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ヘンリエッタは舞踏会の後からずっと部屋に引き篭もっていた。両親や使用人達も心配しているが、黙り込み理由を話さない。
あの日の翌る日、アンベールがヘンリエッタの屋敷を訪ねてきた。部屋の扉を叩き「ヘンリエッタ、開けてくれないか。話がしたいんだ」暫くその声は聞こえ続けた。だがヘンリエッタは返事をする事はなく扉も開けなかった。
今までアンベールとヘンリエッタは喧嘩はおろか言い合いなどもした事がない。ずっと良好な関係を築いて来た。きっと両親は不審なヘンリエッタとアンベールの様子に何か気付いたかも知れない。
この先どうなるのだろう…。両親や周りに正直に真実を打ち明け自分とアンベールは婚約破棄になるのだろうか。それともあの出来事を胸にしまい何事も無かった様に振る舞えばいいのだろうか。
どちらを選んでもヘンリエッタには幸せが見えない。アンベールとオルガが結ばれるのを見るのは辛い。だがヘンリエッタがアンベールとこのまま結婚しても…あの2人の関係は切れないだろう。何しろアンベール本人が婚約者であるヘンリエッタに向かって「私はオルガを愛している。この気持ちは消せないんだ」と公言したくらいだ。相当な覚悟があるのだろう。
それからヘンリエッタが部屋に閉じ篭り10日程経ったある日。アンベールは始めの数日は毎日来ていたが最近は諦めたのか来なくなっていた。だが今日久々に侍女から来客の知らせを聞いた。ヘンリエッタはまだ悩んでいたがこのままでは埒が明かないと部屋の扉を遂に開けた、が。
「やあ、ヘンリエッタ」
そこに立っていたのはアンベールではなく…王子だった。
今ヘンリエッタの目前に座る彼はこの国の第2王子のテオドル。挨拶くらいは交わした事があるがそれ以上の交流をした記憶はない。故に何故彼がヘンリエッタを突然訪ねて来たのか分からない…。まさか気づかぬ間にテオドルに失礼を働いてしまったのだろうか。そう考えると怖すぎる。ヘンリエッタは思わず喉を鳴らした。
「突然訪ねてごめんね」
口では謝罪しているが、出されたお茶に優雅に口をつけている姿からとてもそうは見えない。ヘンリエッタは内心苦笑いをした。
彼の兄である王太子のフォンスは頻繁に社交の場で見かける事が多いが弟のテオドルは滅多に姿を見かけない。確か先日の舞踏会の時も会場にはいなかった気が…。
それより気になるのはそこではない。何故そんなテオドルがヘンリエッタの元をわざわざ訪ねて来たのかだ。
「あの…テオドル殿下。私にどの様なご用件なのでしょうか…」
まるで自分の部屋の様に寛いでいるテオドルは中々要件を話してくれない。正直早く要件を聞き早く退出して欲しい。心臓がもたない。
「あぁ、そうだったよ。忘れてた」
此処まで来たのに忘れてたはないだろう。まあ、冗談だとは思うが今はそんな冗談はいらない。
今ヘンリエッタは傷心中であり酷く人生に悩んでいるのだ。彼に構っている場合ではない。
「これ、君のだよね」
テオドルはポケットからブローチを取り出した。ヘンリエッタはそれを見て眉を潜める。その理由はアンベールから貰った大切なブローチだったからだ。ついこの間までは。
昨年のヘンリエッタの誕生日のお祝いにとアンベールから送られたブローチ。貰った時本当に嬉しくて、それからずっと大切にしていた。舞踏会の日も無論身に付けて行ったが帰り際に…捨てた。
だがあの時は精神的に可笑しくなっていて、何処に捨てたかまでは記憶にない。どうやらテオドルが拾ったと言う事なら城内にいる間に捨てたのだろう。
「…ありがとうございます」
本当は受け取りたくないが、王子であるテオドル自ら届けてくれた物を受け取らない訳にはいかない。ヘンリエッタは素直にテオドルの前に手を出した。
だがテオドルは一向にブローチを渡してくれなかった。
「あ、あの殿下?」
「良いの?本当は受け取りたくないんじゃない?」
一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
「え、あの」
「だって、これ落としたんじゃなくて…捨ててたよね」
ヘンリエッタはその言葉に呆然とした。