61 琴音の慌しい一日 2
授業が終わって放課後、琴音は最早おなじみの河川敷公園で、いつも通り佐田君の練習に付き合っていた。
約20メートルの距離を空けてのパス交換は佐田君との練習に付き合った中でも最も繰り返した練習の一つであり、それなりに慣れてもいるのだが、今日の琴音は精彩を欠いていた。
今も、若干の横回転が掛かっていながらも、きっちり琴音の足元へと届いたロブボールを、受け取りそこねて後ろへと逸らしてしまった。
「すいません」
軽く謝ってからボールを取りに行ったが、その道中、
─これじゃあ、いけませんね。
と、自らを顧みて反省した。
極端なことをいえば、この練習は全て佐田君の為のものであり、琴音が少しばかりミスをしようが問題はない。
しかし、練習相手があらかさまに集中を欠いている様を見れば、佐田君だって気が散るだろう。
自分のせいで練習に集中出来ないなど、本末転倒にも程がある。
──ちゃんと、やりませんと。
ボールを拾って元の位置まで戻った琴音は、気を取り直すようにボールを強く蹴り出した。
そしてその後は、当初の様な失態を繰り返さないようにと気を引き締めていたが、それでも普段程には集中しきれず、ふとした拍子にお昼休みの会話を思い返してしまう。
──実際のところ、どうなんでしょう?
芹香曰く、佐田君は自分にラブのラヴのラブラブで、琴音と一緒に居たいが為にサッカー部から離れているのだとか……。
いや、流石に佐田君との接点がほぼ無い芹香の言葉を間に受けている訳でも無いが、だからといって、
『佐田君が私に? まさか……私なんて全然モテたことなんて無いですから』
と、自信を持って主張出来ない程度には、琴音は自分が異性に与える魅力というものを自覚していた。
絶対にあり得ないとは言い切れず、そして思い当たることが無いわけでもない。
佐田君と一緒にいると、彼は時々、気恥ずかしげに顔を背けることがある。
ついこの前も、練習の合間の休憩時間に水分補給の為のコップを手渡したのだが、手渡そうとする琴音の手と受け取ろうとする佐田君の手が行き違ってしまい、結果的に深く握り合う形になり、その時はもの凄い勢いでそっぽを向かれた。
琴音はそれを、異性に慣れていないが故の照れだと思っていた。琴音は琴音で気恥ずかしかったので尚更だ。
けれどそれは、異性だから……ではなく、琴音だから……なのかもしれない。
もし仮にそうだとしたら、ちょっと、いや大分……もの凄く困ってしまう。
なんせ兄さん一筋の琴音なのだ。だから他の誰にお付き合いを求められても、答えはNOの一択しか有り得ない。
しかし、佐田君から思いを告げられて、ごめんなさいをしてしまうと、今行っている放課後の練習時間がこの上なく気まずいものとなるだろう。
出来ることなら避けたい展開で、出来ることなら琴音の考え過ぎであって欲しい。
──というか、別に何かそれらしいことを言われたわけでも無いですし……。
──うん、たぶん気のせい。または邪推のし過ぎです。
──芹香はああは言ってましたが、男の人だって、そんなに四六時中エッチなことを考えてる訳でもないでしょう。
──私が少しばかり考え過ぎた。それだけのことです。
自分に言い聞かせるように考えを纏めることで、なんとか平静を取り戻し、その後の練習を粛々と進めた。
佐田君とのパス練習は佐田君のペースで行われるので、彼の調子が悪かったり自分に納得が行かなければ5分刻みに練習を中断して、動画を見たり、練習メニューを変更したりするのだが、最近は安定している。結局、最初から数えて30分ほど経過したところでパス練習を切り上げた。
いつものベンチに座っての休憩時間、佐田君は足元でボールを行ったり来たりさせながらお茶を飲んでいたが、その途中で唐突に言った。
「よし、決めた。滋賀、ちょっと真面目な話があるんだけど……まあ、聞いてくれ」
「えっ⁉︎」
真剣な眼差しでこちらを見つめる佐田君の態度は、琴音を内心あわてさせるに十分だった。
「な、なんでしょう?」
と、先を促す自分の声が、我ながらぎこちない。
これはもしかして告白か? 思いを告げられしまうのか? と、身構えてしまったが、これに関しては単なる琴音の早とちりだった。
「実はな……今からサッカー部に戻ろうと思ってる」
「あ、はい……」
ある意味拍子抜けした琴音はとても平坦な声で答えた。
そして、一拍置いてから話の内容を理解した。
「えっ、今から⁉︎ 今日、サッカー部に戻るんですか?」
学校からこの河川敷公園まで練習にやって来て、また学校へと舞い戻る。余りにも非効率的だ。
「なんでまた、そう思い立ったんです?」
自然と湧き出てきた疑問に、佐田君はさも当然という風に答えた。
「いや、パスに関しては今日で納得が行った。今の俺はどんなボールでも蹴り出せる。それは滋賀にもわかるだろ?」
「ええ、まあ、それは確かに……」
琴音は素直に頷いた。元々、ロングフィードに関しては非凡な才能を発揮していた佐田君だったが、今では足の左右を問わず様々なボールを蹴り出せるようになって、気が散っているとパス交換もままならない程だ。それについては異論はなかった。
「となると、後は実践で使えるかどうかを試さなきゃならない訳だ」
「一月前も似たような事を言ってましたね……」
どうやら佐田君は覚えようとする技術に納得が行くと、それを実際に試したくなるようだ。その発想自体は大なり小なり万人に共通する心理で、琴音にも理解できる。できるのだが……、
「それにしても性急すぎません? 今から学校に戻っても余り時間はありませんし、途中から顔を出して、今から試合をやると宣言しても、みんなだって準備が整ってませんよ。——今日のところは前もって連絡だけしておいて、明日から参加で良くないですか?」
確かに朝霧部長は佐田君に極力合わせると言ったが、なんだかんだでサッカー部は20名以上の集まる集団なのだ。佐田君に合わせるにしても、事前の報告、連絡、相談は必須だと思う。
そういう事前の準備も含めた上で、明日からで良くないですかと提案したのだが、佐田君の顔色を窺えば譲る気がないのが見て取れた。
「嫌だ。俺は今日試合がしたいんだ」
「子供ですか」
考えるより先に言葉が出てしまった。ちょっと失言。
佐田君は思いっきり顔をしかめると、ムキになって言い返してきた。
「違う! 俺は別に自分がやりたいっていう、自分だけの都合だけで試合をやりたいって言ってる訳じゃないんだ! ちゃんと、サッカー部のことを考えた上で試合をやりたいって言ってるんだ。えーとだな……つまり……」
佐田君は最初の方は勢いが良かったのに、具体的な言葉に迷うと、それっきり考え込んでしまった。
──そこは即答できないと駄目でしょう。
と、思いはしたが琴音は大人しく続きを待った。しかし、いつまで経っても続きの言葉が出て来ない。
「あの、まだですか?」
「ちょっと待った。いや、あるんだってサッカー部の為になる理由が! あるからちょっと待ってくれ!」
「それは構いませんけど……」
これほど待っても何も出てこないのだから、佐田君にはその手の発想がないのか、思いついていても心にも無い事は言えないのか……どちらにせよ、自分がやりたいという、それだけの理由で試合を望んでいる事はよくわかった。
もう、これ以上の言葉は何一つ要らないぐらいなのだが、ようやく出てきた、
「そう、俺が成長することが何よりのチームワークだろう! ボランチってのはあれだ、攻守の要みたいなポジションなんだから、俺が上手くなればなるほどチームの自力が底上げされる、つまりみんなの為になる……その筈だ!」
という、
──あ、そっちに行っちゃいますか……。
と思う台詞を聞いた時、琴音は自分の余りの馬鹿らしさに脱力してしまった。
──今日一日、私はいったい何を思い悩んでいたのでしょう……。
仮に佐田君が琴音をどう思っていようが、周囲の状況をコントロールして琴音と二人っきりになる事を画策するなんて、ニワトリが空を飛ぶより不可能だ。
芹香から話を聞いた時に笑って否定すればそれで良かったのに、芹香がさも最もらしく「琴音はエロい」とか「お前は男心を全然わかってないな」とか色々と言うから、妙に構えてしまった。
部活が終わったら苦情のメールの一つも入れてあげようと、珍しくも他者に責任を転嫁して気持ちを切り替えた琴音は、今に向き合うことにした。
「わかりました。確かに一日でも早く合流した方がサッカー部の為……ですね」
「そう、そうなんだよ!」
「でも、流石に何の事前連絡もないのはどうかと思いますので、今から渚先輩に電話しますね。先輩からサッカー部のみんなに伝えて貰いましょう」
「……、……。滋賀は色々と細かいことを考えるよな……」
「全然、細かくなんてありませんよ。佐田君が考えなさすぎなんです」
断言すると、学生カバンに入れて置いたスマートフォンを取り出して、先輩の連絡先を選び出した。通話が繋がると用件を簡潔に伝え、おおよその到着時間などを付け加えた。
先輩は最後に、
「じゃあ、琴音ちゃん。二人の帰りを楽しみに待っているよ!」
と、軽やかな口調で私たちを迎え入れる態度を見せてくれたので、本当に感謝の気持ちしか起こらない。持つべきものは親しみのある先輩である。
「では、休憩が終わったら学校に戻りましょうか」
「ああ。…………そうだ、滋賀」
「はい、なんでしょう?」
「これまで練習に付き合ってくれたのは本気で助かった。その、なんだ……ありがとう」
唐突なその一言。
驚いた琴音が、つい佐田君の顔をまじまじと見つめると、佐田君は照れたようにそっぽを向いてしまった。
その後ろ頭をぼんやりと眺めていると、ふと、くすぐったい様な笑いの衝動に包まれ、咄嗟に口もとを片手で覆って声を抑えた。
お世辞やお愛想といった能力に恵まれない佐田君だ、今の台詞は本当に本心だろう。それを冷やかしで笑っているとは思われたくはない。
「いえいえ、どう致しまして。私も楽しかったですよ。久しぶりにサッカーをやって、昔を思い出した気分です」
琴音も飾ることなく答えて、しかし、一言付け加えるのは忘れなかった。
「でも、こういう個人練習はこれっきりにして下さいね。サッカーはチームスポーツなんですから、みんなと一緒に頑張った方がいいに決まってます」
「………」
返事は無かった。
「佐田君?」
「よし、休憩終わり! そろそろ行くぞ!」
「あっ! こら! ちょっと!」
明らかに誤魔化そうと、そそくさと立ち上がって学校へ向かおうとする佐田君。琴音はその後を追ってお説教を始めたが、残念なことに目に見えて効果はなかった。
そしてその後。
学校に戻った佐田君は、みんなへの挨拶もそこそこに試合を始めたのだが、久しぶりの試合にも関わらず、当たり前のように試合をコントロールして3本のアシストを決めた。
「うわお! やっぱり凄いね彼は」
「ええ、そうですね」
一緒に見ていた渚先輩の賞賛に、心の底から同意した。
佐田君は、この前の紅白戦とは違って、サッカーが上手いと相手チームから警戒されている。けれどそれを苦にせず、それどころか覚えたての技術を実戦で活用している。
サッカーに関しては超人だと、改めてそう琴音は思った。




