33話 「悲しき策略 ③」
それから三日後、キングリー邸に急いで向かう騎馬武者がいた。
ソフィアと婚姻の約束をしていた豪傑ブランディス・アベリオンである。
彼は制止する衛兵を投げ飛ばし、アドミッドの襟えりに掴みかかる。その血相はまるで鬼のようである。
「キングリー殿。ソフィアは俺の婚約者。なぜ、仲父に渡したのですかか? この俺をもて遊ぶとは!」
アドミッドは色めく様子もなく、彼をなだめる。
「将軍、手をお放しください。私も将軍にご事情をお話したかったのです。ここではお話しにくいので、どうか奥にお入りください」
ブランディスは彼の襟を放すと無言のまま、彼についていった。
アドミッドは部屋に案内すると、言葉巧みに彼を騙す。
「先日、我が邸宅で酒宴を設けたところ、仲父は酒の席に我が一族も呼ぶようにと言われたのです。仲父の命ですから、当然わしは逆らうわけにはいかないでしょう?」
「仲父は好色な男です。美しいソフィアを見れば、涎をたらすに決まっている。」
「はい。実は仲父は酒宴の席でこうおっしゃったのです。ソフィアを家に置いておくのはもったいない。ソフィアを皇太子様の妻とするのがよかろうと」
「いけません!」
彼は声を張り上げる。
「いや、本当に皇太子様の妻になるのであれば、わしも異論はない。しかし、懸念もある。皇太子妃にするのではなく、自分の妾にするのではないかと」
「あの老賊め!絶対に許してなるものか」
「わしだって許せないが、臣下の身であるわしはどうしようもないのだ。そなたも仲父の命に背くわけにはいかぬだろう」
「ソフィアは今どこに? 会わせてください」
「将軍。本来なら会わすわけにはいきませんが、将軍は一時でもわしの息子になったお方だ。少しだけですぞ」
ブランディスはアドミッドの案内でソフィアの部屋に通された。
そこには涙を流すソフィアがいた。
そして、彼はソフィアに会うとすぐさま抱きしめ、自身の無能さに涙した。
「将軍、私は将軍のお傍から離れたくありません。将軍にお仕えできないなら、死んだほうがいい」
「俺も同じ気持ちだ。そなたと一緒になれないのなら、死んだほうがいい。……すまない」
「あのとき私をさらってくださったら……」
「あぁ、……来るのが一足遅かった」
彼らは約二時間ほど涙を流し続け、自身の苦境を嘆いていた。
別れ際、彼女はブランディスに嘆願する。
「将軍、僅かな時間でしたが私は将軍といられて幸せでした。どうか私のことはもうお忘れください」
「……さような事を言うな。俺が必ず救ってやる」
彼は早朝となれば、毅然たる武将としてベルトホルトの屋敷へと向かった。
門番に「仲父はお目覚めか」と尋ねると、「まだお目覚めになっていらっしゃらないようです」と答えた。
「ならあちらで持っているから、仲父がお目覚めになったら知らせてくれ」
ブランディスは、彼の気持ちを抑えることができず、その場から去った。
彼は邸宅の庭の一角で、ぼんやりと腕くみしながら待っていた。
時折、心を落ち着かせるため、池の彼方を眺めていた。
ほどなくして、さっきの門番が知らせにきた。
彼は取次も待たずに、ザイン・ベルトホルトの部屋に入っていった。
そして、彼はすぐさま膝をつき、ベルトホルトに対して嘆願した。
「今までの功績の褒美として、ソフィアを頂けませんか?」
「何!? ソフィアをか」
「俺はソフィアに恋こがれています。彼女なしでは、生きていけません」
ベルトホルトは彼の弱音に怒り、机を叩き大喝した。
「何と腑抜けたことを! 大丈夫たる者、女一人のためにそんな女々しいことを言うでない!」
「父上。お願いします」
ベルトホルトは何度も大喝するが、彼は一行に動かず頭を下げるのみであった。
これにベルトホルトは観念して、冷静に悟し始めた。
「ブランディス。そちはわしの義息子だ。望むなら何でもくれてやる……」
「では頂けるのですね」
「いや、それはできん。昨日、上奏文を書きソフィアの輿入れは全大臣が知っておる。もう取り消すことはできん。……だからこうしよう。もし他に気に入ったものがあるなら何でも、いくつでもくれてやろう。どうだ?」
「……感謝致します」
ブランディスはベルトホルトに一礼してから彼の邸宅を出て行った。そして天下無双の豪傑とは思えないほど弱々しくとぼとぼと帰っていった。
そして次の日、キングリー邸の前には数千の音楽隊と皇族の絢爛豪華けんらんごうかな馬車が止まっていた。宮廷からの迎えである。
ブランディスは蒼白い顔で、頬に涙を流しソフィアをただ見送ることしかできなかった。
彼の耳には彼女がまだすすり泣く声が聞こえるような気がした。
彼はこれ以上をここにいては悲しみのあまりおかしくなると思い、その場から離れた。
絢爛豪華な馬車は市中を巡り、時間は既に午後9時を迎えていた。
そして、この馬車の目的地は宮廷であるかのように皆が思ったが、その終着点は意外にもベルトホルト邸であった。
ソフィアは若干困惑した様子で馬車を降ろされ、ザインの部屋へ通された。
「私を皇太子様にとの約束でしたのに、どうしてここへ?」
彼女は当然の疑問を彼に投げかける。
「ここは宮廷よりずっと良い場所じゃ。比べものにならん。そちも喜ぶがよい」
「どんなによい場所だとしても、ここは宮廷ではございません。まさか皇太子妃にする約束をたがえるおつもりですか?」
彼は笑いながら、とても臣下が口にすることはできないことを口にする。
「いいか。よく聞くがよい。皇帝には力などなく、いわば名ばかりのお飾りだ。してわしは誰だ。皇帝の主人、仲父であるぞ。皇太子なんぞに仕えるよりもわしに仕えるほうが得策だぞ」
何たる暴言。これが禄を食む臣下の言葉だろうか。
彼女を含め天下の者がこの場に居れば、憤慨し血潮を湧くことであろう。
しかし、彼女は計略のため、心を殺し彼の言葉に賛同した。
また、彼女は国のため、父のため笑顔でけだものの辱めに耐えた。
こうして冷たい雨が帝都に振る注ぐなか、人知れず純白の椿は花を散らすのであった。




