若い頃の話
あほな先輩との昔話です。
二十歳になったばかり位の時に、先輩によく飲み会に誘われ、断り切れずにしょっちゅう付き合わされた。
それでも若くて金の無い時に飲み食いさせてくれるのは有難かったのだが、その先輩はある時、女の子と飲もうと言って二人ほど連れてきた。
俺は面識も無いその女子二人についつい緊張してしまい、照れながらも割と可愛い女子二人と和やかに過ごしていった。
すると、先輩が今度青木ヶ原の樹海に行こうと言い出した。
俺も行った事は無かったが、行きたいとも思わないしこの人突然何を言うんだと思いきや、女子二人は何となく乗り気のようだった。
じゃあ今度行こうねって社交辞令でその場は終わったと思ったのだが、俺の友人のH君が先輩と樹海の話をして行きたいと言い出したので、結局本当に行く方向で話は進んでいた。
だが先輩自体は結構気分屋で、あっちこっちと目移りしては違う所に行ったりするような人だったので、途中で目に留まった店があれば寄ってみたり、当初の目的を見失う事も多かったので、今回もそうなるだろうなと思っていたらそんな感じだった。
女子二人も連れて色々ふらついていたら、何だかんだで先輩も帰ろうと言い出した。
樹海はまた今度という事になり俺はほっとして、先輩の運転する車に乗ってワイワイしながら帰るのだが、あっちこっちと寄り道している間に夜中になり、日付も変わる頃になっていた。
するとここで先輩の気まぐれが発生し、やっぱり夜中で肝試しも兼ねて樹海に行こうとなった。
流石に真っ暗な夜に行くとなれば事故にも為りかねないと思ったのだが、道路脇からちょっと入ってみるだけにしようという事になった。
まあその位なら良いだろうと思って、脇道から樹海に入ったのだが、道路近くに車を止めてそこから少々樹海の中に入った。
そこは、思ったほど森という感じではなく、それなりに人が手入れしている様だった。
ただ、非常に暗かったので懐中電灯や携帯のライトで照らすのだが、別段怖いとも思わなかった。
だがそれが故に先輩の気まぐれが発生。
もう少し中に入ってみようと言って、人が手入れしていそうな場所からさらに奥へと入ってみた所に岩があり、そこに上ってみろと言われた。
嫌な予感がしたが、まあそれぐらいならと俺は岩をよじ登った。
別に上ったからと言って何も無いのだが、しばらくして遠くに犬の遠吠えらしきものが聞こえてきた。
俺はこの時一瞬で恐怖心に駆られた。
というのも、ローカルニュースで青木ヶ原樹海に野犬が出ていて、その野犬は狂犬病のワクチンなんか摂取してない野良犬だという事で、気を付けるように注意喚起されていた。
それを思い出した俺は、すぐにまずいと思って岩を降りようとした直後、遠くでガサガサ音がして犬鳴き声が複数聞こえる。
それを先輩達も分かったようだった。
「まずい、すぐに戻るぞ!早くしろ!」
そう言って先輩達は先に戻ってしまう。
俺は焦って岩から降りようとして足を滑らせてしまい、携帯と共に岩から落ちてしまった。
それほど高さも無かったので怪我もしなかったが尻もちをついてしまい、それでも置いて行かれては困るので必死に携帯を拾い上げ、すぐに立ち上がって走って戻ろうとした。
「おいダメだこっちにはもう行けないから奥に逃げろ!」
そう言って先輩達は暗闇の中戻ってきた。
俺は野犬が吠えるのがさらに近くに聞こえるようになってきて、これはマジでやばい状態だと思って焦り、先輩達が奥へ走れと叫ぶので、何とかパニックになりながらも必死に走った。
先頭で走りながら奥に向かうのだが、後ろから来る先輩達とはぐれないように気を配りながら必死になる。
「先輩どうすりゃいいんですか!?俺このまま進んでいいんですか!?」
不安からかとにかく確認しながら声をかけると、大丈夫だから進めと言われてどんどん奥へと進んでいく。
だが、そう長く全速力では走れない。
俺は必死で、何とか犬の吠える鳴き声が消えるまで逃げないとまずいと思い、できるだけ走ったのだがすぐに息が切れてしまう。
「先輩!まだ犬来てますか!?女の子達は!?H君はぐれてない!?」
そう俺は叫びながら走っていると応答がある。
「大丈夫だ!皆いるよ!」
「いるよ!」
「いるよ」
「俺もいるよ」
そう声が聞こえるのでさらに俺は進むのだが、それでもすぐに息が切れてしまいもう走れない。
「もう駄目です先輩!俺走れないっす!」
俺はそう言って立ち止まって、肩で息をしながらその場で動けなくなってしまうのだが、後ろからきているはずの先輩達の気配が無い。
すぐに俺は周りを見渡すともう自分がどこにいるのか分からない。
360度周りは木々が生い茂っていて、方角も全く見当がつかない。
犬の吠えたりするのは聞こえないが、かといって他の人達等の声も何の音も聞こえない。
しまった、完全に俺は途中で先輩達と走っていたのにはぐれてしまった。
そうなると、俺は背筋が凍り付き恐ろしくてたまらない。
ただでさえ野犬が出てきたであろう中、逃げてきた方に戻るしか無いと思って、それだけは駄目じゃないか?と思いながらももうそれしかないと思った。
俺はもう半泣きでヤケクソだったが、その場にあった木の枝を拾って恐る恐る戻るのだった。
「畜生!何でだよ!」
そう言いながら木の枝で犬が出てきたら叩こうと思いながら、恐る恐るゆっくり進むのだが、さっきまで後ろに来ていたはずの先輩達とどこではぐれたんだと考えているとある事に気付く。
そう言えば、俺が先輩達にいるかと聞いたら、いるよと声が返ってきたところまでは一緒にいたんだから、そう遠くには行ってないだろうと思うと少々気も和らいだ。
だがそこでまた更に疑問が出てきた。
先輩達は、いるよと言った後に俺もいるよと声が聞こえたのだが、今思い返せばその声って先輩のものでもH君のものでもない気がした。
もちろん女子二人ではない男の声だった。
そう考えると俺はどんどん怖くなってきて、震えが止まらなくなった。
だが、そこからほどなくして遠くで俺を呼ぶ声が聞こえる。
どうやら先輩達が、車のライトを照らしながら迎えに来てくれていた。
やはりはぐれていたようで、先に先輩達は戻っていたと解ると一気に安堵した。
俺は、先輩達の方へと駆け出し、あのもう一人誰か分からない声の事を伝えて、早くここを去らないとヤバイと思い、合流してすぐにその事を告げる。
すると先輩からは鉄拳が飛んできた。
「お前何訳の分からん事言ってんだ!お前だけすぐにどっか行っちまいやがって!」
と先輩をはじめ皆に滅茶苦茶怒られた。
殴られた痛みもあったがそれ以上に意味が分からない。
「だって先輩が先に行け、走れって言ったじゃないですか!?」
と俺は言うと、先輩も他の誰もそんな事を言ってないという。
幸い先輩達は、車からそれほど遠くない所にいたらしくて、話しによると俺だけが別方向に勝手に走り出してしまっていつまで経っても俺が戻らず、そこから1時間近く皆はずっと俺を探していたというのだ。
俺はそれを聞いて放心状態になった。
そう言えば、俺が岩から落ちた時に戻ってきた先輩達の姿をはっきりとは見てない。
じゃあ俺が一緒に走ってた時に、後ろについてきてた奴に皆いるか?と確認して、それに応答したのは一体誰だったんだ?
その時に
「俺もいるよ」
と言ったのが誰か分からず、先輩達以外に一人多いんじゃなくて、そもそも全員先輩達じゃなかったって事?と思ったのだが、では一体俺は誰に奥へ走れと言われたんだ?
それが全く分からないので、樹海からの帰り道、俺は生きた心地がせず皆に色々責められたのだが、全くその言葉も耳に入らず、二度とその先輩とは関わるのを止めた。
きっと次に先輩が気まぐれを起こしたら、そのせいで俺は命を落とすかもしれないと帰りの先輩の運転する車中で思ったからだった。
この後H君とも音信不通になりましたが、風の便りに聞いた話だと、何かの宗教にはまったらしくそれ以降は、友人達等も姿を見てないそうです。
なお、先輩はどうなったか分かりません。