5話 「優柔不断」
朝起きて、身支度を整え、食堂へと向かう。席に着くと、メイド達が食事を運んできてくれる。メニューはトーストとオレンジのマーマレード。飲み物は紅茶だ。オレンジの爽やかな甘さとほろ苦さがマーマレードの味をより際立たたせる。僕好みの大人向けジャムだ。そんなことを考えながら食べ終わると護衛を連れ立ってキングリー先生の邸宅へ向かう。護衛を供としたのは暗殺を警戒してのことだ。最近の王城は嫌な雰囲気というものが立ち込めているような気がする。より一層警戒しなくてはならない。
先生は大臣の一人ということもあり、その邸宅は王都の本通りに立っている。道はしっかりと石畳で舗装され、立ち並ぶ家屋は大きく立派で、裕福さを匂い立たせる。
今日、先生の家を訪れたのには理由がある。先生から「王城では話せないことがありますので、我が邸宅を至急お訪ねください」と密書が届いたのだ。何のことかは行ってみるまで分からないが、よくないことだろうと薄々感じていた。
目的地に着くと、先生がにこやかに出迎えてくれた。だが、目は笑っていない。
先生に数日前と同じ部屋に案内される。豪華であるが、派手でない趣味のいい部屋だ。護衛はこの部屋に入ることは許されず、別室で待機していた。
僕は椅子に座ると、先生に密書のことについて質問する。
「先生、話というのは?」
「えぇそのことなのですが、レオンハルト様のお耳にも入れておくべき情報があります」
「それは何ですか?」
「はい、……」
先生が言うには、宰相派の奴らが集まり、何やら謀はかりごとを企んでいるというものだった。僕の暗殺が本格化してきているかもしれないので、食事、寝室などより注意べきだと忠告した。
不味い状況になったな。護衛がいるとは言え、さずがに命を狙われるのは怖い。やっぱり、あの時チート能力を女神に乞えばよかった。
先生と暗殺対策について話ていると、大元帥の使いの者が先生を訪ねてきた。
使いの者は「至急大元帥府に集まるように」と伝言を伝えた。
「これは、ただ事ではないな。わかった。今すぐ向かおう」
「先生! 僕も付いて行ってもよろしいでしょうか?」
先生は少し考えた様子を見せると、「この状況ですと、私達といたほうが安全ですな」と言い、僕の同行を許してくれた。
大元帥府に着くと、そこにはカストディオ将軍をはじめとした外戚派の文武百官が勢揃いしていた。
叔父上は僕がこの場にいるのを最初反対したが、キングリー先生が何とか説得してくれたのだ。
刺激が強い話故、僕をこの場に居させたくなかったのだ。
叔父上は彼らの前で強く声を発する。
「今や天下の誰しもがルイファルツ・ゼーレマンを恨み、機あらばと考えておる。奴らはこともあろうかわしの甥でもあるレオンハルト王子を殺そうとしている。王子を殺した勢いで、貴公らまでも追放する腹に違いない。ここに至って、わしは宰相派皆殺しを提案する。貴公達の意見はどうだ?」
数十秒の沈黙が辺りを支配する。誰しもが黙ってしまった。ただ驚き、目を見開くばかりであった。すると一人の美男子が立ち上がり、忠言を吐く。見るとそれは、叔父上の側近ルーク・カストディオであった。
「私も閣下のご意見に賛成です。願わくば精兵五千を与えてください。直ちに禁門に入り、多年王城に巣くう、悪虫をことごとく誅滅してみせましょう」
「よかろう、他に意見はあるか。ある者は立ってそれを示せ」
叔父上の言葉に対して何かを言うものはいない。
「よし異論はないな。宰相派の奴らを皆殺してくれようぞ。そして行け!」
この号令にフェルストブルクの王府は一転し戦雲の天と修羅の地になったのである。
さすがに皆殺しはやり過ぎではないかと思った。しかし、暗殺の対象かもしれない僕が「さすがに皆殺しはやり過ぎですよ。もっと穏便にすませましょうよ叔父上」と言いだせる雰囲気ではなかった。
カストディオ将軍はたちまち鎧を身に纏まとう。そして近衛兵五千を率いて、王城の七門全てを閉じ戒厳令を布いた。入るも出るも味方以外は断固として一人も通すなと命じたのだ。
その間に叔父上も大元帥たる武装をして、僕、キングリー先生を含めた十数名を伴い、王城へと向かう。
王城七門の一つ王道門にて、カストディオ将軍は「陰謀の首謀者ども血祭りにあげん」と剣を抜いて宣言する。
将軍の宣言に兵士達が一斉に流れ込み、王城の内外は大混乱を呈して、人々の目も血走り、気も差が上がっていた。いたるところに宰相派の死体が散乱していた。雨の日の鉄棒のような嫌な臭いが充満し、天井も壁も血に染まらないものはなく、どす黒い血の世界がこの辺り一帯を覆いつくしたのだ。まさに地獄と化したのである。
目の前の光景を見ると、胃から酸っぱいものが込み上げてくる。しかし僕は国を導く者として、この光景に成れなければならない。なぜなら覇業を成就させるためには、悲惨なこともあるだろう。惨たらしいこともするだろう。だがその度に怖気づいてしまえば、全軍の指揮に関わってしまう。だからこそ我々のような導く者はどんな時でも、気丈に振舞う必要があるのだ。だが僕の隣に、この地獄に怖気づく男がいる。そう大元帥である叔父上だ。
「叔父上。顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
「……あぁ、心配ない」
口ではそう言うが、見たところ顔色は蒼白く、日頃の元気も見られない。まぁ無理もないか。元来叔父上は臆病で気が小さい。一時の憤怒に身を任せこの大事を自ら求めたが、その怒りも徐々に冷めはじめ自身のつけた火が果てしなく燃え広がりそうな光景に戦慄を憶えている様子だ。全軍を統括する叔父上のこんな姿は他の将兵に見せられないと思う。
一方ゼーレマンをはじめ、宰相派の高官達は「これは、大変だ」と狼狽し、生きた心地もなく王宮へ逃げ込んだ。窮余の一策として、ヘルシング王、クリストフ大元帥の妹にしてヴェルトリア王国王妃の位にあるレイナーレ王妃に跪き、憐憫を乞う。
哀れに思った二人は「よい、よい、安心せい」と彼らを落ち着かせ、クリストフ大元帥を呼びにやった。
そして二人は彼を宥める。
「彼らがレオンハルトを暗殺しようとした証拠はあるのか。ルイファルツは儂が最も信頼する臣下、そんなことをするはずもない」
「そうですよお兄様。それに私たちが今こうしてあるのも彼らの推薦があったからではありませんか」
ウィリアムは二人にそう言われると自らの非を認めそうなるがそうもいかない。ここまでのことをしたのだ。謝って済む問題ではない。
「は、はぁ……」
「そちの日頃の忠勤を思えば、厳罰には処さないが、少しの間頭を冷やすが良い」
こうして大元帥はウィリアムは謹慎を申しつけられた。あれだけのことをして、謹慎で済むことは通常あり得ない。だが、今大元帥を厳罰に処したなら、大元帥派閥の官僚達が黙っていないだろう。そうなれば最悪内戦に陥る可能性がある。だからこそ、ヘルシング王は謹慎という軽い処罰だけで済ませたのだ。
ウィリアムは謹慎という屈辱を受けたが、王城を出ると、右往左往する味方を鎮撫する気でいた。それはあの地獄の光景をつくり出したという、罪悪感のようなものを感じていたせいもあるだろう。
「ゼーレマン一派はレオンハルト王子を害する気はない。故に我らもまた彼らを害する気もない。安心して鎮まれい!」
それを聞いたカストディオ将軍は赤い血に染まった剣を持ったまま彼の前へ来て、その軽々しさを責める。
「このような大事を成しながら、そんな手ぬるい宣言を閣下の口から発せられては困ります。今、王国の癌を除き、根を刈りつくさなければ必ず後悔すますぞ」
「カストディオ殿の言う通りです。ゼーレマン一派の勢力というものは、想像以上かと。あまりなめてかかると、こちらが食い殺されることになりませんか」
「いや、そう言うな。王都の火の手が王国中に飛び火することになっては取り返しがつかないではないか」
叔父上の優柔不断は、とうとうカストディオ将軍、キングリー大臣の言葉を受け入れなかった。
先生の言葉でさえ今の叔父上には通らないのだ。少し言いたいこともあるが、僕が何を言っても無駄だろう。




