10話 「天下無双の男」
フェルストブルクの余燼は、ようやくやんだかのように思えた。
国王と弟王子の馬車も、無事に帰還に王都へと帰還した。
レイナーレ王妃は国王を迎えると、共に抱擁ほうようしたまま、しばらく涙を流し嗚咽おえつにむせんでいた。
外戚派の兵乱により、ゼーレマンを討てなかったものの、宰相派の力は大いに削がれることになった。そこで彼は兵乱を引き起こしたカストディオ将軍を筆頭とした大元帥派の全てを裁こうとしたが、現国王である父上はこれ以上政権の中心にある者を失えば、国政に支障をきたすということで、特別に兵乱に関わった者全てを許したのだった。
国王と幼い弟王子を救出したザイン・ベルトホルトの立場は絶対的な権威を高めることになった。まして屈強な精鋭数万を有すベルトホルト軍に対抗する者は現れなかったのである。
彼は連日にわたり、自軍の兵士を引き連れて市街王城を我が物顔に横行していた。
その有様を見た王国軍小将リーベルは、ある日キングリー大臣に向かってそっとささやいた。
「どうにかせねばならんでしょう。あいつ等は王城も市街もいっしょくたに考えています」
「なんのことだ?」
「知れたことでしょう。ベルトホルトとその連中のことですよ」
「そのことはもう話さないほうがいい」
「なぜです。私は安からぬ思いがしてなりませんが……」
「それには同感だが、我々にはどうしようもないではないか」
内務大臣たるアドミッド・キングリーをもってしても対処できず、そう嘯くしかなかった。
「あぁ、もういいです」
リーベルは嫌になって自身の手勢だけを引き揚げて、自身の領地たるエルトリンゲンへ逃避してしまった。
彼に続き去る者は去り、媚びる者は媚びてベルトホルトの勢力は日増しに強大になるばかりであった。
・・・
ある日。黄金の蜂蜜亭で宴会が開かれた。招きの主人はいうまでもなくザイン・ベルトホルトである。ゆえに、その威を恐れて欠席した者はほとんどいなかった。王都にいる全ての文官武将に加えて、王族である僕と二コラも呼ばれていた。
「みなお揃いになりました」
メイドの一人が知らせると、ベルトホルトは様態をつくろって、宝石を散りばめた剣を腰にさして悠々と席に着いた。
「ベルトホルト殿(様)、お招き感謝いたします」
一同はガラス製の器を手にし、招きの主人であるベルトホルトに対し感謝の言葉を述べる。
「ありがとう。では御一同どうぞ」
彼の言葉を合図に皆ワインに口をつける。もちろん僕とリオンは未成年なので果汁水だったが。
数分経った頃、ベルトホルトは立ち上がり、おもむろにこう発言した。
「今日の宴にご出席いただいた諸公らに向かって、わしは一言提言したい」
何を言うのかと一同は静まり返った。ベルトホルトはその肥満した体を反らすと、話始める。
「わしは思う。今のヴェルトリアには民を導く太陽のごとき指導者が必要である。優れた仁徳を兼ね備えた万民の景仰を集めるに足る者が必要である。しなしながら、今の国王にその能力はなく、政権の中心である者でさえ、そのような者はいない。我々臣民の常に憂うるところである」
大問題である。
聞く者は皆酔いを醒ます。
ベルトホルトは静まり返った来客を見渡して、腰の剣を抜き取った。
「ここにおいてわしはあえて言おう。憂うることなかれ諸公たちよ。幸いにもここにわしがおる。恐れながら権威こそないが、他の誰よりも今必要とされている能力を持っていると自負している。故にわしは陛下から大公の爵位を賜り、その権威を以って陛下をお支えしようと思うがいかがだろうか?異論ある者は立って意見を述べ給え」
彼は驚くべき大事を宣言同様に言い放ったのである。僕を含めその場にいた者は全て驚きあきれていた。広い大宴席に咳せき一つ聞こえなかった。ベルトホルトは俺に反対する者などいるはずもないといった自信に満ちた目で僕達をなめまわした。
すると、武官武将のうちから突として誰が立つ音がした。一斉に人々の首は彼に向けられた。見るとその男は、カストーラ総督ファイブン・エレクサンデルである。
「吾輩は起立したぞ!」
「ほぉエレクサンデル将軍。何か意見でもあるのか」
「いかにも。辺境の地の長官に過ぎぬお前が大公の爵位だと。おこがましい。身の程を弁えろ!」
エレクサンデル将軍に続き、数十名が立ち上がり反対の意見を口にする。
「このような席で国家の一大事を決めるのは適切ではない」
「簒奪を企む者でなければ、そのような暴言は吐けまい」
彼らの言葉にベルトホルトは怒りをあらわにし、エレクサンデル将軍に剣を向ける。
「黙れ。儂に背く者は死あるのみだぞ」
「何をする気か」
エレクサンデル将軍は顔色一つ変えず、びくともしない。それも当然だ。エレクサンデル将軍は地方の下級貴族から剣一本でここまで出世したの武闘派で知られているのだ。
(剣を振れるなら振ってみろ)といわんばかりの恐ろしい顔をしていて、睨みつけいる。
「ブランディス!」
「なんでしょう」
声のした方向に目を向けると、そこには豪快に酒をかっ喰らっている巨漢の男がいた。
この男は誰だろう? 王都でも見たことがない。だが待てよ。ブランディスどこかで聞いたことがある名前だ。
思い出した! 確か……。
「貴方はもしやパールムインのブランディス・アベリオンではないか?」
僕は思わず口に出してしまった。
「ほぉ小僧、俺のことを知っているのか」
当然だ。パールムインの大虐殺を起こした張本人を知らないはずがない。今から5年前、パールムインの町に総勢3万の亜人連合軍が攻め寄せたことがあった。ときの国王である父上が亜人討伐のため軍隊を派遣したところ、既に亜人共は皆殺しにされていたのだ。パールムインの守備兵に事情聴取したところ、たった一人の男が鬼神のごとき強さで、たちまち亜人を皆殺しにし、姿を消したという。父上はえらくその話を気に入り、その男を探そうとしたが、ついに見つけることはできなかった。まさかベルトホルトの部下として、会うとは思わなかった。
「ブランディス。早くこやつらを斬り殺せ!」
「御意」
彼は立ち上がり剣を抜く。周囲の者は皆彼の気迫に恐れを抱いた。
不味い。このままでは忠臣が殺されてしまう。
「どうかお待ちを」
僕はこの状況を何とかしようと立ち上がり、ベルトホルトとエレクサンデル将軍の間に入る。
「今日は折角の供宴ではないですか。かたぐるい国政のことなどは、席を改めて他日になさってはいかがです。特に酒のあるところでは議論がまとまりません」
「今更何を」
ザイン・ベルトホルトは不快感をあらわにし、僕を睨みつけてくる。
この馬鹿にいくら正論を言っても無駄だな。なら仕方ないか。
僕は顔を下に向け、手で顔を隠すし泣きまねをする。役者ほど上手くはできないが、それなりのできだと我ながら思う。
「はぁ~どうしてこんなところで泣いているのか?」
ため息混じりに彼は理由を尋ねる。僕は彼のその言葉を待っていた。
「将軍は今宵の宴の主人ではないですか。来客に流血などさせれば貴方の不徳になってしまう。敬愛するベルトホルト将軍の名声はきっと失墜してしまうことでしょう。そのことを思うと悲しく涙が出るのです」
誰もお前のことなど案じてはいない。臣下の身でありながら、大公を名乗ろうと画策する奴の何を心配すればよいのか……。これはあくまで場を収めるためだ。
「……む。そうか」
僕の言葉が聞いたのか、それともそのような雰囲気でなくなったのか分からないが、彼は不承ながらブランディスを下がらせ、剣を柄に収めた。
その後の供宴もこんなふうで殺伐な散会となってしまった。大公の話は又別の日にしてということになり、来客は逃げ腰に閉会の乾杯をして帰った。
ヴァルアトレ先生やキングリー先生などは、ため息を吐きながら真っ先に帰ってしまったのだ。