48 ハーフタイム
前半が終わって10分休憩。レギュラーとサブは少し距離を置き、階段や段差に腰かけることで休んでいる。
大半は座って周囲と会話を始めたのだが、まれに校内に入っていく姿も見かける。たぶんトイレだろう。
そしてアキラはといえば、ちょっと離れた所にある水飲み場へと向かっていた。
水を飲む為じゃない。それならマネージャーが飲み物を用意していた。
そうではなく、蛇口を下にして勢いよく流れ出る水を頭から被った。
「あーっ……あー……」
冷たい水がひんやりとして気持ち良く、一時的に「あー」としか言えない生き物になってしまった。
何故そんなことをしたかといえば、疲れた頭を切り替えたかったからだ。
前半戦、思った以上に疲弊した。
といっても体力的にはまだ余力はある。
まあ、全然余裕かと言われればそうでもないが、一月前に比べればはっきり改善している。
あの時の紅白戦では、前半戦だけだったにも関わらず、試合が終わって動けなかった。比べると後半戦をやれるだけの体力が残っているのだから、ここ一月の練習や筋トレは無駄ではなかったのだろう。
が、頭の疲弊っぷりはその時以上かもしれない。
「うあー……効くわー」
ようやく「あー」以外の言葉もしゃべれる様になったのだが、そんな一言ですらおっくうに感じる。
試合の途中からヤマヒコとの意思疎通を、将棋を見習って数字を使うやり方に変更したのだが思った以上に混乱した。
ヤマヒコの指示が遅いわ、アキラの反応が鈍いわ、間違った情勢が飛び交うわと散々だった。ボランチがあれだけ右往左往していたら、そりゃ更に2点取られもする。
最終的には常に気を張っていることで対応し終盤に1点返すことも出来たのだが、その代償としての精神的疲労が前半が終わって気を緩めた瞬間にドッとやってきた。
『アキラ、大丈夫?』
「……………………」
涼しい声でこちらの様子を窺ってくるヤマヒコに殺意が湧いた。
位置情報を数字で示すやり方はヤマヒコにとっても初めての試みで、実際、最初の方は戸惑っていたくせに、アキラより遥かに早く順応しやがった。
前半の終わり頃には、ヤマヒコのミスはほぼなかった様に思う。
つまり、認めたくないがアキラよりヤマヒコの方が頭が回るのだ。
正直なところ、前々から薄々気づいてはいた。
ヤマヒコの指示は耳の良さだけで出てきているものじゃない。耳の良さで敵味方の位置を把握しているのが前提として、そこから先、何手も先を読んでいる。
将棋の棋士は1秒で1000手を読むらしいが、そこまでいかなくとも、パスの相手を決める時、渡した相手が成功したらどうなるか? 逆に失敗したらどうなるか? 即座にカウンターを喰らわないか? カウンターを喰らったとしてリカバリーは利くのか? と、それくらいは考慮した上でアキラに指示を出していることは、実際に指示を受けている身として実感はしていた。
仮に自分がフィールドを上から眺めていたとして、絶えず変化する試合の中で、そこまで考えて指示を出すことなど不可能だ。
結論、ヤマヒコの方がアキラより頭が良い、ということになる。
なるのだが、それはあまりにもプライドに触るというか何というか……、
「佐田君。水浴びはそこまでにした方がいいですよ」
「あん?」
水を浴びながらボンヤリと考えごとをしていたら背後から声をかけられた。疲れた頭にもスッと入ってくる特徴的な声は、振り返る前から声の持ち主を特定させた。最近、何かと一緒にいたから尚更だ。
アキラは水浴びを止めて、そちらを振り返ったが。当然の結果として濡れた頭から垂れる水滴が上着を濡らしていった。
どのみち水浴びしていた時に多少の跳ねっ返りはあったし、そもそも水を浴びる前から汗で湿っていたのでアキラは気にしなかったが、声の主は違った。
「あーあー、何をやっているんですか? ほらタオル貸してあげますから。早く拭いて拭いて」
そう言って、押し付ける様にタオルを手渡してきた。
シャツはともかく顔が濡れていると視界がとれない。
アキラは言われるままに顔と髪を拭いて、それでようやく相手のことが視界に入った。
「サンキュ、滋賀」
軽く礼を言いながら、ささっと顔と頭を拭き終わったのだが、そんなアキラに琴音からダメ出しが入った。
「駄目ですよ、そんな適当に拭いたら。ほら、ちょっと貸して下さい」
そう言ってアキラからタオルを奪うと、がしがしとアキラの髪を拭き始めた。距離が近い。
「いや、もういいって!」
「よくありません。私も昔はサッカーをやっていたので、水をかぶって汗を流したり気分転換をしたいという気持ちがわからないでもないのですが、それならそれで、ちゃんとケアすべきです。濡れたままだと風邪を引いたりするかもしれません。——はい、お終いです」
アキラの抵抗を軽くいなして、きっちりと水気を拭き取った琴音は、そのままタオルを脇に抱えると、近くに置いてあったお盆に1つだけ残っていたコップを取り上げてアキラの方へと差し出してくる。
「はい、これは佐田君の分です」
「………………」
大人しくコップを受け取ったアキラは、苦々しい表情でそれを飲み始めた。
いや、別にコップの中身が実はブラックコーヒーだったなどというオチは無い。普通のスポーツ飲料水なので、苦々しい要素は皆無なのだが、それにしたって滋賀琴音。
どうも、彼女の自分に対する態度が、同学年の異性に対する態度ではないような……はっきり言って年下の弟の面倒を見ているお姉さんのような態度に思えてならない。
なんとなく面白くなかったが、面白くないと思うこと自体がもう既に面白くなくて妙に葛藤させられた。
そんなアキラの葛藤はつゆ知らずの琴音が、至って自然に問いかけてきた。
「後半に向けての作戦会議はしないんですか?」
「何の話?」
質問の意図が分からずに問い返したアキラに、琴音は一箇所に固まっているレギュラー陣を指差した。
「ほら、レギュラーチームは熱心に話し合っているじゃないですか? 勝っているあちらがあんなにも真剣に今後を話し合っているんです。サブチームも逆転の手立てを話し合うべきでは?」
「なるほど……」
今度はちゃんと理解できた。確かに一致団結しているレギュラーに比べ、サブチームはひと塊りに固まってはいるものの、何か建設的な話をしている様には見えず纏まりを欠いている。
まあ、アキラからして、のんびりと水浴びを続けていた訳だし、はたから見て琴音の質問は至極まっとうだ。
ただ、アキラの立場からすれば別に必要とも思わなかった。
自身が今やるべきことなど相談するまでもなく決まっている。
ちょっと……いや大分しゃくだが、ヤマヒコは既に新しい意思疎通のやり方に順応しつつある、だから残るはアキラだけだ。
ヤマヒコの指示に限りなく早く反応し、現状を把握した上で相手より一手先を行く。
出来るはずだ。ネットで調べてみたが、目隠し将棋なんてプロの棋士なら誰でも出来る代物だ。それどころかアマチュアでも腕の立つ奴なら出来るらしい。アマチュアに使えるようなスキルがアキラに使いこなせない筈がない。
根拠はないが確信はある。
事実、前半終了間際はいい感じに動けていた。
アキラは、このままのやり方を継続するつもりだし、誰に何を言われてもそれを変える気などさらさら無い。
なので現時点での話し合いの必要性を感じず、無駄に言い争って疲れるぐらいなら休息を優先すべきだと思っていたが、アキラの同居人の意見は違った。
『アキラ! 俺は琴音ちゃんに賛成! できれば後半が始まる前に話しておきたい人がいるんだ!』
勢いよく賛成の意を唱えるヤマヒコに、アキラはちょっと考えた。
アキラは必要ないと思っていたが、ヤマヒコが必要だと主張するなら話は別だ。その程度にはヤマヒコの判断に信頼は置いている。
少なくとも理由も聞かずに却下しようとは思わない。
『話って何の話だ?』
『もちろん後半の作戦だよ。ハイプレスを揺さぶる一手が欲しいんだ』
『どいつに?』
『柏木君と坂上先輩』
サブチームの選手の名前とポジションは試合前に覚えていたので、その二人のこともわかった。同時に両者の共通点にも気付いた。
『その一手とやらには、サイドバックが必要なのか?』
アキラの推測は間違っていなかったらしく、ヤマヒコは肯定した。
『うん! 後半、戦線が膠着しちゃった時にサイドから頑張って貰えると凄い助かる! えーとね……——』
それから語られた理由はアキラにも納得できる物だったので、二人に話をしに行く事に異存は無くなった。
そんな風にちょうど考えがまとまった所で、
「佐田君?」
「ああ、悪い ——」
名前を呼ばれた事で、会話の途中で長考していた事に気付いた。
軽く謝ってから話の続きを続けた。
「 ——確かに滋賀の言う通り、話し合っといた方がよさそうだ。 ——じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
アキラがそう言うと、琴音は「頑張って下さいね」と短く告げてマネージャーの仕事へと戻って行った。
残されたアキラは一瞬、
——いや、別に頑張るほどのことじゃねえだろ……。
と、そう思ったが、よくよく考えてみれば、相手がアキラの言葉に耳を傾けてくれるかは微妙なところだ。
一抹の不安を抱えながらも、アキラは二人の元へと歩み寄った。




