レンタカーの女 後
気付くと知らない部屋のベッドに寝ていた。
かなり狭い。一畳半ぐらいで小さな書き物机とベッドがあるだけで他には何も、窓すらない。
監房か何かか?という考えが過ぎった。その想像で、独りでに心臓が早鐘を打ち始める。
ここまでくると須加にも分かった。
やはり最初の勘は正しかったのだ。あの人達に、ここで、「何か」させられるのだ。バイクの廃車を引き受けてくれたのも親切なんかじゃない。きっと途中から記憶がなくなっているのだって。
(何か、盛られた?)
恐ろしさで涙が滲む。逃げようにもドアしかない。何も思いつかずドアを見つめていると、ドアが外側に開いた。
「あ、起きてる起きてる」
「お目覚めはどう?これから車の分もたっぷり働いてもらうからね」
その日から須加の「奴隷」生活は始まった。
朝は男が起こしに来る時に、起きなければならない。朝食にはおにぎりが一つ支給される。
「職場」は大部屋だ。「職場」にはいつも四、五人の仲間がいた。見張りの男も一人か二人常駐している。
仕事内容は、マニュアルに従って、マッチングアプリで釣った女性をアプリ外のSNSへ誘導して親密度を上げ、お金が必要だと言って投資サイトへ入金させることだった。
須加は車の修理代を稼いだ額から引くという契約書にサインさせられ、修理代に加え日々の食費も借金として上乗せすると言われていた。
週間のノルマもあって、達成できないと罵声を浴びせられ、一時間以上人格否定されるから必死だった。
「職場」ではコールセンターのように隣り合わせで座っているが、私語は禁止だ。一言話しただけで見張りの男が寄ってきて、何を話していたか聞かれるのだ。
「あの……。トイレに行ってもいいですか……?」
トイレに行くにも毎回許可がいる。
須加は、トイレに駆け込んだ。
「うっ……、おぇっ」
今朝のおにぎりを戻してしまった。監視のストレスだった。一週間耐えたが、もう限界だった。ずっとトイレにいたかった。
しかし長時間いると絶対に理由を聞かれるので、早めに帰らなければならない。
午前の仕事をしたら昼休みだ。
昼は三十分間。スーパーやコンビニの弁当とお茶だ。
それから仕事をして、夜の人員と交代し、夕食のカップラーメンを食べたら部屋に帰らされる。
部屋の中はプライバシーはあるものの、スマートフォン等は取り上げられているので何もすることがない。
外に出る機会はほぼなかった。男達も、コンビニ弁当を買ってくる以外は外に出ていないのではないだろうか。
須加は決心した。
「外に出してください、だぁ?」
「コンビニの弁当を買うのでもいいです!」
「いいよ」
振り向くと、久しぶりに見た坂井だった。
「鈑金修理で、ちょっと時間掛かりそうなんだよね。代車代も払ってもらおうと思ってたから、ちょうどいい。借りに行こうか」
二人はS市の隣県のレンタカーショップへ行った。
その店では、支払いクレジットカードのみと言われたが須加はカードを持っていなかった。
「えっ。いい大人なのにクレジット持ってないの?ホントダメダメだね」
「……すみません」
「いいよ。払うから。契約者はお前ね」
この日から、午前中は男達の誰かと二人で弁当を買いに行き、午後は大部屋で仕事をすることになった。
しかし一週間後。早朝にたたき起こされ、須加は呼び出された。ノルマを達成してないと言われて。
「外に出てると時間が」
「外に出たいって言ったのはお前だろうが!みんな時間は平等なんだ。ノルマ達成できてねぇんだったら頭使って巻き返せや!」
「ひぃっ!はいぃっ!」
「ノルマ達成しろよ」
「はぃぃ!」
その日、須加はひったくりに手を染めた。
それから数日後、レンタカーは普通に返されたのだった。
その間一度どきりとしたのは、ショッピングモールで同級生の村田に会ったことだ。男が少しの間いなくなっている時に、声を掛けられたのだ。一瞬助けを求めることも考えたが止め、なんとか世話話をして別れた。
「お〜い!ちゃんと大人しく待ててたか?」
「!!……は、はい!」
後ろから男に肩を組まれたのには肝が冷えた。
車を返した後は、再び缶詰め生活が待っていた。
「須加。一緒にレンタカー借りに行こう」
坂井に声を掛けられて、須加はS市に来ていた。世間では連休になっているある日だった。
クレジット支払いでなくても借りることができる店を見つけたのだという。何か車が必要なようだったが、藪蛇が怖くて何も聞くことができなかった。
店に行くと、少し車の準備に手間取ったがシルバーのハッチバック車を借りることができた。
レンタカーは連休の終わりで一度清算し、坂井の指示の下、マンスリーで契約を結び直した。
助手席に座った時、須加は後ろを振り向いた。
後ろに誰かいた気がした。
須加は坂井と午前中に買い出しをし、午後は大部屋で仕事することになった。二ヶ月ほど経つ頃には、マッチングアプリから女を誘導するのも慣れ始め、ひったくりは隣県で一件しただけだった。
最近は県道沿いのコンビニで買うことが多い。今朝も隣県からS市に抜ける道を走っていた。
須加が、ふとバックミラーを見た時だった。
「ひっ!」
女が座っている。
助手席側の後部座席に、白い服の女がいる。顔は長い髪に隠れて見えない。
「さ、さ、坂井さん。……女が」
「女ぁ?どこに」
振り向いても誰もいない。
「さっき……。後ろに……」
自分が見たものに自信がなくなって、言葉が尻すぼみになってしまった。
その日は他に何も見ることはなかった。
その日から、須加は後部座席の女を見るようになった。
女はまだ若く見える。いつも長い黒髪で白いワンピースを着て、俯いて座っている。
最初は恐ろしかった須加だが、座っているだけで害はなさそうなので、緊張するが、ミラー越しに観察できるようになった。
須加には一つ気になっていることがあった。
女が、何か呟いている気がするのだ。
「坂井さん。今日もいます」
女は今日も静かに座っていた。
しかし、坂井は鼻白んだ。
「なにもいないじゃん。須加お前さ。女、女ってうっさいんだよ」
「でも後ろに……。信じてくださいって!」
「マッチングアプリで相手しすぎておかしくなっちゃったんじゃないの?ああいう頭の弱い女は、俺達に金を恵んでくれる大切なATMなの」
いつの間にか、女が坂井の後ろにいた。目は血走り、横から坂井の方を覗き込んでいる。
「ぎゃあぁぁああ!!坂井さん坂井さん坂井さん!」
「何だよ、うっせえんだよお前!運転に集中してるから静かにしろボケ!」
須加の耳に何かが聞こえた。
女の声だ。
――どうして結婚してくれないの?
――嘘だったの?
――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……
女のワンピースのように白い雪が、フロントガラスに打ちつけられる。吹雪になりそうだった。
坂井も何かに気づいたのかちらりと横を見たりしている。
「ん……?何か言った?」
――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……
――ねえ。結婚して?
「坂井さん!前前前前!!」
坂井は改めて前を見た。
女の顔が目の前にあった。
「うわあぁぁぁ!!!」
坂井が焦ってハンドル切った。車は車線をはみ出して、左側の斜面を滑り落ちていく。
須加には、坂井の頭を掻き抱く女が見えた気がした。
車が藪に突っ込んで停まった時、坂井の姿はなかった。
「嘘だろ嘘だろ嘘だろ!開けっ!開けっ!」
須加は何とか開けることができた運転席側のドアから外へ飛び出した。
白い雪が打ち付けて来るが、構わなかった。今は車から離れたい一心だった。
✕日午前、県道✕号線✕✕峠付近で「人のようなものが横たわっている」と登山者から通報があった。
発見されたのは三十代から四十代と見られる男性。頭部のない状態で発見されており、警察は事件と事故の両面で捜査している。
また、捜査中に、滑落したと見られる別の男性の遺体も発見されており、慎重に関連が捜査されている。
(✕✕新聞)
書き上げられてよかったです。
お読みくださいましてありがとうございました。