75 御堂恭平のドリブル講座
今のお前の実力を知りたいと言われたので、アキラは全力で恭平へと挑むことにした。
1対1のドリブル勝負。
横からパスを貰うとか、後ろを向いた状態から始めるとか、そんな小難しい設定は一切抜きにして、お互い向き合った状況からの真っ向勝負。
スタートも、声かけなどは一切なく、アキラが動けばそれが始まりだった。
とにかくやってみるという気持ちで一回、二回と試してみたが、アキラのドリブルはごくごく普通に止められてしまった。
──こいつ、守備も上手いな……。
普通に格上と言っていい相手だ。
それでもめげずに勝負を挑んでいくと、5回目にしてようやく恭平の裏を抜けた。
やっと1勝……と言いたいが、今のはアキラの片足ルーレットターンが上手かったというより、恭平の動きが鈍かった。
ブランクあるなと、そう思う。サッカーは上手いがブランクはある。ハイクオリティの動きをやり続けられる訳じゃない。
そんな元サッカー部の現美術部員に対して、この勝率はマズいと思うのだが、勝負を続けても中々に抜けない。
戦いながら感じているが、恭平の守備には朝霧部長のようなDFとしての上手さは感じない。ただ、アキラが仕掛けようとする瞬間を、前もって察知しているかのようなふしがある。
たぶんだが、どうやって抜くのかを知り尽くしているが故に、どういうタイミングでこちらが抜こうとしているのか理解しているのだろう。
結局、1回しか勝てていないまま10回目の勝負が終わったところで恭平が動きを止めた。
「お前、パスと違ってドリブルはヤバいな。本当に抜く気があるのか?」
「ぐっ……」
直球で刺しにくる恭平の言葉に苛っときたが、1勝9敗じゃいい返すことも出来ない。
『アキラ、落ち着いて、落ち着いて』
『わーってるよ!』
こちらを宥めようとしてくるヤマヒコに乱雑に返事を返すと、改めて恭平に向き直った。
「どこら辺が駄目だった?」
「そうだな……色々な技を取り込もうとしているのは分かるんだが、まず基本がなってない。これは技術うんぬんよりも心構えの問題だな。──滋賀は何か言ってなかったのか?」
「え? 私ですか?」
名前を呼ばれた琴音が自分を指さしたが、恭平は首を振って否定した。
「いや、兄貴の方だ。こいつのドリブルに関して何か言ってなかったか?」
「えっと……そう言えば、最近の佐田君は足元を見ずにボールを扱う頻度が増えてきたと褒めてましたよ」
「……なるほど。甘いなアイツは」
恭平は呆れたように肩をすくめた。
「滋賀は褒めて伸ばす奴だろうし、長期的に見ればアレこれ指示して型にはめるより自分で考えさせる方が良かったりもするんだろうが、俺はそこまで悠長じゃない。教えてくれと言ったのはお前だしな。──という訳でまず大前提から伝えていくが、ドリブル突破は短期決戦、速攻強襲が基本だ。それ以外をやる必要は全くない。さっきの勝負で俺の出方を見るような、いわゆる後の先を取ろうとする動きがあったけど、これからはやめとけ。ああいうのは必要ない」
「本当かよ……」『へーっ……』
初めて聞いたぞ、そんな話……というアキラの心情を顔色から読み取ったのか、恭平は懇切丁寧に理由を説明してくれた。
「本当だ。DFの立場で考えてみろ。ボールを奪うのが一番。でも、それが出来なかったら攻撃を遅らせろって教わらなかったか?」
「……教わったな」
確か部長から教わって、分かり易くて使える理屈だったので、そのままアキラの中でも根付いている。
「サッカーは1対1の戦いじゃないから、自分でボールを奪えなくても味方が守備を固める時間を稼げれば点をやらなくて済む訳だ。逆に言えば遅い攻撃ってのはそれだけで相手に有利を与える。俺の体感で言うなら、ボールを持ってマークとぶつかるまでがワンテンポ。それで決着がつかずに向き合った状態から、もう一回仕掛けてツーテンポ。ドリブル突破が有効なのは精々がツーテンポまでだな。それより時間が掛かれば掛かるほど相手チームが有利になっていく。最悪、苦労して抜いても、相手の陣形が抜く前より整っている……なんて本末転倒な事態もあり得る訳だ」
「なるほど……」
アキラは思わず頷いてしまった。言われてみれば言われる通りだ。というか、アキラのドリブル突破がイマイチな理由はこれなのかもしれない。目の前の相手を抜くのに手間取りすぎて大局で負けている。
逆にアキラのドリブル突破が上手くいった時は、大体、速攻でケリを着けていた。
自身の記憶を思い返してみても矛盾はない。
「ドリブル突破をするなら速攻が一番効率がいいし、毎回、速攻するなら相手の出方を探る時間なんてないから、自分の強い手札で押し潰す強襲一択になる。まず自分から仕掛ける。相手との駆け引きなんてのは、その後の話だ」
そこまで言い終えると恭平はくるりと背中を向けてアキラとの距離を空けた。
そして、さっきの10本勝負ぐらいの距離まで距離を空けると再度振り向いてアキラと向き合う。
「やることはさっきと同じだ。お前が仕掛けて俺が防ぐ一騎打ち。ただし、お前はツーテンポまでにケリを付けろ。それより手間が掛かった場合は全てお前の負けだ」
とにかく数をこなすと言う恭平の提案にアキラは頷いた。
「二人とも頑張って下さいね」
という琴音の応援と、
『そうそう、頑張りなよアキラ』
というヤマヒコの応援を受けながら、アキラは恭平と向かい合った。
──速攻……速攻。速攻ね。
──……意外と難しいな。
言われた通り、速攻を意識して仕掛けようとしたアキラだが、そういう縛りが一つでもあると想像以上にやりづらかった。
勝負のスタートを切る第一歩が踏み出しづらい。
──ええい、やれ!
自分を叱咤してボールを蹴り出すと、そのまま、速攻と言える程のスピードを意識してドリブルを始めた。
利き足でのワンタッチ、ツータッチ、そして、
「げっ……!」
恭平との距離が縮まり過ぎてる。
想定していた仕掛け場所を通り過ぎた所から、慌ててフェイントを掛けようとしたが足元が付いて来ず、変な風に蹴り出してしまったボールが明後日の方向へと転がっていく。
ボールを奪われる以前の盛大な自爆だった。
「もう一回だ。そこからでいいぞ」
ボールを拾いに行ったアキラの背中に声が追いかけてくる。ボールに追いついて振り向くと恭平も立ち位置を変えていた。さっきと同じくらいの距離があるので、この場所から始めろということだろう。
2回目とあって、1回目よりスムーズにスタートを切ることが出来たのだが、今度も失敗。
距離を詰めた所でブレーキをかけてタイミングを狂わせ、次の縦のダッシュで置き去りにするつもりだったが、何というか、挙動が大き過ぎてバレバレだった。
「次だ、次」
言われるまま兎に角仕掛けて行くが、どれも上手くいかない。実力を知りたいと言われた最初の10本よりなお悪い。
数をこなす内に向こうの調子が上がって来た訳じゃない。恭平の調子は変わっていない。
問題はこちらの方だ。速攻を意識したドリブルを意識すると頭も足元もついて来ない。
だいたいはタイミングが合わないか、合わせる為に大雑把な動きをして上手い具合に体を寄せられて勢いを止められている。
とてもじゃないが、昼間に見た恭平のように、さっと行ってすっと抜くなんて真似は出来そうになかった。
こちらの心情を見透かしたかのように恭平が言う。
「体がついて来ないだろ? お前はサッカーの経験自体は浅いもんな。まだ、半年くらいか? でも、ドリブルで飯食ってこうとするなら、最低限この速度でやり合えないと話にならないぞ? どうする? 止めとくか?」
「うっせっ! やるわ! やるに決まってんだろ!」
「そうか。ならアドバイス2つ目だ。今のお前はボールを運ぶ時にインサイドを使い過ぎてる。そりゃ足の内側にボールを置いて足の内側を使ってボールを運ぶのはコントロールがつけ易いだろうが、つま先が前を向いてないからスピードが落ちる。もっと、足の甲や外側を使ってボールを運ぶ癖をつけろ」
「ぐっ……!」
自分でも駄目だと感じているところに更なる難題の追加。
無茶を言うなよ! というのがアキラの本音だった。
それでも、アドバイス通りにやってみたが、元々、おぼつかなかったボールタッチが更におぼつかない。
もう、相手を抜く抜かない以前の問題で、ボールを運ぶことすら満足に出来ていない。
5回、10回と1対1を繰り返したが1度たりとも上手く行かない。恭平との駆け引きではなく、自分のボールタッチの拙さで自滅していた。
くっそむずい。
その余りの難易度に、なんか理不尽な難易度の課題を押し付けられてんじゃねーかと疑ったぐらいだが、恭平のドリブルを思い返してみても、槍也のドリブルを思い返してみても、はたまたロアッソ=バジルのドリブルを思い返しても、今のアキラぐらいのスピードは普通に出していた。今のアキラ以上のスピードだって出していた。
要するにアキラが雑魚なだけだ。
「はは……はっ!」
知らずアキラの口から乾いた笑い声が漏れていた。自嘲の笑いだ。
どうやら、だいぶ慢心していたらしい。アキラが天才なのはポジショニングとパスワークに関してのみだ。
敵が居ない所を見定め、敵が居ない所でボールを受け取り、敵が寄せてくる前にボールを放り込む。アキラとヤマヒコはそういう能力に長けている。
ボールを支配下に置いたまま、敵の方へと向かっていき、ボールを奪われずに相手を抜き去るというのは、全然、違う才覚だ。
最低でも今のスピードでボールをコントロールしなくてはならないのなら、アキラはまだスタートラインにすら立っていない。
それが今の自分の立ち位置なんだとアキラは自覚した。
「おし!」
その上で、改めて1対1を仕掛けて行く。
──ん……ん?
さっきよりは、ちょっといい感じだった。
心境が変化しただけで技術が向上した訳じゃないので相変わらず負けっぱなしだが、負けても無意味に苛つくことは無くなった。直ぐに意識を切り替えて次の戦いへと向かえている。
前向きな姿勢で10本、20本と1対1を繰り返していたら、また恭平からアドバイスが飛んできた。
「10から15回に1回でいいから左でボールを運ぶようにした方がいいぞ」
ただ、これまでとは違って、このアドバイスには素直に従えなかった。
今日の練習、アキラはこれまで左でボールを運んだことがない。意図的にそうしていた。
やっぱり、利き足である右と逆足である左ではボールタッチにかなりの差がある。
右から左へのダブルタッチとか、右足で跨いでからの左で逆を抜けるシザーズとか、そういう右足を主体にした動きの中で左を使うならまだしも、最初から左足でボールを運ぶ動きが通用するとは思えない。
訓練して成長させるにしても、現状、利き足ですらマトモに使いこなせていないのだから、まずは利き足からだろう。
「利き足ですら満足にドリブル出来てねーのに、逆足でボールを扱っても意味なくないか?」
率直な質問に、これまた端的な答えが返ってきた。
「逆足で仕掛ける為じゃなくて、利き足を生かす為にやるんだ。──ずっと片足を主体に使っていると、重心が偏ったりして変な癖が出来易いから、それの予防だな。それに感覚でやれる利き足と違って、逆足での動きは頭がその動きを理解してないと出来ないからメカニズムの解明にも役立つ。あとは万が一の時の為の保険」
「保険?」
「ああ。個人的な考えだが、俺はパスと違ってドリブルは左右平等に扱えるようにする必要はないと思ってる。両方とも鍛えるぐらいなら利き足を強化していった方がいい。右左どっちも70点のドリブラーと、利き足が80点、逆足30点のドリブラーなら、利き足80点のドリブラーの方が絶対に強い」
「そんなもんか? いや、でも、そうなるのか……」
強い手札で押し潰すのがこいつの基本だもんな。
「少なくとも俺のやり方だとそうなる。ドリブルの機会が100回あったとして99回は利き足を主体にした強襲でこと足りる。ただ、ごく稀に30点のドリブルでも構わないから逆足で仕掛けた方が有効な局面が不意に現れるから、嗜む程度に覚えといた方が融通が利く。──今の説明で納得したか? 納得したなら続きをやるぞ」
「了解」
頷いて、言われた通り左足でボールを運んでみたが、右と同じようなスピードで始めようとするとドリブルにすらならなかった。
アウトタッチで押し込んだ際の勢いが強すぎて、相手の方へとボールが転がっていく。もはや恭平へのパスだ。
「これ、難しくね?」
「最初はそんなもんだ」
軽口を叩きながらボールを返してもらい、今度は右で仕掛けていく。
まだ、全く成長出来ている気がしないが、むしろ退化していると思う程だが、今は馬鹿になってやるべきだろう。少なくとも理屈だけなら恭平の理論はわかり易い。
それから更に1対1を繰り返した。
もう何回繰り返したのか、数を数えるのが曖昧になってきた頃に、ふと気になった。
「この1対1、どれくらいやるんだ? 他の練習はやらないのか?」
「いらない。お前がドリブルを覚えるまで、ずっとこれだ」
「……まじで?」
意外すぎる返答にアキラは言葉を失った。
え? 本気でこれだけ? ずっと、正面からのイチイチオンリー?
よほどアキラがびっくりした顔をしていたのか、恭平が軽く笑った。
「本当だ。これが最も俺のドリブルを覚え易いし、覚えてしまえば幾らでも応用が利く。少なくとも1対1に関してはな。……果たしてお前は、これを何万回繰り返せばDFを抜けるようになるんだろうな?」
最後の台詞は、アキラを乗せる為の挑発だろう。やれるもんならやってみろと、その目は言っていた。
ただ、それにちょっとワクワクしている自分がいる。思い返せばサッカー部に入る時も乗せられた。
意外と恭平は口が上手いのかもしれない。本人は画家を目指しているが、教師なんかが向いているんじゃないか? とアキラは思った。それか煽動家。
なんにせよアキラは恭平の挑発に自分から足を踏み入れた。
目標は勿論、9月の終わりには始まる、冬の選手権に行く為の神奈川地区大会だ。もう一月もないか。それが始まるまでにはドリブルを使えるレベルに持っていく必要がある。
──だから、1日に仮に500回繰り返すとして大体1万3、4千くらいか?
──いや、恭平とやらない日もあるから、えーと、えーと……。
──……まあ、細かい回数なんて、どうでもいいか!
「秋の大会はパスだけじゃない。ドリブルで無双している俺がいるさ」
アキラが意気込みを伝えると恭平は再び笑った。
「そうだな。それくらいやってもらわないと、こっちも教える甲斐がない。──続けるか?」
「ああ」
頷いたアキラは、今日一日で何回繰り返したかわからない恭平との1対1を再開した。




