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74 かつてのドリブラー

「なあ、ちょっと俺にお前のドリブルを教えてくれ」


 体育の授業が終わって教室で着替えている最中、御堂恭平はそんな事を言われた。

 驚いた恭平がそっちを向くと、同じく服に袖を通しながらもワクワクとした顔をこちらに向けるアキラがいた。

 なんというか、遊園地を前にはしゃぐ子どもか、それともご馳走を前にした犬か。

 どうやら、さっきの授業中に恭平がやってみせたドリブルを見て、自分でも使いたいと思ったのだろう。


 ──腐っても鯛……か。


 現役時代、同じことを言われたことが何回もあった。

 だが、まさかサッカーから離れて技が錆びついた今でも「ドリブルを教えてくれ」と言われるとは思わなかった。

 まあ、悪い気はしない。しないが、だからといって素直に教えるかと言われれば、それはノーだ。


「止めておけ。自分で言うのもなんなんだが俺のドリブルは独特でな。中途半端に身につけようとしても碌なことにはならないぞ」


 これまで同じように恭平のドリブルを身につけようとした人間は何人もいたが、全員、ものの見事に失敗している。

 身に付けられない訳じゃない、ただ、それなりに形になったとしても、それがサッカーの実力の向上に結びつかないのだ。

 特にこいつとの相性は最悪に近い。

 もし仮にこいつが恭平のドリブルを習得したとしても絶対に強くなることはない。むしろ、弱体化する。

 なので、アキラの意見を退けたことは恭平なりの親切なのだが、残念なことに当の本人には通じなかった。


「ああ? やってみなきゃわかんねえだろ? 何やってもない内から、俺ができねえって決めつけてんだ?」

「……出来ないとは言っていない。碌なことにならないと言っているんだ」


 律儀に訂正しながらも、凄く面倒なことになってしまったと恭平は悟った。

 これまで付き合いで、この友人の人となりは理解している。

 周りが白だと言おうと、自分が黒だと思えば黒だと主張するのがこいつだ。面倒くさい性格をしている恭平が言うのも何なんだが、くそ面倒くさい奴なのだ。

 だから、こいつを納得させるには、こいつ自身が納得するだけの材料を突き付けるしかないのだが、それはしたくない。

 なぜなら、恭平のドリブルがオススメ出来ない理由こそが、恭平がサッカーを離れたきっかけだからだ。

 恭平は自身の存在意義ですらあると思っていた自らのドリブルに限界を感じ、それを打ち破る為に足掻いて、そして盛大に失敗した。

 今でこそ立ち直っているが、サッカーから離れた当時は相当に凹んでいた。

 もし、絵や美術に出会っていなかったら、今でも下を向いて歩いていただろう。

 立ち直った今でも、あの時に違う選択を取っていればどうなったかを考えることがある。

 後悔はないと思う。けれど未練がない訳じゃない。

 恭平にとってドリブルとはそういうものだ。

 そういうものだから、自分以外の誰かに軽々しく語る気にはなれない。


「ドリブルを手に入れたいなら他を当たれ」


 そう言って、この話題を終わらせたいところだが、こいつは見るからに入れ込んでいる。

 割と本気で困る。

 数少ない友達と険悪になるのもな、という気持ちがなくもないし、それとは別に、アキラに対して思うところがあったりもする。


「一応、聞いとくが……もし俺がドリブルを教えないと言ったらどうするんだ? いや、もしもも何も、本当に教えない方がお前の為だと思ってるんだが……?」

「諦めねえよ。俺はあのドリブルを使うって決めたんだ。教えられなくても自分でやるし、お前のドリブルを知ってる奴から話を聞くって手もある。ほら、槍也とか工藤なら知ってるだろ?」

「……勝手に決めるな」


 ぼそっと呟いた恭平は、とりあえず着替えを終わらせることにした。

 問題の先送りとも言える。

 途中で止まっていたシャツのボタンをとめ、制服を羽織ると、脱いだ体操着を体育袋に折り畳んで詰め込んでいく。

 一連の作業が終わって椅子に座ると、同じく着替えを終えたアキラが椅子に逆向きに座って強い目でこちらを見ている。

 恭平より遅く着替え終わったのに恭平より早く話し合いの体勢を築いているのは、アキラが体操服を雑に体育袋に突っ込んだからだ。

 せっかちというか何というか、アキラの目は、早くドリブルを教えろと、そう言っていた。


「はあ……」


 本人には言っていないが、これでも恭平はサッカープレイヤーとしての佐田明を気に入っている。

 放課後、部活、もしくは自主練で絵を描いている時、よく息抜きに屋上に上がって、そこからグランドを見下ろすのだが、上から眺めるこいつのプレーは見ていて面白いと素直に思う。

 合理的なポジショニングに正確なパスワーク。まだサッカーの経験が浅いのに、こいつには既に自分のスタイルがある。

 そういう奴のサッカーを見るのは楽しい。

 なにより、現役時代の恭平とはポジションも動き方も全く違うところが、見ていて負担を感じない。

 この学校には滋賀もいるが、かつてのライバルを、少なくとも恭平にとってのライバルだった滋賀のプレーを素直に応援するには、まだ少し抵抗がある。

 こいつくらいにかけ離れた動きが、今の恭平には丁度いいのだ。

 なんにせよ、恭平はアキラのサッカーを気に入っている。

 気に入っているからこそ、見込みのない技にこだわって回り道をさせたいとは思わない。才能があるのだから素直に伸びれば良い。


 ──しょうがない……か。


 恭平は自分の信条を少し曲げることにした。

 向かいに座っているアキラに視線を合わせる。


「俺はガキの頃にサッカー始めたんだが、最初から他の奴よりボールの扱いが上手くてな。おかげで相手を簡単に抜くことが出来て……まあ、ドリブルでDFを抜くことが楽しくて仕方がなかったよ」


 こうして口にすると改めて自覚するのだが、当時の恭平にとってサッカーとはボールを受け取ったらドリブルでゴールを目指すものであって、味方とパスを繋いでいくものではなかった。なんなら団体競技という意識すら無かったように思える。沢山いる対戦相手に自分一人でドリブル突破を挑む、そういう遊び。


「そうしてドリブルにハマった俺は、サッカークラブに入っても中学に上がっても、ひたすらにドリブルだけを磨いたんだ。たた、ガキの頃はそれで良くても、上に上がっていくにつれて以前ほど好き放題出来なくなっていった。当たり前だよな? 相手だって馬鹿じゃない。ドリブル一辺倒でパスのないサッカーなんて対策されるに決まってる」


 それは例えるならじゃんけんでグーしか出さずに勝っていくようなもの。その無謀さ加減はアキラにも伝わったようで、


「ああ……そりゃそうだ。選択肢がなけりゃ、そりゃ詰むわな」


 と、納得するかのように深く頷いている。


「そこで一度立ち止まって、パスという選択肢に向き合えば良かったんだろうが、俺はそのまま突っ走った。パスなんかなくても問題ないぐらいにドリブルを極めてやる……ってな」

「あ〜〜……そっちに進んだんだ」


 アキラは呆れた顔をしていた。まあ、わかる。


「ああ、進んだ。そしてその結果、ドリブルは更に上手くなったし、県の選抜に選ばれるぐらいの活躍もした。けど、パスが選択肢に無いって根本的な弱点はそのままでな。俺がドリブルにのめり込めばのめり込むほど悪化していった。具体的には、俺は元々、首をふって敵味方の位置を確認するような真似はあんまりしなかったんだが、それに拍車が掛かった。俺はな、サッカーやっている時は、ただ、ひたすらに目の前にいるマークの呼吸を掴んで抜き去ることだけを考えていて、周りのことなんか見ちゃいないんだよ」

「……ん?」

「フリーの味方がいても気付かない。上手く裏に抜けられそうな味方がいても気付かない。自分のリソースを全てドリブルに回した欠陥プレイヤー、それが俺だ。だから、お前みたいな周りを見てパスを捌くプレイヤーが俺のドリブルを取り入れても、強くはならないんだ」


 言い終えた恭平は、どっと疲れが襲ってきたので椅子の背もたれに体重を預けた。


 ──全く……。


 昔のことを話したから昔のことを思い出してしまった。

 恭平の転機になったのはやっぱり、自分のサッカーにパスを取り入れるかどうか? だろう。

 あの時、お利口にパスを組み込んでいたなら、きっと今でもサッカーを続けていただろう。パスを出せる恭平は、多少、ドリブルのスキルが落ちようとも、総合的にはパスを出さない恭平の上を行った筈だ。それが常識的な判断だ。

 ただ、その場合は、もっと後悔していたんじゃないかと思う。

 常識なんて知ったことかと、これまで培って来たドリブルを捨てるぐらいなら死んだ方がマシだと、俺のドリブルで常識の方を変えてやると玉砕覚悟で突っ走って、そして実際に玉砕してしまった訳だが、そんな自分のことを今でも嫌いなれない。

 馬鹿だとは思うが、嫌いにはなれない。


 ──だから、まあ……なるようになったんだろう。


 結局、いつもの結論に落ち着いた恭平の意識が過去から現在に戻ってくると、未だにアキラはうんうんと悩んだままだった。

 その様子をなんとなしに眺めていると、ふと目が合った。そして尋ねられる。


「ドリブルする時に周りは見ねえ?」

「ああ」

「試合中、対峙するマークを抜き去ることだけ考えていて、試合の流れや攻撃の組み立てなんか知ったこっちゃねえ?」

「ああ、そうだ」


 恭平が正直に答えるとアキラは笑った。見ているこっちにも満足感が伝わってくるような、そんな素直な笑い方だった。


「じゃあ、何の問題もねえよ。俺は元々、周りをあんま見ねえから。むしろ、それくらい偏ってた考え方の方が俺には合ってそうだ」

「……。……はあ?」


 なら、どうやってパスを出しているんだ? と問いかけようとしたが、それより先、アキラが机越しに手を合わせてこちらを拝んだ。


「という事でドリブルを教えてくれ。俺は今でもそれなりに凄えけど、あれがあればもっと凄くなれる。それこそ槍也だって勝てる…………勝てる、か? どう思う?」

「俺に聞くなよ……」


 呆れながら言い返した恭平だった。

 ……。

 ……。




 アキラからドリブルを教えてくれと言われた、その日の放課後、恭平はアキラに連れられて河川敷の公園に居た。

 結局、ドリブルを教えることにしたのだ。

 勿論、恭平だって暇じゃない。少なくとも自分の部活の時間を削る気は一切なかったのだが、アキラは、


「なら、部活がない日でいいから手伝ってくれ」


 と、ぬけぬけと言ってきた。

 百歩譲って、週2の恭平がそれ以外の時間を融通するのは良いとして、むしろアキラの方、つまりサッカー部の方は週6、週7くらいで普通に活動していると思うのだが……まあ、アキラのこれまでの所業を知っている恭平は、それ以上深く考えることをやめた。


 ──なるようになるだろうし……。

 ──もし、なんともならなかったらそれはアキラの自業自得だ。


 そんな冷めたことを考えている恭平の目の前では、アキラが準備運動をしていた。

 まだアップの段階だが、やる気に満ち満ちている。

 元気なことだ……と思いながらも、恭平はアキラに合わせてアップを進めていた。

 因みに凄くどうでも良いことなのだが、あっちがサッカー用のユニホームに身を包んで、靴もそれ用のスパイクを履いているのに、こちらは学校指定の体操服と運動靴なのは不公平だと思う。

 じゃあ、どうすればいいんだと問われれば、どうしようもないとは思うが、でも、なんとなしに格差を感じながら準備運動をやり終えたところで滋賀がやってきた。

 彼女は部長に一言断っただけで、その後はここに直行したアキラと違って、今後の予定やらマネージャーとしての仕事の引き継ぎやらをきっちり終わらせてくると言っていた。

 今日の今日という、事前の準備が一切ないこの状況でそつなく話を纏めてきたのなら彼女は美人で学校の成績がいいだけじゃなく、マネージャーとしても優秀なのだろう。


「サッカー部の奴らは納得したのか?」

「ええ、なんとか分かって貰いました。みんな、佐田君なら仕方ないとも──とは言っても来月には県予選が始まる大事な時期ですから、いい顔はしてませんでしたよ」


 後半のくだりはアキラに向けての言葉だ。

 まあ、サッカー部の反応は当たり前の反応だろうし、そもそも滋賀自身が納得いっていないのだろう、言葉に釘を刺すかの様な不穏な気配が混じっている。

 そしてアキラといえば、その視線から逃げるかの様に明後日を向いている。

 どうやら、自分の都合は譲らなくても、それを滋賀に責められるのは苦手らしい。

 二人のやりとりが何となしに面白く感じたので、恭平は軽く笑ってしまった。


「そういえば、こいつが耳や気配で敵味方を把握しているのはサッカー部では周知のことなのか?」


 笑ったついでの他愛のない質問だった、少なくとも恭平にとってはそうだが滋賀は不思議そうにこちらを見返した。


「え? なんですかソレ?」

「何と言われても。こいつは周りを見てパスを通している訳じゃなくて、足音や他人には聞き取れない小さな音なんかで敵味方の位置を把握しているって、さっき、本人が言ってたんだが……知らないのか?」


 先程聞いた話をそのままそっくりと話した恭平だったが、滋賀は明らかに初耳だという顔色をしていた。

 それを裏付けるかのような、


「あーっ! 滋賀には言うなよ!」


 というアキラの焦った声。

 それでわかった。こいつは意図的に黙っていたのだ。滋賀にも、そしておそらくはサッカー部にも。


「なんですか? 私は除け者ですか?」


 同じく気付いた滋賀が問い詰めると、アキラはより焦った顔をした。


「いや、そうじゃねえけど……」

「けど?」

「そうじゃねえけど……でもお前、槍也の妹じゃん?」

「私が兄さんと兄妹だったら何か困るんですか?」

「困る。だって俺が槍也にサッカーで勝とうと思ったら、槍也のいいところは全部盗んだ上で、俺の情報は一切与えないぐらいのつもりで行かないと勝負にならねえ。なのに妹経由で槍也に俺の情報が伝わるのはすっげえ困る」

「心の狭いことを力一杯と……」


 アキラの言い草に滋賀が呆れた表情を浮かべる。

 恭平も全くもって同感だ。ただ、よくよく考えてみると、本気であの男に勝とうとするならそれぐらいのことは必要だという気もする。

 能力を知られていなければ、対策もされない。

 今回は恭平の協力が必要だった為に手の内を明かしたが、逆に言えば、そういう理由が無ければ誰にも明かすこと無く、手札を隠し通したんではなかろうか?

 果たしてアキラの利己的な考えは正しいのか間違っているのか。

 恭平が考えている間も二人の会話は続いていた。


「そもそも足音って……本当にそんな小さな音で、あの広いフィールドを把握しているんですか?」

「…………いや、それは只の冗談だ。俺はどこにでもいるサッカー部員の一人で、つまりは超凡人だ」

「さーだーくーんー⁉︎」

「くっくっ、はっはははっ!」


 この後に及んで誤魔化そうとするアキラの様子を見て、恭平は今度こそ声を上げて笑ってしまった。

 アキラが「何、笑ってんだよ⁉︎」という顔でこちらを見てくるが、どうにも笑いが止まらない。


「いや、すまん」


 と、軽く謝りながら笑いの衝動が収まるのを待った。

 さて、おふざけはここまでだ。


「そろそろ始めるぞ。いくら部活のない日とはいえ、雑談で花を咲かせる為にやって来た訳じゃないからな」


 アキラに向けての言葉だったが、滋賀が口を挟んだ。


「本当にいいんですか?」


 サッカー部でもない恭平がアキラの為に、という意味だろうが、これは少し見当違いだ。


「ああ。──別にアキラの為じゃない。俺の為さ」


 そう言って側に転がっているボールに右足を伸ばすと、足首の動きだけで懐に呼び込み、アキラの方へと流した。


「俺のドリブルを教える前にアキラ、まずはお前のドリブルを見せてみろ。今のお前がどんなもんか知らないとアドバイスのしようがないからな」


 恭平が心血を注いで作り上げたドリブルは欠陥品だ。致命的な欠点があり、多様性もない。恭平がサッカーを辞めた時点で、使えない技としてサッカーの歴史に埋もれていくだけのものだ。

 一歩引いた目線で見れば、それは当たり前のことだろう。

 世界は広く、サッカーの歴史は長い。

 これまでも、これからも、沢山の人間によって色々な技が生まれては廃れていったのだ。

 恭平という一個人が考えた技が、今、主流になっている技や、それこそ基本として使い込まれている技の上を行くのは無理があると……理屈ではわかっている。

 だが、もし、そんなことがあるのなら……それが例え恭平の手によるものでなくとも、本当に現実になるというならちょっと面白い、と、そう思う。

 だから恭平はこの馬鹿なのか才能があるのかよく分からない男の前に立っている。たぶん宝くじを買うような気持ちで立っている。


「おし、やるか!」


 そう言ってアキラは身構えた。少なくともやる気だけはあるなと、恭平はそう思った。

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[一言] 更新感謝!
[良い点] アキラのドリブルがどうなるのか、楽しみです。 [一言] 書籍版も買いました。 応援しています
[良い点] 更新待ってました。次回も楽しみです。
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