54 レギュラー
大会まで一週間を切ったとある日の放課後、サッカー部の面々は再び視聴覚室へと集まっていた。
前回は大会の日程などの説明、そして今回は、その大会のレギュラーとベンチ入りメンバーの発表である。
夏のインターハイといえば、冬の選手権と並ぶ高校サッカーの2大イベントのうち一つ。
また三年生にとっては、これが最後の大会でもある。
だから、自分が選ばれないなら誰が選ばれようがどうでもよく、興味が無いから顔を出す気にもなれない……などと考える人間はそうそう居ない。
幸い体調を崩した者も急な用事が入った者も居ないので、部員の大半は真面目にミーティングに参加していた。
「それでは、これからレギュラーの発表をする」
部長である永谷が無骨な声でそう告げると、部員たちは雑談を止め、壇上に登っている彼に視線を向けた。
部員たちの視線が集まる静寂の中、永谷は毅然とした態度でレギュラーを発表し始めた。
「まずゴールキーパー、1番、野田」
「はい」
永谷が名前を呼ぶと、呼ばれた方が返事を返した。
壇上の横に控えていた夢崎先生が率先してパチパチと手を叩いたので、皆が習って選ばれた部員に拍手を送る。
「続いて守備陣、センターバック、2番、朝霧」
「はい」
部長が決めるとはいえ、なんでもかんでも好き勝手に選べるという訳でもない。
レギュラーは、これまでの日々の練習や練習試合での実績を元に選ぶので、一緒に練習していれば誰が選ばれるのかは、だいたい分かる。
守備の要の副部長が選ばれないと考えていた奴は、本人も含めて1人もいなかった。
その後に続くレギュラーの発表も、
「ええ⁉︎ こいつが選ばれるのか⁉︎」
と、驚くよりも、
「ああ、やっぱりそうか」
という納得の色の方が濃い。
そんな、ある意味予定調和感のあるレギュラー発表だったが、穏やかな空気で進んだのは守備陣の発表が終わるまでだった。
「次、中盤……」
部長のその言葉で、教室の空気が妙に騒ついた。私語こそないが、教室のあちこちから抑えきれないざわめきが生まれている。
みんな分かっていた。
可能性は低いかもしれない。
しかし、このレギュラー発表に波乱があるとしたら、きっとここだろうと。
部員たちが固唾を飲んで見守る中、永谷は至って冷静に同級の名前を呼んだ。
「ボランチ、6番、篠原」
「お、おう……じゃねえ、はい!」
戸惑いながらも慌てて返事をする篠原。あるいは当の本人こそが、誰よりも意外だったのかもしれない。
ホッと安堵の笑みを浮かべる彼に周りの人間は拍手を送った。
内心で彼が選ばれることを望んでいた者は、彼と彼を選んだ部長を支持するかのように一回り大きな拍手を。
また、そうでない者も「ま、そうだよな」と、さしたる抵抗はなかった。
そしてその後のレギュラー発表に関しては波乱という程の波乱もなく進み、トップ下のポジションでは永谷自身を、そして最後に滋賀の名前を読み上げた所でレギュラーの発表は終わった。
続いてベンチ入りメンバーの発表も速やかに行われた。
部長が名前を呼び、呼ばれる方は答える。それを6回繰り返したところでレギュラー11名とベンチ入りメンバー6名、計17名の選別が終わった。
「以上が地区予選を戦うメンバーだ。選ばれた者はサッカー部の代表である自覚を持って戦って欲しい。……また、目的はあくまで全国。インターハイでは改めてレギュラーを選出するので、選ばれなかった者も腐ることなく練習に励んで欲しい。みんなで力を合わせて勝ちに行こう」
永谷がそう締め括ると、みな、それぞれに頷いた。
そのあとは、今発表したメンバーで地区大会をどう戦っていくかを話し合った。
特に二回戦で当たる黒牛高校は、神奈川有数の強豪で天秤にとっては高い壁だ。だが、逆に勝つことが出来れば、全国も夢ではなくなる。
強豪校ゆえに情報も他より出回っている。
熱心にかの高校の戦術とその対策を議論した。
ちなみに顧問である夢崎先生は、レギュラーの発表の後、早々に席を外している。
中間テストの真っ最中、あくまで教師が本分である彼女は、そうそうサッカー部の為だけに時間は取れないし、それは部員たちも分かっている。本人は申し訳なさそうにしていたが、別に不満を覚える者もいなかった。
およそ30分に渡る話し合いをえて、大会前の最後のミーティングは終わりを迎えた。
……。
……。
ミーティングが終わって部員たちが出て行った視聴覚室。
永谷は室内に忘れものや、椅子や机の整理整頓に乱れがないかの最終チェックをしていた。
学校から部屋を借りたからには綺麗に返さなければならないし、これから鍵をかけるので忘れ物があってはならない。
部員たちには個人個々で気をつけるように言ってあるが、それでも最後の確認は部長である自分や副部長である朝霧の役割だった。
一通り見回って問題なしと判断したところで、入口で待っていたマネージャーの沖島がこちらへと呼びかけた。
「部長。そろそろ鍵閉めちゃいますよ?」
「ああ、いま行く」
自分と朝霧が部屋を出ると、彼女は教室の鍵をかけ、しっかりと鍵がかかっていることを確認した。
「では、鍵は私が先生の所に持って行きますから、二人は先にグランドへどうぞ。練習に行って下さい」
その言葉に甘え、鍵の返却は彼女に任せることにした。
軽く礼を言い、ひと足先にグランドへ向かう。
廊下を歩きながら、これからの一週間、テスト期間中とあって普段より練習時間が削られる中、どこまで集中して練習に取り組めるのか……と、そんなことを考えていたのだが、ふと唐突に、隣を歩く朝霧から声をかけられた。
「部長」
「ん?」
どうした? と、何の気なしにそちらに振り向くと、朝霧は妙に神妙な顔で、
「これで、良かったんですか?」
と、短く問いかけてきた。
永谷は思わず息を呑んだ。
朝霧は誰の名前も出さなかったが、それでも朝霧の言う『これで』が、佐田をレギュラーやベンチから外したことだとはっきりと伝わったからだ。
そして、敢えてそう問いかけてくる程度には、自分の判断に疑念を持っている。
部員たちの中にはそういう考えを持つ者もいるとは思っていた。
しかし佐田を加えるということは、今まで築き上げてきた天秤のサッカーを捨てるに等しい。経験の浅い1年ならともかく、この一年、一緒に天秤のサッカーを作り上げてきた朝霧がそんなことを言い出すとは夢にも思っていなかった。
例えこの大会の結果がどうであれ、朝霧が天秤のサッカーを受け継いでくれると、永谷は今この瞬間まで疑っていなかった。
「朝霧。お前はこれまで頑張ってきた篠原を差し置いて、あいつをレギュラーにすべきだと言うのか?」
「そこまでは言いませんが……でも、あのロングフィードが必要になる時があるかもしれません。相手がハイプレスの対策を練って来た時や、相性が悪いチームと当たった時の為の保険に、ベンチに置いて置く、という選択もあるんじゃないかと思います」
「出来るか、そんなこと⁉︎」
永谷は我知らず声を荒げた。
その大声は廊下を歩いていた幾人かの無関係な生徒たちを驚かせた。
彼らの視線が永谷に集り、周囲の注目を集めた事で永谷は我に返った。
感情的になっている自分を自覚し、自制するよう自らに言い聞かせる。
そして、やはり驚いた顔をしている朝霧に謝った。
「すまん」
朝霧には朝霧の考え方がある。それなのに裏切られた……などと思い込んで不満をぶつけるのは、自らの傲慢だ。
間違いを認めて頭を下げた永谷だったが、しかし佐田を外すという選択に関しては間違いだとは思わない。変える気もない。そのことだけは、はっきりと伝えた。
「公式戦に出場する選手はサッカー部の代表なんだ。いくら実力があっても、人の話を聞かず、チームに馴染まず、そもそも練習に来ないような奴を選んだりはしない。そんな奴に頼る気もない。——佐田は、まず真面目に練習に参加して仲間の信頼を勝ち得る……レギュラーうんぬんはそれからだろう。違うか?」
その選択に、永谷の個人的な心情が全く影響しなかったとは言わない。しかしそれ以上に、サッカー部の部長としての真っ当な考え方がその選択をさせた。今の佐田はレギュラーに値しない。
そんな永谷の気持ちを強く乗せた問いかけに朝霧は深く考え込んでいたが、やがて答えた。
「そうですね。まずは、みんなに認められるのが先ですね」
永谷にはその言葉が本心なのか、それとも自分を部長として立てただけなのか判別がつかなかった。
ただ、これ以上この話を続けないという意図は伝わってきたので、永谷も会話を切り上げた。
再びグランドに向けて歩き出したが、しかし、頭の中では今のやりとりを思い返していた。
もしかしたら間違っているのは自分かもしれない。朝霧は自分なんかよりよっぽど部長に向いている。
変に余計なことを考えずに、ただ純粋に佐田を戦力として扱う道も……いや、そんなことがある筈がない。
永谷は自分で自分の考えを否定した。
たった一回。たった一回の紅白戦だ。それだけで、幾多の問題を抱えている男を特別扱いにする道理はどこにもない。ましてや、これまで築き上げてきた天秤のサッカーを捨てるなどあり得ない。だいたいがして負けた訳でもないのだ。
朝霧のことは認めているが、この件に関しては自分の方が正しい。永谷の選んだ今のメンバーが大会を勝ち抜くにあたってのベストメンバーだ。
このメンバーで、天秤のサッカーで勝つ。永谷は譲れぬ信念を胸に抱えながら練習へと向かった。