66 夏の嵐
8月に入った初日、普段よりずいぶんと遅い時間にアキラは目を覚ました。
いつもならとっくに起きて部活をやっている時間だが、今日は部活が休みなので早くに起きる必要はない。
偶には目覚ましの鳴らない朝もいいよなと、そんなことを思いながら布団の中で寝返りをうっていると、楽しげな声が頭の中で響いた。
『アキラ、グッモーニング! 今日は休みなんだから遊ぼうぜ!』
「……お前、うるせえよ」
テンション全開のヤマヒコに、アキラはウンザリとした顔で文句を付けた。
——毎度毎度、元気すぎるだろう……。
ヤマヒコが言うには、アキラが眠りに付く時は自分も同じように意識が微睡んでいくらしい。また、起きる時も同様だ。
つまりは、こいつだって今は寝起きの状態だ。もっとテンション低くて当たり前なのに初手から勢いがありすぎる。百歩譲って部活や学校のある日なら目覚ましとの相乗効果で速やかに起きる一助にもなるのだが、休みの日ぐらいはゆっくりしたい。したいのだが……、
「くそ……起きるか」
アホのせいで目が覚めてしまったので、アキラは仕方なしにベッドから降りた。パジャマ姿のまま背伸びをして体のこりをほぐしつつ、たまにの休日に何をするかを考えた。
「別に特別用事がある訳でもないしな……なんかないか?」
自由は、いざ与えられると迷うことがある。そんなもんだ。
即決できる案がなくヤマヒコに水を向けると、ヤマヒコは乗り気でアイディアを主張した。
『はいはーい。やっぱり夏休みなんだから外に出るべきだよ! 御堂君あたりと遊びに出掛けたら?』
「却下だな。悪い案じゃねーけど、今あいつは夏休みを利用しての美術館巡りをやってる真っ最中だぞ? 誘っても来ねーし、かといって俺の方から美術館巡りに付き合うほど美術に興味がある訳じゃない」
『そっかー。なら偶には家族で仲良く出掛けるのもいいんじゃない? 七海ちゃん、まだ一階に居ると思うよ』
「却下、ありえねーよ」
『それも駄目かー……ならなら、さっき言ったことと反対になっちゃうんだけど、外には出ないで夏休みの宿題を片付けたら? あれ、いつかはやらなきゃならないじゃん? 普段は部活で疲れてて後回しにしてるけど、今日ならできるっしょ』
「却下だ。……ヤマヒコ、お前には失望したぜ」
お気楽、楽天的な姿勢がヤマヒコの数少ない取り柄だろうに……家にこもって勉強とか、そんなつまらない案が出てくるとは思わなかった。
「まず大前提として俺が楽しめること。加えて手間がなくて、金もかからなくて、後始末なんかもしなくていい、そんな案はねーのか?」
『……アキラってさ、時々すっごくめんどくさくなるよね。そこまで条件が絞れてるなら、その条件の中で一番アキラがやりたい事をやればいいじゃん。アキラの選択がオンリーワンだよ』
あからさまに投げやりなヤマヒコの提案だったが、意外にもその提案はアキラを前向きにさせた。
確かに自分で決めるのが一番だ。難しく考えずに自分がやりたいことをやればいいのだ。しばらく考え込んだがやがて腹は決まった。
「よし決めた」
『ん? 何すんの?』
「誰か適当な奴を誘って、サッカーやるわ」
『…………えぇ?』
こうしてアキラの少し遅い休日が始まった。
最初の電話で上手いこと練習相手が見つかったので、いつもの河川敷公園に誘ってサッカーを始めた。
『熱中出来る事があるのはいい事だと思うけど……わざわざ部活が休みの日にまでサッカーの練習とか、アキラも大概だねえ……』
ヤマヒコのちょっと呆れる様な呟きをアキラは完全に無視した。
今アキラの目の前にいる男は雑談混じりで戦える相手じゃない。それどころか全力を尽くしても追い縋るのがやっとの相手だ。
「うっ……らっ!」
体を寄せにいったが受け流される。
それでも押そうとしたが、冷静に距離を空けられた。
アキラと練習相手である滋賀槍也は一瞬、向き合ったまま停滞した。
しかし停滞したのはほんの一瞬で、気付けば槍也はアウトタッチでボールを外に振っていた。
その緩急のついた動きにアキラの対応が一歩遅れ、槍也は空いたシュートコースを狙って利き足を大きく振りかぶる。
「ちっ……!」
一瞬の遅れを取り戻す為、アキラは左足を伸ばしてシュートコースを潰しに行った。
が、しかし……。
アキラがそうするや否や槍也はシュートを取りやめインサイドターンでアキラの逆を行った。
体勢の崩れていたアキラはその動きに付いていけずに、今度こそフリーになった槍也のシュートがゴールネットを揺らしてのけた。
ボールがネットの中で空回る様を見ながらアキラは悔しそうに呟いた。
「ちくしょう。まだまだ相手にならねーか……」
そんなアキラの愚痴を耳に入った槍也は、アキラの方へと顔を向けるとにこやかにアキラの愚痴を否定した。
「そんなことはないよ。今のはかなり嫌だった。こっちも相応のリスクを背負わないと今のアキラは抜けないかな」
それは槍也の紛れもない本心だったが、アキラの方はそれを素直に信じなかった。
いや、槍也がおべっかを言っているとは思わないが、それでもまだ槍也の相手にはなるとは思えない。槍也の口調や態度からは余裕のようなものが感じ取れる。
何より、最後のシュートをすると見せかけてのインサイドターンでの切り返しはアキラの要望通りなのだ。
「参考にするからキックフェイントを使ってくれ」
というアキラの要求に槍也は快く応えている。
そしてその上でアキラを抜き去っている。
やはり槍也はアキラにとってまだまだ格上で、だからこそ1対1の練習相手としてこれ以上の人選はない。どうせなら強い奴がいいと、まず真っ先にかけた電話で槍也がすんなりと捕まったのは幸運だった。
「よし、もう一回来てくれ」
「わかった、行くよ」
それからしばらく、時々攻守を交代しながらの1対1が続いた。
槍也のキックフェイントと直に対峙して、横を抜かれる。
アキラ自身がキックフェイントを行使して、止められる。
お互い様とは決して言えない、一方的なやり取りが続いたがアキラの機嫌は悪くなかった。攻撃はともかく守備なら時々単発で止められることもあるし、そもそも最初から勝敗は度外視で技の習得に重点を置いてたということもある。
ボールを蹴ると見せかけてのキックフェイントは、縦パスやロングフィードを多用するアキラのサッカーにおいて必ず使う時がくる。それもゴールに直結する重要な場面ほど、それを使いディフェンスの裏をかく必要があるだろう。
今までは、琴音から習った片足ルーレットターンを多用していたがフェイントのバリエーション不足は否めない。
縦パスを放り込むと見せかけて足の内側を使って逆に切り込む、足の裏でボールを止めてタイミングをずらす、もしくはアウトタッチで更に外へ逃げる。
それくらいの使い分けは最低限必要だと思ってる。
——合宿までにはモノにしたいもんだ。
お盆が明けに毎年恒例、2泊3日の県外遠征が行われる。
千葉県のなんたら町というところにやたらサッカー場が並ぶ施設があって、そこに県の内外を問わず色々な学校が集まって交流戦をやるのだと部長は言っていた。
大会という程のものではないし、本当に強い、例えば黒牛のような学校は参加しないが、そこに来るのはわざわざ遠出してまでサッカーしようという学校なので勢いのある——大会で上位に食い込むような学校も来るらしい。
公式の大会はまだ先なので、アキラはそこで勝つことを当面の目標としている。
交流戦では全勝するつもりだ……というより、こっちにはフィニッシャーに槍也を抱えているのだ。ちょっと勢いのあるサッカー部程度、全勝出来なきゃ逆にヤバい。
『二人とも頑張れー!』
ヤマヒコの能天気な声援を聞きながら、アキラは気の済むまで自分のサッカーのスタイルを模索した。
……。
……。
ある程度満足が行ったところでアキラは練習に区切りをつけた。普段の部活に比べるとまだ余力はあるが、今日は部活じゃないのでこれくらいで丁度いい。
最後は体のケアをする為に軽いストレッチ。
土の上に座り込むのは嫌なので、コンクリートで舗装された所まで移動すると地面に座って体を伸ばした。
「へぇ……じゃあ、今日からインターハイが始まるのか……」
アキラと同じ様に地面に座って体を捻っている槍也と、とりとめのない話をしていたら意外な事実が判明した。
今年の5月の末に、天秤が2回戦負けした夏のインターハイの地区予選。あれの本番が今日から始まるらしい。
アキラ的には負けた後の大会のことなど興味がなかったので今始めて知った。
そして知ったからには少なからず興味も湧いてくる。
「因みに神奈川は、どの学校が出場するんだ?」
その今さらの質問に槍也は、苦笑しながらも律儀に答えた。
「黒牛だよ。あの後も順当に勝ち上がって行って、決勝は魚沼相手に競り勝った。ちょうど今、一回戦をやってるよ」
「ほー、あれが優勝か……」
観客席から見た黒牛の実力は確かなものがあったが、どうやら神奈川を制するだけの力があったらしい。
つまり、アレに勝てるだけの実力をつければ、それは全国に行けるだけの力をつけたも同然だということだ。
簡単だとは思わないが、分かり易くていいと思う。
「因みに全国レベルだと黒牛はどうなんだ? 全国でも強い方か? それとも雑魚か?」
「それはやってみないと分からないかな。只、俺の主観でいいなら今年の黒牛は相当強かったと思う。実際、かなりの激戦区な神奈川の地区予選を全部勝った訳だし、全国でも一回戦や二回戦じゃあ負けないかな。このまま一つも負けないで優勝してもおかしくないと思うよ」
「そこまでか……」
俄然興味が湧いたアキラが黒牛の実力に想像を馳せていると、それを察した槍也が提案した。
「アキラがこの後用事がないなら、よかったら家に来る?」
「あん?」
「今、テレビ中継で黒牛の試合をやってるよ、今から帰れば後半のラスト20分くらいは見れる。それに録画もしてあるから最初から見ることもできるかな」
「なるほど……」
少し迷ったが好奇心が勝ったので頷いた。黒牛も全国もいずれは倒しに行く相手だ。
話が纏まり、それからストレッチを終えると徒歩で槍也の家までやってきた。
「ただいま。……あれ、誰かお客さんかな?」
玄関にある見慣れない靴があることに首を傾げながらも、靴を脱いで家の中に入っていく槍也。
その後を追ってリビングに入ると私服姿の琴音がいた。
琴音だけなら全くおかしくないが、琴音の他にも部屋の中には女子が数名……クラスメイトの女の子たちだ。
教室で琴音と仲良くしているところは何度も見たが、どうやら休日に家に来るほどには仲が良いっぽい。
全員、カラフルな布やら鋏やらを手に持っていて、どうもパッチワーク的なことをやっている。
「おかえりなさい、兄さん。……あら、佐田君もですか」
「ああ。ちょっと邪魔するわ」
見知った仲の琴音とは普通に会話もできるが、同じクラスとはいえ他の女子とはそうは行かない。
彼女たちは彼女たちでアキラのことなど眼中になく、おざなりな挨拶の後はひたすら槍也に視線が行っている。
その槍也が彼女たちに挨拶をするときゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げた。
『アキラ……おんなじクラスなのに見向きもされないね』
分かりきったことをいちいち指摘するヤマヒコに殺意が湧いた。
うるせえよ。別にいいよ。こっちだって興味なんてほとんどねえよ。なんでお前はいらんことを言って、俺を苛立たせるんだクソッタレが!
ささくれだったアキラが槍也を急かすと、槍也は琴音たちにリビングを使わせて貰えるようにお願いした。
槍也のお願いに残念そうにしつつも嫌な顔をする女子はおらず、
「じゃあ、私の部屋で続きをやりましょうか」
という琴音の提案に同意して荷物を持ってリビングを出て行った。
そして槍也が、お茶くらいは出すよと冷蔵庫へ向かったので、残されたアキラはテレビの前に座って机の上のリモコンを手に取った。
電源を入れて適当にボタンを押していくと、3回目で見知った黒色のユニホームが写し出された。
中盤で激しい主導権争いが行われている真っ最中で、画面の右上に表示されているスコアは4対0、一方的だ。
——相手、あんまり強くないのか……。
そう思ったアキラだったが直ぐに間違いに気づいた。
逆だ。負けているのは、4点取られて息も絶え絶えなのは黒牛の方だ。
「おい、負けてんじゃねーか?」
「4‐0……嘘だろ……」
聞いた話とずいぶん違うことを問い詰めたアキラだが、問い詰められた槍也も唖然としていた。持ってきたお茶を机の上に放り投げると、食い入るように試合の流れを追う。
テレビの向こう側では真紅のユニホームを着た相手チームが右サイドから中央へとパスを入れたが、そこを狙って黒牛がハイプレスを仕掛けた。
ボール保持者は見るからに窮屈そうだが、かろうじてショートパスでボールを繋げてのけた。しかし、黒牛がそれを追う。
——全然、負けてねーじゃん?
まだ碌に見た訳じゃないが、パッと見、黒牛のハイプレスはちゃんと機能している。相手チームも全国レベル、一方的にやられた天秤とは違って何とかボールを保持しているが、ハイプレスを食い破る気配は感じない。
そんな中、敵味方が入り混じる接戦から溢れたボールを黒牛が拾った。即座にセンターバックにバックパス。そこからダイレクトで最前線へと縦パスが入る。
ハイプレス、バックパス、縦パス。黒牛お得意の展開だ。確か天秤もこれで何点か取られた。
突然の攻守交代に相手は付いていけず、ボールを持ったFWと一人残っていたCBの1対1、ボールを持っているFWは……確か青森だ。
強い奴揃いの黒牛の中でも、アキラが名前を覚えている程に際立った選手。
特にボールを持ってからのドリブルがいい。パワーとスピードよりも細かいタッチと多彩な足技で相手を翻弄するタイプで、テクニシャンという言葉が似合う奴。
背が低いのは弱点かも知れないが、それを補ってあまりある……、
——違う! あいつは別にチビじゃねえ!
アキラは自分の勘違いに気付いた。
地区予選で見たときには、背が小さいとかそんな風に思わなかった。
なのに今そう思ったのは青森と対処しているCBのせいだ。
大人と子供か? と疑う程に身長差が酷い。つまり、対戦相手がでかい。ただひたすらにデカい。190㎝は軽々と、下手をすると2メートルを超えてる背の高さ。
それは、サッカーをやる上では長所だ。特にDFは体格が良いほうが有利に決まっている。仮にサイドからクロスを上げられたとして青森が競り勝つ未来が見えない。
ただ、こういう平面の戦いではわからない。ウチの工藤みたいに小さくても小回りを利かせて相手を抜く奴は確かにいるし、ましてや黒牛のエースストライカー。
このビッグチャンスに体格の差で尻込みするような奴じゃないと思うが、しかし、青森の顔色は優れなかった。
天秤戦で浮かべていた無邪気な笑顔が欠片もない。
いや、4‐0で無邪気な笑顔を浮かべろとは言わないが、その食い縛るような表情からは戦意よりも悲壮感が滲み出ている。
その情けない面を見て、勝ち負け以前にプレッシャーに負けて自滅するんじゃないかと思ったアキラだったが、これに関してはアキラが青森を侮っていた。
青森はでかぶつ相手に真正面から懐に入り込むや否や、相手の右側を抜こうとする左足アウトステップタッチ……からの切り返しインサイドターン……で、終わらず、右の足裏でボールを止めてタイミングをずらした上での右足から左足へとボールを流すダブルタッチ。
外、内、外の流れるようなコンビネーションは本当に見事な出来栄えだった。冗談抜きで槍也より上かも知れないと思えるドリブル。最後、左足で相手の隣を抜けていくところを見たときは青森が相手を置き去りにしたと確信した程だ。
だが、アキラがそう確信した瞬間、山が動いた。
そう表現するしかないほどに、でかい体が機敏に動いた。
常軌を逸した初速で半分抜けていた青森に追いつくと、足を伸ばしてボールを引き抜く。突破の為に青森とボールに距離が出来て隙があったとはいえ速い。とにかく速い。
そして一度ボールを懐に呼び込んでしまえば後は体格差が物を言い、ボールを奪い返そうとチャージをかけた青森が半ば自滅するかのように体勢を崩した。一方、でかぶつは小揺るぎもしないでドリブルを始めた。
そこで試合を映しているカメラのアングルが変わって、これまで背中しか見えていなかったデカいのの面が映った。
野性味溢れる面をしているのに、冷え冷えとした目が印象的な奴だ。冷めてるとか、感情に乏しいとかそんな奴じゃない。むしろ逆、溢れんばかりの戦意を空回りしないように制御して研ぎ澄ましている。そんな目でそんな面だ。
何にせよデカい体と相まって圧倒的な迫力を醸し出していた。
そんな風に興味深く見つめているアキラの隣で槍也がポツリと呟いた。
「あいつは……」
それっきり続く言葉がなかったが、槍也の顔は明らかに相手を知っている人間のそれだった。
思わず、知り合いか? そう尋ねようとしたアキラだったが試合の方で動きがあった。
それまでドリブルで上がっていたデカいのが、ちょうどセンターラインに差し掛かったところでちょこんとボールを前に出し、あからさまなシュートモーションに入った。
それを見たアキラは、
——いや、何やってんだ、こいつ?
と、心底そう思った。本当に、全く、一分の、一厘の理解すら出来ないほどに、アキラにとってそこはシュートに行く場所じゃなかった。
前線や中盤の選手への対応に追われ、でかぶつへのプレスが遅れた黒牛の動きを怠慢だとも思わない。もしアキラがフィールドにいても、最後列の選手よりも前線を締めろと、ハイプレスは青森が戻って体勢が整ってからだと、そう指示を出す。ハーフラインから打ってくるシュートを警戒しろとは、間違っても言わない。
そんなアキラの中の常識をデカいのは平然とぶっ壊した。
『うわおぅ!』
今まで聞いたこともないようなボールの軋む音に、ヤマヒコが驚きの声を出す。
その間にも勢い良く蹴り出されたボールは敵味方を通り越して真っ直ぐに、本当に真っ直ぐに、重力を忘れたんじゃないかと思うぐらいに真っ直ぐにゴールへと突き進んでネットに突き刺ささった。
ワッと味方が沸き、黒牛の連中は肩を落とす。
そんな光景をアキラは呆然と見ていた。
「…………マジかよ」
言葉が続かない。圧倒的な体格。圧倒的なスピード。そして圧倒的なパワー。黒牛が5点取られたことよりびっくりだ。
——どういうサッカーだ、これ?
と、しばらく固まっていたアキラだが、思い出したように隣を向いた。
「こいつ……知り合いか?」
アキラと同じく呆然と見入っている槍也に問いかけると、まだ驚きで頭が回ってないことが見てとれる辿々しい口調でアキラの質問に答えていった。
「……一度。そう、一度だけ会ったことがあるよ。同じチームでサッカーをしたんだ。目立つ奴だったから覚えてる。うん、覚えてる……」
「同じチーム……てことはだ。全国で戦ったとかじゃねーな。……代表で一緒だったとか? あいつ日本代表か?」
「そう……いや、違うか。代表を選抜する為の集まりで一緒だったんだけど、あいつは代表に選ばれなかったよ」
「あれでか? あれで選ばれない?」
「一年前はあそこまでじゃなかったよ。それに……」
「それに?」
「その時のあいつはディフェンスじゃなくてフォワードだったんだ。……ポジション変えたのかな?」
「ふーん……」
一通り聞き出したアキラは、最後に名前を聞こうとして止めた。
別に聞かなくてもテレビの解説が名前を呼んでいるし、ちょうど今、ズーム画像と共にテロップが流れている。
《北九州赤獅子学園、4番、緋桜義丸》
緋桜義丸、その名前が自然とアキラの脳裏に焼き付いた。
滋賀槍也は当時の日本サッカー界において、日本のサッカーの輝かしい未来を感じさせる、若手の象徴とも呼べる選手だった。
そんな滋賀選手が無名の公立高校に進学し、しかも、地区予選の2回戦負けを喫したことは、正に日本サッカー界そのものの凋落だと、このまま彼と共に日本サッカーの人気や勢いが低迷して行くのではないかと、大勢のサッカー関係者が危機感を抱いた。
スターがいなければ市場そのものが縮小するのだ。
だが現実にはそのような事態は起こらず、むしろ活性化の一路を辿った。
ちょうど滋賀選手と入れ替わるように一つの新星が生まれたからだ。
北九州赤獅子学園。これまで全国大会の常連でありつつもベスト16以上にはとんと縁のなかった高校でありながら、赤獅子学園はその年のインターハイを席巻した。
そう、席巻である。その言葉が全く虚飾にならないほどの圧倒的な……高校サッカーや若手の代表などでは留まらず、A代表や海外にまで影響を与えるほどの圧倒的な躍進。
その赤獅子学園の躍進の原動力となった人物を、当時ならいざ知らず、今を生きる読者たちは容易に言い当てることが出来るだろう。
滋賀槍也、佐田明と肩を並べる三傑の一、緋桜義丸。
日本サッカー史上、最も速くフィールドを駆け、最も力強いシュートを放ち、最も高く跳躍したフィジカルモンスター。
後に『超人』と呼ばれる男が、世に羽ばたいたのである。
 




