29話 「生死」
目を覚ますと、ときは既に深夜であった。
見渡す限りの岩肌。
どうやら僕は洞窟の壁に寄りかかり、眠っていたようだ。
だが、あのとき僕は確か矢に貫かれ、川に落ちたはず。どうしてこんな所に? その疑問は直ぐに解決した。
「……君が助けてくれたんだろう……」
御意と僕の隣で腰かけていたシエル・ゼーレマンが返答した。
「なぜ僕を助けた。君は僕を恨んでいたのではないか」
「確かにレオンハルト様は憎むべき相手ですが、同時に私の主君でもあります。忠義を尽くすは人としての本分。臣下として、主君の命を救うは当然。違いますか?」
「……その通りだとも」
僕は彼と目を合わせることができなかった。
数日前まで僕は彼を殺そうとしていたというのに、彼はこうして命をかけ助けてくれた。
彼はそれを当然のごとくいうが、並大抵の男なら間違いなくそのようなことはできないだろう。
僕は己の狭量さを恥じた。
恥じると、わき腹の傷口が痛み始める。
たが本当に痛いのは、耐えがたいほど痛いのはわき腹の傷ではなく、旨の奥であった。
「……痛みますか。応急処置はしたのですが。何分回復魔法には疎いものでして」
「……これしきの傷など問題ない」
「左様でございますか」
時間にして数十秒の沈黙が辺りを支配した。
「……そろそろ行こうか」
気まずくなったこともあって、僕はそう提案した。
ここにあまり居たくないということもあったが、何よりも本隊が心配であった。
こうして、二人の悪夢のような逃避行を始めるのだった。
腹は空き、喉は渇き、前身が鉛のように重くなっていうことを聞いてくれない。
それでも、僕らは歩みを進めた。
僕にはまだ、やるべきことがある。
ここで僕が倒れたなら、このヴェルトリアの運命はどうなってしまうんだ。このレオンハルト死んでなるものか。
気力だけで、這うようにして逃げ続けた。
二時間ほど歩いていた頃、雨が降り始めた。
また、天をも侮る逆賊の軍勢が少しずつ迫ってきていた。
「レオンハルトがいたぞ~!」
「大公殿下からたんまり褒美が貰えるぞ!」
僕らは、足を引きずりながら、なおも泥濘でいねいの中を逃げた。
飢えた狼が餌を見つけたかのごとく追い込んできた。
こんなところまで、僕を探しに来るとはな。
捕まるのは時間の問題か……。
ひゅん。
一本の矢が僕の背中に刺さった。
大きく態勢を崩し転ぶと思った瞬間には、もう地面が目の先にあった。
ダメだ。立ち上がれない。これが天命なのか……。
「我が君!」
「……もういい。僕はもうダメだ。シエル、君はこれを持って逃げろ」
僕はそう言うと、ポケットにある金貨袋を彼に手渡す。
「これは!?」
「その金貨は君の忠誠心への報いだ」
「何をおっしゃているのですか!? 最後まで戦いましょう」
「分かるか。今天は僕を見放したのだ」
僕は腰にさしてあった短剣を抜き、その刃を自身の首へ向ける。
辱めを受けて死ぬぐらいなら、ここで潔く死んだほうがいい。
すると、彼は僕の腕を握り、短剣を降ろさせた。
「レオンハルト様は天下になくてはならない人。生きてください。天下のため。国家のため」
どうするべきかと迷っていると、彼方の野末のずえから、声をあげて、こちらへ駆けてくる一軍があった。
もはやこれまでと思っていたところ、僥倖にもそれは僕の家臣、ガブリエル、エヴェレック達であった。
「我が君! ご無事でしたか」とエヴェレック達は僕を迎えると、天地を拝して喜びあう。
「許せ。僕が愚かであった。今後も頼むぞ」
戦は実に惨憺たるものであったが、その秘境の中に喜びあげるものもを感じる。
「先生はご無事か。僕の身代わりになってくれたのだ」
「それが……」
「はっきり申せ」
「……ヴァルアトレ将軍はハイドランジア将軍に討たれ、その遺体はグレナラメインへ送られました」
「……やはり、先生は討たれたか……。ヴァルアトレ先生はヴェルトリア王国の再興を一途に願っておられた方。冥福を祈るばかりだ」
僕は部下に酒を用意させ、先生に対して献杯した。
……先生、どうして逝ってしまわれたのか。
先生がいなければ誰に教えを請えばいいのだろうか。
そう考えると自然と涙がこぼれそうになったが、そうもいかなかった。なにせここは未だ敵地のど真ん中なのである。
「敵兵どもは片付けました。ご安心を!」
クラウス・ロンメル、ザクセン・クリューゲルの軍も賊兵を討伐し、合流した。
「シエル。僕は生きていてよかった」
「はい。ご主君さえご無事なら、ヴェルトリアは蘇ります」
あぁ僕が間違っていた。かりそめにも君主は、死を軽んずるべきではない。もし先ほどの間に、自害などしていたら先生の命を無駄にし、彼らをどれほど悲しませていただろう。
「教えられた。教えられた」
僕は心の中で繰り返した。
この敗戦に教えられたものは大きい。得難い体験であったと思う。
負ける戦があってもいい。敗れたことによって悟り得るものがある。
この敗戦で失ったものは大きい。だが、この敗戦が経験となり僕の力となる。
僕は負け惜しみでなく、そう思った。
そして、再起の希望は決して失われていない。
「ひとまず、フェルストブルクへ帰還しよう」
これに諸将も「それがよいでしょう」と言った。
兵馬に命を下し、ここを発つ。
一行は寂しくフェルストブルクへと落ちていった。
山河は無情にも我々諸将へ悲歌を送る。
道中、煌々の星を仰ぐたびに僕は呟いた。
「たとえいかなる困難が僕の前を塞ごうとも、必ずそれを打ち砕きこの国を再興してみせる」




