4章 73 二学期の始まり
夏休みが終わった9月のはじめ、平日の午前中にも関わらずアキラはサッカーをやっていた。
いや、別に授業をサボっているとかそういうことではなく、体育の授業で男子は外でサッカーだったと、それだけの話。
「へい!」
クラスメイトが送ってきた緩いパスを受け取り、何の苦労もなく前を向いてドリブルをはじめると、少し遅れたタイミングで向こうのDFがアキラの前へと立ち塞がった。
——緩いなー……。
普段の部活に比べて甘いプレスを受けながらも、練習にはちょうどいいかと、アキラはドリブルで突っかかった。
利き足のアウトサイドを使って外へ、マークの左手側を抜けていく素振りを見せると、相手がアキラの前を防ごうとしたのでタイミングを見計らってのクライフターン。
右から左への体重移動も軸足の裏側にボールを通す動作も上手く行き相手を置き去りにしたが、後ろに残した右足でボールを押し出す力が強過ぎて、相手どころかアキラすらも置き去りにボールが転がっていく。
慌てて追いかけるも、ボールに追いついた時には別のDFが迫って来ていた。置き去りにしたはずのマークも背後から追いかけて来るので2対1だ。
「くっ……この……!」
細かいタッチと自分の体を盾に何とか凌いでいるが、相手を抜き去るどころかボールを奪われるのを凌ぐのが精一杯。
これ以上は無理だと一旦ボールを下げた。
手放したボールが人伝に離れていく様を見ながらアキラは「むぅ」と、唸った。
アキラのドリブル突破はサッカー部の連中どころか体育の授業ですら通用しない。
いや、正確にはもっと軽い感じで、アキラがコントロールできる範囲でボールを扱えばクラスメイトなら抜き去ることも出来るだろうが、それだと結局サッカーやってる奴らには通用しない。
かと言って今みたいに、より速く、より鋭くを追求すると、アキラのボールタッチでは粗が出る。
端的に言って最近のアキラは迷走していた。
見かねたようにヤマヒコが口を挟んできた。
『やっぱりさ、向き不向きがあるよ。無理にドリブル突破に拘らなくても良くない?』
「そういう訳には、いかねえんだよ」
パスだけのサッカーにはいずれ限界が来ると、強く感じていた。
そう思ったのは夏休みに行われた千葉での交流戦の頃からだ。
あの交流戦では色々な相手と戦ったが、基本、アキラが出た試合は全部勝った。アキラが活躍しなかったということもない。
少なくとも2日目の終わりに槍也が合流してくるまでは、断トツの一番だっただろう。
自身の強みであるポジショニングとパスワークは充分に発揮出来ていたし、守備でも、硬いとまでは言わなくとも及第点ぐらいはあったと思う。
スタミナもそれなりについて、試合終盤で置物になっているということも無くなった。
ただ、中には勘のいい奴や対戦相手の対策をきっちりとやるチームがいて、アキラのパスワークがチームの中心だと見抜き、露骨なまでに潰しにくることが何度かあった。
だからといって止められることは無かったが、やり辛さは感じていたし、そもそも、相手のスタイルや戦況によってパスが有効に働かない場面もある。
細かいことは抜きにしても、中盤を抜けてセンターバックと1対1。こいつさえ抜ければ、あとはキーパーだけ……という状況だったらドリブルで勝負に行かなきゃ駄目だろう。
それが出来ないのは、明確な欠点だ。
もし仮に、アキラがアキラのようなタイプの選手とやり合うなら「抜かれてもいいから、とにかくパスを潰しにいけ!」と、そう指示する。
アキラのパスサッカーは強力な反面、苦手な局面に対して脆く、対処もされ易いという問題を抱えている。
じゃあ、その問題をどう克服するかなんだが、至ってシンプルにパス以外にボールを運ぶ手段、つまりはドリブル突破があればいい、というのがアキラの結論だ。
少なくともアキラの師匠(と勝手に決めつけている)であるロアッソ゠バジルはそうしている。
槍也から譲って貰った映像の中で、ロアッソはパスにドリブルにとやりたい放題だが、あれはパスとドリブル、どっちかが凄いだけじゃ成立しない。
そうじゃなく、どちらでもやっていけるからこそ、あれだけ好き放題出来るのだ。
極論を言えば、パスが最も有効に働く場面というのは、相手がドリブル突破を警戒している時だ。
こいつのドリブルはやべえって、抜かれないように間合いを空けたら好きなところにパスを通せる。
逆もまたそうだ。
こいつのパスはやべえって相手に思わせるのが、何よりもフェイントになる。
実際、パスと見せかけてのドリブル突破なら、速くもなければ巧くもないアキラのドリブルでも十分に通用している。
それから一歩進めて武器になりうるドリブルを手に入れられるなら、それは単に武器が一つ増えるだけに留まらず、パスとの相乗効果でえらいことになる……筈だ。
そんな訳で、自身の弱点を克服する為にも長所をより伸ばす為にも、ここ最近はドリブルを模索しているのだが……まあ、上手く行ってない。
なんというか、ドリブルが欲しいという方針こそハッキリしているものの具体的にアキラが目指すスタイルが思い描けていない。
一番最初に思い浮かんだのが、ロアッソのようなドリブルだったが、あのボールが足元にじゃれつくようなボールタッチは、アキラがこれから何年も何年もサッカーに没頭して、なお会得できるか分からない代物なので、アレを今のアキラが真似するのは無理がある。
次に思い浮かんだのが、身近で一番凄い槍也のドリブル。
あれが自分にも出来たらな……とは思う。
しかし、槍也のドリブルは自身が俊足であることを前提に形作られている。
よーい、ドン! をしたら誰に対してもほぼ間違いなく勝てるであろう槍也のドリブルを、並よりちょい速い程度の足しか持っていないアキラが真似しても、同じ威力にはならないので渋々却下した。
その他にも色々試しはしているが、どれもしっくりと来ない。
ぶっちゃけた話、下手なドリブルをするぐらいなら、ボールを回してそれで良くね? と、なってしまうのだ。
必要なのは自分のパスワークに匹敵するだけのドリブル。
それが無理でも最低限、相手に脅威を覚えさせるぐらいのドリブルが要るのだが、今のところ前途多難だ。
『ねー、右サイドが空いてるよ。体育の授業だからって舐めプは良くないと思う』
「舐めプじゃねーよ」
ヤマヒコの言葉を聞き流しながらドリブル主体で試合を進めて行ったが、全く点が入らず、それどころかある時、相手チームのDFからFWへとロングパスが綺麗に通った。
「ちっ!」
後手に回ったアキラがFWとゴールの間に回り込むと、そのFW……教室で普段から仲良くやっている御堂恭平がアキラに向かって真っ直ぐに切り込んできた。
その切り込むスピードはサッカー部の大半と比べても速く鋭い。
——そういや、こいつ……元サッカー部か。
忘れていた訳ではないが、改めて再確認した。
そして、予想を上回るスピードに戸惑いつつも何とか対処出来る体勢を整えたアキラだったが、恭平はあっさりとその上を行った。
一瞬、視線がぶつかったかと思えば、二人が交差するところに差し掛かっても、恭平はスピードを下げることもしなければ、逆に上げることもせず、特段派手な動きをすることもなく右足でスッと……。
それだけでアキラは何をどうすることもなく、食い下がることすら出来ずに抜かれた。
慌てて振り返るも、その時には恭平の背中は遥かに遠く、それからドリブルで突き進み、更にもう1人を躱し、蹴り出されたボールがゴールの片隅に収まるまでの間、アキラは恭平の背中を見送ることしか出来なかった。
——何だ、今の……。
スピードでもテクニックでもない、強いて言えばチャージに行くタイミングをずらされたのだと思うのだが、いっそ自分の方から道を開けたんじゃないかとすら思ってしまう不思議な抜かれ方だった。
長くはないとはいえ、アキラのサッカー人生で間違いなく初めての経験を上手く消化出来ないでいると、ふと、いつか聞いた槍也の言葉を思い出した。
「そんなことないよ。ドリブルは俺より上手いんじゃないか? ──御堂のドリブルは特別だよ。俺が保証する」
日本代表の、いや、この前落選したっぽいが、それでも元日本代表だった滋賀槍也が自分より上だと断言するドリブル。
「なるほど……」
と、アキラは納得した。
今のが、それか。
確かに……今のドリブルは確かにそれだ。槍也にそう言わせるだけの独特な魅力があった。
珍しくも素直に賞賛すると共に、ここ最近の悩みが一気に晴れた。
これまで、どんなドリブルを会得すれば良いのか迷いに迷っていたのだが……、
——今のドリブルを、俺の物にする。
答えを見つけ出したアキラは、知らず笑みを浮かべていた。




