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約束は、想いと憂いの二重奏

作者: 幕田卓馬

本作は、幕田の過去作である『どんびき!〜曇天大学軽音楽部弾き語り部門〜』の後日譚にあたりますが、読まなくても問題ない構成にしていますので、ご了承下さい。

 心を殺しながら仕事を終わらせ、帰り道沿いのスーパーで半額になった惣菜と発泡酒を買い、手早くシャワーを浴びると、テーブルに頬杖をついて100均のグラスを傾ける。

 残しておいた刺身の存在を思い出し、冷蔵庫から取り出したが、ラップを外すと眉を顰める異臭を放っていたため、ビニール袋に入れてゴミ箱に突っ込んだ。


 約束に賞味期限があるとしたら、きっと適切な温度と湿度で管理された箱の中じゃなければ、どんどん劣化が進んでしまう。


 あの日、僕達が交わした「約束」は、たとえ10年経っても、20年経っても、決して色褪せないものだと思っていた。

 しかし、彼女のいない日々の中で野晒しになっていたそれは、いつの間にか潤いを失い、乾燥し、固く脆く変わってしまった。

 

『君を守れるような一人前の男になれたら、その時は、僕と結婚してほしい』

 

 その言葉に彼女は頷いてくれた。

 

 お互いの就職先が離れているため、大学卒業と同時に僕たちは遠距離恋愛になった。

 常に寂しさを胸に抱えながら、僕はあの日約束した「一人前の男」になるために、毎日を死に物狂いで生き抜いて来た。


 でも、一人前の男とは、一体何なのだろう。


 仕事で大きなミスをしてしまった夜、僕は酒を流し込みながら考えた。自分のような不出来な人間が、彼女を守れるような「一人前の男」になど、なれないのではないか?


 明確に輝いていた約束が、徐々にくすんでいく。

  

 彼女がいないこの薄暗い日常では、黒い煤に汚れていく約束は、だんだんとその姿を闇に溶け込ませていく。


 そんな日々を過ごす中、大学の音楽サークル時代の仲間から、結婚式の招待状が届いた。


 同じサークルの中で苦楽を共にし、やがて結ばれた男女が、生涯2人で生きていく決断する。その反面、同じ境遇であるにも関わらず、僕はこの様だ。

 2人を祝福したい気持ちの端っこの方に、言葉にしたくない不健全な感情がこびりついている。恥ずべき気持ちを押し隠しながら、僕は出席に丸をつけた。


珠美たまみちゃんと正方寺せいほうじくんの結婚式、招待状が来たー!』


 深夜のLINE電話で、彼女は嬉しそうに言う。

 電話口の彼女はいつだって明るい。僕はその明るさの裏側に、言葉に出せない感情が隠れているのではないかと邪推してしまう。


「式の出し物で、何か演奏してほしいってさ」


『曇天大学弾き語り部門、再結成だね』


「うん、懐かしい‥‥」


 僕はそう言って天井を見上げる。学生時代に住んでいたアパートよりも古く、木目のシミが目立つ天井。結婚資金を貯めるために出来るだけ安いアパートに住み始めたものの、冬は寒く、夏は暑い。


『合わせてる時間、ないね』


 遠く離れてる僕達は、数ヶ月に1度しか会えない。


「大学ん時、よく2人で弾いた曲なら、ぶっつけ本番でも大丈夫なんじゃない?」


 僕は寂しさを見せないため、面白みのない現実的な解決策を述べる。


『うん、そうだよね』


 彼女はそれを肯定し、そこからたわいも無い思い出話へと繋がる。


 僕は何かを期待していた。

 それは例えば『私達もそろそろ結婚だよね』みたいな、僕の決断を後押ししてくれる、甘ったれた言葉だった。その一言が彼女の口から溢れれば、僕は自身の約束を放棄し、このゴールのない迷路から抜け出す事が出来る。


 でもついぞ、そんな言葉が彼女の口から溢れる事はなく、深夜零時を回った僕達は通話を切った。


 そして僕は布団を抱え、彼女の温もりを思い出しながら、無理やりに眠りの泥沼へと身を投じる。



   *   *   *



 最寄りの駅で彼女と待ち合わせて、式場へと向かう。しっかりと化粧した彼女の顔は、いつもの安らぎの感情よりも、薄氷のような緊張が滲み出ていた。

 あまり派手ではない淡色のドレスがとても似合っていて、僕はそれに見惚れてしまう。

 そんな僕を見て、彼女は恥ずかしそうに笑う。 


 久しぶりに会ったサークルの先輩2人は、まごう事なき『一人前の大人』になっていた。1人は大学の研究室で助手として働いていたし、1人は一般企業に就職して優秀な技術者になっていた。


「よう、たいらちゃん、ひまちゃん、久々」


「変わりないようだな」


 先輩2人からそんな言葉をかけられつつ、新郎新婦の友人席で主役の登場を待つ。


 座席に置かれた名前札の裏には『ひまりとそろそろ結婚な』と書かれていて、僕は苦笑する。これは新婦である珠美さんの文字だ。

 隣を見ると、彼女の名前札にも『どうぞ平をもらってやってください』と書かれていた。こちらは新郎である正方寺せいほうじの字だろう。


 でも、僕は問いたい。

 こんな半人前の僕が、彼女の人生を奪ってしまっていいのかと。


 BGMと共に入場した新郎新婦は、そんな僕の躊躇を霞ませるほどに輝いていた。

 決断した者と、出来ない者。

 その明暗を目の当たりにしたような気がして、僕の心に再び不健全な感情が湧き起こる。


 果たして今の僕は、ちゃんと笑えているのだろうか。



   *   *   *



 式は滞りなく進んだ。


 新郎新婦の関係者からの祝辞、次々と注がれるビール、壇上に友人たちが集まっての写真撮影、スクリーンに映し出される思い出の映像ーー


 僕は横目で彼女を見る。

 薄暗い式場の中で、彼女の大きな瞳にスクリーンの明かりが映り込み、キラキラと輝いている。憧れるようなその表情が、僕の胸を締め付けた。


 僕は無意識に目を逸らす。

 

 彼女の思いがわからなかった。

 彼女は、先の見えない僕との未来に、この輝きを求めているのだろうか。

 それとも、あの日の約束を果たそうとしない僕の事など、心の底では見限っているのだろうか。


 やがてスタッフが、僕達2人のそばにやってくる「そろそろ出番ですので、準備をお願いしますね」


 僕は立ち上がる。

 彼女を見ると、不安そうな目で僕を見上げている。僕は右手を差し出し、彼女の手を引いた。



   *   *   *



 スポットライトが眩しい。


 僕はストラップで吊り下げたYAMAHAのアコギのボディにそっと手を当てる。仕事についてからは全く弾く事がなくなっていた、化石のようなその楽器も、ここ数日の手入れによって輝きを取り戻している。

 輝きを取り戻せていないのは、僕の指の方だ。

 たった数日の練習ですら、弦を抑える左手の指先が鈍く痛む。


 隣を見ると、式場のピアノに座る彼女が、緊張した面持ちで頷いている。


『新郎新婦の友人から、2人へのお祝いの演奏です』


 アナウンスが入り、皆の視線が一斉にこちらに向けられる。


 久しぶりに感じる高揚感。

 体の隔たりを突き破り、剥き出しの魂が外気に触れたような、ヒリヒリとした感覚。


 彼女のピアノから曲が始まる。


 僕のギターが、それを追う。


 僕と彼女、2人の声が絡む。


 思うように動かない指先と、全く伸びない自分の声に僕は戸惑う。

 演奏し、歌っていたあの頃から、もう何年も経ってしまった。その間、僕の指はPCのキーボードを叩く事しかしてこなかったし、僕の声は上司と取引先に心にもない言葉を吐く事でしか使われてこなかった。

 

 僕は変わってしまった。


 音楽に打ち込んでいた情熱でさえ、日常に削られ、薄く、脆く、弱くなってしまった。


 でも僕がミスをするたび、彼女のピアノがそれ優しく覆い隠した。


 私がいるから、安心して。

 そう言って背中にそっと触れるように、彼女の演奏が僕の演奏を包み込んでいく。


 二つの音が混ざり合う。


 二つの声が混ざり合う。


 肌を触れ合わせた時以上の、心同士の一体感が僕の全身を満たしていく。


 その音に迷いなどなかった。


 不安などなかった。


 僕は彼女を心の底から信じていたし、彼女もまた僕を信じて、鳴らしている。


 そんな簡単な事に、今になってやっと気が付いた。


 演奏が終わりまばらな拍手が鳴る。

 僕は小さく頭を下げて、彼女を見る。


 スポットライトを浴びて、彼女の目は輝いていた。上気して赤く染まった頬を緩ませ、彼女は笑っていた。


 僕は目を逸らす事なく、そんな彼女の顔を見つめた。



   *   *   *



 二次会も大いに盛り上がり、酒に飲まれた新郎新婦の友人達が、貸し切られたバーの一画で大騒ぎしている。

 ビールとハイボールをしこたま飲んでふらふらの僕は、少し外の風を浴びようとドアを出た。

 地方都市の、排気ガスと生ごみの混じったような夜の匂い。普段は不快なその匂いですら、どこか懐かしく、心地良い。


 外壁に持たれて狭い空を眺めていると、ドアの開く音がして、僕はそちらを見る。


 そこには『本日の主役です!』と書かれたネクタイをした、正方寺せいほうじがいた。


「今日はありがとな」


 正方寺が言う。


「ああ」


 僕は再び空を眺めて答える。


「演奏、良かったよ。2人の息がぴったりだった」


「久しぶりに弾いたから、指先が痛いけどね」


 僕は左手の親指で、中指の先を撫でる。そこには情熱の刻印のように、弦の跡が残っている。


「平はさ」


「ん?」


「平は不器用だから、言葉じゃ上手く伝えられないし、相手の気持ちだって、わからなくなっちゃうだろ。だから、二人に演奏をお願いしたんだよ」


「え?」


 僕は正方寺の方を向いた。

 彼はまっすぐ、僕の目を見ている。


「わかったよな、彼女の気持ち」


 その真剣な目に気圧されそうになり、でも下がった足で強く踏み留まると、大きく頷いた。


「約束は、守るよ」歌と酒で掠れた声を絞り出して、僕は言う「いや、そうじゃない‥‥僕自身がさ、この約束を絶対に守りたいって、心の底から思えたんだ」


「おお、一人前になったじゃん」


「お前もね」


 僕達の笑い声は、地方都市の夜に消えていく。

 

 仕事でも、私生活でも、僕はまだまだ未熟者のままで、何一つ変わっていない。これからも自分に失望するだろうし、痛みに対しも少しずつ鈍感になっていく。


 でもこの約束を守るために必要なものは、そんな上っ面の成長でない。


 その事に、僕は気が付いた。



 結婚に必要なものは「勢い」だと言いますが、まさしくその通りだと思います。

 誰かと人生を共にする、誰かの人生を奪うかもしれない、その決断をするには自分はまだ未熟だ! と、二の足を踏んでしまう事もありますが、結婚に大事なことってそれじゃないと思います。

 幕田も遠距離の末に今の妻と結婚しました。

 結婚にあたり、妻は確実に今の仕事を辞めなければならず、ならば幕田が妻のいる地域の部署に移動して‥‥なども考えましたが、結局は会えない寂しさから結婚に踏み切りました。直前に大きな震災もありました。どう見ても準備万端ではなかったです。でも、今はとても幸せです。

 そんな事を、過去の自分の分身である主人公「平くん」を通じて書きたいなと、ずっと思っていました。

 この『約束企画』で、このお話を書く事ができて良かったです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] いい話です。 幕田さんは音楽をやっておられたんですか? やっていなければ描けないような描写が・・・。 これ全部想像で書いたんだとしたら凄すぎます。 [気になる点] >でもこの約束を守ために…
[良い点] 約束企画から来ました。 なんか初々しくていい~っ!と心の中で悶えました。 「一人前」とか若者らしくて、とっても良かったです! 結婚式を舞台にしたこのお話の空気感、いいですね。遠距離とか。素…
[良い点] ドンビキは未読ですけれど、このお話はこれだけで十分成立していると感じました。 「一人前ってなんだろう」と考えさせられました。きっと完成はしないと思うのです。でも若い頃はどこかにゴールがある…
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