで汚れていて嫌な臭いがする場所だ。

 前にここを通った時は旅人に扮していた為、彼は小刀程度の武器しか持っていなかったが、今日は騎士団の隊服を身に着けているし、横には部下のユーリアールもいる。少しは安心と言えるが、王都の騎士団がウロウロしていると、それはそれで目立つ。


 この町はゴルトウェーブ家の衛兵が町を守っている。さすがにレーヴェンハーツ騎士団に手を出すような者はいないが、彼らにとっては他の領地の騎士は他国の兵士のようなもの。騎士団が我が物顔で歩き回ることにいい顔をしないのだ。


 まだ日も高い頃、ルディガー達はあの路地裏へ向かった。ゴミなのかなんなのか、不快な臭いにユーリアールは思わず顔をしかめるが、ルディガーは顔色一つ変えずにどんどん先へ進んだ。

 路地裏の角に、その酒場は確かにあった。ルディガーの想像以上にその店は古く、汚かった。壁にはツタが這いまわり、入り口の扉は下の方が腐っているように見える。窓もツタでびっしりと覆われ、中の様子を伺うことはできない。


「今も営業しているんでしょうか? もう店を閉めてしまったのでは」

 眉をひそめながら酒場を眺めるユーリアールの言葉を無視し、ルディガーは無言で店の裏に回った。


「来い、ユーリアール」


 ルディガーの呼ぶ声に慌ててユーリアールが駆けつけると、そこには店の裏口があった。


「ここはまだ営業してるよ。本当の入り口はこっちだ。ほら見ろ、扉の下に靴跡がついてる」

 ルディガーはしゃがんで扉の周りにある靴跡を指さした。

「本当ですね。今夜も営業するでしょうか?」

「さあな。とりあえず一度戻って、夜にまた来てみよう。あまりここに長居しない方が良さそうだ」

 二人はそそくさと路地裏を離れた。



♢♢♢



 夜の帳が下りた頃、ルディガーとユーリアールは再び、あの路地裏に向かった。

 足音を立てないように静かに歩いていると、突然頭上から男の叫び声が響いた。


「ジェシカ! またお前は脱走したのか! どこへ行ったんだ、ジェシカ!」


 見上げると男が窓から顔を出し、猫の名を呼んでいる。どうやらあの男は夜になるとああして猫の名を呼ぶようである。


(毎晩悪夢でも見ているのかね)


 ルディガーは必死に叫ぶ男の声を聞きながら、先へと進んだ。




 二人は酒場の裏に回った。建物の窓からは、ツタの隙間からぼんやりと明かりが漏れている。中に誰かいるのは間違いない。

 ルディガーはユーリアールに目で合図をしながら、裏口の扉を勢いよく開けて中に入った。扉の中は倉庫兼厨房になっていて、奥にもう一つ扉がある。その扉を開けると、そこは店の中で、中年の男が一人驚いた顔で立っていた。


「な……なんだい、あんたら」

「なんだいって、俺達は客ですよ。酒を出してもらおうと思いまして」

 ルディガーが笑顔で男に話しかける。

「悪いがもう閉店だよ。あんたら……レーヴェンハーツ騎士団じゃないか。王都の騎士団様がなんでこんな店に? 表通りにはあんたらに似合った酒場なんていくらでもあるだろう」

 店の主人と思われる男は、警戒の表情を浮かべながらテーブルを拭いている。

「静かな店で飲みたいんですよ。金ならほら、あります」

 ルディガーは腰に下げた革袋から、銅貨を数枚出して見せた。

「……駄目だ駄目だ。もう酒は全て売り切れたよ。さあ、早く帰れ!」

 銀貨を見て少し心が揺れたように見えた主人だったが、頑なに二人を拒む。

「一杯だけでも残ってませんか? もう喉がカラカラで……」

「ないと言ってるだろう! もう帰るんだ!」


 主人の態度は変わりそうにない。追い出されるようにルディガーとユーリーアールは店を出た。



「簡単には話を聞けそうにないですね」

 ユーリアールは廃墟にしか見えない酒場を見上げ、ため息をついた。

「そうだな……」


 その時、再びあの「猫を呼ぶ男」の叫び声が聞こえた。ルディガーはその男の声を聞きながらにやりと笑う。

「あの男に聞いてみよう」

「ええっ!? やめましょうよ。あの男、まともに話ができるようには思えません」

 ユーリアールの忠告も耳に入らないのか、ルディガーは既に走り出していた。




 男の部屋は二階にあった。狭くて急な階段を上り、部屋の前に着いたルディガーは扉をノックした。

 男の返事はない。ルディガーは鍵のかかっていない扉を開け、中に入る。部屋の中は明かりがなかった。ランタンを手に持ち、窓際に見える人影に近づく。


 男は窓の外を見ていたが、ルディガー達に気づくと大きく目を見開いた。

「……見つかったのか! ジェシカが見つかったのか!?」

 ランタンを手に持ち、立っているルディガーに男が縋り付いてきた。


「ジェシカは!? ジェシカは無事だったのか!?」


 ルディガーは悲しそうな顔で男を見た。

「……いいや、ジェシカは見つからなかったよ」

 男は「……そうか」とだけ言い、その場にへたり込んだ。


「ジェシカは……どうして、いなくなったんだ?」

 ルディガーはしゃがみ込み、ランタンを床に置くと男に尋ねた。男はやがて、ぽつりぽつりと話し始めた。

「もう何年も前だ……あの野郎が……ゴルトウェーブ家の次男が、ジェシカを無理やり連れて行ったんだ。次の日……執事と名乗る男が、俺に銀貨を一枚渡してきて……『ジェシカは亡くなった』と言ったんだ」

 クラウスの話が出ると思わなかったルディガーは、思わずユーリアールと目を合わせた。


「あの男は……俺のジェシカを殺したんだ……。おもちゃのように、ジェシカをいたぶった。そしてゴミのように、ジェシカを捨てたんだ。俺の……唯一の家族だったのに」

 男は泣いていた。ジェシカがもういないことを知りながら、毎晩悪夢にうなされるのだと話した。


「クラウスは、命などなんとも思っていない男だ」

 ルディガーの低い声が、彼の静かな怒りを表していた。



 少し落ち着いた男に、クラウスがあの古い酒場に通っているのを見たかとルディガーは尋ねた。

「……ああ、何度か見ているよ。あの男はコソコソと人目を避けていて、酒場の影に消えていく。俺はあいつを見るたびに殺してやろうと思うから、あいつがどこに行くのか、ずっと目で追っているんだ。でも衛兵がぴったりついていて……」

「あの酒場には、他にも常連がいるのか?」

「……さあね。だが時々男が酒場に入っていくのを見る。ここ最近は……あの占い師を見たのが最後かな」


「占い師?」

 ルディガーの目が光った。

「近頃、街をうろついていた占い師だよ。口が上手くて、みんなそいつに金を出しちまう。パン職人のダンもすっかりそいつにハマっちまって、相当金を払ったって噂だ。そう言えば最近は見かけないな……」

「そいつの顔は分かるか!?」

 ルディガーは思わず、男の肩を掴んだ。

「あ……ああ、皺だらけの爺だよ。この辺りの生まれじゃなく、あちこちを放浪して暮らしているとか」


 ルディガーとユーリーアールは、再び目を合わせて頷いた。

「ありがとう。いい話を聞けたよ」



♢♢♢



 翌日、ルディガーは再び男の部屋を訪ねてきた。


「何だい、こんな朝早くに……」

 不機嫌そうに扉を開けた男は、笑顔のルディガーが胸に抱いている子猫を見て、目を丸くした。


「やあ、今日もいい天気だな」

「そ……その猫は……」

 ルディガーは子猫を大事そうに抱え、優しく撫でた。

「酒場の女達が面倒を見ている猫だよ。沢山子猫が生まれたから、貰い手を探しているようだ……良かったらこの子の面倒を見てやってくれないか?」


 男は慌てて首を振る。

「だ……駄目だ。俺はもう猫は飼わないと決めてるんだ……」

「あんたは猫を愛してくれる人だ。そういう人になら、この子を譲ってもいいと酒場のマダムが言っていた」


「し、しかし俺は……」

 戸惑う顔で男は子猫を見つめた。ルディガーはそっと男に子猫を差し出す。震える手で男は子猫を受け取り、顔を近づけた。

 キョロキョロと落ち着かない様子の子猫を、男は優しく撫でた。

「よしよし、怯えないでくれ……お腹は空いてないか?」

 男はすっかり子猫を気に入っていた。いつの間にか男の顔に笑みが浮かんでいる。


「あ……ありがとう。この子を大切にすると約束するよ」

「良かった。これで、あんたの悪夢も消えるといいな」


 ルディガーは男と別れ、建物の外に出た。


 その後夜の路地裏に響く、男が猫を呼ぶ声は二度と聞こえなくなったと言う。

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