表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の追憶 ~過去のあやまちと彼女たちとの生活~   作者: 松本せりか
第2章 千代さんと僕のお話 (僕の追憶~の素材に加筆修正した物)
34/38

第5話 逃げてきた千代さんと僕の覚悟

 夏も終わり。涼しげな風が、庭の花々を撫でる。あの日咲いていた向日葵もとうの昔に枯れてしまい、今は秋桜や秋明菊のような秋の花に植え替えられていた。

 千代さんは、もう来ない。その事が悲しく、一時期ふさぎ込んで居たが月日が経つうちに、僕も、千代さんに出逢う前の生活に戻りつつあった。



「千代さん。どうして」

 秋が深まりそろそろ冬支度をしようとしている時に、千代さんはボストンバッグ一つ持って僕のところにやって来ていた。

 僕は、困惑する。だって、もう二度と会うことも無いと思っていたのだから。

「出来たの、あなたとの子。ちゃんと私妊娠したわ。

 だから、結納の前に逃げてきたのよ」

 千代さんは、何でも無いことのようにあっけらかんと言いながら、僕に抱きついてくる。


 その千代さんを僕は抱きしめ返せずにいた。

 だって、どうするんだ。逃げてきたっていっても、すぐに追っ手がかかるだろう。

 ここだって、すぐに見付かる。どうすれば……。


「伸也さん?」

 抱きしめながら、僕を見上げる千代さんの目が不安に揺れた。

 ああ、そうだ。僕なんかより、千代さんの方が不安に決まっている。

 だって、お腹に赤ちゃんがいるのだから。


 僕は、自分の中の不安を押し殺して千代さんを抱きしめた。

「千代さんのお腹の中に、僕の子がいるんだね。嬉しい」

 本当に、これが祝福される関係だったら、どんなに幸せだろう。

「千代さん。疲れただろう? 少し休んだら上に行こう。

 とりあえず、三階なら家政婦さんも上がって来ないから……。後の事は、これから考えよう」

 そこは三階とは、名ばかりの屋根裏部屋になっているのだが、ベッドも暖炉もある人が住めるような、空間にはなっている。

 僕のお気に入りの場所で、子どもの頃は、そこに入り浸っていた。


 夜は少し寒いので、暖炉に火を入れる。

 僕は、ミルクを温めて椅子に座っている千代さんに渡した。

「ありがとう」

 千代さんは、嬉しそうに受け取る。僕は、何を言って良いのか分からなかった。

 

 二人して暖炉の前に座って、しばらくボーッと火がはぜるのを見ていた。

 どれくらいの時間が経っただろう

「本当はね。ここに来るつもりは無かったの」

 千代さんが、暖炉の方を向いたまま呟くように言う。

「だって、私の我儘で出来た子だから。伸也さんは、婚約者の元に帰りなさいって言ったのに」

 千代さんの顔が炎に照らされて少し赤い。僕の方を見た千代さんは、なんだか泣きそうな笑顔になっていた。

「だけど一人でいたら、だんだん怖くなって……。ごめんなさい」


「それは違うよ、千代さん。我儘だなんて思ってはいけない。

 僕は、千代さんが傷付くことを知っていたんだ。知っていて、それでも」

 僕は、立ち上がって椅子に座ったままの千代さんを抱きしめる。


「さっきはごめん。僕の態度が不安にさせてしまったんだね。

 覚悟が無かったわけじゃないのに、動揺してしまった」


 世間が、未婚女性の処女性を(たっと)ぶ限り、一度手折られてしまった娘は家から捨てられてしまう。ここに来て正解だ。

「愛してる。初めて会ったときから……一目惚れだったんだ」

 僕は、千代さんの額にキスをする。

「本当に、雑多な花が咲き乱れているところに綺麗な一輪の花が咲いているように君がいたんだよ」

 出来ればずっと千代さんを守っていきたい。抱きしめながら、そんなことを考えていた。

 そんな僕の目の端に、抱きしめ返したいけど、どうしようこのカップと言わんばかりに、千代さんのカップを持った手が彷徨っているのが見えた。

 僕は、おもわず笑ってしまう。


「大丈夫なら、三階に行こうか」

「ええ。案内してくれる?」

 返事の代わりに、僕は笑みで返した。左手でボストンバッグを持ち、右手で千代さんの手を引いた。ゆっくり階段を上る。

 三階なら、とりあえずは見付からず、時間稼ぎも出来るだろう。


「使ってないわりには、きれいだわ。

 塵一つ無いもの。それに、ちゃんとベッドもきれいにしてる」

「もしかしたら……と思って、掃除してたんだ」

「もしかしたら、私が押しかけてくると思って?」

「来たら良いな、と思って」

 僕が言った言葉に、千代さんが笑う。

 

 家を探そう。小さな家を借りて二人で……いや、子どもと三人で慎ましく暮らそう。

 贅沢しなければ、仕事が見付かるまでは僕が貯めたお金で何とかなるだろう。


「伸也さん?」

 黙ってしまった僕に、千代さんが問いかける。

「うん。千代さんが動いても大丈夫なようになったら、ここを出よう。

 贅沢は出来ないけど、働き口を見つけて仕事をすれば、何とかなる」

「ええ。そうね。そうだわ。私も、働くから。職業婦人って憧れてたの」

 千代さんは、前向きだ。本当に、一緒にいると勇気が出てくるよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ