68 夏の交流戦、その2
「全く、困った人です……」
天秤サッカー部の第一試合が終わってしばらく後、成り行きから時間を持て余してしまった琴音はサッカー部の応援に戻ることにした。
くるりと視点と変えて、第二試合を行なっているグラウンドに顔を向けると、ちょうど味方が中盤でボールを回しているところだった。
中盤で回して、回して、一度ボールを戻してまた中盤の選手が受け取って……。
——なるほど、そういうチームですか。
どうやら相手チームはかつての天秤のように前から積極的にボールを奪いにくるようなチームではない。
けれど、FWやトップ下には厳しいマークを付けて動きを制限している。
なので横パスや後ろへ下げる分には比較的容易にボールを回せるが、これが最前線への縦パスとなると、囲まれてボールを奪われる未来が簡単に想像できてしまう。
——ボールを持っているのはこちら側ですが、主導権を握っているのはあちら側ですね。
——見方によっては良い勝負と言えるかも知れません。
そんな均衡を保った状況、誰が何を動かすのかを興味深く見守っていると、左のサイドバックを務める柏木君がポジションを上げた。中盤の味方からボールを貰い、ライン際を駆け上がる素振りを見せて相手チームに揺さぶりをかけている。
縦のルートが警戒されているのだから横に広がるのは定石ではあるが、こうしてサイドバックが積極的に攻撃参加をしている姿を見ると、以前のスタイルとは大分様変わりしたのだと改めて実感させられた。
勿論、それが一概に良い変化ばかりとは言えない。
サイドバックが積極的に攻め上がるということは、裏を返せば守備役が一枚減ることと同義であり、考えなしに上がれば相手からのカウンターが待っている。
特に柏木君は琴音が見る限り、部内で一番の攻め上がりたい系サイドバックなので危ういと言えば危ういのだ。
ただ、柏木君1人で見れば感じる危うさもチーム全体で見るならそうでもない。具体的に言うなら、DFラインの統率者である朝霧部長が上手いこと柏木君の手綱を取っている。
基本、柏木君の積極性に任せつつも必要とあれば引かせる。その時々の判断が適切なのでチームとして安定している。
現に今も柏木君が上がって空いたスペースのカバーに、自らを含めた残りの3人のDFを上手く動かしている。仮に柏木君が攻めあぐんでも後ろで上手くボールを回せるし、最悪ボールが奪われても速やかに守備に移れるだろう。
積極性のある柏木君と大局観のある朝霧部長……案外この二人はいい組み合わせなのかも知れない。
琴音が密かに感心しているなか、柏木君がドリブルを仕掛けて行った。
一度、右足のアウトサイドを使って中央に切り込むと見せかけてからの切り返しの縦の突破。最初の仕掛けが上手く当たって相手のマークが出遅れた。
柏木君はそのまま相手の陣地の中ほどまでボールを運んだが、そこで相手のマークが追いついてきて体をぶつけられた。
サイドラインの向こう側へと押し出すような勢いのショルダーチャージに、柏木君はかろうじてボールを支配下に置いてはいるものの先へと進む勢いを失った。ならばとボールを回そうにも近くにいる味方にもきっちり人が付いている。
これは一度ボールを下げて仕切り直すしかないかなと……そう思った琴音だったが、意外な人物が戦況を変えた。
この試合で右のインサイドハーフを担当する橘君。右のインサイドハーフは基本フィールドの中央から右手側を担うポジションだが、橘君はその範囲を大きく逸脱して柏木君へと近づいていった。
高校からサッカーを始めた橘君がポジションに縛られない判断をするのは勇気がいっただろう。
その大胆なポジションチェンジが功を奏して相手のマークの受け渡しが遅れた。一歩抜き出た状況で柏木君からの横パスを受け取ると、それを即座に前に走った柏木の行く先へとボールを返す。
お手本の様な壁パスで相手の守備を突破した柏木君は、フィールドの左隅まで辿り着くと低弾道のクロスを上げた。
芝生の上を一回、二回と跳ねるようにバウンドしていくボールに合わせてこちらのFWが……、
「ああ、惜しい!」
味方のFWが柏木君からのクロスに合わせてダイレクトシュートを放ったが、シュートはゴールポストの上を通り越していった。
なので、つい悲鳴のような声を上げてしまったが、直ぐに意識を切り替えてフィールドに向けて大きな声で告げた。
「みなさん、いい攻撃でした! この調子で行きましょう!」
点を取れなかったと落胆するよりも、ボールを繋いでシュートまで持って行ったことを賞賛する。常に前向きな兄の姿を見続けてきた琴音は、そういうポジティブな姿勢がどれほどチームに影響を与えるのか重々承知していた。
中でも経験の浅い橘君にはちゃんと伝えておくべきだと思ったので変にもったいぶるような真似はせずに橘君へと告げた。
「橘君、今の動きは良かったですよ! ナイスチャレンジです!」
片手を振りながら強く告げると、橘君はびっくりしたようにこちらの方を向いて、ちょっと顔を赤らめながら軽く手を振り返してくれた。
その照れながらも何処か得意気に笑う姿を見ると、同世代の男子にこういう表現はどうかとも思うが、可愛げがあるなぁと思ってしまう。
本人が素直な性格をしているので、なおさらだ。
そういう所が好感を持たれているのか周りのチームメイトも自陣に戻る際に「ナイスプレー!」とか「今のは上手かった!」などと橘君にひと言かけながら戻って行った。
見ればフィールドの向こう側の天秤ベンチからも夢崎先生や沖島先輩、そして今回の試合に出ていないメンバーが応援の声を上げている。
——うーん、いいチームじゃないですか。
高校の部活動なのだ。勝つことや競うことも大事だろうが、それと同じかそれ以上に味方同士の繋がりもまた大事。
少なくとも琴音はそういう考えの持ち主だ。
なので、再びくるりと視点を変えて、琴音のすぐ側で芝生に座り込んでスマートフォンの動画を見ている佐田君に合わせてしゃがみ込むと、その肩をポンポンと叩いた。
「みんな頑張ってますよ。佐田君も一緒に応援しませんか?」
まるで友達を遊びに誘うかのような、限りなく友好的な誘い方をしたつもりだが、当の佐田君には効果がなかった。
彼は動画に視線を落としたまま答えた。
「んー、これが片付いたらな……」
その台詞の熱のなさたるや、琴音は思わず小さなため息をついてしまった。佐田君の言う『これ』とは、単に今見ている動画を見終えたらという意味では無い。
——もう……本当に困った人ですね……。
また、いつもの悪いクセが出てしまった。
佐田君は彼が出ていた第一試合が終わるやいなや琴音の元へとやってきて、
「ちょっとパスの練習したいから付き合ってくれ」
そう言って休憩もなしに練習を始めてしまった。
どうやら試合中、慣れない芝生でパスミスを繰り返したことが相当に不満だったようで、真剣な顔で試行錯誤を繰り返している。
隣では、サッカー部のみんなが第二試合を始めているというにそちらの方には見向きもしない。
挙げ句の果てに練習に付き合わせている琴音のことをほっぽり出し、自分は芝生に座り込んでサッカー動画を見いっているのだから本当に佐田君である。
琴音は今更そんな佐田君の行動を不満に思ったりはしないが、お隣で素敵なチームワークを発揮しているみんなと見比べて思うところはある。
だいたい、多少のパスミスはあったかもしれないが、試合そのものは3対1のスコアで勝っているのだ。
「そんなに納得の行かない試合でしたか? 私の目には、佐田君は十分、活躍したように見えましたよ。何より強豪校を相手に勝って見せたんでしょうに」
素朴な、されど本心からの琴音の疑問。それを聞いた佐田君はスマートフォンから顔を上げ、こちらへと視線を移すと、あっさりと琴音の主張を認めた。
「まあ、フィールドの中では一番、俺が活躍したな」
「…………」
いや、琴音はそこまで言っていないが、でも、言っていることは間違いじゃない。
なんせ、とにかく攻撃が速い。彼がボランチにいると中盤のパス回しから攻撃に移行するのがワンテンポ、下手をすると更にもうワンテンポ違ってくる。
また守備に置いても、これまでの練習の成果が形になってきているのが、見ていて分かる。
兄さんがいない今、佐田君は頭一つ抜けている存在だ。
それなのに彼は不満そうに言う。
「でもなぁ……勝ったは勝ったけど、それ、俺や天秤が凄かったというより相手が弱かっただけで、強豪って言うほどのもんじゃなかったぜ?」
「弱かったって……埼玉のベスト8ですよ?」
よく神奈川は激戦区と言われるが、埼玉だって簡単なわけじゃない。
そもそも関東圏は人口が多い分だけ、どこの県だろうと競争が激しい。
そこを勝ち抜いたベスト8が弱い筈がないと思うのだが、
「そうは言っても……」
「言っても?」
続きを待った琴音だが、佐田君は難しい顔をして黙り込んでしまった。
そして、
「いや、なんでもね」
と、その話を終わらせた。
「偶々、調子が悪かったとかそんな奴だろ。それよりも俺のしょうもないパスミスの方がよっぽど問題だな。——よし。もう一度、相手をしてくれ」
佐田君は話題を変えながら立ち上がり、近くに置いてあった鞄の中にスマートフォンを片付けるとボールを拾い上げた。
「せっかく色んな相手と戦えるってのに、蹴りたい場所に蹴りこめないなら意味がねー。でも、だいぶコツを掴めてきた気もするから、次の試合までには何とかするよ」
軽い感じの口調とは裏腹に、本気さを感じる。本当に次の試合までには何とかするつもりなのだろう。
それは構わないし、むしろ望むところだが、マネージャーとして、また佐田係として、多少のブレーキをかける必要はあると思う。
「それは分かりましたが休憩は必要ですよ。どんなサッカー選手だって永久に動けるわけではありません。たとえハーフマッチでも、休憩もなしに連戦するなんて論外です。もう少ししたら休憩に入りましょう」
琴音がそう告げると佐田君は嫌そうな顔をした。
「いや……でも俺、忙しいし……今、座ってたし……休憩してたようなもんじゃないか?」
「足りません」
まるで誤魔化すかのような歯切れの悪い言い訳を一言で切って捨てると、琴音は笑顔で念押しした。
「あらかじめ言っておきますが、あんまり聞き分けがないと実力行使に出ますからね」
「実力行使……え? 何すんの?」
「それはもう、佐田君の腕を捕まえて、無理矢理グラウンドの外へと引っ張って行くんですよ」
本気である。もし佐田君が聞き分けてくれないなら、本気で今言ったことを実行するつもりである。なんなら他の部員たちに頼んで佐田君を担ぎ上げてでもグラウンドから引き剥がすつもりだ。
そんな琴音の本気さを感じとったのだろう、佐田君は渋々といった様子で頷いた。全くもって手のかかる人である。
「そんなに焦らなくても、佐田君ならちゃんと出来るようになりますよ。今までだって、そうだったじゃないですか」
琴音はそう言い残すと佐田君から距離を置いてパスを受け取る体勢を整えた。程なくしてロングボールが琴音へと向かってくるが、その精度は先ほどまでと比べても明らかに向上している。
——本当に、この人は一体どこまで上がっていくのでしょう?
元々の才能に加えて貪欲なまでの向上心。
ことサッカーという分野に置いて、佐田君は琴音のような凡人には計り知れないところがある。
でも、だからこそ、凡人である琴音が危ないと感じるところでは、ちゃんと彼を引き止めようと、そう思った。
天秤の第3試合、アキラにとっては2戦目の試合が始まって約10分、アキラのミドルシュートで試合が動いた。
ゴール前で押し込もうとする味方のFWと、それをさせまいとする敵のDFがぶつかり、槍也のような優れた勘を持たないが故に、セオリー通りに後方から詰めていたアキラの前へと運良くボールがこぼれてきたので、それをそのまま押し込んだのだ。
『いやったぜ! うぇい!』
ヤマヒコははしゃぎ、味方も沸いた。
アキラ自身、得点を決めたことには満足感がある。
しかし、それ以上に腑に落ちないものがあって喜びきれなかった。
試合が再開しても、その違和感は続き、戸惑っているアキラの様子に気付いたヤマヒコが尋ねてきた。
『さっきから何か変だね。どしたの、アキラ?』
ちょうど、ボールがサイドラインを割ったところだったので……というより、試合が止まったところを狙って声を掛けてきたのだろう。
まだボールが相手陣地ということもあって、アキラにも質問に答える余裕があった。
「いやな、こいつらもあんまり強くねえなって。……東京のベスト16だったか?」
『部長さんは、そう言ってたね』
ヤマヒコが頷いた。
アキラが変な勘違いをしている可能性はなさそうだ。それはつまり、
「さっきの試合でも思ったけど……こいつらよりハイプレスをやってた頃の天秤の方が強いよな? 元部長たち……実は結構凄かったんだな」
『いまさら⁉︎』
しみじみとしたアキラの呟きにヤマヒコが盛大に噛み付いた。
『あれだけ弱い弱い言ってたのに⁉︎ 馬鹿じゃないの⁉︎』
「まあ、そうだよな……」
かなりストレートに罵倒されたが、自分でもどうかと思うので反論はしなかった。
ただ現実問題、かつての天秤と目の前のこいつらを見比べると、槍也という絶対的なフィニッシャーがいて、元部長や現部長といったそれなりに出来る奴がいて、それ以外の人間も一致団結していた、かつての天秤の方に軍配が上がる。
最初は、主力だった三年が引退して弱体化したんだろう、とか、宝くじが当たったレベルのくじ運の良さで偶々ベスト8まで勝ち上がったんじゃないか? とか、けっこう失礼なことを考えていたのだが、どうもこれが普通っぽい。
そしてこれが普通のレベルだというなら、秋に始まる地区予選も勝っていける。
——もしかしたらベスト8……いや、ベスト4ぐらいは簡単に行けるのかもな……。
内心でそんなことを考えてしまい、逆に危機感を覚えた。
少なくとも神奈川には天秤を一方的に負かした黒牛がいるし、他にも同レベルの学校があと何校かいるだろう。
そういった上の連中を相手に勝たなくてはならないのに、中間層が不甲斐ないと、それらと戦う時の為の経験になる気がしない。
もうちょっと頑張って欲しいものだが、対戦相手にそれを言ったところで、いきなりレベルが上がるわけもなく、そもそも挑発か嫌味にしか聞こえないだろうと、アキラですら思う。
まあ、チームとしてはともかく個人としてなら上手い奴はいる。
戦術だってチームごとに違う。
「とりあえずは……それで良しとしとくか」
そう気を取り直して試合に戻った。
白と黒の、シマウマを連想するようなユニホームを着た相手が、スローインから始まったボールを中央へと繋いでいく。
因みに前の攻撃もそうだったし、その前もそうだった。
どうも、この対戦相手は、やる事が極端と言っていいほどに中央突破に偏っている。
それは、相手チームの中でも頭一つ抜けたプレイヤーである10番へ、速やかにボールを渡す為だろう。
相手の10番は、朝霧部長なみの体格の良さ加えてスピードも持ち合わせている。その上ボールタッチも上手い。
今も、背中にマークを背負いながらもボールを受け取ると、一歩下がりながら反転することで前を向き、次の縦のタッチでマークの隣を抜けていった。
たぶんガキの頃からサッカーやっていたと、そう思わせる軽快なドリブル。
アキラは少し感心しつつも、抜かれた味方のカバーに回った。
こちらから距離を詰めに行って、しかしボールを奪いに足は出さずに我慢した。
そのまま相手がアキラを抜こうと緩急をつけた所で体ごとぶつかりに行く。
最初から足元の動きでボールを奪いとる気はなかった。
相手との実力差を考えるとそこで勝ちを得る可能性は低い。なので体ごとぶつかって相手のスピードを止める。
最悪、ファールになっても構わないつもりだったが、幸いにも笛が鳴ることはなく、ボールを奪うことこそ出来なかったが相手の足は止まった。
そこから10番は一度ボールを引いて仕切り直そうとしたが、抜かれた味方が追いついて来て挟み込む体勢が整った。
足が止まって、かつ2対1。
流石にこちらに有利なこの状況、ボールを持つのが苦しくなった相手が苦し紛れに出したパスの先には味方のDFがいた。
「ボール!」
攻守が交代し、アキラはいち早く前に駆け出しながらボールを要求した。
弾かれたように送られてくるボールがアキラの隣を追い抜こうとしている。その寸前、左足でひょいっと引っ掛けることで自分のものにすると、そのまま前に前にとボールを押し出して行く。
攻守の切り替えが早かった分、自由にフィールドを進めた。
しかし、ハーフラインを越えたところで相手の中盤がアキラの先へと回り込もうとして……、
『右サイド! 坂上先輩!』
ヤマヒコの指示を聞いたアキラは即座に前に進むのを止め、軽いタッチでボールを横に流してから右サイドのサイド際を駆け上がる先輩の先へと大きな弧を描くロングフィードを放った。
狙い通りの軌道で、狙い通りの落とし所。
綺麗にパスが通り、先輩が更に前へと進む。
その姿を見ながらアキラは思わずガッと拳を握った。
「よし、これだろ!」
やっとイメージ通りのパスが打てたという満足感。なんならさっきのラッキーゴールより嬉しいくらいだ。これが出来ないとアキラのサッカーは始まらない。
「にしても……慣れたら芝生の方がやり易いのかもなー……」
『かもねー。そんな感じするよ』
アキラの呟きにヤマヒコが同意した。
最初はかなり戸惑っていた芝生だが、その困惑の最たる理由はグランダーのパスとロングフィードでは芝生の効力が真逆に働いてしまうことだ。
これまでの感覚で地面を転がすパスを蹴ると、芝生が勢いを消してボールが転がらない。相手に届くよう強く蹴る必要がある。
逆にロングフィードは、極論、芝生の上にボールが浮いている。
なので、わざわざ浮かせるところから始めなければならない土の上よりも飛距離が増す。
そのチグハグなギャップが今現在進行形でアキラを苦しめているのだが、ロングフィードに限って言うなら、力加減に慣れさえしてしまえば、より少ない力でボールを飛ばせるし、色んな回転もかけ易い。
現に今のロングフィードも結構強めの横回転をかけたのだが、さして力を使った感はない。
つまり、芝生はアキラ向きのフィールドなのだ。
一度そう実感した後の適応は早かった。
フィールドの中央から長短様々なパスを駆使して試合を進めていくアキラを相手に、対戦相手はどうしても後手に回っていった。
相手は相手で10番を主軸にゴールを奪い返そうとはしているが、ワンマンチームの悲しさだ。10番を徹底的にマークされた後の次の矢が見当たらない。
結局、残り時間が10分を切りそうなところで追加点を決めた。
「まあ、勝ったか」
ひとしきり喜んだ後、余裕とも油断とも受け取れるような一語を呟きながら自軍の陣地に戻っていると、いましがた2点目を決めたばかりの工藤がアキラの元へとやってきた。
「佐田君、ちょっといいかな?」
「ん? どうした?」
君づけだが、同じ一年とあって変な遠慮はない。工藤はすんなりと自分の要求をアキラに告げた。
「お願いがあって。——僕へのパスなんだけど、もっと前を向いた形でボールを受け取りたいんだ」
へえっ……と、ゴールを決めたばかりなのに追加点を望むような貪欲で面白みのある要求に、アキラは思わず足を止めて工藤の顔を見つめた。
工藤の顔は真剣そのもので、つまり軽いお願いではなく本気の頼み。
それを理解したアキラは、再び足を動かしながらも工藤の言葉の意味を噛み砕いていった。
「それは、足元に出すんじゃなくて、スペースに出して欲しいって意味であってる?」
アキラの質問に、歩幅を合わせながら付いてくる工藤は勢いよく頷いた。
「うん! ——佐田君なら出せるよね? だって槍也君へはよく出してるでしょ?」
「そりゃ、槍也には出すけどさ……」
FWがボールを受け取る上で一番有利な体勢を作れるのが、槍也が得意とするDFラインの裏への抜け出しだ。上手く決まればそれだけで点が入る。
ただ、そんなものがぽんぽん決まるようならサッカーの試合は10点台が当たり前になってしまう訳で、そうではないから0対0の地味な試合も多い訳で……。
要はハイリスクハイリターンなのだ、裏への抜け出しという戦法は。
逆に最も安全なのがFWの足元へのパスだ。ボールを取られる可能性が一番少なく安心安全なのだが、ゴールに背を向け、なおかつマークが付いている状況が当たり前なので、そこからゴールまで持って行くことはかなり難しい。
そこで工藤の提案である、前を向いた状態でのボールの受け取りなわけだが、例えばマークに張り付かれている状況で突如、横、もしくは斜めに走り出すことで一瞬でもマークを振り切り、そこに合わせてパスを出すことで、その一瞬の時間を利用して、DFに邪魔されることなく前を向く。
裏への抜け出し程ではないにせよ、かなり効果的な攻撃手段であることは間違いない。
ゴールを向いて1対1を仕掛けられるというだけでも、やる価値は十分にある。あるのだが、重大な問題が一つ存在する。
「俺は出してもいいけど工藤……お前、追いつけんの?」
アキラは簡潔に自信のほどを聞いた。
アキラはFWが前を向けるパスを出すことができる。なんなら、そこに至るまでの状況すらも作り出せる。それには自信がある。やれる。
ただ、常に警戒され厳しいマークに晒されているFWが意図的にチャンスを作ろうと思うなら、アキラが合わせるだけじゃ足りない。
工藤の方もアキラの意図を読み取る必要がある。今ならやれるという意図を、パスの出し手と受け手で共有出来ないと継続的な武器にするのは難しい。
アキラが槍也にそういうパスを多用するのは、槍也ならアキラの意図を感じ取ってボールに追いつけるからだ。
そこら辺の自信のある無しを伺うと、工藤は硬い顔をしながらも頷いてみせた。
「やるよ。実は休みの日に、鋼とかに付き合って貰って練習してたんだ。たった一つしかないFWのポジションを取ろうと思ったら何か要るでしょ? 佐田君のパスに反応できるって事が、その何かだと僕は思ってる」
「へぇーーっ……」
やっぱり面白い考え方だ。童顔でちびっこくて「平和が一番。戦いは何も生まないよ!」なんて言いそうな優しげな表情の裏で、しれっとレギュラーを奪い獲ろうとしている。
個人的には好きな考え方だし、そういえば前にラストパスを通してやるとか何とか言った覚えがある。付け加えるなら、そういう動きが出来るFWが槍也以外にもいるなら、戦略の幅も広がる。
「やってみるか」
アキラがにやりと笑えば、工藤も人畜無害そうに微笑んだ。
「じゃ、よろしくね」
そう言って自分の居場所である左のトップの位置へと戻って行った。
その後ろ姿をなんとなしに見つめているとヤマヒコが口を挟んできた。
『本当にやるの?』
「やるさ。面白そうだろ?」
『否定はしないけど……多分、けっこう大変だよ?』
「だろうな」
さっき、槍也になら出せるとは言ったが、それがイコール工藤にも出せるということにはならない。実際、工藤は小柄で、足が飛び抜けて速い訳でもない。
相当シビアなパスを送らないとセーフにならないだろう。しかも、まだ慣れ切っていない芝生の上でだ。
「でも、こいつら相手にその程度の事が出来ないのなら、黒牛相手に裏を取ったりとか絶対に無理だぜ?」
『……それもそうだね』
ヤマヒコの納得が得られたところで試合が再開した。
シマウマチームのFWがキックオフから一段下げて10番がボールを持つ、これまで通りの攻め方だ。
——せめて、あと一人か二人、同レベルの奴が居ればな。
もしくは10番が余程広い大局観でも身につけない限り、アキラの脅威にはなり得ない。
一度、10番がボールを離したところを狙って味方がボールを取りに行った。同時に10番へのリターンパスを潰しにアキラが動いた。
左サイドでボールを持った中盤の選手が外から大きく抜けようとしたが味方のサイドバックが行く手を防いた。そのままジリジリとした探り合いが始まったが、時間が経つにつれて味方のフォローが整っていくし、10番が自由に出来るスペースはない。
攻め手に欠けた相手が一度ボールを下げ、後ろでボールを回すスローな試合展開が続いた。
2点差の余裕があるこちらとしては無理にボールを取りに行く必要はなく、アキラとしても、わざわざ工藤の為に無理をする気はなかった。
あれはあくまで、チャンスがあれば……の話だ。
「FWはサイドまで追わなくていいぞ! そのかわり中へのルートは常に切っとけ!」
相手の狙いを丁寧に潰していくと、焦れた相手が大きく高いボールを放り込んできた。
ボールが高々とアキラの頭上を越えて行き、ペナルティエリアの手前で味方のDFと敵のFWが競り合いを始めた。
ボールの落下地点を奪い合いながらのヘディング勝負は、僅差で相手の勝ちだったが、しかし、溢れたボールに一番近いのはアキラだった。
——だよな。
元々、こちらの方が人数が多い上に陣容も整っていた。一か八かのロングボールが綺麗に決まる可能性など、まずない。
今回、偶々アキラがボールを拾う形になったが、アキラじゃなくても誰かしら味方が先にボールを確保していただろうし、仮にそうでなくとも敵を味方が囲っただろう。
ただ、ここから先の展開は意外と侮れない。前の天秤がよくやっていたから分かるのだが、この手の放り込みは、その後のハイプレスと1セットになっている。現にアキラの後ろから10番が迫ってきている。
ゴール前に放り込んで、混戦に持ち込んで、相手のミスを誘う。
上手く切り抜けてボールを落ち着かせられればいいが、ゴール前での失敗は即失点だ。
アキラは自分がミスをしないとは思っていない。
そして、それ以上に味方がミスをしないとは思っていない。最初の試合と違って部長がいないのだから尚更だ。
なので、DFラインで細かいパスを繋ぐ気は最初からなく、弾むボールにたどり着くやいなや、振り向きざまのロングキックでボールを危険地帯から追い出した。
相手の10番が叫んだ。
「ボール、取れるぞ!」
それを耳にしたアキラは小しばかりムカっとした。
「取れねえよ」
ただ適当にボールを蹴り出した訳じゃない。確かに背後の状況は全く分からなかったが、それはアキラには関係ない。
『4の8!』
というヤマヒコの指示の元、狙ってロングボールを蹴り出したのだ。
事実、ハーフラインを越えたクリアボールは味方が拾い、右サイドでこちらが攻め手となる攻防が始まった。
当然、アキラもポジションを上げようとしたが、2戦目、それも終わり間近ということで流石に足が重い。
『さあ、もっと速く! こういう地味なところで手を抜かないことが、最後の最後、点として返ってくるんだから!』
言ってることには100%同意するが、それはそれとしてヤマヒコへの殺意が留まるところを知らない。
走る辛さを実感出来ない存在から走れと言われる理不尽な状況、だが、その憤りすらも自分の推進力に変えてアキラは走った。
確かにここは手を抜けないところだ。
ほぼ全速に近いスピードでフィールドを駆け抜け、少し右サイドに寄ることで、サイド際を抜こうとして抜けないでいるトップ下のカバーが出来る位置まで辿り着くとボールを要求した。
素直に降りてくるボールを、そのままダイレクトで右のFWに預けるつもりだったが、相手のダブルボランチの一人が突っ込んで来て進路を塞いだので、咄嗟にパスからドリブルに切り替えた。
右足で軽くはたいてボールを横にずらし、即座の左足で前に押し出すダブルタッチ。
結果的にキックフェイントにもなったそれは、槍也に比べれば拙いかもしれないが、そこいらの無名のボランチを躱して中へと切り込むには十分だ。
相手を置き去りにして、そして、
『今だよ!』
というヤマヒコの叫びを聞いてアキラは、顔を上げて工藤の方を向き、咄嗟に思い浮かんだ一番効果的で一番厳しいパスを蹴り込んだ。
左のインステップキック、ボールは芝生の上を跳ねるように転がって行く。
我ながら最高のパスだと思うが、それだけに工藤が追いつけるかは疑問だ。工藤も反応はしているがアキラのパスは速い。
——どうだ⁉︎ 届くか⁉︎
アキラが固唾を飲んで見守る中、工藤は懸命に足を伸ばしてボールに触ってみせた。しかし、ボールの勢いを殺しきれず、ふわりと浮いた。
——やっぱ、駄目か……。
と、落胆したアキラだが、工藤は浮いたボールを胸で受け止めながら前へと進み、一歩遅れて追い縋ってきたDFの頭上を、ひょいっと軽いタッチでボールを浮かせたまま通り越すと、自らも抜けていった。
そして、完全にフリーな状況でペナルティエリアに侵入すると、他のDFがカバーに入る前にささっとシュートを放って追加点を決めてしまった。
「おっ……うん……これは、どうなんだ?」
これが果たして成功なのかは疑問だが、工藤が自身の強みであるボールタッチの巧みさと軽い身のこなしを活かして、上手くリカバリーしてみせたことには違いはない。
ひとしきり周りの仲間と喜びあった工藤がアキラの元へとやってきたので素直に賞賛した。
「上手いゴールだったな」
アキラがそう言うと工藤は意気揚々と笑った。
「ありがとう。でも、次はもっと上手くやってみせるよ」
そう言う工藤の顔からは、まがりなりにもアキラのパスを受けてみせた工藤なりの自信の程が窺え、次も試してみるかという気持ちにさせた。
ただ、その後は波乱もなく3対0で試合は終わって次の機会はまた今度になってしまったわけだが、それでも試合の後、
——あいつは本当にレギュラーになるのかもな……。
そう思うアキラだった。