62 久しぶりのアキラ回1
6月も終わりのとある日の午後、
「もうちょいかな……」
というアキラの呟きに応えるかのように授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
これで今日の授業は全て終わった。更に言えば最後の授業は担任の夢崎先生の国語の時間だったから、授業が終わってからそのまま帰りのホームルームの時間となり、一刻も早く部活に行きたいアキラにとっては非常に都合が良かった。
「皆さん。それでは、また明日」
先生の挨拶が終わるや否やアキラは立ち上がって、中身の入っていないカバンとサッカー用具の入ったスポーツバッグを引っ掴んだ。
教科書? 置き勉に決まってるだろ。
「恭平。じゃあ、またな」
「えらく張り切ってるな。まあ、頑張れサッカー部員」
「そっちもな」
前の席の御堂との短い挨拶を済ませると、我さきにと教室を抜け出し、サッカー部の部室へと向かった。
せわしない足取りで階段を下っていると、アキラはアキラの同居人であるヤマヒコから声をかけられた。
『アキラ、アキラ。今日もサッカー部に行くの? 行くんだよね? やっぱ行かないとかナシだからね?』
「……いや、行くけどさ。ヤマヒコ。お前、このやりとりいったい何回目だと思ってるんだよ?」
アキラだって正確な数を覚えている訳では無いが、アキラがサッカー部に復帰してから、軽く10回は越えているだろう。いい加減にウザくなって来た。
「別にそこまで念を押さなくても、ちゃんとサッカー部に行くっつーの」
そもそもからして、今のアキラに必要なものが今のサッカー部に揃っている。だから仮に誰かから部活に来るなと言われたところでアキラは部活に行く。必ず行く。
だというのに、ヤマヒコはまだ懐疑的だった。
『そうは言ってもアキラは前科があり過ぎるからさ、お兄さんは心配なんだよ』
「誰が兄貴だ?」
『そりゃね。今の部長さんはアキラに寛大だけどさ……それでも限度ってものがあるじゃん? ここは多少ウザがれても、しつこく念押しするのが兄の役目かなって』
「だから、誰が誰の兄貴なんだよ⁉︎」
馬鹿馬鹿しい会話を繰り広げながらも校舎を抜け、部室へ辿り着くや否や着替えを済ませた。
そしてスパイク、レガースを身につけると、残った荷物をロッカーに押し込み、部室の隅に置いてあるボール籠からボールを一つ拝借しながらグランドへと向かう。
グランドには、まだ誰も居なかった。サッカー部どころか他の部活の人影も見えない。完全にアキラ一人で、広いグランドを貸し切りにしているようで、なんとなしに気分が良かった。
これでとっとと練習が始まってくれれば言うことはないが、まだホームルームが終わっていないクラスもあるだろうから、流石にせっかちだろう。
「リフティングでもするか……」
時間潰しと準備運動を兼ねて、ひょいっとボールを蹴り上げた。そのまま、足の甲や内側を使ってボールを左右の足で交互に行ったり来たりさせたが、それなりの回数を重ねてもボールは宙に浮いたままだった。
4月の初め頃は、せいぜいが20回ほどだったことを考えると、まずまずの進歩だと言える。
──別にリフティングの練習はしなかったけどな……よっと!
少し間隔の空くような高いボールを上げると体勢を変えてアウトサイドで受け止めた。そのままテン、テン、テンと一定のペースを刻んでいく。
インステップやインサイドに比べて難易度の高い足の外側でのリフティングも最近は安定して数を重ねるようになってきた。
そうなったのはきっちりとしたアウトサイドでのロングパスが蹴れるようになってからなので、一見全然違う動作に見えて繋がっている部分はあるのだろう。
とはいえ、やはりリフティングの中では難易度が高いことには違いがなく、続いたり失敗したりを繰り返していると背後から声をかけられた。
「佐田」
振り返ると、そこにいたのは柏木だった。
「早いな、お前! お前が真っ先に顔を出すとかびっくりだ!」
柏木はアキラと同じ一年で、アキラがサッカー部に戻って来てからは、何かと会話を交わす仲だ。
加えて隣にもう一人、やはり同じ一年の工藤もいたが、工藤とはあまり話した事もないので、さしあたっては柏木へと返事を返した。
「ホームルームが早く終わったからな。……てか、俺が早く来たらおかしいか?」
「そりゃ、おかしいぜ。なんせ、先週まで部活に来ない方が当たり前だったじゃねえか?」
何を言っているんだ、お前は? という顔で見られてアキラは返事に詰まった。
「ぐっ。俺には俺の事情があったんだよ。……で、そっちの工藤は、俺に何か用か?」
柏木と話している間も、見るからに工藤は、アキラに声をかけようかどうか迷っている風だったので、端的に要件を聞いた。
すると工藤は、ちょっと焦ったような表情をして、
「あ、その……大したことじゃないんだけど、佐田君のクラスに御堂君が居るでしょ? 槍也君から聞いたんだけど佐田君って御堂君と仲がいいの?」
「恭平と? ……まあ、普通に友達かな」
意外な事を聞かれたと思いながらも、アキラは正直に答えた。
実際、この学校の中で下の名前で呼び合う人間など、あいつと、サッカー部のほとんど全員と名前で呼び合うようなコミュ力お化けの槍也ぐらいしかいない。
「なんだ? 工藤もそうなのか? 同じ中学だったとか?」
その割には工藤の話題は出たこと無いな……と、思いながらの台詞だったが、当の工藤は否定した。
「ううん、違う。学校はぜんぜん別。ただ、僕のいたサッカー部は御堂君のいた中学校と良く練習試合をしてたから、同い年で滅茶苦茶サッカーの上手かった御堂君のことは印象に残っててさ。今は美術部に通っているそうだけど、サッカー部に戻ったりはしないのかなって、ちょっとだけ気になっちゃって」
「恭平がサッカー部に? ……無いと思うぞ。大学は美大に入るって決めてる奴だから。今更サッカー部には来ないだろ」
「そっかー……来ないんだ。…………本当に?」
「いや、俺はあいつじゃないから、はっきりと断言できる訳じゃねーけど……」
でも、まあ、来ないだろう。
──つーか、なんでコイツはそこまで恭平のことを気にかけてんだ?
若干、しつこく思える工藤の言動に首を傾げていると、ヤマヒコが口を挟んだ。
『あれじゃない。きっと工藤君は御堂君とサッカーがしたいんだよ。もしくはサッカーの上手かった御堂君がサッカーを辞めちゃったのは惜しいと思ってるのかも。それでアキラに御堂君がサッカー部に来るように勧誘して欲しいんじゃないかな?』
「なるほど……」
それだったら納得がいく。槍也なんかも最初はそうだった。なんか引き留めていた。恭平は中学では県のトップレベルの実力者だったらしいから、惜しいという気持ちがわからない訳でもない。
しかし、幾ら向いているとはいえ、本人が絵を描きたいなら絵を描けばいい、少なくともアキラはそう思う。
だから、
「あいつをサッカーに誘ってみてくれってことなら協力はしないぞ? サッカーやるにしろ、絵を描くにしろ、他の何をやるにしろ、あいつが決めることだ」
そう、はっきりと告げたが、それを聞いた工藤は驚愕の表情を浮かべながら口早に返した。
「そんなことしなくていいよ! 絶対にしないで!」
「ん?」
『あれ?』
どうやら見当違いのことを言ったみたいだが、だからといってその反応はなんなのか? 突然の剣幕にいぶかしげな視線を返すと、工藤はしどろもどろに、
「あ、その、あれだよ。本人がやりたい事をやるのが1番だと思うし、他人が口を挟むことでもないし……」
その意見には賛成だが、あからさまに言い訳くさい。
どういうことだ? という視線を柏木に向けると、柏木はくっくっくっと、笑いながら事情を話し始めた。
「いや、こいつな。見た目おとなしい顔してるけど、秋の大会でレギュラー狙ってんだよ。先輩たちを押し退けて左のFWに居座る気満々」
「ほー……」
それが恭平とどう関係してくるのかは分からなかったが、興味を引く内容ではあったので、慌てる工藤を放っておいて柏木に続きを促した。柏木は柏木で、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに嬉々としている。
「で、最近は照道にとって追い風が続いてんの。というか佐田。ほとんど、お前が原因だぜ」
「俺が?」
「ああ」
「え? なんでだ?」
「いやな、お前がこれまでの天秤のサッカーをぶっ壊したじゃん。それに反対つー奴もいるけど、こいつにとっては良かったんだ。ほら、前のやり方だと、ボールを奪ったらとにかく前に前に放り込んで、それをFWやトップ下が体を張ってボールをキープしてた訳だけど、こいつは背が低いし体格も細いからポストプレーは望み薄だろ? ついでにスタミナもあんまないから前衛守備もイマイチで、ぶっちゃけ前のやり方だったらレギュラーの目はほとんど無かったな。だから照道的には、脳筋ハイプレスが無くなって、ラッキー! ……てな訳よ」
「ちょっ……待って!」
工藤の事情を赤裸々に語る柏木に、工藤が待ったをかけた。
そしてアキラというより、グランドに集まりつつある他の部員、特に先輩たちに聞かれてないかを不安げに探っていたが、そんなことは知らねえなぁ、とばかりに柏木が、
「お前のことだって褒めてたぜ。性格の良い使えないボランチより、碌でもなかろうがラストパスを通せるボランチのほうがよっぽどマシだって……」
「鋼! お前はもう黙れ!」
顔を真っ赤にした工藤が柏木に突貫した。とにかくその軽い口を塞ごうと手を伸ばすが、同じく手を伸ばした柏木に軽くいなされる。
なるほど、体格の差は如何ともし難い。確かに以前の天秤のサッカーとは合わなかっただろう。
柏木の話に納得しつつも二人の諍いを眺めていたら、そんなアキラの視線に気付いた工藤が、
「えっと……えへっ、えへへへへっ……」
と、どうやら笑って誤魔化すつもりらしい。
「いや、レギュラー狙ってんのは俺もだし、別に怒る気もねーけど……じゃあ恭平のことを聞いたのは、あいつがサッカー部に来たらレギュラーの座を奪われるからってことか?」
アキラの質問の相手は柏木だ。きっと工藤よりハッキリ答えてくれるだろうと踏んだからだが、予想通り柏木の口は軽かった。
「そういうことだな。FWの枠は今のところ2つ。一つは槍也で決まりだろうから、空いてる席は一つだけ。この上、強力なライバルに登場されたら堪ったもんじゃねーからな」
「なるほど……ま、理解はできるな」
アキラは頷いた。ヤマヒコなんかは、
『そっかー……友情が無くて、ちょっと残念』
とか宣ってるが、チームの為にと自分から引き下がるより、なんとしてでもレギュラーになりたいという方が、よほどわかる。
なので、アキラは工藤の肩を叩いて素で言った。
「よし、試合で同じチームなったらラストパスを通してやるから、頑張って先輩を蹴落としてやれ」
それを聞いた柏木が、色々とわかってて乗った。
「そうだな。俺も照道を見習って左サイドバック、勝ち取りに行くわ。いやー、流石に照道ほどの苛烈さと腹黒さは無理だけどなー。先輩を蹴落としていくスタイル。真似できねーわ」
そんな二人の応援を受けた工藤は、
「ちょっと待って! 別に僕は、佐田君みたいに先輩を蹴落とそうとか考えてないから! 御堂君のことを聞いたのも、中学の頃の知り合いが今どうしてるのかな……って、只それだけだし! もしサッカー部に来るなら歓迎するよ! つーか鋼! デマをばら撒くな!」
と、遅まきながらも弁解したが、残念な事に二人とも真剣には聞いていなかった。
そして、そうこうする内に部員たちが揃ったらしく、部長である朝霧が、
「そろそろ練習始めるから、みんな集合してくれ!」
と、部員たちに向かって呼びかけた。
「おっ、やっとか!」
その合図を心待ちにしていたアキラは、これまでのやり取りを放り投げ、他の部員たちと同じく部長の元へと集まった。
その際、後ろから、
「ちょっと佐田君! 誤解したまま行かないで!」
とかなんとか聞こえたような気がしたが……まあ、些細なことだ。
「よし、やるか!」
アキラはこれから始まる練習に向けて気合いを入れた。