プロローグ
平成28年6月11日、僕は死んだ。
死因は車との接触事故。信号は青だったのに、急に一台の車が突っ込んできた。
跳ねられたときは、「死ぬのか?まだ死にたくない。僕には叶えたい夢が……」とか色々なことを考えている内に、いつのまにか意識は途絶え、気がついたら死んでいた。
なぜ、自分が死んだと確信しているかのというと、今僕は病院でも事故現場でも救急車の中にもいないからである。白くて何もない空間。本当に何もない空間に僕はいる。床も天井さえも。だが、不思議と恐怖はない。どこか落ち着くそんな場所だ。それに、車に跳ねられたはずなのに体の痛みが全くない。痛みがないどころか、体が軽い。まるで、自分が羽毛であるかのように、ふわふわした何とも言えない感覚だ。
痛みは感じなかった。そもそも痛かったという記憶がない。もしかすると、あまりの痛みで記憶が飛んでいるのかもしれない。
あの時は、一瞬でこんなに頭が回るのかと思うほど様々な記憶や思考が頭の中を巡った。あれが噂に聞く走馬灯なのだろうか。
まぁそんなことはどうでもいい。それよりも、これからのことを考えなくてはならない。なんだかよく分からない場所に来ちゃったみたいだし。
「こんにちは、死者の間にようこそ」
突然後ろから声をかけられた。
そこには、一人の女性がいた。長く美しい銀髪に、妖美に輝く瞳は紅色。その瞳は血を彷彿させるほど赤く、又宝石のように透き通っていた。
突然の声掛けに飛び上がりそうなったが、よかった。きっと何か事情を知っていそうだ。
「あの、あなたは?」
「色々と呼び名はあるが、一番わかりやすく言えば、神かしら」
「神ですか……」
何を言っているんだ?この女性は?頭がおかしいのかとも一瞬思ったが、死んだ後もこうして意識があり、よく分からない場所にいる。神のような存在がいてもおかしくないのかもしれない。しかし、どうしても胡散臭く感じてしまう。
「君に選択肢とチャンスを与える」
「もしかして生き返ったりできるんですか。僕はまだ死ねないんです」
「いいや、それはできない。君の死体はもう火葬されてしまっている。もう君の肉体はこの世にはないよ」
「そんな……」
頭が真っ白になり、目の前が暗くなっていく。太陽が消えてなくなったような寒さと闇とが僕の心に襲いかかってきた。
ため息混じりに僕が呟く。
「それならチャンスってどういう意味ですか?」
「一つ目は、現世への転生。この場合は記憶もなくなるし、赤ちゃんからやり直しになる。二つ目は天国に行くこと。だけど、はっきり言って天国はつまらないよ。永遠に日向ぼっこでもするしか、やることはないわ」
永遠に日向ぼっこは嫌だな。現世への転生。でも記憶が無くなるのか。その人をその人たらしめるものはその人が積み重ねてきた記憶ではないだろうか。全ての記憶を失った僕は僕と呼べるのだろうか。個人的にそれは自我の消滅だと考える。やはり、自分自身の消滅は僕を含めた誰にとっても怖いものだ。
「そして、最後の三つ目が、魔法や悪魔など異形の者が存在する異世界に転生することだ。赤ちゃんからやり直すことにはなるけど、特別に今の記憶を持ったまま転生できる。それに、すぐに死なれたら困るから私が何でも一つ願いを叶えてあげる」
「何でもですか?」
「そうよ。神器級の武器や防具、高いステータスや強力な魔法でも、あなたが願うなら何でも一つだけ叶えてあげるわ。まぁ実際には、叶えることのできない願いもあるのだけれど」
それは、何でもとは言わないのではないか?
ただ昔からファンタジーが好きだったし、異世界にも興味がある。
転生特典は何にしようか?
彼女が言うような武器や魔法があれば、北条時宗や楠木正成のような大英雄になることができるかもしれない。或いは、天下無双の呂布のような武力。プロパガンダの天才ゲッベルスのような宣伝術。雷光ハンニバルのような……。
客観時間にして数分ほどが経過したころようやく、決めることができた。少し迷ったが、これしかない。
「僕の父と母。そう現世での父と母を幸せにしてください」
「そんな願いでいいの? 英雄になりたいのではなくて?」
「はい。もちろん歴史に名を残す英雄になってみたいです。しかし、きっと両親は僕の死を悲しんでいます。あるいは僕をひき殺した人を恨んでいるかもしれない。それに母は気弱なので、気を病むかもしれない。そのような不安を抱えながら、異世界に旅立つことができる者などいるでしょうか」
「えぇ、君の言うことはもっともですね」
そう言った瞬間、彼女は笑い出した。その笑いは嘲笑いなどではなく、好意などが含まれた笑いだ。
「それで、僕の願いは ?」
「えぇ、いいわよ。その願い叶えましょう。それにあなたのことを少し気に入ったわ。そんな君を見込んでお願いをしてもいいかしら」
「僕のできる範囲なら構いませんが、どういった内容ですか?」
恩には恩で報いるこの世の道理である。だが、家族を救ってもらう大恩に報いることができるのだろうか。
「その前に一つだけ質問させていただけないかしら」
「何でしょうか?」
「君は、私に何を捧げれますか?」
「僕は今や身一つ。捧げれるものなど、僕の体ぐらいしかありません。それで大恩に報いることができるのなら、犬馬の労もいとわず、たとえこの骨が砕けたとしても、貴方様のために働きます」
「その言葉を待っていました! 君は道理に明るく、義理堅い。まさしく私が追い求めていた人です」
「それは、買いかぶりとうものです」
少しの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「決めました。あなたを私の使徒に任命します」
「使徒とはいったいどのようなものなのですか?」
僕の問いかけに彼女は心優しく説明してくれた。
彼女の説明によると、女神の使徒とは、女神の第一の僕しもべに与えられる称号である。そして女神に代わりて、彼女の愛、慈悲、正義を人々に知らしめることを主な仕事とする。又、独自の判断に基づき悪(彼女の正義に従わないもの)を裁くことも許されるらしい。
「ありがとうございます。それで、僕は一体何をすればよろしいのでしょうか?」
「簡単なことです。私の名をもって天下万民を救い、天意に仇なす賊を討ちなさい」
彼女がそう言うと俺の足元に魔法陣らしきものが浮かび上がる。
「それでは、そっちの世界で頑張りなさい! それと、私の名前はイシュタリーテ。これから、あなたが仕える神の名です。よく覚えておきなさい」
その声を最後に僕の意識は途切れた。
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