71 槍也と義丸、2
「まずい……かな」
紅白戦は0対0のまま時間が経過し、既に後半戦へと突入しているのだが、槍也たち赤ビブスチームは未だに突破口を見つけられないでいた。
決してチャンスがなかったという訳ではない。
この紅白戦における中盤の差し合いはほぼ互角で、つまり何度かは良い形で自分や他のFWのところまでボールが回って来ていた。
現に今も、味方のボランチが二人に挟まれたが、足の裏を使った細かいタッチでボールを逃がしながら、一瞬の隙を狙って二人の隙間を通すように縦パスを繰り出した。
パスが出ることを見越していた槍也が、周りよりも一歩早い動き出しでボールを受け取って前を向いたが、槍也の動きに合わせてマークを受け持った緋桜が槍也との距離を詰めてきた。
「くっ!」
距離を詰められたことで次の行動を極端に制限された槍也は1対1を仕掛けた。仕掛けざるをえなかったと言ってもいい。
右足でボールを囲いながら、槍也から見て相手の左側を抜けようとする。
そんな素振りを見せつけることで相手を動かし、機を見計らってボールを足の裏で引き抜き、合わせて自身を回転ながら相手の逆をつくマルセイユルーレット……からもうワンフェイント、更に切り替えして最初に抜けようとしていた左側を抜こうとした。
が、しかし、裏の裏をかいた筈の槍也の動きに緋桜は付いてきた。常軌を逸した反射と瞬発力で槍也に追いつくと、さっと足を伸ばされボールをはじかれた。
こぼれたボールは緋桜のカバーに回ったもう一人のCBが確保し、そのままサイドへボールを散らしていく。
「うーん……」
自陣に戻りながらも思わず槍也は唸り声を上げた。
これで緋桜とは5回ぶつかって、そして5回目の敗北だ。
これまで国の内外を問わず様々な相手と戦ってきた槍也だが、同世代に1対1でここまで遅れをとったことは、ちょっと記憶になかった。
無論、槍也だって無策で突っ込んでいる訳ではないのだが、緋桜が相手だと、そもそも取れる選択肢が非常に少ない。
——前に出てくるCB……か。
これまでのプレーを見るに緋桜は守備的な選手だ。
CBは元々守備よりなポジションだが、それを踏まえても守備に特化していて、仮にボールを奪っても自分で攻撃を組み立てることはせずに、さっと周りに預けている。
槍也の中では最初にテレビで見たときのロングシュートのイメージが強かったのだが、あれはおそらく大差がついていたからだろう。点差が拮抗している現在は一切の冒険をせずに守備に徹している。
最近では、後方から攻撃を組み立てることを売りとしているCBも少なくないというのに、比べると緋桜は一周回って珍しいくらいの古き良き正統派CBなのだが、一つだけ他のCBとは違うところがある。
それは、緋桜の守備範囲で槍也や他の誰かが前を向いた状況でボールを持っても、緋桜は全く躊躇なく距離を詰めてくる、という事だ。
普通はもっと間合いを取ろうとする。危険なパスや飛び込みのドリブル突破を警戒し、一撃でやられないように間合いを取ることで相手の攻撃を遅らせ、味方が戻ってくる時間を稼ごうとする。
そんな、いわゆるディレイと呼ばれる遅滞戦術を緋桜は全く行使しない。ボールを持った瞬間に距離を詰め、大柄な体格を最大限に生かしてプレッシャーを掛けてくる。
真面目な話、それをやられると次の行動が著しく制限されて攻撃の手が止まる。
もちろん、そのやり方には大きなリスクがある。
距離を詰めてくる緋桜を躱してしまえば、その後ろにはキーパーしか居ないのだ。
だから、これまでいい所で槍也がボールを持ったら、ほぼ選択の余地なく1対1が始まっていた。
それが点を取る為の最善の選択で間違いなかったのだが今のところ5連敗。
戦っている内に悟った。緋桜は1対1では絶対に負けない、負けるはずがないという自負を持ち、自分が抜かれない前提でサッカーをやっている。
——これは、流れ持ってかれるな……。
緋桜がいることで、緋桜のいるスペースは失点の可能性が少ない安全地帯が出来ている。
一箇所でもそういう場所があるなら、他のDFはそこに余分な注意を払う必要がなく、そこ以外の場所を重点的に警戒すればいい。
そうやって守備が安定したなら、今度は攻撃が活性化する。
ボールを奪われても後ろが取り返してくれるという信頼が、前線の選手の背中を押している。リスクを顧みないあと一歩を踏みださせている。
未だスコアこそ0対0だが、このままいくと押し切られるだろう。
その状況を変えるのは槍也の役目だ。
点を決めるか、そこまでは行かずとも緋桜を躱しシュートをゴールの枠内まで持っていければ、今の流れを打破できる。
やるべきことを見定めた槍也は逆サイドで行われているボールの奪い合いを目にしながらも普段よりも高い位置で留まった。
ちょっと危険なポジショニングだ。今の位置だと逆サイドからこちらサイドにボールが回って来た時に対応が一歩遅れる。一歩の遅れが失点に直結する可能性は十分にある。
それを分かった上で、槍也はそこに留まっていた。
緋桜義丸は何のリスクも負わずに抜ける相手じゃない。
味方に声をかけ、相手DFの顔色を読みながら機を窺っていると、ふとした拍子に味方サイドバックの塩波弥太郎と目があった。
一瞬だけで、お互い何のリアクションもせずにそれぞれのプレーを続けたが、弥太郎とは長い付き合いだ。きっと槍也のポジショニングの意図は伝わっている。
——さてと……。
槍也のプランが決まったちょうどその時、逆サイドからこちらサイドへのハイボールが蹴り出された。
フィールドを広く見た鋭いボールだったが、弥太郎が反応している。
弥太郎は全速でボールと受け手の射線に切り込むと、高く跳んでボールを捕まえた。
頭で触ったボールはふらふらと上がって、どちらのボールとも言えないルーズボールと化したが、大ジャンプを終えたばかりの弥太郎が自らボールを奪いに行って紙一重の差でボールを奪ってのけた。
この連続して動ける持久力の高さが、弥太郎の強みだ。
攻撃に守備にと、1試合の中での運動量は槍也たちの世代の中では頭一つ抜けていて、それがゆえに弥太郎は代表チームの右サイドバックを長らく勤めている。
それに加えて……、
——今!
弥太郎がボールを確保した瞬間、槍也はDFラインの裏側へと抜け出した。
同時に弥太郎から真っ直ぐ縦のロングフィードが送り出される。
オフサイドはない。
打ち上がったボールにチラリと目をやって、弾道から落下地点を予測すると、あとは脇目も振らずに前に前にと歩を進めた。
——流石、弥太郎! いいところ!
槍也のスピードを殺さず、さりとて追いつけずにゴールラインを割ることもない絶妙な距離感。
豊富なスタミナとそれを生かした機動力サッカーに目を奪われがちで目立たないが、弥太郎はロングフィードの質も高い。
これまでも、日本代表として世界を相手に弥太郎と一緒にカウンターを決めて来たのだ。だが……、
——やっぱり、来るよな。
最高の形でDFラインの裏を抜けたのに、緋桜は槍也に追い付いてきていた。
槍也に機先を制された分のアドバンテージを、純粋な足の速さで埋めにきている。
同じような状況で追い縋るDFを突き放すことはあっても、その逆はなかった。
本当に洒落になっていない。いないが、緋桜がそういう奴だということは、これまでの戦いで分かっていた。
——勝負は……ここからっ!
緋桜と並走しながらも槍也はスピードを落とさず、むしろ、加速するかのようにフィールドを駆け抜けると、勢いよく上から降ってくるボールを右足で受け止めた。
そのまま、柔らかいタッチでボールの勢いを殺して、そのまま足首の動きだけで真横にボールを転がした。
「なっ!」
緋桜が驚きの声を上げた。この試合において初めてのことだ。
きっと緋桜は、槍也がボールを支配下に置いてからが勝負だと思っていたのだろうが、槍也はそれを見越して一手早く仕掛けたのだ。
とはいえ、縦に降ってきたボールを直角に転がすのはなかなかの難事で、槍也の体勢も崩れていた。
それでも止まれない。止まれる筈がない。
槍也は崩れた身体を支える為に左手を地面に突きながらも、四つ脚の動物のように左手で地面を蹴って、その反動で態勢を立て直して中へと転がって行くボールを追った。
——行ける!
まだペナルティエリアの手前だが即決で打つことを決め、ボールに追いつくと同時に、ゴールの左上を狙って左足を振り抜いた。
会心の、それこそボールを蹴った瞬間に決まったと思うほどの手応えを感じたが、それとは別の嫌な予感。
そして次の瞬間、振り切った筈の緋桜の片足が稲妻のように伸びてきて、槍也が蹴り出したボールを弾き出した。
「なぁ!」
今度は槍也が驚く番だった。
——これでも決まらないのか!
今のカットインからのシュートは、今の自分に出来る最高のプレーだった。
それを止められた。今この瞬間において間違いなく、緋桜は自分の上を行ったのだ。
流石に肩で息をしているが、緋桜の全身からは覇気と自信がみなぎっている。
それでわかった。今のはデザインされたプレーだ。先手を取られた状況を想定して、そこから自分がどう動くのかを考えぬいた末の動きだ。
一年前はFWだった緋桜がDFとして、ここまでの進化を遂げている。いかに身体能力が並外れているとはいえ、それだけで守備のスペシャリストには成れはしない。おそらく……いや、間違いなく、血が滲むような努力があった筈だ。
——凄いな、こいつ。
槍也はそう思った。心の底から思った。尊敬したと言っても過言じゃない。
いっそこの場で褒め称えたいくらいの気持ちだったが、けれど、ここまで戦ってきた中で緋桜の努力や力量の他に、もう一つ分かったことがある。
緋桜義丸。きっとこいつは自分を追いかけてきたのだ。
なんら確証がある訳ではないので、勘と言ってしまえばそれまでだが、たぶん間違っていない。
緋桜は槍也と対峙して、勝つことを願って努力を積み重ねてきた。
もしかしたらFWからDFにコンバートしたことにも槍也は関わっているのかも知れない。ならば今、槍也に対して敵意ありありな態度を取ることにも頷ける。
そして、もし、緋桜が本当に自分を目指して来たのなら、今、自分がやるべきことは「お前は凄いよ」などと褒め称えることではなく、試合に勝つことだ。
全力で勝ちに行かなければならない。
別に、これまでだって手を抜いていた訳でも油断していた訳でもないのだが……、
——緋桜に勝とう。
と槍也は強く思った。日本代表が懸かっているからではなく、イタリア行きが懸かっているからでもなく、緋桜義丸を倒す為に、その為だけに自分の持てる全てを尽くす。
そうするだけの価値が、この目の前の大男にはある。
「緋桜」
「……なんだ?」
槍也は変わらず睨みつけてくる緋桜を真っ直ぐに見返しながら、自らの思いを告げた。
「必ず、点を取ってみせるよ」
槍也からすれば滅多にしない宣戦布告。それを聞いた緋桜は一瞬目を白黒させたが、すぐに我に返って言い返した。
「言った筈だ。なんど来ようと、その全てを叩き潰すと」
お互いがお互いを超える為に、滋賀槍也と緋桜義丸はしばしの間、睨み合った。
今度、10月の終わり頃に、この小説がファミ通文庫さんから書籍化することになりました。
やったね。という気持ちと、大丈夫かな? という気持ちで揺れ動いております。
でも、今この時期になるとやること自体はあんまりなくて……続きを書け、この馬鹿野郎が!
という訳で発売までには3章を終わらせる所存です。応援よろしくお願いします。