58 お昼休みの一コマ
インターハイの地区予選が終わった週明けの昼休み、琴音は少し早めに昼食を終えると、お昼を共にしていたクラスメイトたちに一言断ってから教室を抜け出した。
廊下を進んで階段を登って、屋上に繋がるちょっと重めの扉を押し開ける。
扉の隙間から差し込んできた明るい日差しの先には、園芸部が作り上げた庭園があり、天気が良いこともあって中々のにぎわいを見せていた。
屋上をさらっと一瞥したが、どうやら待ち合わせの相手は自分より先に屋上へ来ていたようなので、軽い足取りで約束の相手へと近づいていった。
「すいません、お待たせしました」
「いや、まだ約束の5分前だから」
丁寧に頭を下げた琴音に、朝霧先輩は朗らかな笑みを返してきたので内心でちょっとホッとした。
やはり上級生の、それも部長からの呼び出しとなるといささかの緊張が伴うものだが、先輩の柔和な笑みは琴音の不安を取り除くには十分だった。
安心して屋上庭園を飾る花柄の椅子に座ると、同じく椅子に座っている先輩と向き合った。
「それで……昨日のお話では佐田君の事についてお聞きしたいということでしたが……」
琴音のその率直な問いかけに対して、先輩もまた率直な態度で本題を切り出した。
「そうなんだ。これからサッカー部の部長をするにあたって、あいつの事を知っておきたくて……。正直に言って、どう扱えばいいのか決めかねている。これからのサッカー部に必要だと……少なくともその可能性を感じているんだけど、佐田の行いには分からないところが多すぎてさ。このままだと動きようがないから、まず、あいつを知るところから始めたいんだ」
「なるほど、そういうことですか……」
事前にある程度の事情を聞いていたこともあり、とても納得の行く説明だった。
サッカー部と佐田君が上手くいくには、その辺りの相互理解が必須だと思うので、先輩の「協力してくれるかな?」という質問に「はい、わかりました」と、二つ返事で頷いた。
「ありがとう。……じゃあ、早速本題なんだけど、なんで佐田は部活に来ないで自主練を続けているのかな? サッカー部の何が不満なんだろう?」
その問いかけに琴音は、しばしの間、何をどう話すかを考え込んだ。
琴音の正直な心境として、今回の話し合いをチャンスと捉えて朝霧先輩が……ひいては天秤サッカー部が佐田君を受け入れる下地を作っておきたいという気持ちはある。
しかし、だからといって、安易に佐田君を良く見せる為に言葉を飾るのは考えものだ。
琴音はこれまでに、けっこうな数の相談を受けて来たが、問題がこじれているケースの大半は、対立している二人のうち片方、もしくは両方ともが、自分の都合の悪い部分を隠していることが原因になっている。
一時的にはそれで良くても、後々に必ず悪影響を与えてしまうだろう。
——結局のところ、正直に勝る薬はそうそうありはしない……ということでしょう。
ありのままに話すことを決めた琴音は、改めて先輩に向き直って、琴音から見た佐田君のことを語り始めた。
「佐田君は自分が欲しいと思う技術を習得することを最優先に置いています。その為なら努力を惜しまないのですが、部活やチームメイトのことは二の次にしてしまいます。一応、部活に行かないことはマズイことだと自覚はしているのですが、それでも他人に合わせるより自分の意思を優先する……と、そういう我慢の利かない困った人です」
「……その、佐田はこれからも部活に来る気はない?」
「いえ、いま彼はインフロントやアウトサイドを使ってボールを曲げる技術を習得していますが、それが終わったらサッカー部に戻るつもりです。……ただ、これは私の想像なのですが、サッカー部に戻った後も『これが欲しい』という技術が出来れば同じことを繰り返してしまうんじゃないかと……」
「うーん……サッカー部の部長としては、そういう出たり入ったりされるのは困るんだけど……」
「ええ。本当に困りますよね……」
先輩の感想に琴音は心の底からの同意を送った。
佐田君が出たり入ったりするたびに、琴音もまた振り回されることになる。マネージャーの仕事を渚先輩一人に押し付けてしまうし、部活に勤しむ兄さんの勇姿を見る機会も減ってしまう。
そうならないように、佐田君には出来ることならサッカー部に落ち着いて欲しいのだが、きっとそれは難しいだろう。
「きっと問題は、佐田君は自分が正しいって確信してる事なんです」
「正しいっていう確信?」
「はい。自分が何を身につけるべきか? どんなサッカーを目指して行くのかは、他の誰よりも自分自身がわかっていているのだから、自分で選んだ選択こそが常に正しい……という考えが佐田君の根底にあるんだと思います。だから、例えその選択が周りから非難を受けても譲ったりはしません」
「……それはつまり、佐田には人の話を聞く気がない?」
「いえ、ちゃんと聞く気はありますよ。ただ、それを受け入れるか受け入れないかの基準が常に自分なんです。自分が納得できれば受け入れるし、納得出来なければ受け入れない……と、そういう人です。ある意味、非常に偏った人と言えますが、その一方で、自分で決めたことに対しては真面目に取り組みますね。朝霧部長はサッカー部での……言い方は悪いですが、練習をやらされている佐田君の姿しか見たことはないでしょうが、自発的に練習に向かう佐田君の姿には目を見張るものがありますよ。ムラっ気こそありますが、絶対に上手くなってやるっていう断固たる意志を持って練習に取り組んでいます。それこそ、そばで見ている私が『よくぞここまで集中できるな』と感心してしまうぐらいです」
だからこそ、なんだかんだ言っても琴音は協力を惜しまないのだ。あの練習態度を見ればサッカー部の面々にも、もっと受け入れられるだろうに、ままならないものである。
「やる気はある人なんですよ。私としては、もうちょっとだけ佐田君がサッカー部に親しみを持って歩み寄ってくれれば、と思いますけど……難しい問題ですね」
「やっぱり佐田はサッカー部の連中を、一緒に戦う仲間……とか、あんまり考えていないのかな?」
「それは……」
考えていないも何も……
「私も同じような質問を佐田君にしたことがあるのですが……全員が敵、とのことです」
「え ……えっ?」
目を丸くする先輩。その顔を見て、きっと自分も佐田君の返答を聞いた時は同じような顔をしていたんだろうと、おかしな感慨に浸った。
「全員が、対戦相手のみならず一緒に戦う味方すらも敵、らしいです。佐田君に言わせればサッカーは基本、蹴落とし合う競技なんだと。天秤のような学校として何らサッカーに力を入れていない学校でも、レギュラー争いやポジション争いが当たり前のようにありますし、陣形や戦略で意見が割れた時には反対意見をねじ伏せなければいけません。そしていざ試合が始まったなら勝つのは勿論、敵味方合わせた22人の中で一番活躍したい。つまりチームメイトですら競い合う相手……というのが佐田君のサッカー観です」
「……それ、例えば君のお兄さんも競争相手に入っているの?」
「勿論です。『オメーの兄貴が今のところ一番の敵だ』と面と向かって言われましたから」
「そうなんだ……」
そう呟いたきり、先輩は押し黙ってしまった。
琴音はその様子を見て不安を覚えた。
失敗したかもしれない。いくら正直に話すと決めたとはいえ、もうちょっとオブラートに包み込むくらいの配慮はあって良かったのかもしれない。
今の話を聞いて部長が、やっぱりチームワークのない佐田とはやっていけない、と判断されると困る。非常に困る。
「あの、朝霧部長……」
探るように問いかけると、先輩はハッと我に返って琴音に向き直っだ。
「ごめん、ちょっと考え込んでた。話を続けて貰ってもいいかな? とりあえず、普段どんな風に練習しているのかを知っておきたい」
そう問いかけてくる先輩の態度からは、佐田君への拒絶感などは見受けられない。
「はい、分かりました」
琴音は内心でほっと安堵しながらも、先輩の要望に応えて話を続けた。
……。
……。
「……と、そんな感じです」
「凄いね、あいつ……」
滋賀さんの語る佐田の話に文夜はそう呟いたが、その言葉は果たして賞賛なのか皮肉なのか……。
何はともあれ、彼女から一通りの話は聞き終えた。
軽くお礼を言うと長考に入った。次は文夜が決断を下す番だ。
「う……ん……」
本音で言うと、こうやって話を聞いても佐田の考えに納得のいかない事も多かった。
一体、何をどうしたら、そこまで自分の選択が正しいと思えるのか?
また、何故、そこまで競い合おうとするのか? 味方が欲しいとは思わないのか?
中でも、全てが敵だと言い切る佐田のサッカー観は、同じスポーツをやっているとは思えない。
理解ができないし共感もできない。
だが、だからこそ……佐田が文夜や部員たちと全く違う価値観を持っているからこそ、これからのサッカー部が強くなる為には絶対に必要な人材だとも強く思う。
きっと、今の自分達には変化が必要なんだと、文夜は腹をくくることにした。
「滋賀さん。今日の放課後、練習前にミーティングをやるんだけど……佐田は来ないよね?」
「来ないと思いますけど……えっと、なんなら引っ張ってきましょうか? 少しくらいなら、佐田君も、まあ……」
それが彼女に出来るなら、ちょっと面白そうではあるが文夜は首を横に振った。
「いや、その必要はないかな……」
というより、むしろ居ない方が都合がいい。
文夜は腹をくくったが、それはあくまで文夜だけの話。部員たちがどんな反応をするのかは全く読めない。その上で何をするかわからない佐田を加えるとなると、どんなカオスが巻き起こるのか想像もつかない。それはちょっと避けたい。
「ただ、ミーティングの結果は佐田に伝えたいから、滋賀さんには出席して貰いたいんだ。最初のミーティングだけで構わないから」
「はあ……わかりました」
完全に納得した風でもなかったが、それでも文夜の要望に頷いてくれたので、背筋を伸ばしてお礼を言った。
その後は、お昼休みも終わりに近いとあって、席を立って屋上を後にした。
一年の教室が並ぶ三階の通路で彼女と別れると、更に階段を下りて自分の教室へと向かう。
その途中、頭を掻きながらポツリと呟いた。
「うーん……聞けなかったな……」
実は彼女に聞くか聞かないか迷っていて、最後まで口にしなかった質問が一つだけあった。
それは、彼女の兄である滋賀槍也が天秤に進学した理由に佐田が関わっているのかどうか? というものだ。
常識で考えれば無名中の無名校である天秤に滋賀が来る筈がない。
そんな当たり前のことを覆した何かがあった筈で、半月前の紅白戦で見た佐田の力は、その理由になりえると……少なくとも可能性はあると文夜は踏んでいた。
また、妹である彼女が、佐田に対して何くれと世話をやいているのも、その推測を後押しする要因になっている。
聞けば、意外とすんなり答えてくれたのかもしれない。
けれど文夜はそれをしなかった。
聞いて、もし仮に文夜の推測が的を射ていた場合、文夜はきっと、これから行う事に対して、滋賀が佐田を認めているのだから……と、思ってしまうだろう。
滋賀を信じていると言えば聞こえがいいが、見方を変えれば滋賀に責任を押し付けている。
そんな真似はしたくなかった。
これからのサッカー部がどうなるにせよ、その責任は自分が背負いたい。いや、部長である自分が背負うべきなのだ。
「初っ端から試練だな……たぶん、誰にとっても」
ぶるっと背筋が震えたところで、午後の授業を告げるチャイムが鳴った。




