30話 「転機」
王都フェルストブルク。ここはまだ濛々(もうもう)と余燼よじんの煙に満ちていた。
七日七夜も焼け続けたが、なお大地は冷めなかった。
我々の軍勢が王都に到着した頃には、諸侯達の軍も王都に無事帰還していた。アルフォンス将軍率いる南軍もブランディス・アイゼンベルクの奇襲にあったが、これまた見事な撤退戦を行い最小限の損害だけですんだのだ。カストディオ将軍もまたこのまま戦っていても益なしとして、早々にクリンケンベルクから退いたのだった。しかし最小限の損害と言っても、此度の遠征で莫大な兵糧と金を費やしてしまったのだ。
よって今後の方針としては、積極的にクリンケンベルクを攻めることはせず、王都を再建し、物資を備蓄しひたすら堅に徹するというものだった。
諸侯の兵は思い思いに陣取って王都の消火に努めていた。僕の陣営でもセントエレナ大聖堂の辺りに陣を構え、宮廷の灰をかかせたり、掘り散らかさせた霊廟に小屋に等しい、仮宮を建てさせたりして日夜戦後の始末に追われていた。そして僕は大聖堂の祭壇の前で懺悔をするのであった。
「このレオンハルトはイシュタリーテ様にご報告致します。ザイン・ベルトホルトは天下を乱し、宗廟を穢し、聖堂を焼き払いいたしました。僕は使徒であるにもかかわらず、賊を倒すこともできず、民も安らかにできなかった。まさに恥です。イシュタリーテ様誠に申し訳ございません」
僕は涙を流しながら女神へ謝罪する。
「今日レオンハルト・ファントムロードはイシュタリーテ様の御前で誓います。命を懸けて忠義に背く賊を討ち、天下を安らかにし、聖堂を直し、朝廷を再興致します」
僕の臣下の者も皆暗い顔をしながら、僕の懺悔を言いていた。
すると、聖堂に、急いだ様子で伝令がやってきた。
「報告! レイナーレ王妃が亡くなられました。ザイン・ベルトホルト配下のレイモン・フォルトナ―の手にかかり敢え無いご最後を……」
「おのれザイン・ベルトホルト。許せん。今すぐ出陣だ。兵を調えろ」
僕は腸が煮えくり返るほど激しく怒りが湧きてきた。
先生だけでなく、母上までもが逝ってしまったのか。
「憎い! 憎いぞ!」
胸を突き刺す痛みで涙が溢れてくる。
僕は噴出すような悲哀な声で泣き崩れた。
これに僕の側近達も皆なき、仰ぎ見ることができる者は皆いなかった。
「ご主君。先鋒はお任せください。ベルトホルトの首を斬り、母君の御霊に捧げます」
クラウスは唇を噛みしめながら、そう言った。
だが、エヴェレックは彼を諫める。
「どうかご自重ください。今兵を向けたところで勝ち目などありません」
少しの間、沈黙が辺りを支配し、左右皆口をつぐむ。
ついにシエル・ゼーレマンが口を開く。
「……ご主君のご心痛は計り知れないほど深い。皆差がられよ。そっとして差し上げるのだ」
これに将兵達は気を利かせ、聖堂から退出していた。
今この聖堂にいるのは僕とシエルの二人である。
彼は皆が退出した事を確認すると、僕に近づいてきた。
「なによりもまず、お悔やみを申し上げます。共にお祝いを述べたく存じます」
これはさすがに僕も看過できなかったので、彼に真相を問いただす。
「シエル。何を言い出すのだ? 王都を焼き払われ、母上が殺されたばかりなのに何が祝いだ?」
「禍福は糾える縄の如し。禍を転じて福と為すとも」
「其方の言う禍福とはなんだ?」
「ご聡明な主君にはお分かりかと……」
……いや。分からないよ。
僕の心情に反して、彼は話を続ける。
「討伐軍が挙兵して半年。我ら討伐軍は破竹の勢いですが、1つだけ問題がございます。敵軍は劣勢なれど、未だ陛下を有し、大義はベルトホルトに傾いています。そうなればたとえザイン・ベルトホルトを倒したとしても天下の者は王に逆らう逆臣と我々を誹るでしょう。しかし、目下ザイン・ベルトホルトは王都を焼き払い、民を虐殺し、王妃を殺めました。今や奴は名士の支持を完全に失い、逆賊となりました。これではいずれ自滅します」
「そこまで言うか。僕は我が悲しみを天下の人に伝えたいと思っただけだ。王都を焼き払われ、母上を亡くし失意のどん底だとな」
「その知らせは風に乗り、遠方まで伝わるでしょう。そう遠くない内に、グレナラメインで変が起こるでしょうが、こちら側にも問題があります」
「続けよ」
「一番の難題は諸侯達です。未だ冥利を追い、功を焦る諸侯も少なくはない。またザイン・ベルトホルトも諸侯を懐柔するため、策謀を巡らすでしょう。我々討伐軍の中から裏切り者が出るのは驚くべきことではありません」
「それで僕はベルトホルトに勝てるのか?」
「ベルトホルトが王都を焼き払らい、母君を殺した悪事は天が許しません。ご主君が情と利で諸侯に訴えかければ、敵と通じることはあっても、事は起こさないでしょう。天はご主君に加勢し、大旗に風を送り、宝剣に鞘を与え給うたのです」
なるほど。シエルの話は理があるな。流石はエヴェレックが認めた男だけのことはある。
「見事だ。このレオンハルト恐れいった。エヴェレックがかつて言ったことは誠であった。断言しよう。其方は天下の奇才である」
「ありがとうございます」
「僕は悲しすぎてろくに筆もとれん。そなたが代わりに書くのだ。各地の名士に伝えるのだ。僕は悲しみにくれ、それこそ食物さえ口に運べないほどだと」
「承知しました」
・・・
「エリーメル・ヴァルアトレが討たれた」
やがて 、グレナラメインの都へその報は疾風にように聞こえてきた。
ザイン・ベルトホルトは手を打ち「わが病の一つは、これで取り除かれたというものだ」と独り喜んでいた。
その頃、彼の驕りはいよいよ募って絶頂にまで登ったかのように思われた。
レイナーレ皇后をレオンハルトが朝廷に背いたという罪で裁き、毒殺した。さらに二コラを正式に皇太子とし、セシリア・ロードランを皇后としたのだ。
また、位は人臣を極めてなお飽きたらず、大公と称していたが、近頃は仲父(父に次ぐ尊称で、父親代わりという意味。つまり皇帝の父親を意味する)とも号していた。
皇帝の儀仗でさえ、彼の出入りの輝かしさには見劣りした。
彼の一族はグレナラメインの兵権を統べ、宮廷の要職を独占している。みな彼の手足であり、眼であり、耳であった。
その他、彼につながる一門の長幼縁者は遍あまねく、栄爵に与り我が世の春に酔っていた。
彼ははばかりもなく、常にこう言っていた。
「事が成就すれば、天下を取るであろう。事成らざるときは、このグレナラメインに籠って悠々老いを養うのみだ」と。
これは明らかに逆臣の言葉である。けれど、彼に対しては誰もそれをそれという事はできない。
ただ地に伏して、命を恐れる者。それが大臣達であった。
この日、彼はレヴィオニアの高官達を自身の邸宅に呼び酒宴を開いた。
すると、酒もはずみだした頃、どこからか彼の兵士が慌ただしく帰って来て「失礼します」と、彼の彼の下へ行って、その耳元で何やらささやいた。
客人は皆、酒も忘れてその二人へ神経を尖らしていた。
彼は兵士を呼び、命を下した
「イヴァン・シドニーを捕らえよ」
兵士は上座の方にいた法務大臣イヴァン・シドニーの服を掴み、無理やり立たせ、堂の外へと連れていってしまった。
これには百官も色めかざるをえない。
彼は蒼白い客人に向かって、公然と演説する。
「皆の者、うろたえるでない。奴は表ではわしに従っているように装い、裏ではカストディオらとつながっていた。わしの首を狙うためにな。たった今、届いた密書をわしの兵が押さえたのだ。もしや奴の他にも賊と結託し、わしの首を狙う者がいるのか? もしいればわしなら一目で見分けることができるのだぞ」
しばらくした後、数人の召使が異様な酒と料理を持ってきた。
見ると、皿に盛ってあるある物はイヴァン・シドニーの首であり、またその酒は赤く、ブドウの赤とは違うもっと異質なものであった。
この光景に、諸臣は皆震えあがることしかできない。
「わしを裏切れば、豚のごとき末路をたどることになる。貴公からも、こうなりたくはなかろう」
ザイン・ベルトホルトは満座の青白い顔に向かって、傲然と演説する。
「気高い貴公らにはこの料理は口に合わないだろう。無理に食すことはない。だが皆には、この酒は飲み干してほしい。それがわしへの心遣いというものだ」
彼の申し出を断れる者はこの場にはいるはずもなく、客人は蒼白い顔をより蒼白くしてこれを飲み干した。
「キングリー殿。この酒はいかがかな?」
悪心が喉元をせり上がり、震えながらもアドミッド・キングリーは「おいしゅうございます」と答えた
「気に入ったか?」
「はい」
こんな調子で、キングリー大臣以外にも財務大臣エルキュール・フィラデファルツ、帝国銀行総裁ベネディクト・デルモンドなどの元老に同じことを聞いた。
誰一人として「不味い」、「気に入らない」と口にすることはなく、ただ同意の返事しかできなかった。
「元老と呼ばれる其方達が、気に入ってくれて何よりだ。ならあと三杯飲んでもらおう」
彼らは杯を干し、宴は早めに終わった。この日は皆早々に立ち戻り、一人として酔ったものはいなかった。
中でも内務大臣アドミッド・キングリーは、わが家へ帰る馬車の内でも、ベルトホルトの悪行や血酒を食したことをつくづく思いつめ嘆息ばかり漏らしていた。
館に帰っても、憤念のつかえと、不快な懊悩は去らなかった。
彼は気をあらためようと、庭園を歩いてみたが胸のつかえが取れず、花が咲き乱れている池のほとりへ今日の酒を全て吐き出す。
「ご主人様、どうなさいました?」
これに心配した召使いやソフィアはすぐさま駆け寄る。
見ると、やはり彼の顔色は青白かったので、腕をかしがら彼を部屋まで運んだ。
すると、彼は突然膝をつき、涙を流しながら、心の内を皆に語る。
「わしはもう清廉ではない。あのけだものは大臣高官、そしてわしを辱め穢れさせたのだ。我がキングリー家は七代にわたって君主に忠義を尽くした穢れなき一族。しかし今日……今日……。臣下の立場故、けだものの辱めを受けても抗うことはできなかった。陛下が都を離れてもわしは黙って見過ごしてきた。……これなら死んだほうがましだ」
「お父様は国の支えとなるお方。お命を粗末にしてはいけません」
彼は自身の無力さを先王に謝罪していると、召使が彼の下へ来た。
「ご主人様。ブランディス・アベリオン将軍がお見えです」
「……そうか。どうせわしを捕らえるために、来たのだろう」
彼は死の覚悟を決め、そう言い放った。しかし、彼のこの覚悟は無駄に終わることになる。
「いえ。アベリオン将軍はソフィアお嬢様に贈り物を持っていらしたのです」
「贈り物? ……ならば茶を出してやりなさい」
「かしこまりました」
召使いは承諾の返事をし、部屋から退出していった。




