59 朝霧部長の決断と未来インタビュー
放課後、文夜を始めとするサッカー部の面々は、ミーティングを行う為にいつもの視聴覚室に集まっていた。
新部長の就任とその挨拶は、本来ならわざわざ視聴覚室を借りる程のことではない。部室の前での立ち話で事足りる。
現に去年はそうだった。
それなのに今回、文夜が部屋を借りたのは、不測の事態に備えてのことだ。
話が長引くかもしれない。文夜の意見を頑として受け入れない者もいるかもしれない。
場合によっては自分が部長から降ろされる可能性も全然あるなと、そんなことを考えながら周囲を見回すと、サッカー部の関係者は一人を除いて全員が揃っていた。
部員たちはもちろん夢崎先生も顔を出しているし、滋賀さんもちゃんと兄貴の隣に座っている。
そして最後の一人は、部長の代替わりなど気にも止めずに、自分のやりたい事をやっているのだろう。
──よし、やろう。
自分で自分に気合を入れると、文夜は教壇へと登った。
すると、みんなの視線が集まり私語も収まったので、静かになるのを待つ必要はなく速やかに本題へと入っていけた。
「じゃあ、始めよう。──まず、今日のミーティングは俺が部長になった就任のあいさつと今後の抱負、そして副部長の選出が目的なんだけど、就任のあいさつの前に今後の抱負を話しておきたい。──俺が部長になったらこれまでの天秤のスタイル、みんなで走って前線からハイプレスをしかける、という今までのやり方を変えるつもりだ」
ざわっと教室がどよめいた。
「俺の正直な気持ちを話すつもりだから、反対意見があるなら遠慮なく言って欲しい。そして俺の方針にどうしても納得がいかないなら、その時は部長を選び直すことにしよう」
意図的に感情を抑えた口調だが本気も本気である。
そのことを悟ったのだろう、みんなが驚いた顔で文夜のことを見ている。ここからが本番だ。
「何故、これまでのスタイルを捨てるのか? その理由なんだけど、俺は今後の大会で、チームのボランチを佐田に任せるつもりだ。──みんなも知っての通り佐田は部活に参加せずに自主練を続けている。なんでかって言えば、佐田にはハイプレスをやる気がなく、ハイプレスの練習に時間を割くくらいなら自分が伸ばしたい能力を伸ばそう……って、そう考えているからだ。そんな佐田にボランチを任せるなら、必然的にハイプレスは出来なくなる」
そこで一息、
「じゃあ、代わりに何をするかって言えば、実は決めてない。俺はそれも……今後の天秤のスタイルも佐田が決めればいいと思ってる。つまりチームの司令塔もあいつだ。これからは佐田を極力自由にさせるつもりだ。自主練がしたいなら気のすむまでやらせるし、大会や戦術、練習内容も出来る限り佐田に合わせる……それが俺の考えている今後の方針だ」
一通り自分の意見を語った文夜は、今度はみんなの意見……というか反論を待ったが、いつまでたっても声を上げる者はいなかった。
唐突な話だったから仕方がないのかもしれないが、だからといって会話がないと始まらない。仕方ないので自分の方から、
「誰も何も言わないってことは、俺の方針に疑問はない……って事でいいのかな?」
と、水を向けたことで、ようやく1人が口を開いた。2年の間宮だ。
「そ、そんなのおかしいぜ! なんで部活に顔も出さない奴に俺らが合わせなきゃならないんだよ⁉︎」
間宮の言い分はもっともだと思う。だが同時に、これを乗り越えなければサッカー部は前には進まない。事前に覚悟を決めていたこともあってスッと口が開いた。
「その部活にも来ない奴を、ちゃんと来させる為に努力しようという話だ。間宮……とみんなも、とりあえず佐田の人となりは置いといて、純粋な戦力面でのみ考えて見てくれ。仮に他のメンバーや戦術が全く同じだったとして、ボランチに佐田のいるチームと佐田のいないチーム、俺は後者が前者を上回るとはどうしても思えない。みんなも佐田の実力だけは認めている筈だ」
文夜の意見に反論は無かった。実際、それだけは誰にも否定できない筈だ。
「更に言えば佐田のハイプレスは必要ないという主張、その主張自体は間違いじゃない。あいつの主張には一貫性と合理性がある」
「ああ⁉︎ なら先輩たちが間違えてたって言うのか⁉︎」
険しい目つきで間宮が吠えた。
天秤サッカー部は世代間の上下の差が少なく仲が良かった。特に間宮は勝気な性格で、本気で全国を目指す先輩たちのことを口には出さずとも慕っていた。故に先輩たちを否定する発言は許せないのだろう。その気持ちは文夜にもわかる。わかるのだが……、
「間宮、そうじゃない。先輩たちが間違ってた訳じゃない。総合力で劣るうちが強豪校に勝つ為に、一つの戦術に特化して、その長所をぶつける。昨日、黒牛に負けたとはいえ先輩たちは最善を尽くしたと思うよ。大会のメンバーに佐田を加えなかった事も含めてそう思う。ただ、それは先輩たちにとっての最善だ。残された俺たちは、俺たちの最善を選ばなきゃいけない」
先輩たちのことは認めていても、全く同じ物を作り上げようとは思わない。それは文夜にとって全然別の話だ。
「具体的な戦術の話をするなら、ハイプレスの利点はより前でボールを奪えることだ。上手く行けばワンチャンスでゴールを奪える。けど、裏を返せば今までの天秤は後ろからボールを繋いでフィニッシュまで持っていけなかった。だから前からプレッシャーをかけて相手のミスを誘うことを狙ってるんだが……それ、佐田に必要か? 俺も紅白戦で見たけど、あいつは自分を起点に攻撃を組み立てることが出来て、パスも上手い。敵陣の隙を突いてボールを運べるし、何ならロングフィードひとつで前線まで持っていける。別に無理して前でボールを奪う必要なんてどこにも無いぞ?」
事実、紅白戦ではハイプレスを放棄して、それで問題なくチームが回っていた。
「それだけじゃない。今の話はハイプレスをやるメリットが薄いって話だが、今度はデメリットの話だ。天秤のDFラインは前衛のハイプレスをカバーすることを常に念頭に置いているから攻撃参加、特に両サイドバックがサイドから駆け上がる事がほとんど無い。けど、佐田の能力を考えるにサイドを使った駆け引きや揺さぶりは有効だろう。今後ああいうプレーを取り入れていくなら、俺たちだって変わっていく必要があるんだ。──間宮、実のところ俺の主張が全く理解できない訳じゃないだろ? あの時の紅白戦でサイドチェンジからのクロスを押し込んだのはお前だ。佐田と一緒にサッカーをしたことで、お前も佐田の可能性を感じただろ?」
「そりゃ、そうだったけど! ……だからって、1人の為だけに、これまでのサッカーを捨てんのかよ?」
「ああ、そうだ。1人の為だけに、これまでのサッカーを捨てるんだ」
文夜は断言した。
思うに、これまでの天秤のスタイルと佐田の望むスタイルは方向性が真逆だ。サイドを切り捨て中央に人を集めてコンパクトなサッカーを、というのがこれまでのサッカー部の方針、対する佐田は自分の能力を十全に生かす為に、とにかくフィールドを広く使いたがっている。
その指向性の差が、佐田とサッカー部の不協和音を招いた一端であることは間違いないだろう。
故に佐田はレギュラーから弾かれたし、故にこれからの佐田を中心に据えるサッカー部では、ハイプレスの方を捨てなくてはいけない。
どっちか、しかないのだ。そして文夜は佐田を選んだ。
更に付け加えるなら、その決定は決して佐田1人の為のものでもない。
文夜は、文夜の言い分に固まってしまった部員たちに訴えかけた。
「それにこの選択が、他の部員たちにとっては我慢を強いるだけのものとは思っていない。新しい戦術の方が自分に合う、そんな奴も出てくると思う。たとえば、このチームのエースは滋賀だけど、滋賀にとって今までのサッカーが最善かと言えば、多分そうじゃない」
そこまで言ってからチラッと滋賀に視線を移すと、滋賀は真剣な顔で文夜が喋る姿を見つめていた。
どんな感情を抱いているかまでは読み取れない。
佐田を中心に据えることを喜んでいるのか? それとも、たった1人を特別扱いすることに義憤を抱いているのか?
そのほか、どんな感情を抱いているのかはさっぱりだが、滋賀は佐田と違って話せばわかる奴だ。文夜が真摯に言葉を積み重ねれば理解してくれると信じている。
「……滋賀はこれまでのサッカー部の方針にうまく合わせてくれたな。攻撃では常に起点となっていたし、ボールを失っても即座にハイプレスを仕掛けてくれるから守備も安定していた。けど、ちょっと背負わせすぎだ。滋賀の本領は攻めだろう? なのに守備に忙殺されて、本領を発揮する余力が削られていたんじゃないか?」
これに関しては実は大会中から懸念していた。攻めに守りに滋賀は走り過ぎだと。これじゃあ、いざゴールを奪おうって時にスタミナが残ってないんじゃないかと、そう懸念しながらも代案となるものが無かったので何も言わなかった。それが間違っていたとも思わない。
滋賀が走らなくなれば只々チーム力が低下するだけだからだ。
だが、今は違う。
「ハイプレスを止めて佐田を司令塔に据えれば滋賀の負担は間違いなく減る。俺は佐田を自由にすることで、滋賀のことも自由にしてやりたいと思ってる」
自分の本心をこれでもかと言う程にぶちまけた文夜の言葉は、それなりに影響を与えたらしい。もしくは滋賀と佐田の人望の差か。
みんなの顔色に揺らぎが垣間見え、中には周りを見渡して反応を窺う者もいた。
もしかしたら、文夜の意見に賛成している者もいるのかもしれない。
ただ、全体としては、やはり納得しているようには見えない。
当然だと思う。だが、それを変えていかなければならない。
前を見据えて、みんなの意見を待った。
しばらくの間は誰も何も言わなかったが、やがて、とある1人の人物が右手を上げて発言の許可を求めてきた。
滋賀さんだ。
「滋賀さん、どうぞ」
と、文夜が発言を促すと、彼女はみんなに聞こえるようハキハキとした声で自分の意見を語った。
「質問があります。私は佐田君の練習に付き合っていますので、佐田君の人となりを皆さんより知っているつもりです。ですので、部長のおっしゃる今後の方針が間違っているとは思いません。私個人としては賛成です。……これは仮のお話なんですが、サッカー部の総意としてこれまでのスタイルを継続することを決めたとしても、彼がサッカー部の方針に合わせることはまず無いでしょう。より実力をつけることで周りに自分の流儀を認めさせる方向に向かう筈です。そうなればこれまでのように対立は避けられず、チームとして纏まりを欠くことになります。それを避ける意味でも早期に佐田君に主権を預け、佐田君を中心としたチームを作っていくことは合理的な判断だと思います。しかし──」
そこで彼女は一拍置いた。単に息継ぎというより、みんなが理解する為の時間を作っている感じだ。
滋賀さんは更に一拍置いた後、話を続けた。
「──しかし、佐田君が好き勝手をするたびに、佐田君以外の人間が『同じサッカー部員なのに、何故あいつだけが優遇されるのか?』と、不満を抱くのは避けられません。そして不満が溜まれば、部内の規律や結束が乱れるきっかけにもなるでしょう。そういったチーム内での不平等感は決して軽視して良いものではないと思いますが、朝霧部長はどんな考えを持っているのでしょう?」
という彼女の質問を聞いて、文夜は返事を考えるより先に彼女の頭のよさ、そつの無さに感心してしまった。
みんなの心情を的確に捉えた質問である一方、率先して文夜の意見に賛成することで、後に続く人間が出やすいようにと配慮している。
一つ問題があるとすれば、文夜がこの質問に上手く答えられなかったら非常にマズい事態に陥るのだが、そこは信頼されているのだと思うことにしよう。
佐田を中心にチームを作るなら、この問題はどのみち避けられない。来るべき時が来ただけの話だ。
「それについては、俺たちが意識を変えなきゃいけないと思ってる。そうだな……例えば、工藤」
「……え? は、はい、なんでしょう⁉︎」
唐突に話題を振られたことで、サッカー部の中でも一際小柄な後輩は目を白黒させた。たいそうな慌てぶりだ。
そんな工藤を落ち着かせるように、文夜もまた落ち着いた口調を心がけた。
「工藤はお世辞にも体格がいいともパワーがあるとも言えないな。だけどボールタッチは上手いし、キレのあるドリブルを持ってる。素早い動きで敵陣をかき乱すことも出来る。FWとして十分な魅力と戦力を備えていると思うよ」
お世辞ではなかった。滋賀のような絶対的なストライカーという訳ではないが、今後の成長次第では2年生を差し置いてレギュラーに選ばれてもおかしくない。
「さて、そんな工藤に質問。これからのサッカー部はパワーと高さを重視していくから、工藤もDFと力でスペースを奪い合うパワープレーに徹してくれって言われたら、どうする?」
「え? いや、その……俺、背が低いから……競り合いとかはちょっと難しいです」
「だよな……」
仮に文夜が工藤とマッチアップしたとしたら身長差は20センチ近くだ。高さやパワーという要素では負ける気がしない。
「じゃあ、今度は坂上。今後サイドバックは攻撃に参加して欲しいからスピードとスタミナが欲しい。具体的には100メートルを11秒台で走るスピードと、前半から後半までそのスピードを維持して攻守に走り回れるスタミナがあれば、チームとして凄く助かる」
「……無茶言うな。そんなん出来たら何処でもレギュラーじゃねえか」
それはそうだ。分かってて言った。
文夜は頷いて次に行った。
「間宮。お前、英語が苦手で赤点ばっか、とか言ってたよな? 今度のテストで100点取ってくれないか?」
「はあ⁉︎ お前何言ってんの⁉︎ 勉強とサッカー、何の関係もないだろうが⁉︎」
「──関係なくはないですよ」
文夜と間宮のやり取りに唐突な横槍が入った。
入れたのは夢崎先生だ。
先生は、これまで文夜たちの会議を一歩引いたところから見守っていたが、教師として放って置けなかったのだろう。
「学生なんですから勉強も大事です。100点を取れとは言いませんが、ちゃんと頑張りましょう」
と、先生は至極真っ当な事を言った。
「あ、はい……」
と、間宮が力なく返事を返す。
……。
…………。
……………………。
なんとなく微妙な沈黙が流れたが、文夜は気を取り直して話を再開した。
「うん……とまあ、何人かに尋ねて回ったけど、出来ないことをやれって言われても出来ないものは出来ないんだ。それと同じ理由で佐田にチームワークを求めたって無駄だ。だって出来ないんだから」
それが、これまでの佐田の振る舞いを見て、そして滋賀さんの話を聞いて出した文夜の結論だ。
「やらないんじゃなくて、出来ない。あいつは自分の向上心を押し殺してまでチームに合わせるような真似は絶対に出来ない。だから、出来ないことをチームワークだからといって押し付けるのは止めよう」
暴論かもしれないし、極論かもしれないし、なんなら言葉遊びに聞こえるかもだが、紛れもない文夜の本音だ。
「いや、朝霧。出来ないって……んな事ねーだろ」
「間宮、それはお前が出来るから言えることなんだ。テストで100点を取れる奴が『なんで赤点取るのか、訳が分からない』って言ってるのと同じなんだ。百歩譲って仮に佐田にそれが出来たとして、きっと、その時はあいつのやる気や向上心は死ぬことになる」
個性を殺してまでチームに合わせる。それが必要な時もあると思う。ただ、佐田にそれをやらせるのはもったいないとも思う。
「一言でチームワークって言っても色々な形があると思うんだ。元々、完璧な人間なんて何処にもいない。誰でも何かしら欠けているもんだ。だから、佐田の欠点を受け入れて、足りない部分を他のみんなで補う……そんな形のチームワークがあっていいんじゃないか? もちろん一方的に補うばかりじゃチームワークとは言えないけど、逆に佐田がみんなの力になることだってあるよ」
そもそも今、文夜がみんなに必死に訴えかけているのは佐田の影響を受けているからだ。手法は大いに問題があるが、それでもがむしゃらに上を目指す佐田の熱意は文夜に伝わっている。
「あいつは努力が出来ない訳じゃない。あいつはあいつなりのやり方で上を目指している。昨日、俺たちがぼろ負けした試合を見て、それでも次に戦う時は自分たちが勝つって思える奴なんだ。俺はあいつのそういう気性を殺したくない。部長としてサポートして活かしてやりたいって思ってる。──でも、部長なんてものはさ……部員の協力が無かったら何の力もありはしないんだ。だから、みんな。どうか俺に力を貸して下さい。お願いします」
言い終えると共に文夜は真摯な態度で頭を下げた。
色々と理屈を並べたてたが、文夜の目的は反論を言い負かすことではなく、みんなの力を貸してもらうことだ。まだ人生経験の浅い文夜には、頭を下げてお願いする以上の方法は思いつかなかった。
しばらくの間、そのままの姿勢を続けたが、そんな文夜の耳にパチパチパチっと拍手の音が聞こえてきた。
釣られて顔を上げると滋賀だった。
滋賀は真っ直ぐにこちら見据えながら、朗らかな笑みを浮かべて手を叩いている。
言葉こそ無かったが、その笑みと拍手こそが何よりも有弁に滋賀の心情を語っていた。
──そっか、分かってくれたんだ……。
文夜の考えと本気が伝わったのが嬉しかった。
そして、それは滋賀にだけ伝わったという訳でもなく、時と共に拍手の数が増えていった。
まず、隣の席の妹さんが拍手に加わり、その後は一つ、また一つと拍手の数が増えていき、程なくして教室が拍手で包まれた。
そうなると逆に拍手に加わっていない人間の方が目立つので、そちらに視線を向けると、間宮は苦い顔をしながらも仕方なさそうに言った。
「わかったよ。その方針に従ってやるよ。──でも勘違いするなよ。俺はまだ佐田を認めた訳じゃねえ。朝霧、お前の言うことだから……俺はお前に従うんだからな?」
「わかった。……間宮、そしてみんな。ありがとう」
もう一度、一礼して感謝の意を伝えると、文夜は気持ちを切り替えた。
まだ決めなければならないことは残っている。
とはいえ、1番の難事は片付いたので後はサクッと進められるだろう。
「じゃあ改めて……これからは俺が部長をやらせて貰います。よろしく。……そして今後の方針については今、話したので、次は副部長の選出なんだけど……滋賀、お前に頼みたい。1年のまとめ役になってくれないか?」
「はい、わかりました。精一杯、頑張ろうと思います」
文夜の要望に滋賀は二つ返事で頷いた。
その迷いのなさからして、おそらくは滋賀本人も自分が副部長に選ばれることは予測していたのだろう。
とくだん反対意見が挙がることもなく、軽い拍手と共に速やかにチームに受け入れられた。
「うん、よろしく頼むな。一年のみんなは滋賀を支えてやってくれ。……それから滋賀さん」
「はい。なんでしょう?」
「滋賀さんにも頼みたい事があるんだ。といっても、新たに何かお願いする訳じゃなくて、これまで通りの事を継続して欲しい。滋賀さんはこれまでサッカー部を休んで佐田のフォローに回っていた形だよね? でも、これからはサッカー部の要望として佐田のフォローやチームとの橋渡し役を、つまり佐田の面倒を見る佐田係をやって貰いたいんだけど、いいかな? …………佐田係か」
自分で言っておきながら、おかしな係だ。
普通のサッカー部ではまず有り得ない役職を、どちらかと言えば保守的な思考を持っていた筈の自分が提案するなど、一月前の自分は想像すらしていなかった。
真面目な提案であるのに、なんだか妙に可笑しく思う。
そんな文夜の気持ちが滋賀さんにも伝わったのか、彼女も微笑んだ。
「わかりました。佐田係、務めさせて頂きます」
兄もそうだが、この兄妹は何かを頼んでも嫌な顔一つしないで引き受けてくれるので、部長として助かる限りだ。
「ありがとう。じゃあ早速、佐田への伝言なんだけど……今日の会議で決まった事と一緒に、これからは佐田に合わせてチームが動くって伝えてくれ。……まあ、とは言っても佐田は今、自分の事だけに集中したいだろうから、チームのことは気にしなくていい。好きなだけ技量を磨いて納得が行ったら戻って来てくれって……そう伝えてくれ」
「……本当に佐田君を自由にする気なんですね。……わかりました。確かに伝えます」
滋賀さんはしっかりと頷いた。
それで文夜が提案すべき事、伝えるべき指針は全て言い終えた。
「それじゃあ、会議はこれまでにしてグラウンドに向かおう。
いい加減、椅子に座ってじっとしてるのも飽きただろ?」
文夜が言うと小さな笑いが起きた。どうやら図星の人間が多いようで、皆、嬉々とした表情で立ち上がると、椅子を片付けて教室から出て行った。
最後の戸締まりを控えている文夜は、そんな彼らの後ろ姿を見送りながら、新しいサッカー部のまとめ役として、精一杯頑張ってみようと心に誓った。
……。
……。
【とある未来のインタビュー】
レスタンの奇跡。
およそ世の大半の物事は、黎明期を終え円熟期に入ると下位が上位に成り代わるのが難しくなるものだ。
当然、サッカーもその例外に漏れず、資金力や組織力の差を活かしてトップチームはトップチームの座に君臨していた。
そんな中、当時スペインの2部リーグの中堅所であったレスタンが、他を凌いで一躍トップへ躍り出るという事件が起こった。
近代サッカー史上、最大の下剋上とも呼ばれるレスタンの奇跡。
立役者の名前は同チームの監督だったアンドリーク=ヴァルケ。
彼はレスタンで生まれ、レスタンで育ち、レスタンでサッカー選手として活躍し、何処にも移籍することなくレスタンで現役を終えた、まさに生粋のレスタンと呼べる存在だ。
それゆえ彼がレスタンをスペインサッカーの頂点に立たせたいという野望を抱いていたのは、むしろ当たり前の話なのかもしれない。
とはいえ、レスタンとトップチームとの間には組織として雲泥の差があり、その差をひっくり返すのは容易ではなかった。
それでも彼は諦めず、世界を回って有望な選手を集めると同時に、自前の下部組織から昇格した、セドリック、ガス、ルッケンドなどといった若手をじっくりと育て上げ、飛躍の時を虎視眈々と狙っていた。
そして最後の起爆剤となったのが、佐田明の移籍である。
ここで彼の近況を少し。
彼はレスタンに移籍する前の年、彼が24歳の頃にその実力を買われてグッペルへと移籍した。
グッペルは佐田が入団した当時、実力と歴史を見て間違いなくスペインサッカーの王者とも呼べた存在で、そんなグッペルに、いわば鳴り物入りで入団した佐田だったが、意外……と言ってもいいのか周囲が思うような結果は残せなかった。
その最大の理由はグッペルのサッカーと佐田の気性が合わなかったことだと言われている。
自由奔放を主義としている佐田だったが、グッペルには長年スペインサッカーの最前線を走り続けてきた誇りと伝統があり、新参者の外国人が好き放題に出来る余地は無かったのだろう。当時、佐田と監督が怒鳴り合う光景がたびたび目撃されていて、シーズンの半ばに差し掛かる時期には移籍話が囁かれていた。
それに目をつけたのがヴァルケ監督だった。
彼は佐田にオファーを出し、佐田はレスタンへと移籍した。
1部のトップチームから2部の中堅所への移籍。当時は誰もが都落ちだと噂したが、しかし佐田が真価を発揮したのはそこからで、レスタンは大きな飛躍を遂げることになる。
まず、その年の内に1部昇格。
翌年には、スペインリーグの頂点に立ち、更にその翌年、レスタンはスペインリーグ、ヨーロッパチャンピオンズリーグ、その他全ての公式戦において不敗の記録を残した。
佐田が加わって僅か3年、レスタンは最速で世界一のチームへと成り上がり、その中心であった佐田は、同年の最優秀選手に選ばれることになった。
これは日本人としては滋賀槍也に続く二人目の快挙になる。(因みに更に数年後、緋桜義丸も同賞を受賞している)
その後は、流石に同じような独走状態を許すスペインリーグではなかったが、それでもレスタンは国内リーグの上位に居座り続けて、今日では押しも押されぬスペインのトップチームの基盤を作り上げた。
ここまでの一連の流れが、通称、レスタンの奇跡である。
今回、そのアンドリーク=ヴァルケ元監督への独占インタビューに成功したので、今号では彼と彼にまつわる逸話で特集を組んだ次第である。
滋賀槍也と佐田明の高校時代、天秤サッカー部の部長を務めた朝霧文夜さんのお話。
「本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
「いえいえ、私なんかでよければ喜んでお話しします。……確かお電話では、私が部長になった当初の話を取材させて欲しいとのことでしたが……?」
「はい。実はですね、少し前にスペインで取材をしている私の同僚がレスタンのヴァルケ元監督の独占インタビューに成功したんですが……一応、お聞きしますがヴァルケ監督のことはご存じですよね?」
「ええ、勿論。独占インタビューが雑誌に載るんですか? 読んでみたいですね」
「ありがとうございます。私もイチサッカーファンとして読んでみたいですし、我が社としても期待値が大きく、掲載される号番ではレスタンの奇跡について大きな特集を組む予定です。そこで私も雑誌の特集に合わせて記事を書くことになりました。──それでは本題なんですが、朝霧さんは部長に就任した後に、従来の方針とは一変、佐田選手を頂点としたトップダウン方式へと移行したんですよね?」
「懐かしいなぁ。……そうですね、確かにそうしました」
「これは当時としては画期的な決定だったのでは? 従来のチームカラーを捨て、佐田選手のやり方にチームが合わせるという手法は、後のレスタンや日本代表でも取り入れられ成功を収めました。朝霧さんの選択は、その先駆けと言っていいのではないでしょうか?」
「いや、流石にそれは大袈裟でしょう。どこにでもあるような無名のサッカー部と、当時は2部だったとはいえ歴としたスペインのプロチームであるレスタンや代表チームでは、規模や背負っているものが違います。それらと並べられるのは恐縮というか、恐れ多いですよ」
「そうでしょうか? 確かに規模は小さいでしょうが、きっかけとしては十分です。当時、ヴァルケ監督も佐田選手の高校時代について言及していました。そして、その佐田選手の独裁体制とも呼べる環境が、彼が暴君と呼ばれた由縁なのですから……私としては、貴方こそが後の暴君を生み出した張本人なんじゃないかという気がしているんですが?」
「待って下さい! それは絶対に違います! 佐田は当時から佐田でしたよ! いきなり、とんでもない疑惑をかけないで下さい!」
「……違いますかね?」
「違いますよ!」
「では、一旦それは横に置いておいて取材に戻りますが……朝霧さんは何故、佐田選手を完全に自由にさせるような極端な手法を取り入れたのですか?」
「未来永劫に取り上げないで下さい。……佐田を佐田の好きにやらせた理由は、単純にそれが一番チームとして力を発揮できる形がそれだと思ったからです」
「ヴァルケ監督と同じようなことを言ってますね。やはり、シンパシーを抱いたりしているのでは?」
「だから違いますって。ヴァルケ監督は曲がりなりにも数十年の歴史を重ねたプロチームのスタイルを全て捨てて佐田を好きにやらせたじゃないですか? たった20名ちょっとのサッカー部でも一杯一杯だった私には、絶対に真似出来ないですよ。むしろシンパシーを抱くならグッペルの方です」
「え? それはまた……どう言った理由で?」
「日本じゃあグッペルは佐田を活かせなかったと非難されることもありますが、グッペルは過去の実績や当時の実力から言って間違いなくスペインサッカーの頂点の一角だったでしょう?」
「そうですね」
「私は部長に就任してから佐田を好きにやらせましたが、最初からそうだった訳じゃありません。その前はサッカー部の副部長として、それまでのスタイルに愛着や思い入れを持っていました。世間一般的には何の伝統もないような小さなサッカー部でも、簡単には譲れないものがあったんです。それを思えば王者としての誇りと伝統を持つグッペルが、佐田を自由にやらせなかったのも無理はないかなって思いますね」
「なるほど。グッペルと朝霧さんは佐田選手に頭を悩まされたお仲間という訳ですか」
「いや、グッペルと私が比較されるのも、それはそれで違和感がありますが……でもそう。佐田は困った奴なんですよ。ですから話は戻りますが、佐田を好きにさせたのは佐田が実力者だったからだけじゃありません。単純に実力だけで言ったら当時は滋賀の方が遥かに上でした。しかし、協調性の高かった滋賀と違って、佐田は我が強くて自分のサッカーありきでしたから。ありていに言えば、佐田を好きにやらせるか佐田を排除するかの2択しか無かったんです。そして普通なら個人のわがままなんて排除されて然るべきですが……予感があったんですよ」
「予感……ですか?」
「ええ。こいつは将来、滋賀のような特別な選手になるんじゃないかっていう予感です。高校を卒業したらプロサッカー選手として活躍したり、いや、それどころか、いずれは海外に移籍したり日本代表に選ばれる可能性だってあるんじゃないか……という予感を、まだサッカーを始めたばかりの佐田に感じていました。……たぶん、それを感じていたのは私だけじゃなかったと思います」
「その予感は当たりましたね」
「いえ、あそこまでになるとは流石に思ってはいませんでした。あいつは良くも悪くも、こちらの想像の斜め上をいく男でしたね。だからこそ、こちらでコントロールするのではなく、あいつを自由にする道を選びました」
「なるほど、興味深いですね。……では、その佐田選手を好きにさせたことによって生まれた良し悪しについて、話して貰えますか?」
「はい。では良い方の話からいきますが、やはりサッカー部の実力がぐんぐんと伸びていったことだと思います。これはただ単純に佐田が凄かったというだけの話ではなく、チーム全体が伸びていったんですよ」
「というと?」
「佐田は不思議な奴で、佐田自身は自分が活躍することしか考えていないのに、そのプレースタイルは周囲を活かすタイプじゃないですか? だから、おかしな言い方ですが、ちゃんと周りを利用してくれるんですよ。誰かが新しい攻め方を習得したとしたら、それを使える機会を与えて、使えるとなれば取り入れる。使われる方も、ちゃんと活かして貰えるから更に努力する。佐田を司令塔にした結果、そういう流れが自然と出来上がりましたね」
「それは凄い」
「佐田は扱いが難しい反面、上手く噛み合った時は凄まじいまでの好循環を生み出しました。逆に悪い方の話は……いま思い出しても辛いな……」
「……本当にお辛そうな顔ですね」
「いや……ちょっと自業自得な面もあったんですけどね。私は佐田に『チームの事なんて考えなくていい。自分のやりたいことをやれ』という様なことを言ったんですが、あいつはそれを真に受けて、本当にやりたいようにやりましたから。当然、チーム内で揉めることも多々ありまして、そのたびに私や滋賀がフォローに回りました。まあ、それは部長になった当初から予想はしていたんですが、それにしたってというか何というか……ちょっと思い返すだけで両手で数えられないくらいの揉め事が巻き起こりました。中でも一番困ったのが、新人戦をすっぽかされた事でした」
「新人戦をすっぽかす……それは穏やかではないですね」
「ええ。佐田は自分が欲しい技術が出来ると、それを習得することに夢中になって部活に来なくなる事が何度もあったんですけど、新人戦が始まる少し前になって『悪いけど、しばらく部活を休むわ』と……あの時ばかりは内心、殺意が湧きました」
「……お疲れ様です」
「いや、本当に。サッカーの強豪校なら色んな大会に参加してるかもしれませんけど、天秤のような公立高校なんてインターハイと国立と新人戦ぐらいしか大会がないのに。それをすっぽかすとか普通あり得ないでしょう?」
「確かに。因みに朝霧さんはそれを叱ったりはしなかったんですか?」
「そこが佐田の最高にやっかいな所でして……あいつがそうやって部活に来なくなって、そして帰ってきた時には、ちゃんと成長して帰ってくるんですよ。それも、もはや別人かってレベルで。おかげで文句のつけようが無くて……ほんと、困った奴でしょう?」
「はは、確かに。──ですが、朝霧さんには申し訳ないのですが、聞く分には面白くて記事にしがいのあるエピソードです」
「わかりますよ。佐田には本当に苦労させられましたが、でもあいつと……いえ、あの二人とサッカーするのは本当に楽しかったですから。……という訳で、私が佐田を自由にしたのは、単純な戦力アップだったり、未来への期待だったり、何なら佐田のサッカーに魅了されていたからであって、いずれにせよ深い意図はありません。ですから、緻密な論理を持って佐田を自由にさせたヴァルケ監督とは全然違いますよ。ましてや『お前に自由を与えてやる。お前はお前のサッカーで世界を取れ』なんて、私には到底言えませんから」
「そんなに念を入れて否定しなくても…………え? その言葉、どこから出て来たんです?」
「え? どの言葉?」
「お前に自由を与えてやる……の件です。ヴァルケ監督が佐田選手に言った言葉……なんですよね?」
「ええ」
「でも、そんなやりとりがあったなんて聞いたことがありませんけど、どんな記事で見たんですか?」
「いや、記事というか佐田本人から、一緒にサッカーをした時に……」
「……すいません。質問に質問を重ねてしまいますけど、高校を卒業してからも佐田選手と交流があったんですか?」
「ええ。私は社会人になってからも趣味でサッカーを続けていて、とあるアマチュアチームに所属していました。というか今も所属しているんですが、それで当時、佐田や滋賀からチームに混じってサッカーをさせてくれって何度か頼まれまして、はい」
「何故、彼らがアマチュアチームでサッカーを? プロ中のプロじゃないですか?」
「いや、そんな大した理由はないですよ。あの二人は基本、海外が活躍の場でしたが、一年中外国で暮らしている訳じゃなくてオフシーズンには、ちゃんと日本に帰っていました。ただ、オフシーズンだからって全く体を鍛えない訳でもないですし、なんなら遊びでサッカーをする奴らなんで、とりあえず人と場所を貸してくれって、そういう訳です」
「へえー。となると、そのアマチュアチームのメンバーは喜んだんじゃないですか?」
「ええ。うちのチームは大半が社会人だったので、仕事の都合なんかで一度に全員が集まることは中々に無かったんですが、あの二人とサッカー出来るって事で、有給取ってでもって奴や子供を連れてきた奴もいましたね」
「そういうの、滋賀選手はともかく佐田選手は嫌がりませんか?」
「そんな事はないですよ。よっぽどしつこく付き纏われるならともかく、普通に憧れているぐらいなら問題も起こりませんでした。かくいう私も、息子を鍛えて貰いました」
「贅沢な家庭教師ですね」
「全くです。それで話は戻りますけど、そんな感じでサッカーをする事があって、その流れで食事をする事もあったんですけど、その時の雑談で何げなく出た話ですね。監督からそう言われてレスタンに行ったとか、なんとか」
「…………朝霧さん。今、何げなくレスタンの奇跡の最大の謎である、何故、佐田選手は2部リーグのレスタンへ移籍したのかという問題に終止符を打ちませんでした?」
「え? いや、別にそれだけが理由じゃないでしょう? 他にも色々とやり取りはあった筈ですし、私個人の感想でいいなら、佐田とヴァルケ監督の馬が合ったからだと思います」
「まー、そうなんですけど……因みに佐田選手がグッペルを去った理由なんかも聞いてます?」
「あー、確か『グッペルに来たのならグッペルのサッカーをやれ』と言われることが耐えられなかったらしいですよ」
「めちゃくちゃ事情通じゃないですか⁉︎ ……朝霧さんは、きっと部員たちから信頼される良い部長だったんでしょうね」
「えーと……でしたら嬉しいのですが、どうしてそう思いました?」
「なんとなくなんですが。でも、そうでもなければ佐田選手が自身の心情を語らないでしょう。記者泣かせの人なんですから」
「それもそうかもしれませんね。だったら、かつて部長として頑張った甲斐があるってものです」
今回の取材に応えてくれた元天秤サッカー部部長の朝霧文夜さんは、大手の商社に勤めている一方で、主に社会人が集まるアマチュアサッカークラブの会長を務めている。
流石に選手としては引退したそうだが、現在は近隣のアマチュアチームと連携を取って、交流戦や小規模な大会を開いて、大人から子どもまでが楽しめるサッカー環境を作ることに力を入れているそうだ。
2章が終わったー! 終わったよー! 長かった!
あいかわらず執筆スピードが凄え遅いのですが、待っていてくれた皆さん、ありがとうございます。
次回からは第3章、次からは明の話に戻りますし、そろそろ緋桜君の出番もありそうです。それでは。




