レンタカーの女 前
須加さんちゃんと屑っぽく描けてるでしょうか…
須加将真は自身を、「ついていない男」だと思っていた。
まずは生まれた場所だ。
彼は、常々東京や大阪などの大都市に生まれなかった我が身を恨んでいた。
生まれ育ったS市は町の中心部を一歩出ると、山と畑しかない。その上両親は、S市の奥まった所にあるニュータウンに戸建てを購入していた。血迷っているとしか思えなかった。
次に、その両親だ。
父は幼い頃遊んでもらった記憶があるが、小学校へ上がる前に病気で死んでしまった。
そこからが運のツキだった。
母は須加を育てるために、昼の仕事に加え、夜の仕事も掛け持ちするようになった。
父の死後、母親は始終イライラしているようになった。朝食を食べるのが遅い、と怒り出したりは日常茶飯事だった。友達がゲームを持っている話をしただけで食卓を叩いて怒鳴りつけてきたり、脱いだ服が裏返しだと服を投げつけられたりもした。
須加将真が変わったのは高校時代だった。
いわゆる不良グループとつるむようになったのだ。
髪を染めてピアスを開け、煙草や酒も始めた。
唯一有益なことといえば、アルバイトを始めたことだろう。
先輩のバイクに憧れて、自分もほしくなったのだ。
先輩みたいにバイクを乗りこなせれば、こんなクソ田舎から飛び出すことができる。須加はそう思っていた。
母親に拝み倒して、なんとか小型自動二輪の教習にも通わせてもらえるようになった。
目標があるのでバイトにも張り合いが出て、貯金も貯まっていった。
そんなある日だった。
いつものように酒を飲んで公園で騒いでいる時、仲間の一人、村田という同級生が言った。
とある同級生の家が金持ちらしい。脅して金を巻き上げてやろう、と。その同級生は大人しい控えめな生徒だった。
ちょうどその時、須加はほしいバイクを買う金が少し足りなかった。そこで、その仲間に加わって、そいつから金を巻き上げることにした。
しかし当日教師に見つかって、カツアゲは失敗した。気付いた時には立ち回りの上手い仲間達はその場からいなくなっていて、須加だけが同級生と共に取り残されていた。最悪なことに、警察沙汰になって、親も呼ばれた。
家に帰った途端、振り返った母親は須加を平手で打った。
「同級生からお金取るなんて!このクズが!人が汗水垂らして働いた金なんだぞ!お前のもんじゃないんだよ!」
「取ってねぇよ!」
「取ろうとしてたんなら一緒のことだろうが!」
最悪の気分だった。失敗した上に、キンキン響く罵声を浴びせられて、張られた頰もじんじんする。
なんで俺が。須加の中で何かが切れた。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
気付くと、ヒステリックに叫び散らす母親を殴り飛ばしていた。
廊下で尻餅をつく女、加奈子は信じられないといった表情を浮かべていた。目には確かに怯えがあった。
加奈子はこんなにも小さくてみすぼらしい女だったのか。
最悪だ。須加は怒りを燻らせた。
この日以来、加奈子は何も言ってこなくなった。
何か言ってこようとしても、家具を蹴って黙らせた。
それから在学中は、凡そ非行と言われるものはなんでもやった。学生が畏怖の目で見てくるのが心地よかった。
彼女もできた。隣のクラスの、ブリーチを当てた髪を伸ばした、ネイル好きな女だった。須加も度々ネイルをねだられたが、自分の金で彼女が着飾っているのを見るのは気分がよかった。
思えば高校時代が須加の黄金時代だった。
卒業後はまた運に見放された。
彼女は、看護の専門学校に通うと言われた時に、「受かるわけねぇ」と口走り、大喧嘩の末に破局した。
須加自身は卒業後、S市内の居酒屋に就職したが、三年と続かなかった。最初はよかったが、店長が変わったのがよくなかった。そいつは仕事もできないくせに、口煩く注意してきたのだ。ある日、自分は仕事ができないくせに、須加がしたミスを激しく糾弾してきたため、口論になり、その日の内に辞めてやった。
「将真あんた、仕事探しなさい」
高校を卒業してからはほとんど顔を合わせなくなっていた加奈子が固い表情で言ってきたが、取り合わなかった。
それから二年は短期の仕事を転々とし、三年目に差し掛かったある日。
須加が家に帰ってくると、加奈子が静かに言った。
「あんた。ちゃんとした仕事探しなさい」
「うっせえババア!」
須加の罵声に何も答えず、加奈子は立ち去った。やけに静かにドアの閉まる音が響いた。
その日から母は帰ってこなかった。連絡しても繋がらない。須加は加奈子が最近化粧をして出掛けるのをよく見かけていた。
あいつ。男の家に逃げやがった。
怒りが収まらなかった。
しかし一週間経ってから、須加はこれを前向きに捉えることにした。
別にこの家にいる必要はないのだ。
それからはS市街や隣県で仕事している友人の家に転がり込んだ。
そんな生活を続けて半年ほど経ったある日。
再び須加の運命は変わることとなった。
連日茹だるような暑さが続いていた。
世間はお盆休みも過ぎ、仕事も始まって、気だるさに包まれていた。
須加は県道を、地元で有名なショッピングモール方面に向かって走っていた。
お盆と有給を使って彼女の実家に行くという友人に、家を追い出されたのだ。
イライラを持て余して太陽に毒づくも、日差しは一向に弱くならない。
ジリジリと焼けるアスファルトの照り返しで、意識は朦朧としてきていた。須加はそんな中で、交差点の向こう側の反対車線にコンビニを見つけた。
――寄ろう。
右にウインカーを出して、交差点に差し掛かった時だった。右から黒い影が飛び出てきたのだ。それから強い衝撃とともに、横に投げ出された。
「おい!お前!何飛び出して来てんだ!!赤信号だっただろうが!!」
「――っ!!」
運転席から男が飛び出してきた。ガッシリとした身体にスーツを纏わせ、サングラスを掛けている。一目で堅気ではないと知れる風貌だった。
よく見ると後部座席のドアが凹んでいる。高級車として知られるスポーツカーだった。
ぶつかってしまったのだ。
投げ出された痛さも忘れて、血が音を立てて引いていくのを感じた。
「あーあ。首が痛いわぁ。お宅、どうしてくれるの?」
「す、すみません」
「謝れば済むと思ってんのか?」
「あ、あの……任意保険加入してなくて、俺…、」
「ドア凹ませといて金ありません、てか?謝るだけで済むと思ってんのか!」
「すみません!すみません!お金は絶対にお支払いしますから!」
「信用できねぇなぁ」
上手く息ができない。いつの間にか涙も溢れてきていた。その時だった。
「人身じゃなくて、物損で示談にしてやってもいいよ」
男の声だった。
新しく助手席から出てきたのだ。優男風でスーツ姿だ。須加はその提案に一も二もなく飛びついた。
その坂井と名乗った男は、なんと須加を診療所に連れて行って簡単な手当をしてくれた。バイクは前部分が凹んで、エンジンも掛からなくなっていたので、廃車にすることを勧められた。代理人でもできるということだったので、もう一人いた男が代わりにやってくれることになった。
須加は、彼等を堅気でないと警戒した自分を恥じた。礼を言うと、坂井は働いて返してくれたらいいよと言ってくれた。
それから、とりあえず送るよと坂井に言われて、須加は今夜の宿がないことを思い出した。
「あの、俺……」
「ん?どうしたの?……あ、ちょっと待って。長い話になりそうかな?飲み物買ってくるよ」
坂井はコンビニで自分の分の他に、須加へもアイスコーヒーを買ってくれた。
優しく促してくれる坂井に、須加は思わず身の上を打ち明けた。
「辛かったね。とりあえず……そうだ、ウチに来なよ。まずはゆっくりお休み」
坂井が優しく言ってくれた記憶を最後に、須加は意識を保てなくなった。
お読みくださり、ありがとうございました。