第十章〜旅立ち〜
旅立ち
四方を屈強そうな男たちに囲まれて、隣には空軍の大佐と名乗る太った男。ハンサムには程遠い男たちに囲まれて、ゆっくりと基地の敷地を歩いていた。逃げ出したい衝動に駆られるが、この状態では無理だろう。
「……あの、聞いていますか?」
「え……あっ、はい……」
隣でずっと話していたらしい。全く気がつかなかった。
「なぜ助かっていたのかはともかく……助かっているのなら、なぜ軍に連絡を寄こさなかったのですか」
「申し訳ありません。体調が優れていなかったもので……。回復してから向かおうと思っていました」
「では、どこに居たのですか? まさか、野宿していたわけではないでしょう?」
「それは……」返答に困る。正直に話して、レイに危害が及ぶのは避けたい。「……それは、話せません」
「そうですか」
隣の大佐はひげをくしゃくしゃしながらため息をついた。それもそうだろう。行方不明だった王子の許婚を見つけたのに、何も情報を引き出せないのでは意味がない。しかも、風を操る指輪もなくしてしまっている。
しばらく沈黙が続いた。滑走路を眺めながら歩く。戦闘機が三機引き出されていた。雨の滑走路に、彼の姿を探す。会えないとは思いながらも、無意識のうちに探していた。
「何ですか? 早く行きましょう」
「はい」
気づかないうちに足を止めていたようだ。歩き出して、もう一度滑走路を振り向いた。
「……レイ?」
戦闘機の一機に、飛行服を着た男が乗り込もうとしていた。長めに伸ばした金髪をなびかせている。ずっと気にしていたせいだろう。一瞬レイに見えた。
「レイ?」
もう一度足を止め、パイロットを見た。風防をあけ、乗り込もうとしている。
そのとき、パイロットの左手に、なにか光るものがついていることに気がついた。
「何をしてるんです? 行きますよ」
「ちょっと待ってください!」
大佐を制し、パイロットのほうへ歩き出した。だんだんはっきりと見えてくる。こちらに気づいたのか、パイロットが振り向いた。
「何ですか?」
「あ……」
人違いだった。パイロットは三十歳くらいの男で、手にはめていたのは結婚指輪のようだった。
「危ないから離れててください」
「すいません……」
機体から離れる。涙がにじんできて、視界がぼやけた。
「アリス?」
呼びかけられたような気がしたが、勘違いはもういやだ、と無視した。
「アリス?」
「ふぇ?」
確かに聞こえた。声のしたほうを振り向く。戦闘機が止まっていた。目を上げると、彼が風防をあけて顔を出していた。
「アリス、何でここにいるんだよ? 帰ったんじゃなかったのか?」
涙が表面張力の限界を超えて、頬を伝った。涙はもう流しつくしたと思っていたのに、どんどん溢れてきて止まらない。
「な、何で泣くんだよ?」
レイが降りてきて顔を覗き込んできた。ますます涙が流れ出る。
「うっ、うぅ…………うぇ……うえぇぇ……」
「落ち着け、落ち着いて話してみろ。何でここにいるんだ?」
「う……ぐすっ、あのあと、軍の人に見つかって……それで……」
少しずつこれまでの経緯を話した。レイは側に立って、黙って聞いていた。
「……わたし、たぶん……これから都につれてかれるの」
「そうか」
「わたし、行きたくない……ここにいたいよぅ……」
レイにしがみつく。雨にぬれた飛行服に頬をうずめた。
「大丈夫さ。この任務が終わったら、必ず迎えに行ってやる」
「でも……レイ、熱があるじゃん。風邪引いてるんでしょ?」
レイは黙り込んだ。顔が赤らんでいるのは恥ずかしいだけでなく、熱のせいでもあるのだろう。
「……これくらい平気だよ。飛ぶのに問題はない」
「でも、」
体調が悪いのなら、やめたほうがいい。そう言おうとしたが、言葉は途中で途切れた。
レイが唇を重ねてきた。
なんとなく目を閉じないといけないような気がして、目を閉じた。彼のぬくもりが伝わってくる。
数秒後、二人は離れた。頬を染め、目をそらす。
「絶対、帰ってくる」
去り際に、耳元にささやいてきた。何か言おうと思うが、声が出ない。
遠くから慌しい足音が聞こえてきた。大佐たちが気づいたのだろう。
レイの乗った機体から離れる。プロペラ音を轟かせ、加速していく。
「レイっ、レイ!」
聞こえないと分かっていても、プロペラ音にかき消されまいと声を張り上げた。
「がんばって! 絶対に帰ってきてね!」
周りを男たちに囲まれる。大佐が何か言っているが、今のアリスには聞こえていなかった。戦場へと旅立っていく、銀の翼に向かって叫ぶ。
「約束だよ!」